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日蓮大聖人が末法の御本仏であることの文証 
及び十界曼荼羅本尊しか本尊たり得ない論証

道理

● 漢字で表された十界文字曼荼羅本尊に「南無妙法蓮華経」と唱える修行法は法華経のどこにも説かれていない。
日蓮大聖人の独創。→日蓮大聖人の独自の仏法→釈尊の弟子ではない傍証
● 十界文字曼荼羅本尊内で「日蓮」が一番大文字。「釈迦牟尼仏」の方が小文字
備考 ● 相伝家では「なんみょうほうれんげきょう」と発音→妙法蓮華経と境智冥合し南無された本仏を表しているのでは?南無と妙法蓮華経は一体不二。
不相伝家では「なむみょうほうれんげきょう」 これは釈迦仏法の「妙法蓮華経」に修行者が「南無」する。という意義として、「南無」と「妙法蓮華経」を分けて発音するのではないか。
●釈尊が上行菩薩に付嘱したのは、そもそもパーリ語かサンスクリット語であったはず。
●上行菩薩は釈尊の本地を開顕する為、釈尊五十年の説法の内わずか法華経の八品のみに出現。
●「戒壇」を御真蹟のみで説明できるのか?

●かヽる日蓮を用ひぬるともあしくうやま(敬)はヾ国亡ぶべし。(種々御振舞御書 建治二年  五五歳 身延曾存)
●此の経文の心は眼前なり。青天に大日輪の懸(か)かれるがごとし。白面に黶(ほくろ)のあるににたり。而れども生盲(いきめくら)の者と、邪眼の者と、一眼のものと、各謂自師(かくいじし)の者、辺執家(へんしゅうけ)の者はみがたし。
開目抄
●義に依って語に依らざれ
●我が一門の者のためにしるす。他人は信ぜざれば逆縁なるべし。一○(いってい)をなめて大海のしを(潮)をしり、一華を見て春を推せよ。(
開目抄)
●黄石(おうしゃく)と黄金(おうごん)と、白雲と白山と、白氷(はくひょう)と銀鏡(ごんきょう)と、黒色と青色とをば、翳眼(えいげん)の者・眇目(みょうもく)の者・一眼の者・邪眼の者は見たがへつべし。(開目抄)
● 暗喩 比喩 暗示 婉曲
● 一往 再往/文上 文底/当分 跨節/外用 内証/教相 観心/開 合/附文 元意/与  奪/隠  顕/仏意 機情
● 過去の下種結縁無き者の権小に執着(しゅうじゃく)する者は、設(たと)ひ法華経に値ひ奉れども小権の見を出でず。自見を以て正義と為(す)るが故に、還(かえ)って法華経を以て或は小乗経に同じ、或は華厳・大日経等に同じ、或は之を下す。此等の諸師は儒家・外道の賢聖(けんせい)より劣(おと)れる者なり。(観心本尊抄)
● 日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑(ねうし)の時に頚(くび)はねられぬ。此は魂魄(こんぱく)佐土の国にいたりて、返る年の二月雪中にしるして、有縁の弟子へをくれば、をそ(怖)ろしくてをそ(恐怖)ろしからず。み(見)ん人、いかにを(怖)ぢぬらむ。(開目抄)
↑実際には頚をはねられなった。このはねられたという「頚」は何を指すのか?
● 癡人が疑って云はく、我等は南天を見て東西北の三空を見ず。彼の三方の空に此の日輪より外の別の日やましますらん。山を隔(へだ)て煙の立つを見て、火を見ざれば煙は一定なれども火にてやなかるらん。かくのごとくいはん者は一闡提(いっせんだい)の人としるべし。生き盲にことならず。(報恩抄 建治二年七月二一日 五五歳 1001)

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五大部

開目抄 身延曾存  日蓮は日本国の諸人に主師父母なり。(開目抄 文永九年二月 五一歳 577 身延曾存 内)
開目抄 身延曾存 我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず。
開目抄 身延曾存  一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。  伝教大師「一念三千即自受用身
開目抄 身延曾存 此の大菩薩は、彼等にはにるべくもなきふりたりげにまします。定めて釈尊の御師匠かなんどをぼしきを、「令初発道心(りょうしょほつどうしん)」(※初めて道心を発せしむ)とて幼稚のものどもなりしを教化して弟子となせりなんどをほせあれば大いなる疑ひなるべし。 ← 釈尊<上行菩薩の暗示

報恩抄  身延曾存 日本乃至一閻浮提(えんぶだい)一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。
観心本尊抄 と並列
観心本尊抄 一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠(たま)を裹(つつ)み、末代幼稚の頚(くび)に懸(か)けさしめたまふ。     
観心本尊抄 我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり。(653)
撰時抄 真蹟 録内 法華経をひろむる者は日本の一切衆生の父母なり。章安大師云はく「彼が為に悪を除くは即ち是彼が親なり」等云云。
撰時抄 後五百歳に一切の仏法の滅せん時 
撰時抄 末代悪世に法華経を弘通するものを悪口罵詈等せん人は、我を一劫が間あだせん者の罪にも百千万億倍すぎたるべし
撰時抄 されば心うべし。一閻浮提第一の大事を申すゆへに最第一の瑞相此(ここ)にをこれり。
撰時抄 上一人より下万民にいたるまで一切の仏寺・一切の神寺をばなげすてヽ、各々声をつる(連合)べて南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へ、掌を合はせてたすけ給へ日蓮の御房、日蓮の御房とさけび候はんずるにや。(撰時抄 建治元年六月一〇日 五四歳 866)
↑一切の仏寺を投げ捨てて とは、まさに迹仏ではなく、本仏を信ずべし。とのご教示。

撰時抄 ■ 提婆達多は釈尊の御身に血をいだししかども、臨終の時には南無と唱へたりき。仏とだに申したりしかば地獄には墮つべからざりしを、業ふか(深)くして但(ただ)南無とのみとな(唱)へて仏とはいわず。今日本国の高僧等も南無日蓮聖人ととな(唱)えんとすとも、南無計りにてやあらんずらん。ふびんふびん。(867)

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十大部

下山御消息 真蹟 
教主釈尊より大事なる行者を、法華経の第五の巻を以て日蓮が頭(こうべ)を打ち、

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真蹟

法蓮抄 
真蹟 身延曾存 是程に貴き教主釈尊を一時二時ならず、一日二日ならず、一劫が間掌を合はせ
法蓮抄 真蹟 釈尊塵点劫の間修行して仏にならんとはげみしは何事ぞ
忘持経事 真蹟 録内 教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し、
兄弟抄 真蹟 録内 法華経は一切の諸仏の眼目、教主釈尊の本師なり。
兄弟抄 真蹟 録内 日蓮が二聖・二天・十羅刹・釈迦・多宝に申して順次生(じゅんじしょう)に仏にな(成)したてまつるべし。
曽谷入道殿許御書 真蹟 此の四大菩薩は釈尊成道の始め、寂滅(じゃくめつ)道場の砌(みぎり)にも来たらず、
十章抄 真蹟 阿弥陀・釈迦等の諸仏も因位の時は必ず止観なりき。口ずさみは必ず南無妙法蓮華経なり。
高橋入道殿御返事 真蹟 法華経は、文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。
上野殿母尼御前御返事 真蹟 釈迦・多宝・十方の諸仏のて(手)づからみづ(自)から来たり給ひて、昼夜十二時に守らせ給はん事のかたじけなさ申す計りなし。
真言諸宗違目 真蹟 日蓮は日本国の人の為には賢父(けんぷ)なり、聖親(せいしん)なり、導師なり。
崇峻天皇御書 身延曾存 
録内 日蓮と殿と共に地獄に入るならば、釈迦仏・法華経も地獄にこそをはしまさずらめ。
諌暁八幡抄 身延曾存 録内 月は光あきらかならず、在世は但八年なり。日は光明月に勝(まさ)れり、五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり。
十章抄 真蹟 阿弥陀・釈迦等の諸仏も因位の時は必ず止観なりき。口ずさみは必ず南無妙法蓮華経なり。
十章抄 真蹟 法華経の行者は一期南無阿弥陀仏と申さずとも、南無阿弥陀仏并(なら)びに十方の諸仏の功徳を備へたり。譬へば如意宝珠の金銀等の財を備へたるが如し。
国府尼御前御書 真蹟 釈尊ほどの仏を三業相応して一中劫が間ねんごろに供養し奉るよりも、末代悪世の世に法華経の行者を供養せん功徳はすぐれたりとと(説)かれて候。まこと(実)しからぬ事にては候へども、仏の金言にて候へば疑ふべきにあらず。()
法蓮抄 真蹟 而るに法華経の末代の行者を心にもをもはず、色にもそねまず、只たわぶ(戯)れての(罵)りて候が、上の提婆達多がごとく三業相応して一中劫、仏を罵詈(めり)し奉るにすぎて候ととかれて候。()
法蓮抄 真蹟 心ざしなくとも末代の法華経の行者を讃(ほ)め供養せん功徳は、
松野殿御消息 真蹟 一劫が間教主釈尊を供養し奉るよりも、末代の浅智なる法華経の行者の、上下万人にあだまれて餓死すべき比丘(びく)等を供養せん功徳は勝るべし
■ 富木尼御前御書  真蹟 日本国の一切衆生の父母となる法華経の行者日蓮

■ 妙心尼御前御返事 建治元年八月一六日  五四歳 身延曾存  日蓮は日本第一のふたう(不当)の法師、たヾし法華経を信じ候事は、一閻浮提第一の聖人なり。其の名は十方の浄土にきこえぬ。定めて天地もしりぬらん。

■ 
末法に入りなば迦葉・阿難等、文殊・弥勒菩薩等、薬王・観音等のゆづられしところの小乗経・大乗経並びに法華経は、文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。所謂(いわゆる)病は重し薬はあさし。其の時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提(えんぶだい)の一切衆生にさづくべし。(高橋入道殿御返事 建治元年七月一二日 五四歳 887)

■ 総じて御心へ候へ。法華経と爾前と引き向けて勝劣浅深を判ずるに、当分跨節(とうぶんかせつ)の事に三つの様有り。日蓮が法門は第三の法門なり。世間に粗(ほぼ)夢の如く一・二をば申せども、第三をば申さず候。第三の法門は天台・妙楽・伝教も粗之を示せども未だ事了(お)へず。所詮末法の今に譲り与へしなり。五五百歳とは是なり。(常忍抄 弘安元年一〇月一日  五七歳 1284)

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録内

三世諸仏総勘文教相廃立 〔写〕身延日朝本 録内 釈迦如来五百塵点劫(じんでんごう)の当初(そのかみ)、凡夫にて御坐(おわ)せし時、我が身は地水火風空なりと知(しろ)しめして即座に悟(さと)りを開きたまひき。
当体義抄 〔写〕金綱集 録内 至理は名無し、聖人理を観じて万物に名を付くる時、因果倶時(ぐじ)・不思議の一法之(これ)有り。之を名づけて妙法蓮華と為す。
上野殿御返事 〔写〕日興 録内
 法華経の第四に云はく「人有って仏道を求めて一劫の中に於て合掌して我が前に在って無数の偈を以て讃(ほ)めん。
南条殿御返事
 
〔写〕日興 録内 又釈迦如来の末法に世のみだ(乱)れたらん時、王臣万民心を一にして一人の法華経の行者をあだ(怨)まん時
妙一女御返事 録内 日蓮が二度の流罪、結句(けっく)は頚(くび)に及びしは、釈迦・多宝(たほう)・十方(じっぽう)の諸仏の御頚を切らんとする人ぞかし。

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録外  御真蹟が存在するのに録内・録外に未収録 または録外に収録された御書

三大秘法抄 録外 〔写〕日向 寿量品に建立する所の本尊は、五百塵点の当初(そのかみ)より以来(このかた)、此土有縁深厚・本有無作三身の教主釈尊是なり。
阿仏房御書 録外 〔写〕日朝 あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。
諸法実相抄 〔写〕日朝 身延蔵 かくの如き等の法門、日蓮を除きては申し出だす人一人もあるべからず。
諸法実相抄 〔写〕日朝 身延蔵 釈迦・多宝の二仏と云ふも用の仏なり。妙法蓮華経こそ本仏にては御坐(おわ)し候へ。
諸法実相抄 〔写〕日朝 身延蔵 本門寿量品の古仏たる釈迦仏、迹門宝塔品の時涌出し給ふ多宝仏、涌出品の時出現し給ふ地涌の菩薩等を先づ作り顕はし奉る事
諸法実相抄 〔写〕日朝 身延蔵 一切衆生のためには大導師にてあるべし
諸法実相抄 〔写〕日朝 身延蔵 一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ 
新池御書 録外 釈尊程の仏にやすやすと成り候なり。
船守弥三郎殿許御書 録外 過去久遠五百塵点(じんでん)のそのかみ(当初)唯我一人(ゆいがいちにん)の教主釈尊とは我等衆生の事なり。
妙密上人御消息 録外 釈迦等の軽薬にては治し難し。


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無記

今此三界合文 無記 我(われ)釈迦如来を見たてまつるに、無量劫に於て難行苦行して、功を積み徳を累(かさ)ねて未だ曽て止息したまはず。
今此三界合文 無記 本門に於て亦二種有り。一には随他の本門、二には随自の本門なり。

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妙法蓮華経法師品第十

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二箇相承が曾存であったことは歴史的事実

相伝部

本因妙抄
百六箇抄
産湯相承事
御義口伝

主師親三徳具備
「「日本」はあくまで「日本」だけの意味だ。」と固執する者に。

本仏は即座開悟

種熟脱から論ず


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■ 我等衆生無始よりこのかた生死海の中にありしが、法華経の行者となりて無始色心本是理性(むししきしんほんぜりしょう)・妙境妙智金剛不滅(みょうきょうみょうちこんごうふめつ)の仏身とならん事、あにかの仏にかは(異)るべきや。
過去久遠五百塵点(じんでん)のそのかみ(当初)唯我一人(ゆいがいちにん)の教主釈尊とは我等衆生の事なり。
法華経の一念三千の法門、常住此説法のふるまひなり。かゝるたうとき法華経と釈尊にてをはせども凡夫はしる事なし。
寿量品に云はく「顛倒(てんどう)の衆生をして近しと雖も而も見えざらしむ」とはこれなり。
(船守弥三郎殿許御書 弘長元年六月二七日 四〇歳 262  〔写〕 本満寺本 三宝寺本 〔刊〕録外 13−18 受 遺 縮 纂 新修 全 昭定 新定 新編 )
御書編纂の歴史

五百塵点劫のそのかみ(それ以前)に唯我一人の教主釈尊とは我等衆生 ここは複数系にされているが、「唯我一人」 とまさにただ一人のことであり、それが、名字凡夫の久遠元初の御本仏であり、即、末法御出現の日蓮大聖人という御表示であられる。

