駄犬「考える人←実は「何も考えられない人」完全粉砕・反論不能一覧表
お? 少々まともな事言ったね。
少し褒めてあげるね。
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■智者あつて法華経を讃歎して骨の魂となせば死人の身は人身・心は法身・生身 得忍といへる法門是なり、華厳・方等・般若の円をさとれる智者は死人の骨を生身得忍と成す、涅槃経に身は人身なりと雖も心は仏心に同ずといへるは是なり、 生身得忍の現証は純陀なり■
「華厳・方等・般若の『円』」とは、「雑円」のことである。
これにより、言わば、「即身成菩薩」したというのである。
もちろん、法華の「純円」でなければ、即身『成仏』できない。
<文証>
御本仏曰く
■円教とは此の円教に二有り一には爾前の円・二には法華・涅槃の円なり■
■爾前迹門の円教尚仏因に非ず■
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● はいはい、ムキになって、引文しなくてもいいよ。
そもそも、ここは、開眼の本質的な箇所ではないのだからね。
こういう、核心部分じゃないところは、少々まともで、本質的なところは、全くダメになっちゃうんだね。
やはり、こういうところも、過去世の謗法の悪因縁に依るところだろうね。
■ 無量生が間、恒河沙(ごうがしゃ)の度(たび)すかされて権経に堕ちぬ。権経より小乗経に堕ちぬ。外道外典に堕ちぬ。結句(けっく)は悪道に堕ちけりと深く此をしれり。(開目抄 文永九年二月 五一歳 538)
大聖人が示同凡夫の御身に準えて、末法の謗法毒気の深き者を表された御文。
クズ犬のざまがまさにこの御指摘のまま。
仏法の究極である、文底下種・久遠本地の妙法蓮華経 三大秘法 即 一大秘法の 戒壇の大御本尊への信行が、どうしてもできず、そこから似て非なる邪教へ転がり堕ちていく、最終的には、外道外典に堕ち、三悪道に墜ち、地獄へ堕ち、無間地獄へ堕ちるのである。
クズ犬は 今、どの辺に居るのだろうか。
クズ犬の言動を見ていると、まことに謗法の恐ろしさを、生きたままでやって見せてくれており、生きながらの 三悪道 四悪趣 である。
この平成の世で、謗法を続けると、こうなります! という 使命 なのであろう。
大いに、足掻いて、醜態を晒し続けて見せてくれ。
それが、まさに、反面教師として、多くの仏教に未だ深く触れていない人達に対しての大きな警鐘になるだろうから。
さて、しかし、クズ犬には躾が大事。
以下に反論せよ。できなければ謝罪。
【開眼供養を論証】
● 2014.8.20 純円の仏 ≠ 生身の仏
● 2014.8.21 「開眼供養」の原理を 真言師の「開眼供養」の原理から逆論証する
● 2014.8.21 木絵二像の「開眼の義」を会通
● 2014.8.21 ■ 人死すれば魂去り、其の身に鬼神入れ替はりて子孫を亡ず。
● 2014.8.21 「死骨成仏」 の原理を明かす
● 2014.8.21 小結 「木絵二像 を 本尊 と成すには 必ず 「開眼供養の義」 が必要」 と断ずる
● 2014.8.21 ■ 我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり。
● 2021.8.21 ■ 「一念三千の法門をふ(振)りすす(濯)ぎたるは大曼荼羅なり。
● 2014.9.2 ■ 日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ、
● 2014.9.2 ■ 草木の上に色心の因果を置かずんば、木画の像を本尊に恃み奉ること無益なり。
● 2014.8.22 開眼論証 結論 駄犬「考える人」が拝む『 ネット販売の模造掛け軸 』には悪鬼・魔神が棲み込んでいる
● 2014.9.2 『 開眼を テレビに例える 生けるゴミ 』
【木絵二像開眼の事】
●「考える人」 本尊開眼義に対しての痴難を破す 1
●2 「是れ三十一相にして梵音声かけたり故に仏に非ず又心法かけたり、生身の仏と木画の二像を対するに天地雲泥なり」
の珍釈を呵す
●3 御義口伝の引用文 「一切衆生の言語音声を経と云うなり」
の珍釈を大いに嗤う
● 2014.8.27 4 『 「生身の 仏」の違い 涅槃経 瓔珞経に 迷う駄犬ぞ 』
● 2014.8.27 5 『 御文まで 強いて捻じ曲ぐ 我執かな 』
● 2014.8.27 6 『 法華経を 置けば開眼 すると言い 』
● 2014.8.27 7 『 末法の 法華の意味を 知らぬ犬 』
● 2014.8.31 8 『 三十二 相でまたまた 蹴躓き 』
● 2014.8.31 9 『 一往と 再往がまだ 分らない 言うも甲斐無し 覚え悪くて 』
● 2014.8.31 10 『 唐突に 自見をねじ込む 狂い人 』
● 2014.8.31 11 『 草木の 成仏論じる文脈に いきなり持ち込む 曼荼羅首題を
● 2014.9.2 12 『 極理など 知るはずもない クズの犬 』
● 2014.9.2 13 『 五指合わせ 題目送れば 開眼す〜〜〜? 』
● 2014.9.2 14 『 昔書く 痴文が今は 恥ずかしく 』
● 2014.9.3 15 『 駄文書き 今となっては 赤っ恥 』
● 2014.9.3 16 『 昔書く 「木絵二像」で めった切り 』
● 2014.9.3 17 『 三年(みとし)経ち いよいよ内容見てみれば どうってことなし ただの駄文ぞ 』
● 2014.9.3 18 『 開眼の 本質射貫かれ ほっかぶり 』
● 駄犬の「口が鼻の如し」を諭す
● ▼「元意」を証明する「文証」がない▼ の馬鹿さ加減を叩く
● ▼「仏=本尊ではない。本仏こそ本尊」▼ を大いに嗤う
● 駄犬曰く ▼「木画二像の前に『法華経』を置けば "開眼 "する」▼
など、そんな御文も、義も、どこにもない
● ▼『「開眼する」→「仏になる」=「本尊になる」と、浅はかにも間違った理解をしているのだ!』▼
を嗤う
● 「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。」
を法華経の「文証」で具体的に説明してみよ。 できなければ謝罪せよ。
● ■ 三十一相の仏の前に法華経を置きたてまつ(奉)れば必ず純円の仏なり ■
の 「純円の仏」 は 「生身の仏」 ではない。
● ▼「釈迦像」が「本尊」だと【限定出来る文証】わー?▼
だって? マジで馬鹿じゃないの? 呵々大笑。
● 2014.8.22 『 「生身の 仏」が分らぬ 実験体 』
策も尽き ボコにされるままの 駄犬かな いたそ〜〜〜。