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やはり伊藤真情など実に軽薄な教義しか説いていない への反論
A

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★ さらに
■「我本菩薩の道を行じて、成ぜし所」
つまり、成仏する前に「菩薩の道を行じていた」とあるが、その時の修行法は何か?
その時の三宝は?
説明できるはずはないであろう。

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▼ 逆に説明する必要がありますか? 私は真如教徒であって日蓮正宗の教徒ではありません。
なんで日蓮正宗教学を説明しないといけないのですか?
もし、その必要があるとするならば、それは日蓮正宗がただ一つの真理の教えだと証明された時のみです。

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★ それを明確に矛盾なく説き切られたのは、世界中で日蓮大聖人だけである。

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▼ はい?
上行菩薩が昔、釈尊を教化したとマトモな根拠もないままこじつけただけでしょ?
さらに言えば、その上行菩薩がどうやって悟ったか日蓮大聖人は解き明かしていますか?
矛盾がない?
上行菩薩の成仏の因果を説かなければ矛盾があるじゃないですか?

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   ★ ↑ ここは既にぎっちり説いている。
ただ、真如教徒の頭には難しすぎて理解できないだけ。
高等数学を幼稚園児に説いても理解できないのと同様。

日蓮大聖人が久遠の本仏であったことの簡明な道理
法華経で予証された末法の法華経の弘通者
日蓮大聖人が釈尊より勝れた仏である法華経の文証
I 日蓮大聖人が上行菩薩再誕であり、その本地は久遠元初の御本仏
46 久遠本仏は三身相即であり、八相作仏されている

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 ★ しかも、上掲の法華経の経典に説かれる、「我」 「仏」 は一体、どっちなのか?
もし、肉体の釈尊ではない、智慧の釈尊 だというのならば、その根拠は?

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▼ どっちでも良いです。
そんなの日蓮大聖人が法を説く正当性の根拠に関係ないですから。
日蓮正宗教学の講義がしたいなら、私相手ではなく犬とか電柱とか他人の迷惑にならないモノを対象にしてくださいね。

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   ★ ↑ やはりね。 こちらは詰問して矛盾を顕にしようと企図していたのだが、自分が「久遠常住釈迦牟尼世尊」だという戯言の矛盾を突かれているのさえ分からなかったようだ。
すまないね。質問の意図が難しすぎて。
真如苑レベルではちょっと無理だったよね。
ごめん、ごめん。
ケンシロウが秘孔を突いたんだけど、突かれたことすら気付けない状況。とでも言いますかね。

法華経で、明確に
■「我実に成仏してより已来、云々」
■「是より来(このかた)、我常に此の娑婆世界に在って、説法教化す。」
等とあり、久遠無量劫の昔のある時点に、「成仏した」とある。

とすれば、「久遠常住云々」の真乗が妄想した仏は
、「有始」 ではないか?と突いてるんだよん。
無始無終の義はどこにもないではないか。とね。
それはまさに真乗が経典に依らずに自分勝手に言いだした己義・自見。 つまり邪義ではないか。とね。
で、そういう勝手に自説を言いだす者は、涅槃経ではなんて叱られていましたっけ?
忘れちゃった?

涅槃経に云はく
■「若し仏の所説に順はざる者有らば、当に知るべし、是の人は是魔の眷属なり」

これこれ。
全くこれだよね。真乗さん。
この経文 涅槃経なんだから、よくよく読んでね。
毎日朝起きたら讃題だかなんだかそんな怪しげな呪文唱えるよりは、この経文を100遍ほど唱えた方が、よっぽど目が覚めるし、健康にいいと思う。

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