■ 法師品第十 323

吾が滅後の悪世に 能く是の経を持たん者をば
当に含掌し礼敬して 世尊に供養するが如くすべし

324

若し一劫の中に於て 常に不善の心を懐いて
色を作して仏を罵らんは 無量の重罪を獲ん
其れ 是の法華経を読誦し持つこと有らん者に
須臾も悪言を加えんは 其の罪復彼に過ぎん

人有って仏道を求めて 一劫の中に於て
合掌し我が前に在って 無数の偈を以て讃めん
是の讃仏に由るが故に 無量の功徳を得ん
持経者を歎美(たんみ)せんは 其の福復彼に過ぎん


■ 分別功徳品第十七 460

若し我が滅度の後に 能く此の経を奉持せん
斯の人の福無量なること 上の所説の如し


悪世末法の時 能く此の経を持たん者は
(中略)
無量の功徳を得ん


若し此の法師の 是の如き徳を成就せるを見ては
応に天華を以て散じ 天衣(てんね)を其の身に覆い
頭面(ずめん)に足を接して礼(らい)し 心を生じて仏の想(おもい)の如くすべし


■ 従地涌出品第十五

是の菩薩衆の中に、四導師有り。一を上行と名づけ、二を無辺行と名づけ、三を浄行と名づけ、四を安立行と名づく。是の四菩薩、其の衆の中に於て、最も為れ上首唱導の師なり。
大衆の前に在って、各共に合掌し、釈迦牟尼仏を観たてまつりて、問訊して言さく、
世尊、少病少悩にして、安楽に行じたもうや不や。応に度すべき所の者、教を受くること易しや不や。世尊をして疲労を生さしめざるや。
爾の時に四大菩薩、而も偈を説いて言さく、
世尊は安楽にして 少病少悩にいますや
衆生を教化したもうに 疲倦無きことを得たまえりや
又諸の衆生 化を受くること易しや不や
世尊をして 疲労を生さしめざるや

爾の時に世尊、諸の菩薩大衆の中に於て、是の言を作したまわく、
是の如し、是の如し。諸の善男子、如来は安楽にして、少病少悩なり。諸の衆生等は、化度すべきこと易し。疲労有ること無し。
(中略)
爾の時に諸の大菩薩、而も偈を説いて言さく、
善哉善哉 大雄世尊
諸の衆生等 化度したもうべきこと易し



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譬えば少壮の人 年始めて二十五なる
人に百歳の子の 髪白くして面皺めるを示して
是等我が所生なりといい 子も亦是れ父なりと説かん
父は少く子は老いたる 世挙って信せざる所ならんが如く
世尊も亦是の如し 得道より来甚だ近し
是の諸の菩薩等 志固くして怯弱無し
無量劫より来 而も菩薩の道を行ぜり
難問答に巧にして 其の心畏るる所無く
忍辱の心決定し 端正にして威徳有り

十方の仏の讃めたもう所なり 善能く分別して説けり

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■ 上行菩薩は釈尊の本地を開顕する為、釈尊五十年の説法の内わずか法華経の八品のみに出現。
弟子であるならば、師である釈尊御入滅まで付き従うのが師弟子の道であろう。如何?