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改訂版 法華経 優 涅槃経 劣 の証明
53 ▼ 改訂版 法華経 と 涅槃経 の優劣  まとめについての反論 ← を 完全に粉砕する
65 涅槃経 と 法華経 の優劣について反論 は完全に痴論・駄文と化した
66 ▼「とにかく涅槃経は第一なの!真如苑ではそう決まってんの!だからそれを根拠に君の説を崩す!」 ← 祝!完全に反論不能!
67 いよいよ反論不能で御乱心か!
68 例えばエベレストの 「一番高い頂上」 に登ることが 「一番難しい」 のはないのか?

★ ↑ この経緯により、法華経 勝 涅槃経 劣 は確定した。

これを真如苑惑乱者は受け入れまいと必死で醜く惨めな悪足掻きを続けているようだ。
ま、それを認めたら、自分の精神的存在が崩壊するのだから無理もない。
無理もないが、しかしあまりも見苦しい。。。浅ましい。。。およそ、正しい仏道修行している果報とは思えない醜態を晒し続けている。。。。

そこで、この真如苑惑乱者の幼稚さをここで例証しよう。
つまりこの惑乱者は、円錐形が 上から見れば円形に 横から見れば三角形に見える。
しかし本体はその両方の(あるいは曲線と鋭角が様々に組み合わさった)見え方をする円錐形 という原理が理解できないだけの幼稚な脳である。ということ。
脳が未分化 あるいは 知性の劣化 = 幼稚 ≒ 頑迷
ということである。
こういう三次元的に物事を認識することは、事物を二元的・二次元的にしか認識できない者からすれば、全く理解できないだけのことなのである。
真如苑惑乱者は、その三次元的認識能力を、そもそも過去からの悪しき因縁によって生来的に欠如していた愚か者か、もしくは長年の信仰が何か間違っていて、知性が壊れてしまって頑迷固陋になってしまったか、どちからであるか、またはその両方が原因であろう。

いろんな言い回しを読んでみると、もともと生来的に愚かということはなさそうなので、これはつまり、長年の信仰の何か間違っていて、知性が壊れてしまってこんな幼稚で頑迷な哀れな姿になってしまった。ということであろう。

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@薬王今汝に告ぐ 
 我が所説の諸経   而も此の経の中に於て   法華  最も第一なり」

A爾の時に仏、復、薬王菩薩摩訶薩に告げたまわく、

 我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。 而も其の中に於て、 此の法華経、 最も為れ難信難解なり。
(『法華経』法師品第十)


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この@の文が 例えば 三角錐が円形に見える箇所
Aの文が 三角形に見える箇所 だとすると、
而して@ も A も そのまま円錐形 の見え方(同根二意 同義並説 同義詳説 )の違い。

しかし、上記で、例証したように、真如苑惑乱者は、知性の劣化 = 幼稚 ≒ 頑迷固陋 によって、この三次元的「円錐形」という本質が全く理解できないだけの事なのである。

その円錐形としての本質は、

我が所説の諸経は、それはつまり無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くものであるが、その中で、法華経が最も第一であり、それはとりもなおざず、最も難信難解なのである。』

こういうことである。
三角形@ でもあり、円形Aでもある。而してその両義を含むことが本質・円錐形である。

更に、これと同じ表記が安楽行品にあるというのに、それでも惑乱者は足掻き続けているのである。惨めである。

@『文殊師利、此の法華経は、是れ諸の如来の第一の説、諸説の中に於て最も為れ甚深なり。』
末後に賜与すること、彼の強力の王の、久しく護れる明珠を、今乃ち之を与うるが如し。
A『文殊師利、此の法華経は、諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於て、最も其の上に在り、』
長夜に守護して、妄りに宣説せざるを、始めて今日に於て、乃ち汝等が与に、而も之を敷演す。(安楽行品第十四)

しかも惑乱者は、法師品の文と同じ形式があることが、法師品の文も、安楽行品の文と同様・同義である。との論証に、全く反論できていない。



ふ〜〜〜〜〜、ほんと、骨が折れるわぁ〜〜〜。

閲覧者の方々も、もういい加減にせい! と言いたいでしょう。ほんま。

言いたい方は、どんどん、ご意見お寄せくださいませ。



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