参照 駄犬「考える人←実は「何も考えられない人」完全粉砕・反論不能の一覧表
さて、クズ犬、全く教義的に反論できなくなっている。
何か、断定的に書くと、当方から、詳細に切り刻まれてしまうから、教義論は何も言い出せなくなっているのである。
論として、だ〜〜〜い好きな「文証」を引いて明確に結論を出せなくなり、ただ、まさに遠吠えの様相を呈している。
なので、また、元の仕事に戻ろう。
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■故に天台の釈に云く「請を受けて説く時は只是れ教の意を説く教の意は是れ仏意仏意即 是れ仏智なり・仏智至て深し是故に三止四請す、此の如き艱難あり余経に比するに余経は則易し」文此の釈の中に仏意と申すは色法ををさへて心法といふ釈なり、法華経を心法とさだめて三十一相の木絵の像に印すれば木絵二像の全体生身の仏なり、草木成仏といへるは是なり■
日蓮正宗法華講の樋田氏は「法主が印することによって御本尊を開眼する」(主意)などと言っているが、「法華経を心法とさだめて」とあり、すでに「三十一相の仏の前に法華経を置きたてま つれば必ず純円の仏なり」等々書かれているように、
要するに、
正しい法華経の実践者が、法華経の眼目である南無妙法蓮華経の御本尊に五指を合わせ信心唱題することによって、非情の草木も死者も生きとし生けるものも全てが開眼成仏するのである!
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● バカだ〜〜。ほんとうにバカだ〜〜。
まっ、この痴論は、クズ犬だけではなく、創価のバカどもも、こう主張する者達が多かった。
まっ、クズ犬は、創価と、身延系の吐き溜め狂学だから、当然このように言うのであろう。
自分が嫌って這い出してきたはずの創価の影響をモロ受けているのである。
今のクズ犬の謗法のDNAは半分は創価である。
淫乱の母親の血を受け継いでいる薄汚れた血統ということである。 呵々大笑。
この痴論など成立しないことなど、既に完全に破折し切っている。 クズ犬は、全く反論不能状態。
【開眼供養を論証】
● 2014.8.20 純円の仏 ≠ 生身の仏
● 2014.8.21 「開眼供養」の原理を 真言師の「開眼供養」の原理から逆論証する
● 2014.8.21 木絵二像の「開眼の義」を会通
● 2014.8.21 ■ 人死すれば魂去り、其の身に鬼神入れ替はりて子孫を亡ず。
● 2014.8.21 「死骨成仏」 の原理を明かす
● 2014.8.21 小結 「木絵二像 を 本尊 と成すには 必ず 「開眼供養の義」 が必要」 と断ずる
● 2014.8.21 ■ 我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり。
● 2021.8.21 ■ 「一念三千の法門をふ(振)りすす(濯)ぎたるは大曼荼羅なり。
● 2014.8.22 開眼論証 結論 駄犬「考える人」が拝む『 ネット販売の模造掛け軸 』には悪鬼・魔神が棲み込んでいる
● 2014.9.2 『 開眼を テレビに例える 生けるゴミ 』
【木絵二像開眼の事】
●「考える人」 本尊開眼義に対しての痴難を破す 1
●2 「是れ三十一相にして梵音声かけたり故に仏に非ず又心法かけたり、生身の仏と木画の二像を対するに天地雲泥なり」
の珍釈を呵す
●3 御義口伝の引用文 「一切衆生の言語音声を経と云うなり」
の珍釈を大いに嗤う
● 2014.8.27 4 『 「生身の 仏」の違い 涅槃経 瓔珞経に 迷う駄犬ぞ 』 愚か〜〜〜。
● 2014.8.27 5 『 御文まで 強いて捻じ曲ぐ 我執かな 』 あ〜あ、嫌だね〜、こんな奴!ほんと卑しい!
● 2014.8.27 6 『 法華経を 置けば開眼 すると言い 』 んなバカな〜〜〜!御書をよく読め〜〜!
● 2014.8.27 7 『 末法の 法華の意味を 知らぬ犬 』 だはっははっはh〜〜
● 2014.8.31 8 『 三十二 相でまたまた 蹴躓き 』 どわはっはっはっはは〜〜〜!
