法華経で釈尊より末法の弘通者の方が上位者であることを暗示している箇所

涅槃経  「義に依って語に依らざれ」 の御指南の如くに経文を拝せば、まさに悪世末法で法華経を弘通する者は、釈尊より上位者であることが随所に看取できる。

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妙法蓮華経法師品第十 全文

応に如来の供養を以て、之を供養すべし。
当に知るべし、此の人は是れ大菩薩の阿耨多羅三藐三菩提を成就して、衆生を哀愍し、願って此の間に生れ、広く妙法華経を演べ分別するなり。
是の人は自ら清浄の業報を捨てて、我が滅度の後に於て、衆生を愍れむが故に悪世に生れて、広く此の経を演ぶるなり。
若し悪人有って、不善の心を以て、一劫の中に於て、現に仏前に於て、常に仏を毀罵せん、其の罪尚軽し。若し人一の悪言を以て、在家出家の法華経を読誦する者を毀呰せん、其の罪甚だ重し。
其れ法華経を読誦すること有らん者は、当に知るべし。是の人は仏の荘厳を以て、自ら荘厳するなり。
則ち如来の肩に荷担せらるるを為ん。
其の所至の方には、応に随って向い礼すべし。
一心に合掌して、恭敬供養、尊重讃歎し、華香、瓔珞、抹香、塗香、焼香、所W、幢幡、衣服、肴膳をもってし、諸の伎楽を作し、人中の上供をもって、之を供養せよ。
応に天の宝を持って、以て之を散ずべし。天上の宝聚、応に以て奉献すべし。所以は何ん。是の人歓喜して法を説かんに、須臾も之を聞かば、即ち阿耨多羅三藐三菩提を究竟することを得んが故なり。
若し仏道に住して 自然智を成就せんと欲せば
常に当に勤めて 法華を受持せん者を供養すべし
其れ疾く 一切種智慧を得んと欲すること有らんは
当に是の経を受持し 并びに持者を供養すべし
吾が滅後の悪世に 能く是の経を持たん者をば当に含掌し礼敬して 世尊に供養するが如くすべし

若し一劫の中に於て 常に不善の心を懐いて色を作して仏を罵らんは 無量の重罪を獲ん
其れ 是の法華経を読誦し持つこと有らん者に須臾も悪言を加えんは 其の罪復彼に過ぎん

人有って仏道を求めて 一劫の中に於て合掌し我が前に在って 無数の偈を以て讃めん 是の讃仏に由るが故に 無量の功徳を得ん
持経者を歎美せんは 其の福復彼に過ぎん

如来の滅後に、其れ能く書持し、読誦し、供養し、他人の為に説かん者は、如来則ち、衣を以て之を覆いたもう為し。
若し我が滅度の後に 能く此の経を説かん者には我化の四衆 比丘比丘尼及び清信の士女を遣して 法師を供養せしめ
諸の衆生を引導して 之を集めて法を聴かしめんに若し人悪 刀杖及び瓦石を加えんと欲せば則ち変化の人を遣して 之が為に衛護と作さん

