顕正会員は、浅井昭衛が都合よく作りあげた、自己弁護、自己正当化、自己美化するためだけの「浅井先生自慢の自叙伝」しか知らない。
どんな企業でも政治家でも、あるいは宗教でも、その創業者・創始者の伝記など、その相当量は自己都合で歪曲された歴史であることは史実が証明している。

「試練と忍従の歴史」 だの 「御遺命守護の戦い」 などその代表的な偏向書籍である。

では、浅井昭衛に隠蔽されていない、真実の歴史をまた一つ明らかにしてその矛盾を突く。
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▼ いよいよ正本堂建立御供養  千載一遇のご奉公に歓喜の参加

この御供養は、宗門の歴史をつらぬく大事で、猊下を通して戒旦の大御本尊様への御奉公であり、私達の生涯に二度とはない大福運であります。(冨士昭和四〇年六月号

▼ すでに広宣流布の時は来ております。浅井昭衛(冨士40.8

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●↑「正本堂への御供養が生涯に二度とはない大福運」 とはまさに正本堂を御遺命の戒壇と完全に認めているから出てくる言辞である。
しかも、その二ヵ月後に 浅井昭衛のたまわく▼「すでに広宣流布の時は来ております」 と!
何度も何度も言ってあげますが、この時、浅井昭衛は「正本堂が御遺命違背」だなんて毛筋ほども思っていなかった証拠である。