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■ 釈迦如来五百塵点劫(じんでんごう)の当初(そのかみ)、凡夫にて御坐(おわ)せし時、我が身は地水火風空なりと知(しろ)しめして即座に悟(さと)りを開きたまひき。(三世諸仏総勘文教相廃立 弘安二年一〇月 五八歳 1419 〔写〕身延日朝本 身延蔵 平11 〔刊〕内14-24 遺 縮 纂 新修 全 昭定 新定 新編 〔註〕健 書註
啓 捨 扶 平講 竜講 )

教主釈尊=釈迦如来 
ここに示される「教主釈尊=釈迦如来」は、長遠の年月、菩薩行を重ねて成仏した久遠実成の釈尊とは明らかに違う「仏」である。
何故なら、久遠実成の釈尊は、凡夫から直ちに即座開悟したのではなく、歴劫修行して菩薩となり、それから五百塵点劫の時点で成仏したからである。
上記の両文は、凡夫身であられた久遠元初自受用報身如来が凡夫即極の即座開悟された事を示されている。

つまり、同じ「教主釈尊」という標示でも、名同体異で、その指す対象が違うのである。
久遠実成のインド応誕の釈尊を指して「教主釈尊」と言われる場合と
五百塵点劫の当初(そのかみ)(←五百塵点劫それよりもっと前)つまり、久遠元初に凡夫即極の即座開悟された仏を指して「教主釈尊」と示される場合がある。ということである。

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■ 寿量品に建立する所の本尊は、五百塵点の当初(そのかみ)より以来(このかた)、此土有縁深厚・本有無作三身の教主釈尊是なり。(三大秘法稟承事 弘安五年四月八日 六一歳 1594 〔写〕 大石寺第六世日時本 大石寺蔵 日親本 京都本法寺蔵 身延日朝本 身延蔵 宝 満 〔刊〕外15-28)三大秘法抄・日向書写本

五百塵点劫のそのかみ(それ以前)以来、本有無作三身の教主釈尊こそが末法の本尊である。
この教主釈尊は久遠実成の釈尊ではない。
なぜならば、久遠実成の釈尊は、長遠の修行を積んだ後に成道したのであるから「本有無作三身」=元々無作三身として存在していた仏 ではないのである。
であるから、この「教主釈尊」は、久遠元初の名字即 凡夫即極の久遠本仏のことである。

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■ 日本乃至一閻浮提(えんぶだい)一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂(いわゆる)宝塔の内の釈迦・多宝、外(そのほか)の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士(きょうじ)となるべし。(報恩抄  建治二年七月二一日  五五歳 1036 身延曾存)
そして、その即座開悟された凡夫即極の「教主釈尊」こそが末法の人本尊である。

この御文が「釈尊像」を本尊とすべきでないことの論証

日蓮大聖人・曼荼羅正意の証明
http://toyoda.tv/mandara.syoi.htm

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■ あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんばゆづ(譲)る事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり。(阿仏房御書 文永一二年三月一三日 五四歳 793 日朝筆 身延蔵 外2-30)

■ 日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意(みこころ)は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。(経王殿御返事 文永一〇年八月一五日 五二歳 685 外)

ちなみになぜ日蓮大聖人が本尊を顕す事ができるのか?
しかも「出世の本懐」とまで仰せである。
つまり、日蓮大聖人御自身が人本尊である「教主釈尊」であるが故に、生身の教主釈尊である御本尊を顕す事ができる、という原理である。
まさに、本地久遠元初の仏「教主釈尊」である日蓮大聖人が、法華経の会座では上行菩薩として垂迹され、末法鎌倉に日蓮として顕本された末法の教主釈尊であるがゆえに、その御魂魄を御本尊と顕されるのである。

この「本門の教主釈尊を本尊とすべし」との本尊はいかなる相貌であろうか?

■ 其の本尊の為体(ていたらく)、本師の娑婆の上に宝塔空(くう)に居(こ)し、塔中(たっちゅう)の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士(きょうじ)上行等の四菩薩、文殊・弥勒等は四菩薩の眷属(けんぞく)として末座に居し、迹化(しゃっけ)・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処(しょ)して雲閣月卿(うんかくげっけい)を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処したまふ。迹仏迹土を表する故なり。(如来滅後五五百歳始観心本尊抄 文永一〇年四月二五日 五二歳 654 真筆 中山法華寺)
 
■ 問うて云はく、末代悪世(あくせ)の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。答へて云はく、法華経の題目を以て本尊とすべし。(本尊問答抄 弘安元年九月 五七歳 1274 日興筆・北山本門寺 日源筆 岩本実相寺 内)
→注、※この 「法華経の題目」 はただ 「南無妙法蓮華経」首題 だけのことではない。
なぜならば、この本尊問答抄の末文に
■ 御本尊を書きをく(送)りまいらせ候に、他事をすてヽ此の御本尊の御前にして一向に後世をもいの(祈)らせ給ひ候へ。
とあり、大聖人御図顕の御本尊で、 「妙法蓮華経の首題のみの御本尊」 など存在しないからである。
しかも、この本尊問答抄が著された弘安元年は、まさしく十界曼荼羅御本尊が究竟された年と言われており、いよいよ御相貌が整足され、後の弘安二年御建立の戒壇の大御本尊の御相貌と近似してくるのである。

「本門の教主釈尊を本尊とすべし」とは末法御出現の御本仏・日蓮大聖人の人本尊に約した御標示であり、法本尊に約せば、「法華経の題目を以て本尊とすべし」となり、共に人法一箇の十界曼荼羅御本尊を指し示しているのである。

就づく、大聖人の本懐中の本懐 究竟中の究竟 根本・根源の御本尊は 弘安二年十月十二日御建立の戒壇の大御本尊のみとなるのである。

論証  http://toyoda.tv/kaidan.tytle.htm

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■ 法華経の第四に云はく「人有って仏道を求めて一劫の中に於て合掌して我が前に在って無数の偈を以て讃(ほ)めん。是の讃仏(さんぶつ)に由るが故に無量の功徳を得ん。持経者を歎美せんは其の福復(また)彼に過ぎん」等云云。
文の心は、仏を一劫が間供養したてまつるより、末代悪世の中に人のあなが(強)ちににく(憎)む法華経の行者を供養する功徳はすぐれたりとと(説)かせ給ふ。
たれ(誰)の人のかヽるひが(僻)事をばおほ(仰)せらるヽぞと疑ひおもひ候へば、教主釈尊の我とおほ(仰)せられて候なり。疑はんとも信ぜんとも御心にまかせまい(進)らする。(上野殿御返事 文永一一年一一月一一日 五三歳 744 〔写〕 日興上人・筆・大石寺蔵 内)

釈尊より、末法の法華経の行者を供養する功徳が勝る。と。

釈尊 < 末法の法華経の行者

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■ 是程に貴き教主釈尊を一時二時ならず、一日二日ならず、一劫が間掌を合はせ両眼を仏の御顔にあて、頭(こうべ)を低(た)れて他事を捨て、頭の火を消さんと欲するが如く、渇して水ををもひ飢ゑて食を思ふがごとく、間(ひま)無く供養し奉る功徳よりも、戯論(けろん)に一言継母の継子をほむるが如く、心ざしなくとも末代の法華経の行者を讃(ほ)め供養せん功徳は、彼の三業相応の信心にて、一劫が間生身の仏を供養し奉るには、百千万億倍すぐべしと説き給ひて候。
これを妙楽大師は福過十号とは書かれて候なり。十号と申すは仏の十の御名(みな)なり。十号を供養せんよりも、末代の法華経の行者を供養せん功徳は勝るとかヽれたり。妙楽大師は法華経の一切経に勝れたる事を二十あつむる其の一なり。(法蓮抄 建治元年四月 五四歳 813 真蹟 京都本圀寺 他三箇所 身延曾存)

同上

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■ 又釈迦如来の末法に世のみだ(乱)れたらん時、王臣万民心を一にして一人の法華経の行者をあだ(怨)まん時、此の行者かんばち(旱魃)の少水に魚のす(栖)み、万人にかこ(囲)まれたる鹿のごとくならん時、一人ありてとぶら(訪)はん人は生身の教主釈尊を一劫(こう)が間、三業(さんごう)相応して供養しまいらせたらんよりなを(尚)功徳すぐ(勝)るべきよし(由)如来の金言分明なり。日は赫々(かくかく)たり、月は明々たり。法華経の文字はかくかくめいめいたり。めいめいかくかくたるあき(明)らかなる鏡にかを(顔)をうかべ、す(清)める水に月のうかべるがごとし。(南条殿御返事 建治二年一月一九日  五五歳 949 〔写〕 日興上人筆・大石寺蔵 内)

同上

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■ 然(しか)る後深洞(しんどう)に尋ね入りて一菴室(あんしつ)を見るに、法華読誦(どくじゅ)の音(こえ)青天に響き、一乗談義の言山中に聞こゆ。案内を触れて室に入り、教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し、五体を地に投げ、合掌(がっしょう)して両眼を開き、尊容を拝するに歓喜身に余り、心の苦しみ忽(たちま)ちに息(や)む。(忘持経事  建治二年三月三〇日  五五歳 957 真蹟 中山法華経寺 内)

この「教主釈尊」とは大聖人御図顕の十界曼荼羅御本尊である。
釈尊像ではない。
教主釈尊=十界文字曼荼羅御本尊=即日蓮大聖人  

■ 伝教大師云はく「一念三千即自受用身(じじゅゆうしん)、自受用身とは出尊形の仏なり」

つまり、十界本有常住 事の一念三千の御当体である御本尊は即自受用身=久遠本仏である。
そしてその久遠本仏は尊形を出でた仏 つまり名字凡夫 凡夫即極のお姿である。
三十二相八十種好を備えた色相荘厳の仏ではない。ということを、伝教大師すら感得されて銘記されていたのである。

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■ 法華経は一切の諸仏の眼目、教主釈尊の本師なり。(兄弟抄 建治二年四月 五五歳 979 真蹟 大石寺他五箇所 内)

この御文の「教主釈尊」は久遠実成の釈尊を指す。
法華経は釈尊が説いたのであるから、本来なら釈尊が能説の仏 法華経が所説の経 となり、「法華経が釈尊の師」 とはならないはずである。
ところが、説かれたはずの「法華経」が説いたはずの「釈尊の本師」である、ということは、この「法華経」とは何であるかをよくよく熟考しなければならない。

■ 法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひて候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給へばなり。秘すべし秘すべし。(三大秘法稟承事 弘安五年四月八日 六一歳 1595 〔写〕 大石寺第六世日時本 大石寺蔵 日親本 京都本法寺蔵 身延日朝本 身延蔵 宝 満 〔刊〕外15-28)三大秘法抄・日向書写本)

つまり、この「法華経」とは実はその奥底に含まれた三大秘法を指し、その三大秘法こそが、釈尊の本師 ということである。

■ 三大秘法其の体如何。答ふ、予が己心の大事之に如(し)かず。(三大秘法稟承事 弘安五年四月八日 六一歳 1594 〔写〕 大石寺第六世日時本 大石寺蔵 日親本 京都本法寺蔵 身延日朝本 身延蔵 宝 満 〔刊〕外15-28)三大秘法抄・日向書写本)

日蓮大聖人の己心の大事が三大秘法であるということは、つまり、釈尊の師は日蓮大聖人ということになる。

法華経→三大秘法=日蓮大聖人 ← 釈尊の師

■ 日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意(みこころ)は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。(経王殿御返事 文永一〇年八月一五日 五二歳 685 外)

ここにいう「法華経」とは文上脱益の法華経である。
釈尊の御意は文上脱益の法華経
日蓮大聖人の御魂は「南無妙法蓮華経=三大秘法」

■ 今、末法に入りぬれば余経も法華経もせん(詮)なし。但南無妙法蓮華経なるべし。(上野殿御返事   弘安元年四月一日  五七歳 1219 日興上人筆・大石寺 内)

とお示しの「法華経」である。
末法となれば効力のない「法華経」である。

日蓮大聖人の御命はそのまま「南無妙法蓮華経」=三大秘法=一大秘法=戒壇の大御本尊 となる。
これこそ久遠下種の妙法であり、釈尊が修行した久遠の本法なのである。
一念三千即自受用身 自受用身即一念三千 
人即法 法即人 人法一箇の戒壇の大御本尊 即 日蓮大聖人 ということである。
そしてその日蓮大聖人こそ久遠での釈尊の師 ということになる。
さらには、末法においては効力を失った釈尊の「法華経」に替わり、末法万年尽未来際まで衆生を救済する「南無妙法蓮華経」=三大秘法=一大秘法=戒壇の大御本尊である。

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■ 教主釈尊より大事なる行者を、法華経の第五の巻を以て日蓮が頭(こうべ)を打ち、十巻共に引き散らして散々に踏みたりし大禍は、現当二世にのがれがたくこそ候はんずらめ。(下山御消息 建治三年六月 五六歳 1159 真筆 小湊 誕生寺 他30箇所)

明らかに釈尊より末法の法華経の行者が上位にある旨を明かされている。

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■ 地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属なり。

地涌の菩薩は、久遠下種の本仏の眷属=垂迹である。←一往の義
再往 は、地涌の内証は久遠下種の本仏である。

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■  至理は名無し、聖人理を観じて万物に名を付くる時、因果倶時(ぐじ)・不思議の一法之(これ)有り。之を名づけて妙法蓮華と為す。此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して欠減(けつげん)無し。之を修行する者は仏因仏果同時に之を得るなり。聖人此の法を師と為して修行覚道したまへば、妙因妙果倶時に感得し給ふ。故に妙覚果満の如来と成り給ふなり。(当体義抄 文永一〇年 五二歳 695 〔写〕金綱集 内)

この「聖人」こそ根本・根源の仏である。
この御文こそまさに久遠元初の名字凡身の即座開悟を示されている。

久遠実成の「釈尊」は、「我本行菩薩道」という長遠の時間、修行を重ね五百塵点劫のその時に成道したのであって、既にある法がそこに存在し、その法に則り修行されて仏になったのであるから、明らかに上記の御指南とは違う仏である。

■ 釈尊五百塵点劫(じんでんごう)の当初(そのかみ)、此の妙法の当体蓮華を証得して、世々番々(せせばんばん)に成道を唱へ、能証所証(しょしょう)の本理を顕はし給へり。(当体義抄 文永一〇年 五二歳 696 〔写〕金綱集 内)

この「釈尊」は、次上の御文における「聖人」と同義である。
この久遠本仏である教主釈尊が垂迹したのが久遠実成の釈尊であり、その久遠実成の釈尊が「世々番々(せせばんばん)に成道を唱へ、能証所証(しょしょう)の本理を顕はし」てこられたのである。

参照 日寛上人 当体義抄文段(696)

一、釈尊五百塵点劫の当初此の妙法の当体蓮華を証得して文。(同�)
 この文は本地の自証を明かすなり。「五百塵点の当初」とは、即ちこれ本地なり。「釈尊」とはこれ能証の人。「妙法の当体蓮華」とはこれ所証の法なり。