若し法師に親近せば 速かに菩薩の道を得是の師に随順して学せば 恒沙の仏を見たてまつることを得ん

分別功徳品第十七
頭面(ずめん)に足を接して礼(らい)し 心を生じて仏の想(おもい)の如くすべし

従地涌出品第十五
譬えば少壮の人 年始めて二十五なる

上行菩薩は釈尊の本地を開顕する為、釈尊五十年の説法の内わずか法華経の八品のみに出現



爾の時に世尊、薬王菩薩に因せて、八万の大士に告げたまわく、
薬王、汝是の大衆の中の、無量の諸天、龍王、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩?
羅伽、人と非人と、及び比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の、声聞を求むる者、辟支仏を求むる者、仏道を求むる者を見るや。
是の如き等類、咸く仏前に於て、妙法華経の、一偈一句を聞いて、乃至一念も随喜せん者には、我皆記を与え授く。当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。
318下-01 
319下-01
仏、薬王に告げたまわく、
又、如来の滅度の後に、若し人有って、妙法華経の、乃至一偈一句を聞いて、一念も随喜せん者には、我亦、阿耨多羅三藐三菩提の記を与え授く。
若し復人有って、妙法華経の、乃至一偈を受持、読、誦、解説、書写し、此の経巻に於て、敬い視ること仏の如くにして、種種に華香、瓔珞、抹香、塗香、焼香、所W、幢幡、衣服、伎楽を供養し、乃至合掌恭敬せん。
薬王、当に知るべし。是の諸人等は、已に曽て十万億の仏を供養し、諸仏の所に於て、大願を成就して、衆生を愍れむが故に、此の人間に生ずるなり。
薬王、若し人有って、何等の衆生か未来世に於て、当に作仏することを得べきと問わば、応に示すべし。
320下-02
是の諸人等は、未来世に於て、必ず作仏することを得ん。何を以ての故に、若し善男子、善女人、法華経の、乃至一句に於ても、受持、読、誦、解説、書写し、種種に経巻に、華香、瓔珞、抹香、塗香、焼香、所W、幢幡、衣服、伎楽を供養し、合掌恭敬せん。是の人は一切世間の、応に瞻(見上げる。あおぎみる。)奉(せんぶ)すべき所なり。応に如来の供養を以て、之を供養すべし。
当に知るべし、此の人は是れ大菩薩の阿耨多羅三藐三菩提を成就して、衆生を哀愍し、願って此の間に生れ、広く妙法華経を演べ分別するなり。
何に況んや、尽して能く受持し、種種に供養せん者をや。
320下-12
薬王、当に知るべし。是の人は自ら清浄の業報を捨てて、我が滅度の後に於て、衆生を愍れむが故に悪世に生れて、広く此の経を演ぶるなり。
若し是の善男子、善女人、我が滅度の後、能く竊に一人の為にも、法華経の、乃至一句を説かん。当に知るべし、是の人は則ち如来の使なり。如来の所遣として、如来の事を行ずるなり。何に況んや、大衆の中に於て、広く人の為に説かんをや。
薬王、若し悪人有って、不善の心を以て、一劫の中に於て、現(げん)に仏前に於て、常に仏を毀罵(きめ)せん、其の罪尚軽し。若し人一の悪言を以て、在家出家の法華経を読誦する者を毀呰(きし)せん、其の罪甚だ重し。
321下-12
薬王、其れ法華経を読誦すること有らん者は、当に知るべし。是の人は仏の荘厳を以て、自ら荘厳するなり。
則ち如来の肩に荷担せらるるを為(え)ん。

其の所至(しょし)の方(かた)には、応に随って向い礼すべし。
一心に合掌して、恭敬供養、尊重讃歎(そんじゅうさんだん)し、華香、瓔珞、抹香、塗香(ずこう)、焼香、所W(ぞうがい)、幢幡(どうばん)、衣服、肴膳(きょうぜん)をもってし、諸の伎楽を作し、人中の上供をもって、之を供養せよ。
応に天の宝を持って、以て之を散ずべし。天上の宝聚、応に以て奉献(ぶごん)すべし。所以は何ん。是の人歓喜して法を説かんに、須臾も之を聞かば、即ち阿耨多羅三藐三菩提を究竟することを得んが故なり。

爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
322下-12
若し仏道に住して 自然智を成就せんと欲せば
常に当に勤めて 法華を受持せん者を供養すべし

其れ疾く 一切種智慧を得んと欲すること有らんは
当に是の経を受持し 并びに持者を供養すべし

若し能く 妙法華経を受持すること有らん者は
当に知るべし仏の所使として 諸の衆生を愍念するなり
諸の能く 妙法華経を受持すること有らん者は
清浄の土を捨てて 衆を愍れむが故に此に生ずるなり
当に知るべし是の如き人は 生ぜんと欲する所に自在なれば
能く此の悪世に於て 広く無上の法を説くなり
応に天の華香 及び天の宝衣服
天上の妙宝聚を以て 説法者に供養すべし
吾が滅後の悪世に 能く是の経を持たん者をば
当に含掌し礼敬して 世尊に供養するが如くすべし

