以下は、開眼供養の論筋からは少々外れるが、重要な御文なので心して拝しておきたい。
■ 人死すれば魂去り、其の身に鬼神入れ替はりて子孫を亡ず。
→ 人が亡くなった時、何もしなければ、もしくは、正当な法華経の持者
(当時では日蓮大聖人、もしくは大聖人からの命を請けた大聖人門下の僧)によって
死骨供養の正当な葬儀を執行しなければ、
その遺体もしくは死骨に 悪鬼 魔鬼 鬼神 の類が入り込んで、その悪業・業苦の積み重ねにより、
結果、その子孫が滅びる様なこととなる。
ということではないか。
これは、まさに 創価の友人葬 や 顕正会の葬儀 などが当て嵌まる。
もちろん、正当な法華経の持者(日蓮正宗の御僧侶)以外の 既成宗教・新興宗教である他宗・他門(←つまりは邪宗・謗法であるが)で、執行する葬儀も同様である。
更に、大聖人は、法事・法要も大事であることを御指南されている。
参考御文 ● 孝養・法要
であるから、故人が亡くなった後も、正当な法華経の持者(日蓮正宗の御僧侶)に依るところの、懇ろなる追善回向を重ねていかないと、
結果上記の御文の如くに 子孫が滅びることになる。
現に、邪宗・謗法が蔓延っている地域や、また創価や顕正会の家庭の次世代、孫世代をよく観察していくと、
早死 病弱 精神障害 引きこもりなどの社会不適合 子供が生まれない 生産的社会活動ができない 家系が絶える 家が没落し一家離散
などなどの厳証が多発しているのである。
これ、まさに 先祖の死骨に、正当な法華経の持者(日蓮正宗の御僧侶)に依る、追善回向の孝養を尽くしていない、証拠・現証であろう。
つづく