さて、さて、次の駄文は〜〜?

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■今真言を以て日本の仏を供養すれば鬼入つて人の命をうばふ鬼をば奪命者といふ魔入つて功徳をうばふ魔をば奪功徳者といふ、鬼をあがむるゆへに今生には国をほろぼす魔をたとむゆへに後生には無間獄に堕す、人死すれば魂去 り其の身に鬼神入り替つて子孫を亡ぼす、餓鬼といふは我をくらふといふ是なり■

「法華を心得たる人」からの流れで「真言を以て」としていることからしても、誰が開眼するかを問題にしているのではなく、どの教典で開眼するかを問題にしているのは明らかである。
「真言を以て」以下の御文も「法華を心得たる人」に対して言っていることが分かる。
つまり、「法華を心得(ているはずの人)」に対して言っているのである。
この頃日本では、真言師が大日経と印によって木像や仏画を開眼供養するのが常識となっていたとも考えられる。
なお「日本の仏」とは、その頃に流布していた仏像や仏画のことである。
「日本の人々から「仏」と崇められている物」の意である。
これまた、「日本の仏」とは「御本尊」などと法華講が曲解しそうなので書いておく。

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● ぜんっぜん ダメ! ですね。

はい ↓ これに反論   無理だとは思うけど。 一応ね。

【開眼供養を論証】

● 2014.8.20 純円の仏 ≠ 生身の仏  

● 2014.8.21 「開眼供養」の原理を 真言師の「開眼供養」の原理から逆論証する

● 2014.8.21 木絵二像の「開眼の義」を会通

● 2014.8.21 ■ 人死すれば魂去り、其の身に鬼神入れ替はりて子孫を亡ず。

● 2014.8.21 「死骨成仏」 の原理を明かす

● 2014.8.21 小結 「木絵二像 を 本尊 と成すには 必ず 「開眼供養の義」 が必要」 と断ずる

● 2014.8.21 ■ 我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり。

● 2021.8.21 ■ 「一念三千の法門をふ(振)りすす(濯)ぎたるは大曼荼羅なり。

● 2014.9.2  ■ 日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ、

● 2014.9.2  ■ 草木の上に色心の因果を置かずんば、木画の像を本尊に恃み奉ること無益なり。

● 2014.8.22 開眼論証 結論 駄犬「考える人」が拝む『 ネット販売の模造掛け軸 』には悪鬼・魔神が棲み込んでいる

● 2014.9.2  『 開眼を テレビに例える 生けるゴミ 』 


せめて、一項目くらい、ダメ?   

開眼の 本質射貫かれ ほっかぶり      逃げてはダメよ。