上饌の衆の甘美 及び種種の衣服をもって
是の仏子に供養して 須臾も聞くことを得んと冀うべし
若し能く後の世に於て 是の経を受持せん者は
我遣して人中に在らしめて 如来の事を行ぜしむるなり
若し一劫の中に於て 常に不善の心を懐いて
色を作して仏を罵らんは 無量の重罪を獲ん
其れ 是の法華経を読誦し持つこと有らん者に
須臾も悪言を加えんは 其の罪復彼に過ぎん

人有って仏道を求めて 一劫の中に於て
合掌し我が前に在って 無数の偈を以て讃めん
是の讃仏に由るが故に 無量の功徳を得ん
持経者を歎美せんは 其の福復彼に過ぎん


八十億劫に於て 最妙の色声
及与香味触を以て 持経者に供養せよ

是の如く供養し已って 若し須臾も聞くことを得ば
則ち応に自ら欣慶すべし 我今大利を獲つと
薬王今汝に告ぐ 我が所説の諸経
而も此の経の中に於て 法華最も第一なり

爾の時に仏、復、薬王菩薩摩訶薩に告げたまわく、
我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於て、此の法華経、最も為れ難信難解なり。
薬王、此の経は、是れ諸仏の秘要の蔵なり。分布して、妄りに人に授与すべからず。
諸仏世尊の守護したもう所なり。昔より已来、未だ曾て顕説せず。而も此の経は、如来の現在すら、猶怨嫉多し。況んや滅度の後をや。
326下-03
薬王、当に知るべし。
如来の滅後に、其れ能く書持し、読誦し、供養し、他人の為に説かん者は、如来則ち、衣を以て之を覆いたもう為(べ)し。
又、他方の現在の諸仏に護念せらるることを為(え)ん。是の人は大信力、及び志願力、諸善根力有らん。当に知るべし、是の人は如来と共に宿するなり。則ち如来の手をもって、其の頭を摩でたもうを為ん。
薬王、在在処処に、若しは説き、若しは読み、若しは誦し、若しは書き、若しは経巻所住の処には、皆応に七宝の塔を起てて、極めて高広厳飾ならしむべし。復舎利を安んずることを須いず。
327下-01
所以は何ん。此の中には、已に如来の全身有す。
此の塔をば応に、一切の華香瓔珞、所W幢幡、伎楽歌頌を以て、供養恭敬し、尊重讃歎したてまつるべし。
若し人有って、此の塔を見たてまつることを得て、礼拝し供養せんに、当に知るべし、是等は皆、阿耨多羅三藐三菩提に近づきぬ。
薬王、多く人有って、在家出家の、菩薩の道を行ぜんに、若し是の法華経を見聞読誦し、書持供養すること得ること能わずんば、当に知るべし、是の人は未だ善く菩薩の道を行ぜざるなり。
若し是の経典を聞くこと得ること有らん者は、乃ち能善く菩薩の道を行ずるなり。
其れ衆生の、仏道を求むる者有って、是の法華経を、若しは見、若しは聞き、聞き已って信解し、受持せば、当に知るベし、是の人は阿耨多羅三藐三菩提に近づくことを得たり。
328下-02
薬王、譬えば人有って、渇乏して水を須めんとして、彼の高原に於て、穿鑿して之を求むるに、猶乾ける土を見ては、水尚遠しと知る。
功を施すこと已まずして、転湿える土を見、遂に漸く泥に至りぬれば、其の心決定して、水必ず近しと知らんが如く、菩薩も亦復是の如し。
若し是の法華経を未だ聞かず、未だ解せず、未だ修習すること能わずんば、当に知るべし、是の人は阿耨多羅三藐三菩提を去ること尚遠し。
若し聞解し、思惟し、修習することを得ば、必ず阿耨多羅三藐三菩提に近づくことを得たりと知れ。
所以は何ん。一切の菩薩の阿耨多羅三藐三菩提は、皆此の経に属せり。
此の経は、方便の門を開いて真実の相を示す。
是の法華経の蔵は深固幽遠にして、人の能く到る無し。今仏、菩薩を教化し成就して、為に開示す。
329下-03
薬王、若し菩薩有って、是の法華経を聞いて驚疑し怖畏せん。当に知るべし、是を新発意の菩薩と為づく。
若し声聞の人、是の経を聞いて驚疑し怖畏せん。当に知るべし、是を増上慢の者と為づく。