 問う、「五百塵点の当初」とは、正しく何れの時を指すや。

 答う、諸門流の意は皆天台に准じて、本果第一番の時を指して五百塵点の当初というなり。これ則ち不相伝の故なり。若し当流の意は、久遠元初の名字凡夫の御時を指して五百塵点の当初というなり。「当初」の両字に意を留めて案ずべし。
 この名字凡夫の御時、妙法の当体蓮華を証得したまうを本門寿量の当体の蓮華仏と名づくるなり。所証の法をば久遠名字の妙法とも名づくるなり。

 問う、証文は如何。

 答う、これ秘文なりと雖も、且く一文を引かん。総勘文抄に云く「釈迦如来・五百塵点の当初・凡夫にて御坐せし時」等云云。血脈抄に云く「久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず」等云云。三大秘法抄の「久遠実成の当初」等の文も、これに准じて知るべし云云。

 問う、釈尊は久遠五百塵点劫の当初、何なる法を修行して妙法の当体蓮華を証得せしや。

 答う、これ種家の本因妙の修行に由るなり。
前の文に云く「聖人此の法を師と為して修行を覚道し給えば妙因・妙果・倶時に感得し給う」等云云。
文に「聖人」とは、則ちこれ名字即の釈尊なり。故に位妙に当るなり。後を以てこれを呼ぶ故に「聖人」というなり。
この名字凡夫の釈尊、一念三千の妙法蓮華を以て本尊と為す。故に「此の法を師と為す」という。則ちこれ境妙なり。
「修行」等とは、修行に始終あり。始めはこれ信心、終わりはこれ唱題なり。信心はこれ智妙なり。唱題はこれ行妙なり。故に「修行」の両字は智・行の二妙に当るなり。
この境・智・行・位を合して本因妙と為す。この本因妙の修行に依って、即座に本果に至る。故に「妙因・妙果・倶時に感得し給う」というなり。
則ち今の文に「妙法の当体蓮華を証得して」というはこれなり。
今本因・本果とは、則ちこれ種家の本因・本果なるのみ。釈尊既に爾なり蓮祖もまた爾なり云云。

一、世世番番に成道を唱え能証所証の本理を顕し給えり文。(五一三�)
 この下は垂迹化他、また二。初めに中間、次に今日。この一文は正しく中間を明かすなり。

 問う、言う所の中間とは、第二番已後を指すや。

 答う、諸門流の意は天台に准ずるが故に、実に所問の如し。若し当流の意は、本地既に久遠名字を指す。故に本果を以て仍中間に属するなり。

 問う、若し爾らば、本果成道を以て垂迹化他に属するや。

 答う、実に所問の如し。文一に云く「唯本地に四仏」等云云。籖七に云く「久遠に亦四教有り」等云云。また云く「既に四教の浅深不同有り。故に知んぬ、不同は定めて迹に属す」云云。記一に云く「化他不定、亦八教有り」等云云。
 本果成道に既に四教の四仏あり。また四教・八教あり。垂迹化他なること分明なり。
並びにこれ内証の寿量品の意なり。文上の意に非ざるなり。
また玄文第七の三世料簡の初めに、久遠元初を本地自証と為し、本果已後を垂迹化他に属する明文これあり。台家の学者、この義を知らず。異論分々たり云云。

 問う、「能証所証の本理を顕す」とは、その意如何。

 答う、略する則は顕本の両字なり。当に知るべし、世々番々の説法の儀式は、今日に異ることなきなり。
爾前に於て種々の草華を施し、迹門に至って開三顕一の蓮華を説き、本門に至って開近顕遠の蓮華を顕し、内証の寿量品に本地難思の境智の冥合、本有無作の当体の蓮華を顕す。故に「能証所証の本理を顕す」というなり。
 能証はこれ智、所証はこれ境。則ちこれ本地難思の境智の冥合、本有無作の当体の蓮華なり。兄弟抄に云く「法華経の極理・南無妙法蓮華経」等云云。

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■ 此の四大菩薩は釈尊成道の始め、寂滅(じゃくめつ)道場の砌(みぎり)にも来たらず、如来入滅の終はり抜提河(ばつだいが)の辺(ほとり)にも至らず。加之(しかのみならず)、霊山八年の間に、進んでは迹門の序正の儀式に文殊・弥勒等の発起影向(ほっきようごう)の諸の聖衆にも列(つら)ならず、退いては本門流通の座席に観音・妙音(みょうおん)等の発誓弘経(ほっせいぐきょう)の大士にも交はらず。但此の一大秘法を持して本処(ほんじょ)に隠居するの後、仏の滅後、正像二千年の間に於て未だ一度も出現せず。所詮仏専ら末世の時に限って此等の大士に付嘱せし故なり。(曽谷入道殿許御書 文永一二年三月一〇日  五四歳 783 真蹟 中山法華経寺) 

上行菩薩はこのように、もし釈尊の弟子であるとすれば、実に非礼な行動をとっていたことになる。
釈尊の師であるがゆえに許される行動ともいえる。

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■ 釈尊塵点劫の間修行して仏にならんとはげみしは何事ぞ、(法蓮抄 建治元年四月 五四歳 815 真蹟 京都本圀寺 他三箇所 身延曾存)

ここで大聖人も釈尊が長遠の年月修行して仏になったと示されている。つまり、凡夫即極の即座開悟したのではない、とお示しである。

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■ 仏に成り候事は別の様は候はず、南無妙法蓮華経と他事なく唱へ申して候へば、天然と三十二相八十種好を備ふるなり。如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり。(新池御書 弘安三年十二月 五九歳 1460 弘安三年2月から12月へ変更 外)

南無妙法蓮華経と唱えれば、釈尊程の仏にはやすやすと成る。 これまさに大聖人が釈尊の師であったことを暗に示す文ではないか。

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■ 提婆品に云はく
「我(われ)釈迦如来を見たてまつるに、無量劫に於て難行苦行して、功を積み徳を累(かさ)ねて未だ曽て止息したまはず。
三千大千世界を観るに、乃至芥子(けし)の如き計(ばか)りも是菩薩にして、身命を捨てたまふ処に非ざること有ること無し」文。
斎法功徳経に云はく
「復(また)仏の言はく、尸毘王(しびおう)と為(な)りて鳩(はと)に代はりて鷹(たか)に身を施し○是(か)くの如く無量劫に於て難行苦行して、功を積み徳を累ねて仏道を求め、未だ曽て止息せず。
三千大千世界を観るに、乃至芥子の如き許りも、我が身命を捨てし処に非ざること有ること無し、此の衆生の為の故なり。
然して後に乃ち菩提の道を成ずることを得て、釈迦牟尼如来と名づく
」文。(今此三界合文 文応元年 三九歳 254 無記)

ここにも、釈尊は無量劫が間、修行を重ね成仏した、と経典を引かれ示されている。
凡夫即極 即座開悟ではない。

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■ 又(※懐中に)云はく「本門に於て亦二種有り。一には随他の本門、二には随自の本門なり。
初めに随他の本門とは、五百塵点(じんでん)の本初の実成は正しく本行菩薩道所修の行に由る。久遠を説くと雖も其の時分を定め、遠本を明かすと雖も因に由て果を得るの義は始成(しじょう)の説に順ず。具(つぶさ)に寿量品の中に説く所の五百塵点等の如し」文。
又云はく「次の随自の本門真実の本とは、釈迦如来は是三千世間の総体、無始より来(このかた)、本来自証無作の三身、法々皆具足して欠減有ること無し」と。(今此三界合文 文応元年 三九歳 254 無記)

※懐中 伝教大師の著作との説があるが、不明。

これまさに、本門に二意あって、釈尊の久遠実成 と 久遠元初の凡夫即極 無始無終の久遠の無作三身・久遠本仏としての「釈迦如来=日蓮大聖人」と きちんと判別され明示されている。

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■ 阿弥陀・釈迦等の諸仏も因位の時は必ず止観なりき。口ずさみは必ず南無妙法蓮華経なり。(十章抄 文永八年五月 五〇歳 466 真蹟 中山法華経寺)

久遠実成の釈尊の 「我本行菩薩行」 の時の修行を示すことができるということは、まさに日蓮大聖人が釈尊の御師であった証左。
それは下種名字の妙法 南無妙法蓮華経 であったということ。

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■ されば法界のすがた、妙法蓮華経の五字にかはる事なし。釈迦・多宝の二仏と云ふも、妙法等の五字より用の利益を施し給ふ時、事相に二仏と顕はれて宝塔の中にしてうなづき合ひ給ふ。
 かくの如き等の法門、日蓮を除きては申し出だす人一人もあるべからず。(諸法実相抄 文永一〇年五月一七日 五二歳 664 〔写〕身延日朝筆 身延蔵)

南無妙法蓮華経=一大秘法=人法一箇の日蓮大聖人 
その久遠の妙法より釈迦・多宝も顕れたとお示しである。
しかも、この法門は日蓮大聖人以外誰人も説いていない。
ということはまさに日蓮大聖人こそ久遠本仏ということをお示しである。

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■ 地涌の菩薩の中の上首唱導上行・無辺行等の菩薩より外は、末法の始めの五百年に出現して法体の妙法蓮華経の五字を弘め給ふのみならず、宝塔の中の二仏並座(びょうざ)の儀式を作り顕はすべき人なし。是即ち本門寿量品の事の一念三千の法門なるが故なり。
されば釈迦・多宝の二仏と云ふも用の仏なり。妙法蓮華経こそ本仏にては御坐(おわ)し候へ。
経に云はく「如来秘密神通之力」是なり。如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし。
凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり。
然れば釈迦仏は我等衆生のためには主師親の三徳を備へ給ふと思ひしにさにては候はず、返って仏に三徳をかぶ(被)らせ奉るは凡夫なり。
其の故は如来と云ふは天台の釈に「如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号なり」と判じ給へり。
此の釈に本仏と云ふは凡夫なり、迹仏と云ふは仏なり。(諸法実相抄 文永一〇年五月一七日 五二歳 66? 〔写〕身延日朝筆 身延蔵)

明確に末法御出現の日蓮大聖人こそ本仏であり、久遠実成の釈尊は垂迹仏である。とおおせである。

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■ 日蓮末法に生まれて上行菩薩の弘め給ふべき所の妙法を先立ちて粗(ほぼ)ひろめ、つくりあらはし給ふべき本門寿量品の古仏たる釈迦仏、迹門宝塔品の時涌出し給ふ多宝仏、涌出品の時出現し給ふ地涌の菩薩等を先づ作り顕はし奉る事、予が分斉(ぶんざい)にはいみじき事なり。
日蓮をこそにく(憎)むとも内証にはいかヾ及ばん。(諸法実相抄 文永一〇年五月一七日 五二歳 66? 〔写〕身延日朝筆 身延蔵)

これまさに十界文字曼荼羅御本尊の相貌を仰せではないか。
「本門寿量品の古仏たる釈迦仏」 とは 久遠元初の本有無作三身 本地自受用身如来のことである。
大聖人が種脱相対の説相において「古仏」と仰せの場合は全て久遠元初の本仏を指しておられる。

■ 人とは五百塵点の古仏たる釈尊、法とは寿量品の南無妙法蓮華経なり。(御義口伝 1775)
■ 此の三身無始無終の古仏にして自得なり。(御義口伝 1769)
■ 我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり。(観心本尊抄 653)

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■ 一切衆生のためには大導師にてあるべしと、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏菩薩・天神七代・地神五代の神々・鬼子母神・十羅刹女・四大天王・梵天・帝釈・閻魔法王・水神・風神・山神・海神・大日如来・普賢・文珠・日月等の諸尊たちにほめられ奉る間、無量の大難をも堪忍(かんにん)して候なり。(諸法実相抄 文永一〇年五月一七日 五二歳 66? 〔写〕身延日朝筆 身延蔵)

一切衆生のために大導師であるべきである。 とは、まさに末法の仏 末法の下種本仏ということではないか。

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■ 一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ。((諸法実相抄 文永一〇年五月一七日 五二歳 667 〔写〕身延日朝筆 身延蔵))

これは、まさに十界文字曼荼羅御本尊 その中でも、第一番の御本尊ということは、弘安二年御建立の戒壇の大御本尊である。

論証  http://toyoda.tv/kaidan.tytle.htm

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■ 末法に入りなば迦葉・阿難等、文殊・弥勒菩薩等、薬王・観音等のゆづられしところの小乗経・大乗経並びに法華経は、文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。所謂(いわゆる)病は重し薬はあさし。其の時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提(えんぶだい)の一切衆生にさづくべし。(高橋入道殿御返事 建治元年七月一二日  五四歳 887 真蹟 大石寺他二箇所 内)

釈尊の出世の本懐である最高・究極の経である法華経が衆生救済の役にたたない。末法の衆生の重病には法華経では効かない。上行菩薩の南無妙法蓮華経こそ衆生救済の唯一の法。と仰せである。
これまさに、釈尊を凌駕するのは上行菩薩と仰せ。
つまり、釈尊<上行菩薩(本仏)ということをお示しということである。

■ 我等が慈父大覚世尊は、人寿百歳の時中天竺(ちゅうてんじく)に出現しましまして、一切衆生のために一代聖教(しょうぎょう)をとき給ふ。
仏在世の一切衆生は過去の宿習有って仏に縁あつかりしかば、すでに得道成りぬ。
我が滅後の衆生をばいかんがせんとなげき給ひしかば、八万聖教を文字となして、一代聖教の中に小乗経をば迦葉(かしょう)尊者にゆづり、大乗経並びに法華経・涅槃(ねはん)等をば文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ)にゆづり給ふ。
但(ただ)し八万聖教の肝心・法華経の眼目たる妙法蓮華経の五字をば迦葉・阿難(あなん)等にもゆづり給はず、又文殊(もんじゅ)・普賢(ふげん)・観音(かんのん)・弥勒(みろく)・地蔵(じぞう)・竜樹(りゅうじゅ)等の大菩薩にもさづ(授)け給はず。
此等の大菩薩等ののぞ(望)み申せしかども仏ゆるし給はず。
大地の底より上行菩薩と申せし老人を召しいだして、多宝(たほう)仏・十方の諸仏の御前にして、釈迦如来七宝(しっぽう)の塔中(たっちゅう)にして、妙法蓮華経の五字を上行菩薩にゆづり給ふ。
 其の故は我が滅後の一切衆生は皆我が子なり、いづれも平等に不便(ふびん)にをもうなり。
しかれども医師(くすし)の習ひ、病に随ひて薬をさづくる事なれば、我が滅後五百年が間は迦葉・阿難等に小乗経の薬をもって一切衆生にあたへよ。
次の五百年が間は文殊師利菩薩・弥勒菩薩・竜樹菩薩・天親(てんじん)菩薩等、華厳(けごん)経・大日(だいにち)経・般若(はんにゃ)経等の薬を一切衆生にさづけよ。
我が滅後一千年すぎて像法の時には薬王(やくおう)菩薩・観世音(かんぜおん)菩薩等、法華経の題目を除いて余の法門の薬を一切衆生にさづけよ。
末法に入りなば迦葉・阿難等、文殊・弥勒菩薩等、薬王・観音等のゆづられしところの小乗経・大乗経並びに法華経は、文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。
所謂(いわゆる)病は重し薬はあさし。
其の時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提(えんぶだい)の一切衆生にさづくべし。

