御遺命守護の戦い P3
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▼「戸田先生も我々も一時『国立戒壇』といってきました。どこを捜しても御書には『国立戒壇』ということばは無いのです。いまの評論家どもは「創価学会は国立戒壇を目標にしているからけしからん』と云いますが、私は何をいうかと云いたい。そんなことは御書にはありません。彼等はなにもその本義を知らないのです。猊下が正本堂が本門戒壇の戒壇堂であると断定されたのであります」 (聖教新聞40・9・22)
この中にあるように、この誑惑をなすに当って池田大作は猊座の権威を利用したのであった。
悲しいかな時の管長・細井日達上人は、この悪義を摧きもせず、かえって迎合し、正本堂を御遺命の戒壇と承認したのであった。
この承認を取りつけた池田は、誑惑を愧じるどころか、声を大にして自らの偉業を誇った。(御遺命守護の戦い)
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↑これなんかも、浅井昭衛の実に自己美化の戯言ですね。
この池田の発言が聖教新聞に掲載されたのは昭和40年9月22日
しかし浅井昭衛は、
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▼ いよいよ正本堂建立御供養 千載一遇のご奉公に歓喜の参加
この御供養は、宗門の歴史をつらぬく大事で、猊下を通して戒旦の大御本尊様への御奉公であり、私達の生涯に二度とはない大福運であります。(冨士昭和四〇年六月号)
▼ すでに広宣流布の時は来ております。浅井昭衛(冨士40.8)
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このように浅井昭衛は、前記聖教新聞での池田発言のその3ヶ月前の6月には ▼ 『正本堂への御供養は生涯に二度とない大福運』 だの、
一ヶ月前の8月には ▼ すでに広宣流布の時は来ている
だの言っている。
まさに池田大作と同調しているではないか。
池田大作と同意してる。
にも拘らず後になって、池田大作を詰り、日達上人まで詰る。。。
こういう輩を姑息な卑劣漢 卑怯者 というのである。
こんな卑怯卑劣な者が何を偉そうに『宗門は御遺命破壊!』だ?
浅井自身が大謗法極まりないではないか。
それに付き従う浅野君も間違いなく無間地獄に堕ちること必定。