薬王、若し善男子、善女人有って、如来の滅後に、四衆の為に、是の法華経を説かんと欲せば、云何が応に説くべき。
是の善男子、善女人は、如来の室に入り、如来の衣を著、如来の座に坐して、爾して乃し四衆の為に広く斯の経を説くべし。
如来の室とは、一切衆生の中の大慈悲心是なり。
如来の衣とは柔和忍辱の心是なり。
如来の座とは一切法空是なり。
是の中に安住して、然して後に不懈怠の心を以て、諸の菩薩、及び四衆の為に、広く是の法華経を説くべし。
330下-03
薬王、我余国に於て、化人を遣して、其れが為に聴法の衆を集め、亦、化の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷を遣して、其の説法を聴かしめん。
是の諸の化人、法を聞いて信受し、随順して逆わじ。
若し説法者、空閑の処に在らば、我時に広く天、龍、鬼神、乾闥婆、阿修羅等を遣して、其の説法を聴かしめん。
我異国に在りと雖も、時時に説法者をして、我が身を見ることを得せしめん。
若し此の経に於て、句逗を忘失せば、我還って為に説いて、具足することを得せしめん。

爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
331下-02
諸の懈怠を捨てんと欲せば 応当に此の経を聴くべし
是の経は聞くこと得難し 信受する者亦難し
人の渇して水を須めんとして 高原を穿鑿するに
猶乾燥ける土を見ては 水を去ること尚遠しと知る
漸く湿える土泥を見ては 決定して水に近づきぬと知らんが如し
薬王汝当に知るべし 是の如き諸人等
法華経を聞かずんば 仏智を去ること甚だ遠し

若し是の深経の 声聞の法を決了する
是れ諸経の王なるを聞き 聞き已って諦かに思惟せん
当に知るべし此の人等は 仏の智慧に近づきぬ
若し人此の経を説かば 応に如来の室に入り
332下-01
如来の衣を著 而も如来の座に坐して
衆に処して畏るる所無く 広く為に分別して説くべし
大慈悲を室と為し 柔和忍辱を衣とし
諸法空を座と為す 此に処して為に法を説け
若し此の経を説かん時 人有って悪口し罵り
刀杖瓦石を加うとも 仏を念ずるが故に応に忍ぶべし

我千万億の土に 浄堅固の身を現じて
無量億劫に於て 衆生の為に法を説く
若し我が滅度の後に 能く此の経を説かん者には
我化の四衆 比丘比丘尼
及び清信の士女を遣して 法師を供養せしめ
諸の衆生を引導して 之を集めて法を聴かしめんに
333下-01
若し人悪 刀杖及び瓦石を加えんと欲せば
則ち変化の人を遣して 之が為に衛護と作さん

若し説法の人 独空閑の処に在って
寂漠として人の声無からんに 此の経典を読誦せば
我爾の時に為に 清浄光明の身を現ぜん
若し章句を忘失せば 為に説いて通利せしめん
若し人是の徳を具して 或は四衆の為に説き
空処にして経を読誦せば 皆我が身を見ることを得ん

若し人空閑に在らば 我天龍王
夜叉鬼神等を遺して 為に聴法の衆と作さん
是の人法を楽説し 分別して?
礙無からん
諸仏護念したもうが故に 能く大衆をして喜ばしめん

334下-01
若し法師に親近せば 速かに菩薩の道を得
是の師に随順して学せば 恒沙の仏を見たてまつることを得ん


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法師品全体が、よくよく拝すれば末法の法華経の行者は即本仏であることを示していることに気付く。

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■ 法師品第十 323

吾が滅後の悪世に 能く是の経を持たん者をば
当に含掌し礼敬して 世尊に供養するが如くすべし

 ★ 悪世 といえば末法を指す。
その時の弘通者は釈尊と等しく尊仰しなければならない。と示す。 

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324

若し一劫の中に於て 常に不善の心を懐いて
色を作して仏を罵らんは 無量の重罪を獲ん
其れ 是の法華経を読誦し持つこと有らん者に
須臾も悪言を加えんは 其の罪復彼に過ぎん