釈尊は末法の衆生を救えない、と嘆かれていた。
そこで上行菩薩という老人を召し出だした。← ここは、従地涌出品の例えに準じている。参照�
そして七宝の塔中で妙法蓮華経を上行菩薩に譲る。

塔中 とは大聖人が十界文字曼荼羅を表す代名詞としても用いられている。参照�
ここで不思議なのは、大聖人御図顕の十界文字曼荼羅御本尊は観心本尊抄で示されたごとく、
中央が 「南無妙法蓮華経 日蓮」 
その左右が釈迦・多宝
その脇士が四菩薩
である。
中央に釈迦ではない。

さらに次下
末法に入ったならば、法華経は文字はあっても衆生の病の薬とはならない。
末法に重病には法華経は軽薬なので効かない。
なので、その時上行菩薩が「妙法蓮華経」を以て一切衆生を救う。
となれば、塔中で釈尊が威徳のある老人である上行菩薩に譲ったのは、釈尊の法華経=妙法蓮華経ではないことになる。
ここも観心本尊抄で明確に示されている。

■ 本門を以て之を論ずれば、一向に末法の初めを以て正機と為(な)す。
所謂(いわゆる)一往之を見る時は久種(くしゅ)を以て下種と為し、大通・前四味・迹門を熟(じゅく)と為して、本門に至って等妙(とうみょう)に登らしむ。
再往之を見れば迹門には似(に)ず、本門は序正流通倶(とも)に末法の始めを以て詮と為す。
在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。
但(ただ)し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり。

つまり、
一往 釈尊が上行菩薩に妙法蓮華経を譲る姿を示す。が
再往 下種の教主が所持されている妙法蓮華経こそ末法の衆生救済の正体である。ということ。

が故に、大聖人御図顕の御本尊が、観心本尊抄でお示しの通りの

中央が 「南無妙法蓮華経 日蓮」 
その左右が釈迦・多宝
その脇士が四菩薩

となっているのである。

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参照� 

譬えば人有って、色美しく、髪黒くして、年二十五なる、百歳の人を指して、是れ我が子なりと言わん。
其の百歳の人、亦年少を指して、是れ我が父なり、我等を生育せりと言わん。

是の事信じ難きが如く、仏も亦是の如し。得道より已来、其れ実に未だ久しからず。
而るに此の大衆の、諸の菩薩等は、已に無量千万億劫に於て、仏道の為の故に、勤行精進し、善く無量百千万億の三昧に入出住し、大神通を得、久しく梵行を修し、善能く次第に諸の善法を集い、問答に巧に、人中の宝として、一切世間に甚だ為れ希有なり。


譬えば少壮の人 年始めて二十五なる
人に百歳の子の 髪白くして面皺めるを示して
是等我が所生なりといい 子も亦是れ父なりと説かん
父は少く子は老いたる 世挙って信せざる所ならんが如く
世尊も亦是の如し
 得道より来甚だ近し
是の諸の菩薩等 志固くして怯弱無し
無量劫より来 而も菩薩の道を行ぜり
難問答に巧にして 其の心畏るる所無く
忍辱の心決定し 端正にして威徳有り

十方の仏の讃めたもう所なり 善能く分別して説けり

★ 上行菩薩が釈尊より明らかに年長、まるで親子のように。
古代では年長であることは、そのまま徳が勝る、と捉えられていた。
しかも、下線部のようにその威徳を称えている。

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参照�

其の本尊の為体(ていたらく)、本師の娑婆の上に宝塔空(くう)に居(こ)し、塔中(たっちゅう)の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士(きょうじ)上行等の四菩薩、文殊・弥勒等は四菩薩の眷属(けんぞく)として末座に居し、迹化(しゃっけ)・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処(しょ)して雲閣月卿(うんかくげっけい)を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処したまふ。迹仏迹土を表する故なり。(観心本尊抄)



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■ 今末法に入りぬ。人毎(ごと)に重病有り。阿弥陀・大日・釈迦等の軽薬にては治し難し。(妙密上人御消息 建治二年閏三月五日 五五歳 966 外)

末法の重病には、釈尊の軽薬では救えない。と仰せ。まさに御自身が御本仏であることの標示。

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■ 此くの如くおはさば設ひいかなる事ありとも、日蓮が二聖・二天・十羅刹・釈迦・多宝に申して順次生(じゅんじしょう)に仏にな(成)したてまつるべし。(兄弟抄 建治二年四月 五五歳 987 真蹟 大石寺他五箇所 内)

日蓮大聖人が釈迦に「申して」仏にさせる。
もし、日蓮大聖人が釈尊の弟子・遣いならば、「申して」ではなく、「祈念して」とか、「祈願して」とかとの表現にならなければ、非礼であろう。
つまり、日蓮大聖人が教主本仏で釈尊が垂迹仏であることの標示。

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■ 設(たと)ひ殿の罪ふかくして地獄に入り給はヾ、日蓮をいかに仏になれと釈迦仏こしら(誘)へさせ給ふとも、用ひまいらせ候べからず。同じく地獄なるべし。日蓮と殿と共に地獄に入るならば、釈迦仏・法華経も地獄にこそをはしまさずらめ。(崇峻天皇御書  建治三年九月一一日  五六歳 1173 身延曾存 内)

釈尊から成仏を許され誘われてもそれを拒否し、四条金吾と共に地獄へ行くと。
しかも日蓮大聖人と金吾殿が地獄へ行けば釈迦も、法華経も地獄へ共に行かれる。と。
これ、まさに日蓮大聖人が 主 で釈尊が 従 であることの暗喩ではないか。 

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■ 日蓮が二度の流罪、結句(けっく)は頚(くび)に及びしは、釈迦・多宝(たほう)・十方(じっぽう)の諸仏の御頚を切らんとする人ぞかし。(妙一女御返事 弘安三年七月一四日 五九歳 1488 内)

日蓮大聖人の頚を切ることは釈迦・多宝如来。十方の諸仏の頚を切ることになる。とはどういうことか。
まさに、日蓮大聖人即仏とのご表明ではないか。

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■ 抑(そもそも)此の法華経を開いて拝見仕(つかまつ)り候へば「如来則ち、衣を以て之を覆ひたもふ為(べ)し。又、他方の現在の諸仏に護念せらるゝことを為(え)ん」等云云。
経文の心は東西南北八方、並びに三千大千世界の外、四百万億那由他の国土に十方の諸仏ぞくぞくと充満せさせ給ふ。
天には星の如く、地には稲麻(とうま)のやうに並居(なみい)させ給ひ、法華経の行者を守護せさせ給ふ事、譬へば大王の太子を諸の臣下の守護するが如し。
但四天王一類のまぼ(守)り給はん事のかたじけなく候に、一切の四天王・一切の星宿・一切の日月・帝釈(たいしゃく)・梵天(ぼんてん)等の守護せさせ給ふに足るべき事なり。
其の上一切の二乗・一切の菩薩・兜卒(とそつ)内院の弥勒菩薩(みろくぼさつ)・迦羅陀(からだ)山の地蔵・補陀落(ふだらく)山の観世音・清凉(しょうりょう)山の文殊師利(もんじゅしり)菩薩等、各々眷属を具足して法華経の行者を守護せさせ給ふに足るべき事に候に、
又かたじけなくも釈迦・多宝・十方の諸仏のて(手)づからみづ(自)から来たり給ひて、昼夜十二時に守らせ給はん事のかたじけなさ申す計りなし。(上野殿母尼御前御返事   弘安三年一〇月二四日  五九歳 1510 真蹟 蒲郡 長存寺他二箇所)

よく拝すれば、釈尊が末法の法華経の行者を護る、とは、釈尊が末法の法華経の行者の家臣ということではないか。

参照
妙法蓮華経法師品第十

薬王、当に知るべし。如来の滅後に、其れ能く書持し、読誦し、供養し、他人の為に説かん者は、如来則ち、衣を以て之を覆いたもう為(べ)し。
又、他方の現在の諸仏に護念せらるることを為(え)ん。
是の人は大信力、及び志願力、諸善根力有らん。当に知るべし、是の人は如来と共に宿するなり。
則ち如来の手をもって、其の頭を摩でたもうを為(え)ん。
薬王、在在処処に、若しは説き、若しは読み、若しは誦し、若しは書き、若しは経巻所住の処には、皆応に七宝の塔を起てて、極めて高広厳飾ならしむべし。復舎利を安んずることを須いず。

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■ 天竺国をば月氏国と申す、仏の出現し給ふべき名なり。扶桑国(ふそうこく)をば日本国と申す、あに聖人出で給はざらむ。月は西より東に向へり、月氏の仏法、東へ流るべき相なり。日は東より出づ、日本の仏法、月氏へかへるべき瑞相(ずいそう)なり。月は光あきらかならず、在世は但八年なり。日は光明月に勝(まさ)れり、五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり。仏は法華経謗法の者を治し給はず、在世には無きゆへに。末法には一乗の強敵(ごうてき)充満すべし、不軽菩薩の利益此なり。(諌暁八幡抄 弘安三年一二月 五九歳 末文 1543 大石寺 身延曾存 内)

この御文には、釈尊が迹仏であり、末法出現の日蓮大聖人こそ、釈尊を仏に成した久遠本仏であることを明確にお示しである。

� 月は自ら光を発していない。太陽に光を反射して光っているだけ。→ これまさに、久遠本仏=太陽 垂迹仏=久遠実成の釈尊 を標示
� 月の光は太陽より弱い 釈尊より上行菩薩(内証 末法の御本仏)の方が力量が勝れている標示
� 衆生を救う期間 在世はただ8年 末法は万年 釈尊より末法出現の仏の方が勝れている
� 釈尊は法華経誹謗の者を救えない 釈尊在世は熟・脱の機根であるから、そもそも逆縁の法華経誹謗の者がいない。
末法は本未有善・下種の機根であるから、逆縁である法華経誹謗の強敵が充満
順逆共に救えるのが末法の仏 明らかに釈尊より力量が勝っている。  

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妙法蓮華経法師品第十 全文

応に如来の供養を以て、之を供養すべし。
当に知るべし、此の人は是れ大菩薩の阿耨多羅三藐三菩提を成就して、衆生を哀愍し、願って此の間に生れ、広く妙法華経を演べ分別するなり。
是の人は自ら清浄の業報を捨てて、我が滅度の後に於て、衆生を愍れむが故に悪世に生れて、広く此の経を演ぶるなり。
若し悪人有って、不善の心を以て、一劫の中に於て、現に仏前に於て、常に仏を毀罵せん、其の罪尚軽し。若し人一の悪言を以て、在家出家の法華経を読誦する者を毀呰せん、其の罪甚だ重し。
其れ法華経を読誦すること有らん者は、当に知るべし。是の人は仏の荘厳を以て、自ら荘厳するなり。
則ち如来の肩に荷担せらるるを為ん。
其の所至の方には、応に随って向い礼すべし。
一心に合掌して、恭敬供養、尊重讃歎し、華香、瓔珞、抹香、塗香、焼香、�鏗検�馮─�疉�∈菫靴鬚發辰討掘⊇瑤隆豎擇鮑遒掘⊃傭罎両絛,鬚發辰董�靴魘〕椶擦茵��実匸 応に天の宝を持って、以て之を散ずべし。天上の宝聚、応に以て奉献すべし。所以は何ん。是の人歓喜して法を説かんに、須臾も之を聞かば、即ち阿耨多羅三藐三菩提を究竟することを得んが故なり。
若し仏道に住して 自然智を成就せんと欲せば
常に当に勤めて 法華を受持せん者を供養すべし
其れ疾く 一切種智慧を得んと欲すること有らんは
当に是の経を受持し 并びに持者を供養すべし
吾が滅後の悪世に 能く是の経を持たん者をば当に含掌し礼敬して 世尊に供養するが如くすべし

若し一劫の中に於て 常に不善の心を懐いて色を作して仏を罵らんは 無量の重罪を獲ん
其れ 是の法華経を読誦し持つこと有らん者に須臾も悪言を加えんは 其の罪復彼に過ぎん

人有って仏道を求めて 一劫の中に於て合掌し我が前に在って 無数の偈を以て讃めん 是の讃仏に由るが故に 無量の功徳を得ん
持経者を歎美せんは 其の福復彼に過ぎん

如来の滅後に、其れ能く書持し、読誦し、供養し、他人の為に説かん者は、如来則ち、衣を以て之を覆いたもう為し。
若し我が滅度の後に 能く此の経を説かん者には我化の四衆 比丘比丘尼及び清信の士女を遣して 法師を供養せしめ
諸の衆生を引導して 之を集めて法を聴かしめんに若し人悪 刀杖及び瓦石を加えんと欲せば則ち変化の人を遣して 之が為に衛護と作さん



爾の時に世尊、薬王菩薩に因せて、八万の大士に告げたまわく、
薬王、汝是の大衆の中の、無量の諸天、龍王、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩?羅伽、人と非人と、及び比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の、声聞を求むる者、辟支仏を求むる者、仏道を求むる者を見るや。
是の如き等類、咸く仏前に於て、妙法華経の、一偈一句を聞いて、乃至一念も随喜せん者には、我皆記を与え授く。当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。
318下-01 
319下-01
仏、薬王に告げたまわく、
又、如来の滅度の後に、若し人有って、妙法華経の、乃至一偈一句を聞いて、一念も随喜せん者には、我亦、阿耨多羅三藐三菩提の記を与え授く。
若し復人有って、妙法華経の、乃至一偈を受持、読、誦、解説、書写し、此の経巻に於て、敬い視ること仏の如くにして、種種に華香、瓔珞、抹香、塗香、焼香、�鏗検�馮─�疉��豎擇魘〕椶掘�技蟾臂原碍匹擦鵝��実匸 薬王、当に知るべし。是の諸人等は、已に曽て十万億の仏を供養し、諸仏の所に於て、大願を成就して、衆生を愍れむが故に、此の人間に生ずるなり。
薬王、若し人有って、何等の衆生か未来世に於て、当に作仏することを得べきと問わば、応に示すべし。
320下-02
是の諸人等は、未来世に於て、必ず作仏することを得ん。何を以ての故に、若し善男子、善女人、法華経の、乃至一句に於ても、受持、読、誦、解説、書写し、種種に経巻に、華香、瓔珞、抹香、塗香、焼香、�鏗検�馮─�疉��豎擇魘〕椶掘�臂原碍匹擦鵝�Г凌佑楼貔收ご屬痢��魔殃瑤垢戮�蠅覆蝓��質�瘢綵�ぢ応に如来の">応に如来の供養を以て、之を供養すべし。
当に知るべし、此の人は是れ大菩薩の阿耨多羅三藐三菩提を成就して、衆生を哀愍し、願って此の間に生れ、広く妙法華経を演べ分別するなり。
何に況んや、尽して能く受持し、種種に供養せん者をや。
320下-12
薬王、当に知るべし。是の人は自ら清浄の業報を捨てて、我が滅度の後に於て、衆生を愍れむが故に悪世に生れて、広く此の経を演ぶるなり。
若し是の善男子、善女人、我が滅度の後、能く竊に一人の為にも、法華経の、乃至一句を説かん。当に知るべし、是の人は則ち如来の使なり。如来の所遣として、如来の事を行ずるなり。何に況んや、大衆の中に於て、広く人の為に説かんをや。
薬王、若し悪人有って、不善の心を以て、一劫の中に於て、現に仏前に於て、常に仏を毀罵せん、其の罪尚軽し。若し人一の悪言を以て、在家出家の法華経を読誦する者を毀呰せん、其の罪甚だ重し。
321下-12
薬王、其れ法華経を読誦すること有らん者は、当に知るべし。是の人は仏の荘厳を以て、自ら荘厳するなり。
則ち如来の肩に荷担せらるるを為ん。
其の所至の方には、応に随って向い礼すべし。
一心に合掌して、恭敬供養、尊重讃歎し、華香、瓔珞、抹香、塗香、焼香、�鏗検�馮─�疉�∈菫靴鬚發辰討掘⊇瑤隆豎擇鮑遒掘⊃傭罎両絛,鬚發辰董�靴魘〕椶擦茵��実匸 応に天の宝を持って、以て之を散ずべし。天上の宝聚、応に以て奉献すべし。所以は何ん。是の人歓喜して法を説かんに、須臾も之を聞かば、即ち阿耨多羅三藐三菩提を究竟することを得んが故なり。

爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
322下-12
若し仏道に住して 自然智を成就せんと欲せば
常に当に勤めて 法華を受持せん者を供養すべし

其れ疾く 一切種智慧を得んと欲すること有らんは
当に是の経を受持し 并びに持者を供養すべし

若し能く 妙法華経を受持すること有らん者は
当に知るべし仏の所使として 諸の衆生を愍念するなり
諸の能く 妙法華経を受持すること有らん者は
清浄の土を捨てて 衆を愍れむが故に此に生ずるなり
当に知るべし是の如き人は 生ぜんと欲する所に自在なれば
能く此の悪世に於て 広く無上の法を説くなり
応に天の華香 及び天の宝衣服
天上の妙宝聚を以て 説法者に供養すべし
吾が滅後の悪世に 能く是の経を持たん者をば
324下-01
当に含掌し礼敬して 世尊に供養するが如くすべし

上饌の衆の甘美 及び種種の衣服をもって
是の仏子に供養して 須臾も聞くことを得んと冀うべし
若し能く後の世に於て 是の経を受持せん者は
我遣して人中に在らしめて 如来の事を行ぜしむるなり
若し一劫の中に於て 常に不善の心を懐いて
色を作して仏を罵らんは 無量の重罪を獲ん
其れ 是の法華経を読誦し持つこと有らん者に
須臾も悪言を加えんは 其の罪復彼に過ぎん

人有って仏道を求めて 一劫の中に於て
合掌し我が前に在って 無数の偈を以て讃めん
是の讃仏に由るが故に 無量の功徳を得ん
325下-01
持経者を歎美せんは 其の福復彼に過ぎん

八十億劫に於て 最妙の色声
及与香味触を以て 持経者に供養せよ

是の如く供養し已って 若し須臾も聞くことを得ば
則ち応に自ら欣慶すべし 我今大利を獲つと
薬王今汝に告ぐ 我が所説の諸経
而も此の経の中に於て 法華最も第一なり

爾の時に仏、復、薬王菩薩摩訶薩に告げたまわく、
我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於て、此の法華経、最も為れ難信難解なり。
薬王、此の経は、是れ諸仏の秘要の蔵なり。分布して、妄りに人に授与すべからず。
諸仏世尊の守護したもう所なり。昔より已来、未だ曾て顕説せず。而も此の経は、如来の現在すら、猶怨嫉多し。況んや滅度の後をや。
326下-03
薬王、当に知るべし。
如来の滅後に、其れ能く書持し、読誦し、供養し、他人の為に説かん者は、如来則ち、衣を以て之を覆いたもう為し。
又、他方の現在の諸仏に護念せらるることを為ん。是の人は大信力、及び志願力、諸善根力有らん。当に知るべし、是の人は如来と共に宿するなり。則ち如来の手をもって、其の頭を摩でたもうを為ん。
薬王、在在処処に、若しは説き、若しは読み、若しは誦し、若しは書き、若しは経巻所住の処には、皆応に七宝の塔を起てて、極めて高広厳飾ならしむべし。復舎利を安んずることを須いず。
327下-01
所以は何ん。此の中には、已に如来の全身有す。
此の塔をば応に、一切の華香瓔珞、�鏗菰馮─�豎擴齢鵑魄覆董�〕楸碍匹掘�砂纏消靴靴燭討泙弔襪戮掘��実匸 実�ぢ若し人有って、此の塔を見たてまつることを得て、礼拝し供養せんに、当に知るべし、是等は皆、阿耨多羅三藐三菩提に近づきぬ。
薬王、多く人有って、在家出家の、菩薩の道を行ぜんに、若し是の法華経を見聞読誦し、書持供養すること得ること能わずんば、当に知るべし、是の人は未だ善く菩薩の道を行ぜざるなり。
若し是の経典を聞くこと得ること有らん者は、乃ち能善く菩薩の道を行ずるなり。
其れ衆生の、仏道を求むる者有って、是の法華経を、若しは見、若しは聞き、聞き已って信解し、受持せば、当に知るベし、是の人は阿耨多羅三藐三菩提に近づくことを得たり。
328下-02
薬王、譬えば人有って、渇乏して水を須めんとして、彼の高原に於て、穿鑿して之を求むるに、猶乾ける土を見ては、水尚遠しと知る。
功を施すこと已まずして、転湿える土を見、遂に漸く泥に至りぬれば、其の心決定して、水必ず近しと知らんが如く、菩薩も亦復是の如し。
若し是の法華経を未だ聞かず、未だ解せず、未だ修習すること能わずんば、当に知るべし、是の人は阿耨多羅三藐三菩提を去ること尚遠し。
若し聞解し、思惟し、修習することを得ば、必ず阿耨多羅三藐三菩提に近づくことを得たりと知れ。
所以は何ん。一切の菩薩の阿耨多羅三藐三菩提は、皆此の経に属せり。
此の経は、方便の門を開いて真実の相を示す。
是の法華経の蔵は深固幽遠にして、人の能く到る無し。今仏、菩薩を教化し成就して、為に開示す。
329下-03
薬王、若し菩薩有って、是の法華経を聞いて驚疑し怖畏せん。当に知るべし、是を新発意の菩薩と為づく。
若し声聞の人、是の経を聞いて驚疑し怖畏せん。当に知るべし、是を増上慢の者と為づく。

薬王、若し善男子、善女人有って、如来の滅後に、四衆の為に、是の法華経を説かんと欲せば、云何が応に説くべき。
是の善男子、善女人は、如来の室に入り、如来の衣を著、如来の座に坐して、爾して乃し四衆の為に広く斯の経を説くべし。
如来の室とは、一切衆生の中の大慈悲心是なり。
如来の衣とは柔和忍辱の心是なり。
如来の座とは一切法空是なり。
是の中に安住して、然して後に不懈怠の心を以て、諸の菩薩、及び四衆の為に、広く是の法華経を説くべし。
330下-03
薬王、我余国に於て、化人を遣して、其れが為に聴法の衆を集め、亦、化の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷を遣して、其の説法を聴かしめん。
是の諸の化人、法を聞いて信受し、随順して逆わじ。
若し説法者、空閑の処に在らば、我時に広く天、龍、鬼神、乾闥婆、阿修羅等を遣して、其の説法を聴かしめん。
我異国に在りと雖も、時時に説法者をして、我が身を見ることを得せしめん。
若し此の経に於て、句逗を忘失せば、我還って為に説いて、具足することを得せしめん。

爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
331下-02
諸の懈怠を捨てんと欲せば 応当に此の経を聴くべし
是の経は聞くこと得難し 信受する者亦難し
人の渇して水を須めんとして 高原を穿鑿するに
猶乾燥ける土を見ては 水を去ること尚遠しと知る
漸く湿える土泥を見ては 決定して水に近づきぬと知らんが如し
薬王汝当に知るべし 是の如き諸人等
法華経を聞かずんば 仏智を去ること甚だ遠し

若し是の深経の 声聞の法を決了する
是れ諸経の王なるを聞き 聞き已って諦かに思惟せん
当に知るべし此の人等は 仏の智慧に近づきぬ
若し人此の経を説かば 応に如来の室に入り
332下-01
如来の衣を著 而も如来の座に坐して
衆に処して畏るる所無く 広く為に分別して説くべし
大慈悲を室と為し 柔和忍辱を衣とし
諸法空を座と為す 此に処して為に法を説け
若し此の経を説かん時 人有って悪口し罵り
刀杖瓦石を加うとも 仏を念ずるが故に応に忍ぶべし

我千万億の土に 浄堅固の身を現じて
無量億劫に於て 衆生の為に法を説く
若し我が滅度の後に 能く此の経を説かん者には
我化の四衆 比丘比丘尼
及び清信の士女を遣して 法師を供養せしめ
諸の衆生を引導して 之を集めて法を聴かしめんに
333下-01
若し人悪 刀杖及び瓦石を加えんと欲せば
則ち変化の人を遣して 之が為に衛護と作さん

若し説法の人 独空閑の処に在って
寂漠として人の声無からんに 此の経典を読誦せば
我爾の時に為に 清浄光明の身を現ぜん
若し章句を忘失せば 為に説いて通利せしめん
若し人是の徳を具して 或は四衆の為に説き
空処にして経を読誦せば 皆我が身を見ることを得ん

若し人空閑に在らば 我天龍王
夜叉鬼神等を遺して 為に聴法の衆と作さん
是の人法を楽説し 分別して?礙無からん
諸仏護念したもうが故に 能く大衆をして喜ばしめん

334下-01
若し法師に親近せば 速かに菩薩の道を得
是の師に随順して学せば 恒沙の仏を見たてまつることを得ん

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法師品全体が、よくよく拝すれば末法の法華経の行者は即本仏であることを示していることに気付く。

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二箇相承が曾存であったことは歴史的事実である。

日蓮一期弘法付嘱書    弘安五年九月  六一歳
 日蓮一期(いちご)の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり。
弘安五年壬 九月 日 日蓮花押 
    血脈の次第 日蓮日興 (日蓮一期弘法付嘱書 弘安五年九月 六一歳 1675) 

身延山付嘱書    弘安五年一〇月一三日  六一歳
 釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。
  弘安五年壬午十月十三日   武州 池上   日蓮花押 1675

証明 

二箇相承否定の邪義を破す
  山口範道師 http://toyoda.tv/nika.htm

二箇相承への疑難を破す   高橋粛道師 http://toyoda.tv/nikasojo.htm

日興上人が日蓮大聖人の仏法の全てを相承されたことを認めなければならない。

とすれば、日興上人にのみ伝持・相伝された「相伝書」が存在することは何ら不思議ではない。
相伝書であるが故に、当然不相伝の輩の全く知る能わざる書である。
それが後に相伝家に伝持されていくうちに徐々に有縁の他門にも伝播されていき、後に成文化されたものが世に現れる。
こういった経緯を辿ったであろうことは容易に推測できる。
が故に、「上古には全く知られていなかった」と言う理由で偽書扱いすることは実に浅薄な偏断である。

因みに、過去から現在まで数々の御書全集など刊行されているが、その中で、大聖人から日興上人宛の御書は極めて少ない。
しかし、日蓮大聖人の仏法は全て日興上人へ付嘱・相伝されている。。。
このことは何を意味するのか。
つまり、日蓮大聖人の仏法の奥義は、全て唯授一人・血脈相承の付嘱・相伝によって伝持され護持されているということで、刊行されている御書に大聖人の仏法の全てが説かれている、と考えるのは間違いである、ということである。)

その上で以下、相伝書に於ける「日蓮大聖人=久遠元初の御本仏」とお示しの箇所を拝していく。

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本因妙抄

■ 仏は熟脱の教主、某は下種の法主なり。
彼の一品二半は舎利弗等の為には観心たり、我等凡夫の為には教相たり。
理即但妄の凡夫の為の観心は、余行に渡らざる南無妙法蓮華経是なり。

是くの如き深義を知らざる僻人(びゃくにん)出来して、予が立義は教相辺外(はずれ)と思うべき者なり。此等は皆宿業の拙(つたな)き修因感果の至極せるなるべし。
彼の天台大師には三千人の弟子有りて章安一人朗然なり。伝教大師は三千人の衆徒を置く、義真已後は其れ無きが如し。今以て是くの如し。数輩の弟子有るべしと雖も、疑心無く正義を伝ふる者は希にして一二の小石の如し。秘すべきの法門なり。(法華本門宗血脈相承事〔本因妙抄、血脈抄〕弘安五年一〇月一一日  六一歳 1680 〔写〕第6世日時( 第22世日俊 保田妙本寺 日我)
日時上人 明徳二年(1391年 聖滅100年)本因妙抄 書写

編者(※日亨上人)曰く 日時上人(本山第五世←※第六世では?)日辰上人(要山永禄三年写)日我上人(房山 元亀三年比(ころ)等古写本(巻頭に其各写真を掲く)に依て此を写し一校を加え後加と見ゆる分には一線を引く。
而して各本に付て識語の明なるは辰師本(日尊御自筆の本にて写すとあり)とす。
以下無数の写本ありと云へども多くは三本を出でざれば校正用に足らざるなり。

順番は 下種 熟 脱  つまり、下種仏法が根本であり、最初であり、根源である。
下種の教主 = 久遠本仏 ということ。

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百六箇抄

■ 久遠元始の天上天下唯我独尊は日蓮是なり。久遠は本、今日は迹なり。三世常住の日蓮は名字の利生(りしょう)なり。 (百六箇抄 弘安三年一月一一日 五九歳 1696)
■ 本因妙の教主本門の大師日蓮謹んで之を結要(けっちょう)す。
 万年救護写瓶(しゃびょう)の弟子日興之を授与す云云。
(百六箇抄 弘安三年一月一一日 五九歳 1685)

■ 久遠名字已来本因本果の主、本地自受用報身の垂迹(すいじゃく)上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮詮要す。
(百六箇抄 弘安三年一月一一日 五九歳 1685)

■ 直達の法華は本門、唱ふる釈迦は迹なり。今日蓮が修行は久遠名字の振る舞ひに介爾(けに)計(ばか)りも違はざるなり。

■ 本因妙を本とし、今日寿量の脱益を迹とするなり。

■ 自受用身は本、上行日蓮は迹なり。我が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり。其の教主は某なり。

