釈尊の仏法が隠没し、末法に真の法華経が建立されることの予言

--------------------------------------------
【時期】

『大集経』分布閻浮提品に

「次の五百年は(※第五の五〇〇年)、我が法の中に於て、闘諍言訟して白法隠没し損減すること堅固ならん」

しかし、その後、『法華経』 を以って衆生を救済する相が顕れる事も予言。

『法華経薬王品』に

「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん。悪魔、魔民、諸天、龍、夜叉、鳩槃荼等其の便を得ん」


妙法蓮華経普賢菩薩勧発品第二十八

■ 普賢、若し如来の滅後、後の五百歳に、若し人有って、法華経を受持し、読誦せん者を見みては、応に是の念を作すべし。
此の人は久しからずして、当に道場に詣して、諸の魔衆を破し、阿耨多羅三藐三菩提を得、法輪を転じ、法鼓を撃ち、法螺を吹き、法雨を雨らすべし。
当に天・人大衆の中の、師子の法座の上に坐すべし。


   ★ ↑ 釈尊入滅後、2000年から2500年の間に、「末法の法華経」が建立され、広宣流布することが予言されている。

--------------------------------------------

【付嘱】

『妙法蓮華経如来神力品第二十一』に

■爾の時に仏、上行等の菩薩大衆に告げたまわく、
諸仏の神力は、是の如く無量無辺不可思議なり。若し我、是の神力を以て、無量無辺百千万億阿僧祇劫に於て、嘱累の為の故に、此の経の功徳を説かんに、猶尽すこと能わじ。
要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示頭説す。


   ★ ↑ と説かれ、釈尊の一切の仏法を、上行菩薩を代表として、その他の眷属の菩薩方へも付嘱されたことが明示されている。

更に同じく 神力品第二十一 上記の後。

515下-01
仏の滅度の後に 能く是の経を持たんを以ての故に
諸仏皆歓喜して 無量の神力を現じたもう
是の経を嘱累せんが故に 受持の者を讃美すること
無量劫の中に於てすとも 猶故尽すこと能わじ
是の人の功徳は 無辺にして窮り有ること無けん
十方の虚空の 辺際を得べからざるが如し
能く是の経を持たん者は 則ち為れ已に我を見
亦多宝仏 及び諸の分身者を見
又我が今日 教化せる諸の菩薩を見るなり
能く是の経を持たん者は 我及び分身
滅度の多宝仏をして 一切皆歓喜せしめ

516下-01
十方現在の仏 并びに過去未来
亦は見亦は供養し 亦は歓喜することを得せしめん
諸仏道場に坐して 得たまえる所の秘要の法
能く是の経を持たん者は 久しからずして亦当に得べし
能く是の経を持たん者は 諸法の義
名字及び言辞に於て 楽説窮尽無きこと
風の空中に於て 一切障礙無きが如くならん
如来の滅後に於て 仏の所説の経の
因縁及び次第を知って 義に随って実の如く説かん
日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く
斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し