★ 法華経の弘通者を謗る罪は、釈尊を一劫謗る者の罪より大きい → 法華経の弘通者は釈尊より上位者である。との意義ではないか。

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人有って仏道を求めて 一劫の中に於て
合掌し我が前に在って 無数の偈を以て讃めん
是の讃仏に由るが故に 無量の功徳を得ん
持経者を歎美(たんみ)せんは 其の福復彼に過ぎん

★ 前の経文の逆バージョン 釈尊を賛嘆する功徳より、後の弘通者を賛嘆する功徳が優れている。

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■ 分別功徳品第十七 460

若し我が滅度の後に 能く此の経を奉持せん
斯の人の福無量なること 上の所説の如し

★ 同上

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悪世末法の時 能く此の経を持たん者は
(中略)
無量の功徳を得ん

若し此の法師の 是の如き徳を成就せるを見ては
応に天華を以て散じ 天衣(てんね)を其の身に覆い
頭面(ずめん)に足を接して礼(らい)し 心を生じて仏の想(おもい)の如くすべし

★、末法の弘通者には 仏を賛嘆・供養・恭敬・礼拝するのと同じようにせよ。

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■ 仏の滅度の後、仏の諸の弟子、若し方等経典を受持し、読誦し、解説すること有らば、応に静処の若しは塚間、若しは樹下、阿練若処に於て、方等を読誦し、大乗の義を思うべし。
念力強きが故に、我が身及び多宝仏塔、十方分身の無量の諸仏、普賢菩薩、文殊師利菩薩、薬王菩薩、薬上菩薩を見たてまつることを得ん。
法を恭敬するが故に、諸の妙華を持って空中に住立し、行持法の者を讃歎し恭敬せん。
但大乗方等経を誦するが故に、諸仏、菩薩、昼夜に是の持法の者を供養したまわん。(仏説観普賢菩薩行法経 649)

末法の法華経の行者を諸仏、菩薩が昼夜に供養する。と。 これまさに持法者が上位者である傍証。

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■ 従地涌出品第十五

参照 
「訊」 たずねる 問いただす。とがめたずねる。
訊問 質問を発して、強制的に返答させること。

是の菩薩衆の中に、四導師有り。一を上行と名づけ、二を無辺行と名づけ、三を浄行と名づけ、四を安立行と名づく。是の四菩薩、其の衆の中に於て、最も為れ上首唱導の師なり。
大衆の前に在って、各共に合掌し、釈迦牟尼仏を観たてまつりて、問訊して言さく、
世尊、少病少悩にして、安楽に行じたもうや不や。応に度すべき所の者、教を受くること易しや不や。世尊をして疲労を生さしめざるや。
爾の時に四大菩薩、而も偈を説いて言さく、
世尊は安楽にして 少病少悩にいますや
衆生を教化したもうに 疲倦無きことを得たまえりや
又諸の衆生 化を受くること易しや不や
世尊をして 疲労を生さしめざるや

爾の時に世尊、諸の菩薩大衆の中に於て、是の言を作したまわく、
是の如し、是の如し。諸の善男子、如来は安楽にして、少病少悩なり。諸の衆生等は、化度すべきこと易し。疲労有ること無し。
(中略)
爾の時に諸の大菩薩、而も偈を説いて言さく、
善哉善哉 大雄世尊
諸の衆生等 化度したもうべきこと易し



★ もし上行菩薩が釈尊の弟子ならば、いきなり発する挨拶としては到底言うべき言葉ではない。
実に失礼千万な発言。
つまり、釈尊より上行菩薩が上位者である暗喩であろう。

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譬えば人有って、色美しく、髪黒くして、年二十五なる、百歳の人を指して、是れ我が子なりと言わん。
其の百歳の人、亦年少を指して、是れ我が父なり、我等を生育せりと言わん。