■ 中間・今日の仏の修行より、日蓮が修行は勝るゝ者なり。

■ 本因妙は本なり、我本行菩薩道は迹なり云云。

■ 日蓮は本因妙を本と為し、余を迹と為(す)るなり。是真実の本因本果の法門なり。

※百六箇抄が正文書であることの論証

古写本 第22世日俊上人 大石寺 日山筆 保田妙本寺  日辰筆 西山本門寺

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産湯相承事

■ 〔本門下種の口伝〕日蓮天上天下一切衆生の主君なり、父母なり、師匠なり。
今久遠下種の寿量品に云はく「今此三界皆是我有(主君の義なり) 其中衆生悉是吾子(父母の義なり) 而今此処多諸患難(国土草木) 唯我一人能為救護(師匠の義なり)」と云へり。
三世常恒(じょうごう)の日蓮は今此三界の主なり。〔仏と聖人同体の口伝〕
「日蓮大恩、以希有事(いけうじ)、憐愍教化、利益我等、無量億劫、誰能報者(すいのうほうしゃ)」なるべし。(産湯相承事 日興之を記す 1710)

■ 聖人言(のたま)はく、此の相承は日蓮嫡々一人の口決、唯授一人の秘伝なり、神妙神妙と言給(のたま)ひて留め畢んぬ。
(※秘伝・相伝書であるが故に、大聖人の仰せの如く長く他門へ秘す。日精筆 大石寺 左京日教筆・大石寺蔵 日山筆 日悦筆)

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御義口伝

■ 末法の仏とは凡夫なり。凡夫僧なり。(中略)僧とは我等行者なり。仏共云はれ、又は凡夫僧とも云はるゝなり。(御義口伝 弘安三年正月十一日 1779)

■ 此の本門の釈尊は我等衆生の事なり。

■ 我等衆生は親なり、仏は子なり。 父子一体にして本末究竟等なり。此の我等を寿量品にして無作の三身と説きたるなり。

■ 無作の三身とは末法の法華経の行者なり。無作三身の宝号を南無妙法蓮華経と云ふなり。寿量品の事の三大事とは是なり。

■ 今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は寿量品の本主なり。

■ 寿量品の教主とは我等法華の行者なり。さては我等が事なり。

■ 法華経を行ずる日蓮が弟子・檀那等の住所は、如何なる山野なりとも霊鷲山なり。行者豈釈迦仏に非ずや。日本国は耆闍崛山、日蓮等の類は釈迦如来なるべし。

■ 釈迦如来は往来娑婆八千反の御辛労にして求め玉ふ功徳なり。さて今の釈迦牟尼仏と成り玉へり。法華経の行者は求めずして此の功徳を受得せり。

■ 今日蓮が唱ふる処の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり。豈(あに)今者已満足に非ずや。

■ 御義口伝に云はく、当来世とは末法なり、悪人とは法然・弘法・慈覚・智証等なり、仏とは日蓮等の類なり、一乗とは妙法蓮華経なり。

■ 従仏とは日蓮に従ふ類等の事なり

■ 今日蓮は日本国の一切衆生の父なり。

■ 日本国の一切衆生は子の如く、日蓮は父の如し。

■ 今日蓮等の類(たぐい)の心は、無上とは南無妙法蓮華経、無上の中の極無上なり。此の妙法を指して無上宝聚と説き玉ふなり。宝聚とは、三世の諸仏の万行万善諸波羅蜜(しょはらみつ)の宝を聚(あつ)めたる南無妙法蓮華経なり。此の無上宝聚を辛労(しんろう)も無く行功も無く一言に受け取るは信心なり。不求自得とは是なり。

■ 今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は、三世の諸仏の父母にして其祖転輪聖王なり。

■ 此の無作の三身をば一字を以て得たり。所謂信の一字なり。

■ 無作の三身当体蓮華仏とは日蓮が弟子檀那等なり。

■ 第十一 自我得仏来の事
 御義口伝に云はく、一句三身の習(なら)ひの文と云ふなり。自とは九界なり、我とは仏界なり、此の十界は本有無作の三身にして来たる仏なりと云へり。自も我も得たる仏来たれり。十界本有の明文なり。我は法身、仏は報身、来は応身なり。
此の三身無始無終の古仏にして自得なり。無上宝珠(むじょうほうじゅ)不求自得(ふぐじとく)之を思ふべし。然れば則ち顕本遠寿(けんぽんおんじゅ)の説は永く諸教に絶えたり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るは自我得仏来の行者なり云云。

■ 第十三 常住此説法の事
 御義口伝に云はく、常住とは法華経の行者の住処なり、此とは娑婆世界なり、山谷曠野(せんごくこうや)を指して此とは説き玉ふ。説法とは一切衆生の語言(ごごん)の音声(おんじょう)、本有の自受用智(じしゅゆうち)の説法なり、末法に入っては説法とは南無妙法蓮華経云云。今日蓮等の類の説法是なり。

■ 第十四 時我及衆僧 倶出霊鷲山の事
 御義口伝に云はく、霊山一会儼然未散(げんねんみさん)の文なり。時とは感応(かんのう)末法の時なり、我とは釈尊、及とは菩薩、聖衆を衆僧と説かれたり。倶とは十界なり、霊鷲山(りょうじゅせん)とは寂光土なり。時に我も及も衆僧も倶に霊鷲山に出づるなり。秘すべし秘すべし。仍って事の一念三千の明文なり。御本尊は此の文を顕はし出だし玉ふなり。されば倶とは不変真如の理なり、出とは随縁真如の智なり。倶とは一念なり、出とは三千なり云云。又云はく、時とは本時娑婆世界の時なり。下は十界宛然(おんねん)の曼陀羅を顕はす文なり。其の故は時とは末法第五時の時なり。我とは釈尊、及は菩薩、衆僧は二乗、倶とは六道なり。出とは霊山浄土に列出するなり。霊山とは御本尊なり。今日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉る者の住処を説くなり云云。

■ 今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は一切衆生の父なり。無間地獄(むけんじごく)の苦を救ふ故なり云云。涅槃経に云はく「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是如来一人の苦なり」云云。日蓮が云はく、一切衆生の異の苦を受くるは悉く是日蓮一人の苦なるべし。

■ 第二十 得入無上道等の事
 御義口伝に云はく、無上道とは寿量品の無作の三身なり。此の外に成就仏身之(これ)無し。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は成就仏身疑ひ無きなり云云。

■ 第廿二 自我偈始終(しじゅう)の事
 御義口伝に云はく、自とは始めなり、速成就仏身の身とは終はりなり、始終自身なり。中の文字は受用なり。仍(よ)って自我偈は自受用身なり。法界を自身と開き、法界自受用身なれば自我偈に非ずと云ふ事無し。自受用身(ほしいままにうけもちいるみ)とは一念三千なり。伝教の云はく、一念三千即自受用身、自受用身とは尊形を出でたる仏と。出尊形仏(しゅっそんぎょうぶつ)とは無作の三身と云ふ事なり云云。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者是なり云云。

■ 第廿三 久遠の事
 御義口伝に云はく、此の品の所詮は久遠実成(くおんじつじょう)なり。
久遠とははたらかさず、つくろはず、もとの儘(まま)と云ふ義なり。無作の三身なれば初めて成ぜず、是動(はたら)かさゞるなり。三十二相八十種好を具足せず、是繕(つくろ)はざるなり。本有常住の仏なれば本の儘なり。是を久遠と云ふなり。久遠とは南無妙法蓮華経なり。実成(まことにひらけたり)、無作と開けたるなり云云。

※ 久遠実成 と示されてその実は久遠元初の無作三身如来の御事を仰せである。
単純に「釈尊五百塵点劫の久遠実成」と混同してはならない、ということである。
御書全編通して、この「久遠実成」の用法に注意が必要である。

■ 第廿五 建立(こんりゅう)御本尊等の事
 御義口伝に云はく、此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり。戒定慧の三学、寿量品の事の三大秘法是(これ)なり。日蓮慥(たし)かに霊山に於て面授口決(めんじゅくけつ)せしなり。本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云。

■ 第廿七 無作(むさ)三身の事 種子尊形三摩耶
 御義口伝に云はく、尊形(そんぎょう)とは十界本有の形像(ぎょうぞう)なり、三摩耶(さんまや)とは十界所持の物なり、種子とは信の一字なり。所謂(いわゆる)南無妙法蓮華経是なり。種とは妙法なり、子とは三世の諸仏なり、広くは十界の衆生なり、尊形とは本有の体を改めざるを云ふなり。三摩耶とは合掌なり、秘すべし云云。

■ 此の妙法蓮華経は釈尊の妙法には非ず。既に此の品の時上行菩薩に付嘱し玉ふ故なり。

■ 如来とは本法不思議の如来なれば、此の法華経の行者を指すべきなり。

■ 当起遠迎とは必ず仏の如く法華経の行者を敬ふべしと云ふ経文なり。

■ 今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者を無作の三身覚前の実仏と云ふなり

■ 今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は無作三身の本主なり

■ 無始の色心は本(もと)是(これ)理性の妙境妙智なれば、己心より外に実相を求むべからず。所謂南無妙法蓮華経は不求自得なり。

■ 仏とは我が一身なり。是又十界三千の心なり。

■ 一 涌出品
 御義口伝に云はく、此の品は迹門流通の後本門開顕の序分なり。故に先づ本地無作の三身を顕はさんが為に、釈尊所具の菩薩界本化の弟子を召すなり。

■ 無作三身の如来の寿も分別功徳も随喜も、我が身の上の事なり。

■ 一 序品の事

 此の事は教主釈尊法華経を説き玉はんとて、先づ瑞相の顕はれたる事を云ふなり。今末法に入りて南無妙法蓮華経の顕はれたまふべき瑞相なれば、彼には百千万倍勝るべきなり。其の故は雨は竜の大小により、蓮華は池の浅深に随って其の色不同なるが如くなるべし云云。(御義口伝)

■ 法華経の行者の心中をば教主釈尊御存知有るべきなり。(御義口伝 1762)

■ 
※御義口伝が正文書であることの論証

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主師親三徳具備

■ ひとり三徳をかねて恩ふかき仏は釈迦一仏にかぎ(限)りたてまつる。
親も親にこそよれ釈尊ほどの親、師も師にこそよれ、主も主にこそよれ、釈尊ほどの師主はあ(有)りがた(難)くこそはべれ。
この親と師と主との仰せをそむ(背)かんもの天神地祇(てんじんちぎ)にすて(捨)られたてまつらざらんや、不孝第一の者なり。(南条兵衛七郎殿御書   文永元年一二一三日  四三歳 真蹟)

■ 仏は閻浮第一の賢王・聖師・賢父なり。
されば四十余年の経々につきて法華経へうつ(移)らず、又うつれる人々も彼の経々をすてゝうつ(移)らざるは、三徳を備へたる親父の仰(おお)せを用ひざる人、天地の中にす(住)むべき者にはあらず。この不孝の人の住処を経の次下に定めて云はく「若し人信ぜず、乃至其の人命終して阿鼻獄(あびごく)に入らん」等云云。設ひ法華経をそしらずとも、うつり付かざらむ人々、不孝の失(とが)疑ひなかるべし。不孝の者は又悪道疑ひなし。故に仏は「入阿鼻獄」と定め給ひぬ。(法門申さるべき様の事   文永七年一二月  四九歳 真蹟)

■ 抑(そもそも)釈尊は我等がためには賢父たる上、明師なり聖主なり。一身に三徳を備へ給へる仏の仏眼(ぶつげん)を以て、未来悪世を鑑(かんが)み給ひて云々(下山御消息  建治三年六月  五六歳 真蹟)



釈尊=三徳具備=仏 出世の本懐である法華経に背けは堕地獄
日蓮大聖人=三徳具備=仏 出世の本懐である十界文字曼荼羅御本尊に背けば堕地獄

■ 夫(それ)仏は一切衆生に於て主師親の徳有り。(蓮盛抄 建長七年三四歳 28 外)

↑仏には一切衆生にとって「主・師・親」との三徳が具備されている。

■ 主師親たる教主釈尊(念仏無間地獄抄 建長七年 三四歳 39 外)

↑教主釈尊=仏 は「主・師・親」三得兼備である。

■ 教主釈尊は娑婆世界の衆生には主師親の三徳を備へて大恩の仏にて御坐(おわ)します。(念仏無間地獄抄 建長七年 三四歳 39 外)

↑ 同意

■ 仏は閻浮第一の賢王・聖師・賢父なり。(法門申さるべき様の事 文永七年一二月 四九歳 428 真蹟 中山法華経寺 内)

■ 夫(それ)一切衆生の尊敬(そんぎょう)すべき者三つあり。所謂(いわゆる)、主・師・親これなり。(開目抄 文永九年二月 五一歳 523 身延曾存 内)

↑ 一切衆生は「主・師・親」三得を具備されている方=仏を尊敬しなければならない。

開目抄冒頭

■ 夫(それ)一切衆生の尊敬(そんぎょう)すべき者三つあり。所謂(いわゆる)、主・師・親これなり。

と標示され、その最後の結論として、

■ 日蓮は日本国の諸人に主師父母なり。(開目抄 文永九年二月 五一歳 577 身延曾存 内)

と仰せなのだから、まさに、日蓮を一切衆生は尊敬しなさい。つまりは仏である。といわれていること明白。
が故に、開目抄が「当身の大事」と言われるのである。

↑ 日蓮は日本国万人にとって「主・師・親」兼備である。
(ここは「日本国」との標示は、一往大聖人御在世の鎌倉時代に約して「日本国」とお示しであるが、再往、事相の広宣流布の時代相に約せば 「万国・万民・一閻浮提」との意義を摂せられておられる。)
つまり、日蓮は日本国万民乃至一閻浮提全人類にとっての「主・師・親」三得兼備である。
= 末法の「仏」である。 との意。

参照

妙法蓮華経薬王菩薩本事品第二十三
■ 我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん。

法華経には後の五百歳(=釈尊滅後2000年〜2500年の間)に、上行菩薩が出現して一閻浮提(=全世界)に法華経が広宣流布する。と予言されている。
大聖人はその主体者である上行菩薩の再誕であることは随所にお示しである。
ということは、「日本国」と御標示でもその含意には「一閻浮提=全世界」との義であることは、道理として明白である。


★「「日本」はあくまで「日本」だけの意味だ。」と固執する者に。

参照

■ 天台釈して云はく「明者は其の理を貴び、暗者は其の文を守る」文。釈の心はあきらかなる者は道理をたっとび、くらき者は文をまもると会(え)せられて侍べり。(女人往生抄 文永二年 四四歳 341)


■ この親と師と主との仰せをそむ(背)かんもの天神地祇(てんじんちぎ)にすて(捨)られたてまつらざらんや、不孝第一の者なり。(南条兵衛七郎殿御書 文永元年一二一三日 四三歳 322 真蹟 神奈川 由井家 他十箇所 〔写〕日興上人筆 北山本門寺 )

この御文は一往は釈尊についての御指南であるが、再往、末法に約して言えば、主・師・親三徳具備の日蓮大聖人に背く者は、諸天の加護がない。との意義と拝せられる。

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日寛上人 開目抄愚記

一、したしき父母なり文。(二三七�)
  異本に云く「しうし父母なり」等云云。今謂く、異本最も然るべきなり。
  一には当抄の大意に准ずる故に。謂く、既に巻の首に於て主師親の三徳を標し、巻の中に至って広く脱益の三徳を明かして下種の三徳を知らしむ。故に今、巻尾に至って応に三徳を挙げてこれを結すべきが故に。
  
