1、▼ 御遺命違背 国立戒壇 について浅井昭衛の矛盾だらけの過去を暴く

@ 「御遺命違背正本堂」に御供養を勧募していた浅井父子

A 浅井昭衛は「正本堂が御遺命違背」だなんて毛筋ほども思っていなかった証拠

B 浅井昭衛はかつて池田大作に同調していた。 


C 「浅井昭衛は昭和44年の御開扉に参加し大謗法与同の大罪をおかした。」ということになる。

D 「強信者以外の御開扉は不軽」の矛盾 

E 昭和44年浅井昭衛は正本堂の御供養を宗門にしていた大矛盾

F 昭和44年日達上人から正本堂供養に対しての袱紗をもらって喜んでいた

G 昭和45年妙信講が御開扉を受けた矛盾

J 昭和45年 浅井昭衛 戒壇の事と義 正しく解釈 今の顕正会の主張と全く逆

M 浅井昭衛昭和47年10月発言 正本堂完成に寄せて「御遺命はついに曲がらず」だって!

N 昭和47年11月浅井会長「正本堂は立派に完成いたしました。」と発言。

O 昭和47年5月浅井父子は宗務院に登山の申し入れをしている。

P ”秘蔵すべき戒壇の大御本尊”への御開扉を浅井父子が願ったのは大矛盾ではないか

Q 浅井昭衛発言平成4年「阿部管長は国立戒壇の正義を認める」平成10年「御遺命守護の戦いは完結した」では今更宗門に対して何を騒ぐのか?この矛盾を説明せよ。


R 正本堂が奉安堂に御遷座された時浅井昭衛は御遺命守護完結の宣言をしたのに今更何を宗門にいちゃもんをつけているのか?この矛盾を説明せよ。

S 平成10年「御遺命守護は完結した」と浅井昭衛は断言。以前に「顕正会員は全員日蓮正宗信徒へ復帰できる」と公約していたがそれを反故にした。このペテン師ぶりを弁解してみせよ。

21 昭和53年に浅井昭衛は「御遺命守護の戦い完結の暁には幹部以上は常住御本尊本尊をいただけるようにする」と公約。
しかし平成10年御遺命守護完結を宣言したにもかかわらずその公約を反故。この大嘘つきぶりを弁解してみよ。


22 平成元年に浅井昭衛は「顕正会員は全員日蓮正宗信徒なり、御形木御本尊が下附されることができる」と公約した。
しかし平成10年御遺命守護完結を宣言したにもかかわらずその公約を反故。この大嘘つきぶりを弁解してみよ。


24 平成3年浅井昭衛は御遺命守護の戦い完結の暁には顕正会員全員戒壇の大御本尊への御開扉が叶うと公約していたが、平成10年御遺命守護完結を宣言したにもかかわらずその公約を破った。この大ペテン師ぶりを弁解してみよ。

25  浅井昭衛は平成1年に▼「御遺命守護完結の暁には濱斥僧松本元能化の満山供養を猊下にお願いする(趣意)」と公約していたがそれを破った。
この畜生にも劣る不知恩の下衆な卑劣漢ぶりを弁解してみよ。


26 浅井昭衛は平成53年 ▼「御遺命守護完結したら顕正寺を御法主上人へ御供養する」と公約していたが、これを破った。
この下衆な卑劣漢ぶりを本部職員として弁解してみよ。


27 浅井昭衛は自説”国立戒壇”について「国費」で建て「国費」で運営するのか主張がブレブレで支離滅裂である。これについて弟子ならばきちんと弁明してみよ。