無量の菩薩をして 畢竟して一乗に住せしめん

 ★ ↑ その上行菩薩は、釈尊の仏法のあらゆる経典の教説の因縁・次第を熟知されており、その意義を深く弁えて釈尊の真意をそのままに説かれる。


--------------------------------------------

【末法の法華経の行者の振る舞い】

その上、その末法で法華経を弘通する方の受ける法難について詳細に説き示されている。

■ 勧持品二十行の偈

仏の滅度の後   恐怖(くふ)悪世の中に於て 我等当に広く説くべし
  諸の無智の人 悪口罵詈(あっくめり)等し 及び刀杖(とうじょう)を加うる者あらん 我等皆当(まさ)に忍ぶべし
  悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲(てんごく)に 未だ得ざるを為れ得たりと謂い 我慢の心充満せん
  或は阿練若(あれんにゃ)に 納衣(のうえ)にして空閑(くうげん)に在って 自ら真の道を行ずと謂(おも)うて 人間を軽賎する者あらん
  利養に貧著するが故に 白衣(びゃくえ)のために法を説いて 世に恭敬(くぎょう)せらるること 六通の羅漢の如くならん
  是の人悪心を懐き 常に世俗の事を念い 名を阿練若に仮つて 好んで我等が過(とが)を出さん
  而も是の如き言を作さん 
「此の諸の比丘等は 利養を貧るを為ての故に 外道の論議を説く
  自ら此の経典を作って 世間の人を誑惑(おうわく)す 名聞を求むるを為ての故に 分別して是の経を説く」と
  常に大衆の中に在って 我等を毀(そし)らんと欲するが故に 国王大臣 婆羅門居士
  及び余の比丘衆に向って 誹謗して我が悪を説いて 「是れ邪見の人 外道の論議を説く」と謂わん
  我等仏を敬うが故に 悉く是の諸悪を忍ばん 斯れに軽しめられて 「汝等は皆是れ仏なり」と謂われん
  此の如き軽慢の言を 皆当に忍んで之を受くべし 濁劫(じょっこう)悪世の中には 多くの諸の恐怖(くふ)あらん
  悪鬼其の身に入って 我を罵詈毀辱(めりきにく)せん 我等仏を敬信(きょうしん)して 当に忍辱(にんにく)の鎧(よろい)を著(き)るべし
  是の経を説かんが為の故に 此の諸の難事を忍ばん 我身命を愛せず 但無上道を惜む
  我等来世に於て 仏の所嘱を護持せん 世尊自ら当に知(しろ)しめすべし 濁世(じょくせ)の悪比丘は
  仏の方便 随宜所説の法を知らず 悪口して・蹙(ひんんじゅく)し 数数(しばしば)擯出(ひんずい)せられ
  塔寺を遠離せん 是の如き等の衆悪をも 仏の告勅(ごうちょく)を念うが故に 皆当に是の事を忍べし
  諸の聚落城邑(じゅらくじょうゆう)に 其れ法を求むる者あらば 我皆其の所に到って 仏の所嘱の法を説かん
  我は是れ世尊の使なり 衆に処するに畏るる所なし 

我当に善く法を説くべし 願わくは仏安穏に住したまえ
  我世尊の前 諸の来りたまえる十方の仏に於て 是の如き誓言(せいごん)を発す 仏自ら我が心を知しめせ

   ★ ↑ 特に、刀の難 と 法難によって度々所を追われる  この二点が重要。

--------------------------------------------

【場所・方角】

さらに、その法華経が広まる方角とは

法華経寿量品第十六

衆我が滅度を見て 広く舎利を供養し
咸く皆恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず
衆生既に信伏し 質直にして意柔軟に
一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまず
時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず
我時に衆生に語る 常に此に在って滅せず

   ★ → 霊鷲山 とは 当時の民衆所在の中心地 王舎城から丑寅 つまり東北の方角にあり、法華経は古来から「東北に縁」あり、と言われてきた所以である。
その方が、インドから丑寅の方角に出現することを予証されている。
また、この「我」とは、白法隠没する教主である「釈尊」ではなく、結要付嘱された、次の「仏」 つまり外用では上行菩薩。

   【参照】
--------------------------------------------
■ 弥勒(みろく)菩薩の瑜伽論(ゆがろん)に云はく「東方(とうほう)に小国有り。其の中に唯(ただ)大乗の種姓(しゅしょう)のみ有り」

   ●瑜伽論
大乗論書。漢訳では弥勒(みろく)説とし、チベット訳では無著(むじゃく)著とする。4世紀ころ成立。玄奘(げんじょう)訳100巻が有名。瑜伽行の実践を詳説し、唯識中道の理に悟入すべきことを説くもの。瑜伽論。
--------------------------------------------
■ 肇公(じょうこう)の翻経(ほんぎょう)の記に云はく 「大師須梨耶蘇摩(しゅりやそま)、左の手に法華経を持ち、右の手に鳩摩羅什(くまらじゅう)の頂を摩(な)でて授与して云はく、仏日(ぶつにち)西入って遺耀(いよう)将(まさ)に東に及ばんとす。此の経典、東北に縁有り。汝愼(つつし)んで伝弘(でんぐ)せよ