 二には諸抄の例文に准ずる故に。謂く、当文の引証に既に「彼が為に悪を除くは即ち是れ皆この文を引いて三徳を明かす故に。
撰時抄上二十に云く「章安大師云く『彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり』等云云、されば日蓮は当帝の父母・念仏者・禅衆・真言師が師範なり又主君なり」と云云。

  真言諸宗違目抄十七十一に云く「日蓮は日本国の人の為には賢父なり聖親なり導師なり乃至日蓮既に日本国の王臣等の為には『為彼除悪即是彼親』に当たれり」等云云。
  下山抄二十六三十七もこれに同じ。故に異本を正と為すべきなり。
若し現本に准ぜば、只これ父母を挙げて即ち師・主を摂するなり。賢父・聖親は即ち主なり、即ち師なるが故なり。

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日寛上人の御指南から会通。

日寛上人時代、現本は、「したしき父母なり」 と訓じていたということである。
異本にこの「しうし父母なり」とあったと。
そして日寛上人はこれを「主師父母なり」と読むべきであると御指南されている。
他門では「しうし」を「終始」と読む説も有る。

しかし、この箇所は必ず「主師父母」と読むべき道理を挙げられている。

その理由

第一 この開目抄の大旨とは、末法の衆生にとっての真の「主師親」とは誰なのか。を示すところにある。
そこで冒頭で、
■ 夫(それ)一切衆生の尊敬(そんぎょう)すべき者三つあり。所謂(いわゆる)、主・師・親これなり。

と、主師親の三徳を具備された方を、我々衆生は尊信し敬わなければならない。と明確に示されている。
この主師親の三得を具備された方は、誰かといえば、上段に既述したごとく、つまり 「仏」 である。

■ 夫(それ)仏は一切衆生に於て主師親の徳有り。(蓮盛抄 建長七年三四歳 28 外)
■ 主師親たる教主釈尊(念仏無間地獄抄 建長七年 三四歳 39 外)
■ 教主釈尊は娑婆世界の衆生には主師親の三徳を備へて大恩の仏にて御坐(おわ)します。(念仏無間地獄抄 建長七年 三四歳 39 外)

そして、開目抄では、その後、

儒家の三徳を顕わし

■ 儒家には三皇(さんこう)・五帝・三王、此等を天尊と号す。諸臣の頭目、万民の橋梁(きょうりょう)なり。

外道の三徳を顕わし、

■ 月氏の外道、三目八臂(はっぴ)の摩醯首羅天(まけいしゅらてん)・毘紐天(びちゅうてん)、此の二天をば一切衆生の慈父非母、又天尊主君と号す。

熟脱の三徳を顕わし、

■ 大覚世尊、此一切衆生の大導師・大眼目・大橋梁(きょうりょう)・大船師・大福田(ふくでん)等なり。

最後、末法下種の三徳を顕示される、という綱格に貫かれて以下の文が示されるのである。

■ 日蓮は日本国の諸人にしうし(主師)父母なり。(開目抄 文永九年二月 五一歳 577)

ここにおいて、「終始・父母」という訓じ方では、冒頭から、始中終と貫かれる、時代・教の浅深による「三徳」の御教示対して、首尾一貫しなくなるのであり、ここは「主師・父母」と読むことが文意に適っているというべきこと全編の綱格・文脈から明白である。

参照

 問う、この中(※熟脱の三徳)には但師徳を明かす。何ぞ三徳を歎ずというや。
 答う、これは儒外内の釈にして影略互顕なり。謂く、
儒の中には但主君を挙げ、余の二徳を略す、故に但諸臣の頭目、万民の棟梁というなり。
若し外道の中には主親の二徳を挙げ、師徳を略するなり。故に一切衆生の慈父・慈母・天尊・主君というなり。
 今、内典の中には、主親の二徳を略して但師徳を挙ぐるなり。
これ則ち影略互現して以て各三徳を顕すなり。
故に但師徳を挙ぐと雖も、今、意を取って三徳を歎ずというなり。学者これを思え。

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■ 法華経をひろむる者は日本の一切衆生の父母なり。章安大師云はく「彼が為に悪を除くは即ち是彼が親なり」等云云。
されば日蓮は当帝の父母、念仏者・禅衆・真言師等が師範なり、又主君なり。(撰時抄 建治元年六月一〇日  五四歳 844 真蹟 三島 妙法華寺他四箇所 身延曾存 内)

■ 釈尊は重ねて無虚妄(むこもう)の舌を色究竟(しきくきょう)に付けさせ給ひて、後五百歳に一切の仏法の滅せん時、上行菩薩に妙法蓮華経の五字をもたしめて謗法一闡提の白癩病(びゃくらいびょう)の輩の良薬とせんと、梵・帝・日・月・四天・竜神等に仰せつけられし金言虚妄なるべしや。

一切の仏法の滅せん時  白法隠没 であるから、釈迦仏法の全てである。
釈迦仏法が滅びた後に広める法とは、釈迦仏法ではない。
上行菩薩の「妙法蓮華経」とは、釈迦仏法のそれではないということ。

参照 高橋入道


★ 釈子 日蓮 について
撰時抄の冒頭に■ 釈子日蓮述 とあり、ここを以て▼「日蓮聖人は「釈尊の子」と自ら言っているではないか。だから釈尊が仏で、日蓮聖人ははあくまでその遣いと理解すべきだ。」との邪難があるであろう。

日寛上人の解釈を拝してみよう。

撰時抄愚記 日寛上人

一、釈子日蓮述ぶ文。(二五六�)
  「釈子」に四句の分別あり。
  一には身は釈子に似て、心は釈子に非ず。即ち禅 宗・念仏・真言等の沙門なり。
  二には身心倶に釈子に非ず。即ちこれ禅・念仏・ 真言等の在家の族なり。
  三には身心倶にこれ釈子なり。即ち蓮師、興師及び末弟の沙門これなり。
  四には身は釈子に非ざれども、心はこれ釈子なり。 即ち蓮・興の流れを汲む在家の輩なり。

  中に於て我が蓮祖師は身心倶に真実の釈子なり。 故に「釈子日蓮」というなり。将にこの義を明かさんとするに、略して五義を示さん。

  第一には、蓮祖はこれ本化の再誕なるが故に。
涌出品に本化の菩薩を説いて云く 「此等は是れ我が子なり。是の世界に依止す」 と文。
妙楽云く 「子、父の法を弘む。世界の益あり」 云云。
故に知んぬ、蓮祖は真実の釈子なることを。
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参照

妙法蓮華経従地涌出品第十五

阿逸汝当に知るべし 是の諸の大菩薩は
無数劫より来 仏の智慧を修習せり
悉く是れ我が所化として 大道心を発さしめたり
此等は是れ我が子なり 是の世界に依止せり

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  また当流の沙門は皆これ本化なり。何となれば本化の菩薩は久遠より已来、但本門寿量の肝心を行ずるなり。
故に下山抄に云く「久遠五百塵点劫より已来、一向に本門寿量の肝心を修行し習い給える上行菩薩」等云云。
既に門流の沙門は皆これ一向に本門寿量の肝心を行ず。
故に所行の法は全くこれ本化に同じきなり。故に即ちこれ本化なり。
上行等は昔の本化なり。門流の沙門は今の本化なり。直ちに上行等なりというには非ず。
外典に云く「彼れは古の尭・舜、此れは今の尭舜なり」等云云。これに例して知るべし。

  また当流の在家も一向に本門寿量の肝心を行ずる故に、皆これ本化なり。
若し爾らば門流の在家も出家も倶にこれ本化なり。
故に「此等は是れ我が子」の摂属にして、並びにこれ真実の釈子なり。
出家は身心倶に釈子なり。在家は心の釈子なり云云。

  第二には、蓮祖は能く法の邪正を糺したまう故に。 
会疏三二十九に云く「仏法を壊乱するは仏法中の怨なり。能く糺治する者は是れ護法の声聞、真の我が弟子なり」文。
禅宗の教外別伝、念仏宗の捨閉閣抛、真言宗の第三戯論、豈仏法を壊乱するに非ずや。
若し爾らば仏法中怨の責、何ぞ免るるを得んや。
既に仏法の中の怨敵なり。争か釈子と名づけんや。
故に真俗倶に釈子に非ず。第一、第二の句云云。

  然るに吾が蓮祖師は、横に権実の奥旨を窮め、竪に本迹の淵底を尽す。
寧ろ能く糺治する者に非ずや。若し爾らば真の「我が子」なり。故に真実の釈子なり。

  また当流の行者は、真俗倶に仰いで蓮祖の法流を信じて毫末も私立を存せず。
故に法の邪正に於ては介爾も壊乱なし。故に「真の我が弟子」、真実の釈子なり。
文中に「声聞」というは、これ大乗の声聞なり。「仏道の声を以て一切に聞かしむ」とはこれなり。故に実にこれ大菩薩なり。小乗の声聞に同じからざるなり。

  第三には、蓮祖は能く謗法を呵責したまうが故に。 
涅槃経第三二十九に云く「若し善比丘あって法を壊る者を見て置いて駈遣し、呵責し、挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し、呵責し、挙処せば是れ我が弟子、真の声聞なり」と文。

  「法を壊る者」とは、禅・念仏・真言等なり。然るに彼等が謗法を見て、置いて呵責せずんば仏法中の怨なり。譬えば朝敵を見て徒にこれを責めざるが如し。豈朝敵に異らんや。
但、吾が蓮師は専ら如来の勅命を仰ぎ、敢て身命を惜しまず、日々夜々にこれを呵責し、月々年々にこれを駈遣したまう。豈「是れ我が弟子、真の声聞」に非ずや。
故に真実の釈子なり。
若し門流の行者と雖も、謗法を呵責せずんば仏法中の怨の責、恐らくは免れ難きか。何ぞ身命を惜しんで無上道を惜しまざらんや。

  第四には、蓮祖は能くこの経を読持したまうが故に。
宝塔品に云く「能く来世に於て此の経を読持せんは 是れ真の仏子、淳善の地に住するなり」と文。 
経文に「能く来世に於て」とは即ちこれ末法なり。 「読持」とは本門の題目なり。「読」は即ちこれ行なり。「持」は即ちこれ信なり。信ずるが故にこれを持つ、もし信ぜざれば何ぞ持つべけんや。故に「持」はこれ信なり。「此の経」とは法華経なり。
法華経とは、今末法に於ては即ちこれ本門の本尊の妙法蓮華経の五字なり。これ則ち
広・略・要・の中には要の法華経なり。
文・義・意の中には意の法華経なり。
種・熟・脱の中には下種の法華経なり。
故 に知んぬ、能く末法に於て本門の本尊・妙法蓮華経をば唱え信ずる人は、即ちこれ真実の釈子なることを。故に「是れ真の仏子」というなり。

「淳善の地 に住す」とは、即ちこれ本門の戒壇なり。
凡そ、戒とは防止を義と為す。非を防ぎ悪を止むるが故なり。 「淳」とは朴なり。既に非を防ぐ、故にこれ淳なり。 
悪を止む、故にこれ「善」なり。故に戒壇の地を指して「淳善の地」というなり。
故に本門の本尊・妙法蓮華経の五字を我もこれを信行し、人にもこれを信行せしむるは、即ちこれ真実の釈子にして、本門戒壇の地に住するなり。
故に当流の弟子檀那は、これ真の仏子にして真実の釈子なり。

  第五には、蓮祖は即ちこれ本因妙の釈子なるが故に。これ内証深秘の相承なり。
「釈」とは釈尊なり。「子」とは因の義なるが故に、釈尊の本因即ちこれ日蓮なり。故に「釈子日蓮」というなり。

これ則ち 久遠名字の釈尊の御身の修行を末法今時の蓮師の御身に移し、信行全く同じきが故なり云云。
  日蓮述ぶとは日文字の相伝云云。
  分字・合字の両釈、九箇の深秘これあり。今且く之を略す。
所詮、
釈尊の童名は日種太子、蓮祖の童名は善日丸。
釈尊の果位の御名は慧日大聖尊、我が師の御名は日蓮大聖人。
国は即ち日本国、山は則ち大日蓮華山。自然の名号、不可思議なり云云。

  問う、誰人か日蓮の号を立つるや。
  答う、若し今日を論ずれば自ら日蓮と号したまうなり。もしその本を尋ぬればこれ忝くも釈尊の勅号なり。経文に分明なり。且くこれを秘す云云。

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■ 之(※諸宗が謗法であること)を明らめし導師は但日蓮一人なるのみ。
 涅槃経に云はく「若し善比丘あって法を壊(やぶ)る者を見て、置いて呵責(かしゃく)し駈遣(くけん)し挙処(こしょ)せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨(あだ)なり」等云云。
 灌頂(かんちょう)章安大師云はく「仏法を壊乱(えらん)するは仏法の中の怨なり。慈無くして詐(いつわ)り親しむは即ち是彼が怨なり。彼が為に悪を除くは即ち是彼が親なり」等云云。法然が捨閉閣抛(しゃへいかくほう)、禅家(ぜんけ)等が教外別伝、若し仏意に叶はずんば日蓮は日本国の人の為には賢父(けんぷ)なり、聖親(せいしん)なり、導師なり。之を言はざれば一切衆生の為に「慈無くして詐り親しむは即ち是彼が怨なり」の重禍(じゅうか)脱(のが)れ難し。
日蓮既に日本国の王臣等の為には「彼が為に悪を除くは即ち是彼が親なり」に当たれり。(真言諸宗違目 文永九年五月五日 五一歳 600 真蹟 中山法華経寺)

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■ 今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は一切衆生の父なり。無間地獄(むけんじごく)の苦を救ふ故なり云云。
涅槃経に云はく「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是如来一人の苦なり」云云。日蓮が云はく、一切衆生の異の苦を受くるは悉く是日蓮一人の苦なるべし。(御義口伝 1771)

(※「日蓮等の類」と複数形で説かれているが、我々は一切衆生の父などにはなり得ないし、無間地獄の苦を救えるはずもない。
つまりは、日蓮大聖人こそが、一切衆生の父 ということであり、末法の仏、ということである。
その証拠が次に続く御文である。

一切衆生の異の苦を受けるのが如来=仏
日蓮は一切衆生の異の苦を受ける
日蓮=仏 ということである。

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■ 凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり。
然れば釈迦仏は我等衆生のためには主師親の三徳を備へ給ふと思ひしにさにては候はず、返って仏に三徳をかぶ(被)らせ奉るは凡夫なり。(諸法実相抄 文永一〇年五月一七日 五二歳 665 〔写〕身延日朝筆 身延蔵)

(※"凡夫"こそが本仏?
釈迦仏に三徳具備をさせた。→ つまり成仏せしめたのは"凡夫"?

