▼ 要は
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★ ↑ は? 誰もこの論証に伏してはいないのだが?
それどころか、涅槃経 と 法華経 の優劣について反論 は
論拠が杜撰で全く採用できない。
自見を証明すべく持ち出してきた文の解釈が悉く誤読してるので、論が根底から破綻している。
61 「八大河悉く大海に帰するが如し」の怪釈を粉々に摧破する。
63 「法を壊る者」の定義に笑かせられる。
64 「了義経に依って不了義経に依らざれ」の珍怪釈は涅槃経の文で破折されている。
よって、涅槃経 と 法華経 の優劣について反論 は全く採用されない痴論・駄文と化したわけである。
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▼ 要するに、「涅槃経を謗るような邪教徒とは徹底的に戦え」的な事を涅槃経は言っていると?
私(真如苑)が、「人の道」を挙げている事から、私は涅槃経に沿っていない?
よって論破?
申し上げていますよね?
それは涅槃経の細部(「正法を謗るものは殺せ的な?」)でしょ?
涅槃経は全体として、そんなイスラム原理主義者みたいな事を説いていますか?
もしそうなら貴方はなぜ私を殺さないのですか?
貴方こそ法を裏切って、「監獄の臭い飯は食いたくない」と自分を守り、法の為に己を捧げられない「(日蓮正宗の)破戒者」ですよ。
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★ ↑ 簡単ですな。
真如狂徒が必死になっても反証に失敗した事実、日蓮大聖人こそ末法の本因妙の教主。
日蓮大聖人が久遠の本仏であったことの簡明な道理
法華経で予証された末法の法華経の弘通者
日蓮大聖人が釈尊より勝れた仏である法華経の文
その日蓮大聖人がきちんと涅槃経の文について会通されておられる。
全く仏子を禁(いまし)むるに非ず、唯偏(ひとえ)に謗法を悪(にく)むなり。
夫(それ)釈迦の以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、能仁(のうにん)の以後の経説(きょうせつ)は則ち其の施を止む。(立正安国論)
つまり、邪教・謗法の者達自体を憎んで言っている訳ではなく、その邪教に囚われて不幸になっていることを救うために、その邪教に執着している根性を破折するのである。
だから、涅槃経で説いてある邪教の者達の命根を絶つ、という説話はインド応誕の釈尊以前の時代の仏教の教説であって、釈尊の教えでは邪教・謗法を断つためには、供養することを断たしめる、ということである。
つまり、その邪教の信仰をしている人々を折伏して目醒めさせ、邪教への布施や御奉公を止めさせることが正法を持つ者の大事な修行となる、ということである。
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