参照 駄犬「考える人←実は「何も考えられない人」完全粉砕・反論不能の一覧表
さ、次も切り刻んで調理してみましょう。
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▼ 法華経は、「仏の心」なのである。
文証を出そう
■法華経は釈迦如来の書き顕して此の御音を文字と成し給う仏の御心はこの文字に備れり■ ゆえに、「仏の声」と「仏の心」が足りない三十一相の木絵の二像の前に「仏の声」も「仏の心」も満たす『法華経』を置けば、三十二相の『仏』と成るのである。 ================ ● さ〜〜て、これはどんな素材かな〜〜? 当該箇所 乃至梵音声(ぼんのんじょう)と申すは仏の第一の相なり。小王・大王・転輪王等此の相を一分備へたるゆへに、此の王の一言に国も破れ国も治まるなり。宣旨と申すは梵音声の一分なり。万民の万言、一王の一言に及ばず。三墳五典(さんぷんごてん)なんど申すは小王の御言なり。此の小国を治め乃至大梵天王三界の衆生を随ふる事、仏の大梵天王帝釈等をしたがへ給ふ事もこの梵音声なり。此等の梵音声一切経と成りて一切衆生を利益す。其の中に 法華経は釈迦如来の御志を書き顕はして此の音声を文字と成し給ふ。仏の御心はこの文字に備はれり。 たとへば種子と苗と草と稲とはか(変)はれども心はたがはず。釈迦仏と法華経の文字とはかはれども、心は一つなり。然れば法華経の文字を拝見せさせ給ふは、生身の釈迦如来にあひまいら(相進)せたりとおぼしめすべし。 ============== ● 駄犬が引いた文は、学会版からであろうが、古文書研究が進んだ平成版では、上記の如くである。 ここも、前稿 ● 2014.8.30 『 また外す 「妙法蓮華経」で 恥をかき 』 とほほほほほ・・(^_^;) と同様。 釈尊の法華経には、釈尊の心が具わる。。。良いんじゃないの?誠に結構、結構。 ただし、 ■ 今、末法に入りぬれば余経も法華経もせん(詮)なし。但南無妙法蓮華経なるべし。(上野殿御返事 弘安元年四月一日 五七歳 1219) 全く、詮の無い釈尊の法華経を、どう木絵二像の前に置いてみたって、「開眼」しない。という訳。どう?分る?無理かな?やっぱり。 仏の梵音声が加わり、三十二相を具えるだけ。そんなことは百も承知。今更、何、力んでるの? それだけじゃダメだって、大聖人がお示しの御文が、本モノのバカにはやはり読めないらしい。 ■ 仏滅後は木画(もくえ)の二像あり。是(これ)三十一相にして梵音声かけたり。故に仏に非ず。又心法(しんぽう)かけたり。(木絵二像開眼の事 文永九年 五一歳 636) ■ 木画の二像の仏の前に経を置けば、三十二相具足するなり。但し心なければ、三十二相を具すれども必ずしも仏にあらず。 ついでにここでまた躾けておきましょう。 以上に、まともに一つ一つ、細かく、詳細に、論には論で、主張にはそれに対しての反論で、答えてみ? そういうことは全くできず、ただ遠くから、自見をわ〜わ〜しつこく繰り返しているだけではないか。 ほんっと、バカ相手にすると疲れるわ〜。 くどくどと 妄見喚く クズ狂人 ふ〜〜〜〜〜〜。(^_^;) |