   ● 肇公 僧肇(374または384-414)のこと。老荘の学に通じていたが、後に『維摩経ゆいまぎょう』を読んで仏教に帰し、鳩摩羅什くまらじゅうに師事し経典の翻訳を助けた。著作に『肇論』がある。(証巻 P.320)
   ● 大師須梨耶蘇摩   鳩摩羅什は、カシミールで学んだ後、12歳の時母と共に亀茲国へかえ る。帰路、沙勒(カシュガル)で、大乗の空の思想を教えていた須利耶蘇摩 (Suryasoma)に学ぶ。カシミールでアビダルマを学んできた鳩摩羅什は、今ま で学んできた教えを否定する大乗空の思想に驚嘆する。「高僧伝」によると、そ のとき鳩摩羅什が須利耶蘇摩に学んだのは、中論(ナーガールジュナ作)、百論 (ダイバ作)、十二門論(ナーガールジュナ作)であったといわれる。「今まで の自分は、金を知らずに銅が一番と考えていたのと同じである」といったとも伝 えられる。鳩摩羅什は20歳の時放光経(般若経)を見いだした。当初は、空を 単に無物と解していたが、のちに無物ではなく分別して固執しないことであるこ とであることに気づくようになり、空の思想を体得し、開眼したといわれるが、 その基礎は、須利耶蘇摩から既に学んでいたのである。
本文の「法華翻経の後記」には、須梨耶蘇摩は大乗諸経に通じ、法華経を羅什に授けて、東北有縁の国に流布せよ、と命じたとある。これが日本へ法華経が伝わる予言とされた。

   ● 法華翻経の後記
中国・東晋代の僧肇(そうじょう)の筆による短文の書・唐代の僧祥撰・法華伝記諸師序集第六におさめられており,肇公の記ともいう.鳩摩羅什の法華経翻訳の後書きの形をとり,以前に訳出された正法華経などと違い,提婆達多品第十二が加わり,28品となっている理由などが書かれている.羅什訳・妙法蓮華経はもとから28品あったことの典拠とされている.

   ●法華伝記 10巻.
中国・唐代の僧祥撰.法華経の伝訳,法華経を講釈した高僧の伝記,法華経の論釈・流派などを記述した書.内容は部類増減・隠顕時異・伝訳年代・支派別行・論釈不同・諸師序集・講解感応・諷誦勝利・転読滅罪・書写救苦・聴聞利益・依正供養の12部からなっており,諸師序集第六には僧肇の法華翻経の後記が収められている.
--------------------------------------------
■ 遵式(じゅんしき)の筆(ふで)に云はく「始め西より伝ふ、猶(なお)月の生ずるが如し。今復(また)東より返る、猶日の昇るが如し」

   ● 遵式 じゅんしき Zun-shi
[生]乾徳2(964)
[没]明道1(1032)
中国,北宋の僧。天台宗に属するが,浄土教に独立した傑出者のなかった宋代にあって,浄土教の思想上の重要な人物。主著『往生浄土懺儀』『往生浄土決疑行願二門』。

--------------------------------------------
■ 根本大師(※伝教大師)の記に云はく 「代を語れば則ち像の終はり末の初め、地を尋ぬれば唐の東、羯(かつ)※の西、人を原(たず)ぬれば則ち五濁(ごじょく)の生、闘諍の時なり。経に云はく、猶多怨嫉況滅度後(ゆたおんしつきょうめつどご)と。此の言良(まこと)に以(ゆえ)有るが故に」云云。

又云はく 「正像悄(やや)過ぎ已(お)はって末法太(はなは)だ近きに有り。法華一乗の機、今正しく是(これ)其の時なり。何を以て知ることを得ん、安楽行品に末世法滅の時なり」

    ※ 羯(※別名 けつ) とは、中国の山西省に住んでいた匈奴系民族 しかし、匈奴系の諸部族全般,さらに北方民族全体をさして羯ということもある。上記御文の意義からすれば、既に「唐の東」と言われているのであるから、「北方民族全体」との意義を取るべきであろう。そうなれば、まさに、シベリア、樺太、果てはベーリング海峡を跨いで、北部アメリカも含まれてくる。その「西」ということは、まさに日本国。

--------------------------------------------

以上の教説から、釈尊の仏法は上行菩薩の再誕者によって再興、もしくは立教されることは、釈尊の自らの言として明白。

【末法の法華経の行者 の条件】

●時期     釈尊滅後二千年〜二千五百年
●弘める経  末法における法華経の要法
●振る舞い  刀による受難 何度も所を追われる
●方角     インドから東北方面

この予言の条件を満たせる方は、歴史上、日本・鎌倉時代の日蓮大聖人しかおられない。

となると、それ以外の人物が勝手に宗教を立てることは、真の仏の悟りという証明がないので、全て邪宗教ということになる。