● 2014.8.31 9 『 一往と 再往がまだ 分らない 言うも甲斐無し 覚え悪くて 』 やれやれだよね〜。
● 2014.8.31 10 『 唐突に 自見をねじ込む 狂い人 』
● 2014.8.31 11 『 草木の 成仏論じる文脈に いきなり持ち込む 曼荼羅首題を ああ!恥ずかしい〜〜。 聞いてるこちらが 赤面し 』
● 2014.9.2 12 『 極理など 知るはずもない クズの犬 』
● 駄犬の「口が鼻の如し」を諭す
● ▼「元意」を証明する「文証」がない▼ の馬鹿さ加減を叩く
● ▼「仏=本尊ではない。本仏こそ本尊」▼ を大いに嗤う
● 駄犬曰く ▼「木画二像の前に『法華経』を置けば "開眼 "する」▼
など、そんな御文も、義も、どこにもない
● ▼『「開眼する」→「仏になる」=「本尊になる」と、浅はかにも間違った理解をしているのだ!』▼
を嗤う
● 「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。」
を法華経の「文証」で具体的に説明してみよ。 できなければ謝罪せよ。
● ■ 三十一相の仏の前に法華経を置きたてまつ(奉)れば必ず純円の仏なり ■
の 「純円の仏」 は 「生身の仏」 ではない。
● ▼「釈迦像」が「本尊」だと【限定出来る文証】わー?▼
だって? マジで馬鹿じゃないの? 呵々大笑。
● 2014.8.22 『 「生身の 仏」が分らぬ 実験体 』
その上で、更に矛盾を突く。
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▼ ※1「正しい法華経の実践者」が、※2「法華経の眼目である南無妙法蓮華経の御本尊」に※3「五指を合わせ信心唱題することによって、非情の草木も死者も生きとし生けるものも全てが開眼成仏する」のである!
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▼※1「正しい法華経の実践者」
→ 何を以て、「正しい法華経の実践者」、かどうか、誰が、判断するのか?
百人、法華経の実践者がいて、それぞれが言うことは全て違い、それぞれが「俺こそ正しい法華経の実践者である!」と云い合ったら、誰がどういう基準で判定するのか?
バカが!
※2「法華経の眼目である南無妙法蓮華経の御本尊」
→ クズ犬が拝んでいる 『 邪宗の仏像も売ってる、謗法の仏壇・仏具・仏像屋 』 で買った 『 ネット販売の模造掛け軸 』 は、ただの印刷物である。
大聖人の御真筆本尊そのものではない。
■ 日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。(経王殿御返事 文永一〇年八月一五日 五二歳 684)
大聖人御真筆御本尊には、「大聖人の魂魄」が入っているから「生身の仏」であり、「本尊」として成立している。(※戒壇の大御本尊の御許以外の御真筆には、今は魂魄がも抜けられているが。)
ところがクズ犬の本尊は 大聖人が魂を墨に染め流して書いていない。(当たり前であるが)
仏の魂が染め流されていない。
つまり、もぬけの空、スッカラカン。 カレンダーや、壁紙、トイレットペーパーに文字曼荼羅模様を印刷したのと同じである。
ただの紙とインクである。
※3「五指を合わせ信心唱題することによって、非情の草木も死者も生きとし生けるものも全てが開眼成仏する」
→ バカも極まったり! ※1の喧々諤々の連中が、それぞれみんな「俺は正しい法華経の実践者だぁ〜!」と喚いて、「南無妙法蓮華経!」 と五指を合わせて唱えれば、非情も草木も死体も、生けるもの全て開眼成仏する!だって?
バカも休み休み言え!
■ 九界の智は仏界を境と為す。(法華本門宗血脈相承事(本因妙抄) 弘安五年一〇月一一日 六一歳 1683)
我ら衆生は九界 御本尊は仏界 仏界を現じている御本尊である境に、我ら九界の智が冥合して、我ら九界の衆生の胸中に仏界が涌現するのではないか。
ほんと、バカ相手にすると疲れるわい。
その仏界を現じ難い九界の衆生が、何で、他の仏界を開くことができるというのか?
自分の生活もまともに出来ない奴が、何で他人様の生活を良くしてあげることができるか? バカが。
クズ犬の痴論だと、ただ印刷されただけの紙とインクである十界曼荼羅状のモノに、
クズ犬が、「おりゃ〜〜!あちょ〜〜〜!」 とばかりに 「南無妙法蓮華経!南無妙法蓮華経!」 と唱えれば、
そのただの印刷物が、「開眼」し、「生きた仏」となり、クズ犬を救い即身成仏へと導く、「御本尊」と、変化する。 とこういうこと。
ぶわかはかかっかかっhじゃはかklp;l〜
だったら、クズ犬自身が、その本尊拝む必要ないジャン。 ばっはっはっははh〜!
自分がその紙とインクを本尊にしたんだから、自分が仏じゃん。 ぶひいひいいじひいっきいkl、k〜
まずクズ犬は三大秘法の意義が全く分っていないのである。
● 2014.8.28 『 「題目を 一大秘法!」と 言っちゃって 後がもうない 足掻く駄犬か 』
ぶわかっかっっかかかかっk〜〜〜
● 2014.9.1 『 御書中の 「妙法五字」を 論証し 即、「戒壇の 本尊なり」と知る 』
● 2014.9.1 『 題目を 一大秘法 と 思い込み 』 ばっかかっかかっかかっか〜〜〜!
まっ、これをきちんと勉強するんだな。
もし、文句あるんなら即反論してみ?
もう、何十時間も、何週間も、反論不能だぜ。 ぶわかっかっかかっかっかか〜〜〜!
五指合わせ 題目送れば 開眼す〜〜〜〜〜? バカだ〜〜〜(-_-)