是の事信じ難きが如く、仏も亦是の如し。得道より已来、其れ実に未だ久しからず。
而るに此の大衆の、諸の菩薩等は、已に無量千万億劫に於て、仏道の為の故に、勤行精進し、善く無量百千万億の三昧に入出住し、大神通を得、久しく梵行を修し、善能く次第に諸の善法を集い、問答に巧に、人中の宝として、一切世間に甚だ為れ希有なり。



譬えば少壮の人 年始めて二十五なる
人に百歳の子の 髪白くして面皺めるを示して
是等我が所生なりといい 子も亦是れ父なりと説かん
父は少く子は老いたる 世挙って信せざる所ならんが如く
世尊も亦是の如し
 得道より来甚だ近し
是の諸の菩薩等 志固くして怯弱無し
無量劫より来 而も菩薩の道を行ぜり
難問答に巧にして 其の心畏るる所無く
忍辱の心決定し 端正にして威徳有り

十方の仏の讃めたもう所なり 善能く分別して説けり


 ★ 上行菩薩が釈尊より明らかに年長、まるで親子のように。
古代では年長であることは、そのまま徳が勝る、と捉えられていた。
しかも、下線部のようにその威徳を称えている。

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■ 上行菩薩は釈尊の本地を開顕する為、釈尊五十年の説法の内わずか法華経の八品のみに出現。
神力品第十九以後は、さっさと本地へ戻ってしまう。

もし上行が釈尊の久遠からの弟子であるならば、師である釈尊の成道から御入滅まで付き従うのが師弟子の道であろう。如何?

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功徳

是の経を読まん者は 常に憂悩(うのう)無く
又病痛無く 顔色(げんしき)鮮白ならん
貧窮 卑賎醜陋に生れじ
衆生の見んと楽わんこと 賢聖(げんじょう)を慕うが如くならん
天の諸の童子 以て給使を為さん
刀杖も加えず 毒も害すること能わじ
若し人悪み罵らば 口則ち閉塞せん
遊行(ゆぎょう)するに畏れ無きこと 師子王の如く
智慧の光明 日の照すが如くならん
若し夢の中に於ても 但妙なる事(じ)を見ん
諸の如来の 師子座に坐したまいて
諸の比丘衆に 囲遶せられて説法したもうを見ん
又龍神 阿修羅等
数(かず)恒沙(ごうじゃ)の如くにして 恭敬合掌し
自ら其の身を見るに 而も為に法を説くと見ん(安楽行品第十四 402)

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阿逸多、若し復人有って余人に語って言わく、
経有り。法華と名づけたてまつる。共に往いて聴くべし。
即ち其の教を受けて、乃至須臾の間も聞かん。
是の人の功徳は、身を転じて陀羅尼菩薩と共に一処に生ずることを得ん。
利根にして智慧あらん。百千万世に、終に候m(唖おし)ならず。
口の気臭からず。
舌に常に病無く、口にも亦病無けん。
歯は垢黒ならず、黄ならず疎かず、亦欠落せず、差(たが)わず曲らず。
唇下垂せず、亦?
(ちじれ)縮ならず、麁渋(ザラザラ 荒れる)ならず、瘡?
(できもの)ならず、亦欠壊(裂け腫れる)せず、亦?
(ゆがみ)邪ならず、厚からず大(おおい)ならず、亦?
(なし)黒(しみっぱい)ならず、諸の悪むべきこと無けん。
鼻?
(へんぺい)~ならず、亦曲戻ならず。
面色黒からず、亦狭長ならず、亦?
(ゆがみ)曲ならず、 一切の憙うべからざる相有ること無けん。(皆があいたがるような相となる)
唇舌牙歯、悉く皆厳好(りっぱ)ならん。
鼻修(なが)く高直(高く真っ直ぐ)にして、面貌園満し、眉高くして長く、額広く平正にして(賢明さ)、人相具足せん。
世世に生れん所には、仏を見たてまつり法を聞いて、教誨を信受せん。
阿逸多、汝且く是を観ぜよ。一人に勧めて、往いて法を聴かしむる功徳此の如し。何に況んや、一心に聴き、説き、読誦し、而も大衆に於て、人の為に分別し、説の如く修行せんをや。