御開扉の大きな矛盾点
浅井昭衛の理論では「軽々しい御開扉は、広宣流布するまでは不敬」なはずである。
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証拠
平成20年4月23日日如上人への誡告書
▼本門戒壇の大御本尊は、広布の日まで秘蔵すべき秘仏にてまします
▼内拝は強信者にのみ特別許されたものであるから、まだ許される辺もあろう。
▼戒壇の大御本尊が本来秘蔵し奉るべき秘仏であられることは分明である。
まして今日宗門が強行している「御開扉」なるものは、中古に始まった「遠き広布を待ちかねて」の内拝でもなければ、荒水漬勇居士が憂えた大正時代のそれでもない。
まさしく今日の「御開扉」こそ、大御本尊に対し奉る許されざる冒涜(ぼうとく)であり、危害を招くものであれば、速かに上代に立ち還って秘蔵し奉らなくてはいけない。
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顕正会がまだ妙信講であった時期、大勢の妙信講員が御開扉受けていた。
その人々が全て「強信者」だったのか?
事実当時の御開扉参詣者から妙信講も相当な数の退転者が出ている。
妙信講として当時御開扉受けていた者が一人も退転していないなどと断言でき、またその証拠を提示できるのか?
つまり、浅井昭衛が認める▼「強信者の内拝」ではない妙信講員が御開扉を受けていたと言うことではないか。
となれば、今の浅井昭衛が主張する、▼「(強信者以外)戒壇の大御本尊は広宣流布の暁まで秘蔵厳護すべき」との主張と真っ向から矛盾する。