日蓮宗系ではこの御文はどう会通するのか?
この御文を正確に会通する鍵は以下の御文である。

■ 釈迦如来五百塵点劫(じんでんごう)の当初(そのかみ)、凡夫にて御坐(おわ)せし時、我が身は地水火風空なりと知(しろ)しめして即座に悟(さと)りを開きたまひき。(三世諸仏総勘文教相廃立 弘安二年一〇月 五八歳 1419 〔写〕身延日朝本 身延蔵 平11 〔刊〕内14-24 遺 縮 纂 新修 全 昭定 新定 新編 〔註〕健 書註
啓 捨 扶 平講 竜講)

(※釈尊は「我本行菩薩道」として、長遠の修行をして成道された。

■ 「我本菩薩の道を行じて、成ぜし所の寿命、今猶未だ尽きず。復上の数に倍せり。」

釈尊は昔、菩薩行をして成仏した。
仏としてそれ以降の寿命は、菩薩の修行していた期間の二倍にもなる。

ということであるから、この経文をそのまま計算しても、五百塵点劫というほとんど無限に近い長遠の時間の約半分の期間を菩薩行をされて成道された。ということになる。
だが、上記総勘文抄に示される「仏」は「即座開悟」である。
長遠な菩薩行がない。
これまさに、凡夫即極の久遠本仏・無作三身如来の文証であり、久遠実成の釈尊のことではない。
その"凡夫即極"の本仏こそが釈尊を成道せしめた久遠元初の本仏であり、その境智を明かされたのは仏教史上日蓮大聖人しかおられない。

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以下の御文もその御境智を示された御指南である。

■至理は名無し、聖人理を観じて万物に名を付くる時、因果倶時(ぐじ)・不思議の一法之(これ)有り。之を名づけて妙法蓮華と為す。
此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して欠減(けつげん)無し。之を修行する者は仏因仏果同時に之を得るなり。(当体義抄 文永一〇年 五二歳 695 〔写〕金綱集 内)

(※「此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して欠減(けつげん)無し。」この御文に、大聖人御図顕の十界文字曼荼羅御本尊の義が現れている。
日蓮宗系に散見される

中央首題だけの本尊・
各界別勧請した本尊 

などはあり得ない。
誤った本尊観・本尊義解釈である。

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※0■ 久遠とははたらかさず、つくろはず、もとの儘(まま)と云ふ義なり。
無作の三身なれば初めて成ぜず、是動(はたら)かさゞるなり。

三十二相八十種好を具足せず、是繕(つくろ)はざるなり。
本有常住の仏なれば本の儘なり。
是を久遠と云ふなり。
久遠とは南無妙法蓮華経なり。(御義口伝 1772)

(※無作の三身は長遠の修行して仏に成ったのではない。
ということは「我本行菩薩道」の結果成道した、久遠実成の釈尊のことではない。

また、釈尊は三十二相を具足していたが、久遠本仏は三十二相を具足しない。

久遠とは南無妙法蓮華経 

※1■ 仏の御意(みこころ)は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。(経王殿御返事 文永一〇年八月一五日 五二歳 685 外)

南無妙法蓮華経=日蓮

※0※1の御文をまとめると、
つまり、

久遠元初=無作三身如来=南無妙法蓮華経=日蓮 

ということになり、

日蓮大聖人こそ久遠本仏・久遠元初の無作三身如来の応誕という結論になる。

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※2■ 今、末法に入りぬれば余経も法華経もせん(詮)なし。但南無妙法蓮華経なるべし。(上野殿御返事 弘安元年四月一日 五七歳 1219 日興上人筆・大石寺 内)

更に※1※2の御文を合わせ考察すれば、

末法には有用ではなくなった法華経二十八品の教主釈尊より、末法嫡時の南無妙法蓮華経の教主日蓮が主、ということであり、ここでも、

釈尊=迹仏
日蓮=本仏

を説示されておられる。

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また、

■ 本尊とは法華経の行者の一身の当体なり(御義口伝 1773)

といわれるように、末法の本尊とは

南無妙法蓮華経=日蓮 

でなければならない。

これはまさに人法一箇の本尊ということであり、大聖人御図顕の曼荼羅御本尊の中央御首題

南無妙法蓮華経 日蓮 花押

と御表示であらせられる。

しかも、

■ 本尊とは勝れたるを用ふべし。(本尊問答抄 弘安元年九月 五七歳 1275 日興筆・北山本門寺 日源筆 岩本実相寺 内)

であるから、

南無妙法蓮華経 日蓮 花押

との日蓮大聖人御図顕の十界曼荼羅御本尊以外、いかなるものも本尊たり得ないのである。
(※日蓮大聖人以後の御本尊については、別項で論ず)

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日蓮宗系他門はこの深義を読み取れないから、
釈尊像を本尊と建てたり、
貫首書写の曼荼羅本尊も、南無妙法蓮華経の直下に日蓮大菩薩だの、
貫首の名などを入れているのである。

実に法門未熟の惨状を呈している。

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如来滅後五五百歳始観心本尊抄    文永一〇年四月二五日  五二歳 真筆 中山法華寺

■ 本門を以て之を論ずれば、一向に末法の初めを以て正機と為(な)す。所謂(いわゆる)一往之を見る時は久種(くしゅ)を以て下種と為し、大通・前四味・迹門を熟(じゅく)と為して、本門に至って等妙(とうみょう)に登らしむ。再往之を見れば迹門には似(に)ず、本門は序正流通倶(とも)に末法の始めを以て詮と為す。在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但(ただ)し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり。

法華経本門とは、末法を指向して説かれている。
釈尊の法華経本門と末法流布の本門とは明らかに相違している。
■彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり。
→ 釈尊の法華経を弟子上行菩薩が譲り受けて末法で弘める、、、ということではない。
末法の教主が末法の下種益の法華経を打ち立て弘める、ということである。

釈尊の法華経は「脱益」  末法の教主の法華経は 「下種益」

下種 → 熟 → 脱 

下種 が根本法体

末法は、釈尊の脱益仏法が終了するが故に 下種仏法に戻り、再度下種から始まるのである。

下種があるがゆえに、それが熟し、そうして最後は脱するのである。
ということは、下種仏法こそが根源・根本である。
下種の教主こそ、釈迦仏より根源の師、ということになる。 

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�■ 此の時地涌の菩薩始めて世に出現し、但(ただ)妙法蓮華経の五字を以て幼稚(ようち)に服せしむ。
�■ 一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠(たま)を裹(つつ)み、末代幼稚の頚(くび)に懸(か)けさしめたまふ。

この両文はほぼ同義である。
故に、� の地涌の菩薩 は = � 仏 であることがわかる。

つまり、地涌の菩薩 とは 末法の仏 ということになる。

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■ 昔の師は今の弟子なり。今の弟子はむかしの師なり。古今(ここん)能所不二(のうしょふに)にして法華の深意をあらはす。(上野殿御返事  弘安二年四月二〇日 五十八歳 1360)

師 釈尊 →  弟子 上行

久遠

師 上行(久遠元初自受用身如来) → 弟子 釈尊

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第一に、上行菩薩は相に於て釈尊より勝る (涌出品の父少而子老) 前出

第二に、上行菩薩は用に於て釈尊に勝る (勧持品の悪世導師) 九横の大難 < 三類の強敵

第三に、上行菩薩は作に於て釈尊に勝る (内証の寿量品 末法にしか説かない 下種仏法は 脱益仏法に勝れる  在世八年  末法万年)

第四に、上行菩薩は力に於て釈尊に勝る (釈尊の化導しない法華誹誘の者を化導せしめる 五千上慢を救わない)
 
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■ 日蓮が慈悲曠大(こうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)未来までもながる(流布)べし。(報恩抄  建治二年七月二一日  五五歳 1036 身延曾存)

釈迦仏法が 滅後2千年で白法隠没するのに対して、未来永劫に流布するとの宣言。  釈尊 < 日蓮大聖人

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天台大師
「後の五百歳遠く妙道に君わん」

妙楽大師
「末法の初め冥利無きにあらず」

伝教大師
「正像棺過ぎ己って末法太だ近きにあり、法華一乗の機今正しく是れ其の時なり」

先賢・先哲たちも、末法を渇仰している。 

釈尊 < 上行再誕(久遠本仏)

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■ 如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり。(新池御書 弘安三年二月 五九歳 1460)

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十界曼荼羅本尊の御指南から拝す

1274
    本尊問答抄   弘安元年九月  五七歳 日興筆・北山本門寺 日源筆 岩本実相寺 内
■ 問うて云はく、末代悪世(あくせ)の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。答へて云はく、法華経の題目を以て本尊とすべし。
(中略)
此(※不空三蔵)は法華経の教主を本尊とす、法華経の正意にはあらず。上に挙ぐる所の本尊(※法華経の題目を以って本尊とすること)は釈迦・多宝・十方の諸仏の御本尊、法華経の行者の正意なり。

三大秘法の本門の本尊こそ末法の本尊とすべし。
この本尊こそ釈尊・多宝・十方の諸仏の 「本尊」 であった!

釈尊 < 末法の三大秘法の本尊 = 末法の教主

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■ 日本乃至一閻浮提(えんぶだい)一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂(いわゆる)宝塔の内の釈迦・多宝、外(そのほか)の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士(きょうじ)となるべし。(報恩抄  建治二年七月二一日  五五歳 1036 身延曾存)

■ 其の本尊の為体(ていたらく)、本師の娑婆の上に宝塔空(くう)に居(こ)し、塔中(たっちゅう)の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士(きょうじ)上行等の四菩薩、文殊・弥勒等は四菩薩の眷属(けんぞく)として末座に居し、迹化(しゃっけ)・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処(しょ)して雲閣月卿(うんかくげっけい)を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処したまふ。迹仏迹土を表する故なり。

■ 此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為(な)す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし。

この両文を合わせ拝すれば、

教主釈尊 = 南無妙法蓮華経 日蓮  = 地涌の菩薩の上首上行菩薩(の内証) であることが分かる。

釈尊はその脇士 

釈尊 < 日蓮大聖人

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■ 廿三に彼は応仏の域を引かふ、此は寿量品の文底を用ゆ。廿四に彼は応仏昇進の自受用報身の一念三千・一心三観、此は久遠元初の自受用報身無作本有の妙法を直ちに唱ふ。(法華本門宗血脈相承事(本因妙抄) 弘安五年一〇月一一日 六一歳 本因妙之行者 日蓮 得之記之 1682 〔写〕日時・日俊 大石寺蔵 日我 保田妙本寺蔵) 

明らかに 釈尊 < 日蓮大聖人

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下種仏法の熟脱仏法の勝劣

柿の実と柿の種の如きである。
菓は人に食べられ、種は菓を生じせしめるものである。
故に木に実ると云っても、柿の実は種ではないのである。
若し一体と言うならばどうして柿の種を食べないのか。
又どうして柿の実は菓を生じさせないのか。
と云う論になる。

この例の如く、種と脱とは同体益異ではなく、完全に法体が異なるのである。
この故に妙楽大師は
「雖脱在現具騰本種」と釈せられているのである。   

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日興上人 及び上古の大聖人観

日興上人の本仏観

 元立正大学教授浅井要麟氏は五十年前に『日蓮聖人教学の研究』を上梓し、その中に、「両巻血脈書の真偽」と題する小論を載せ、本因妙抄・百六箇抄を偽書とする論を発表した。

これに対し本宗から堀上人が昭和二十二年三月八日から宗門の教師を対象に浅井氏の論を破折する講義を始められた。
堀上人は浅井氏の説を「少し乱暴」な説とし、一蹴されている。

 浅井氏はまず

「石山系の教学に於て最大の特色たる宗祖本仏論は、実にこの両巻血脈の中心思想たる種本脱益の教義から生れて居る」 (六二三)
と記している。

つまり富士の宗祖本仏論は両巻相承書から生れたものであるから、それらの相承書が偽作となれば本仏論は後世の創作であると言いたいのである。

 ここに浅井氏は二つの誤りを犯していると考えられる。

一つは宗祖本仏論は両巻相承書に依らなくとも立証されること。

二には両巻相承書が偽書でないことである。

御書をつきつめていくと両巻相承に到るとするのが富士の立義である。

 現在伝えられる日興上人の御手紙は九十通を数えるが、これらの中に一遍として「釈迦本仏」という語を見つけることが
出来ない。

信徒からの御供養は御宝前にお供えするが、釈迦仏に供えるということがないのである。
全て名称こそ異なるが大聖人にお供えすると書かれている。
このことは日興上人が宗祖を末法という現時における仏、イコール上行菩薩と拝していたことを示すものであろう。

 普通、信徒からの供養は僧侶の介在をへて仏菩薩に捧げるものであるが、一つとして釈尊の宝前に供えるということがない。
そればかりか対境としての本尊・御影を「仏」、「ほとけしやう人」などと表現されており、日興上人が宗祖を「仏」と拝していたことに少しの疑念をさしはさむ余地がない。

 ところで供養に関して御書に次の様な文がある。

■ 仏を一劫が間供養したてまつるより、末代悪世の中に人のあなが(強)ちににく(憎)む法華経の行者を供養する功徳はすぐれたりとと(説)かせ給ふ。(上野殿御返事七四五 〔写〕日興上人筆 大石寺)
 
■ 末代の法華経の行者を供養するは、十号具足しまします如来を供養したてまつるにも其の功徳すぎたり。(国府尼御前御書七三九 真蹟 佐渡 妙宣寺)
 
 これらの御文は沢山あるが、特に佐後に見られる。
ここに宗祖勝釈迦劣の思想がみえないのであろうか。

また、

■ 今末法に入りぬ。人毎(ごと)に重病有り。阿弥陀・大日・釈迦等の軽薬にては治し難し。(妙密上人御消息九六六 外)

とて、病と薬に誓えて釈尊では末法の人々を救済出来ないと述べられ、続いて

■ 上行菩薩の出現して弘めさせ給ふべき妙法蓮華経の五字を、先立ちてねごとの様に、心にもあらず、南無妙法蓮華経と申し初(そ)めて候ひし程に唱ふるなり。(同)

とて、上行菩薩に先立ちて題目を唱えたと述べられている。
大聖人が上行菩薩の再誕であることは周知の事実であり、末法という時において釈迦仏は力を失い代りに上行菩薩が救済主として出現された。

この菩薩を日蓮正宗では末法の教主=仏と拝するのである。

 門下上古において一致派の多くは宗祖を上行菩薩とも見ていなかったが、
それは宗祖自らが万年救護本尊�や御書の各所�に示されていることでもある。

※� 万年救護本尊の端書に

「大覚世尊入滅後経歴二千二百二十余年、雖尓(しかり)月漢日三箇国之間未有此大本尊、或知不弘之、或不知之、我慈父以仏智隠留之為末代残之、後五百歳之時上行菩薩出現於世始弘宣之」

とある。宗祖は自身を上行菩薩と自覚されている。

※� 

■ 日蓮聖人は御経にとかれてましますが如くば、久成如来の御使ひ、上行菩薩の垂迹、法華本門の行者、五五百歳の大道師にて御坐候。(頼基陳状一一三〇 〔写〕日興上人筆 北山本門寺)

■ 此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮僅かに教主大覚世尊より口決せし相承なり。(三大秘法抄一五九五 〔写〕 大石寺第六世日時本 大石寺蔵 日親本 京都本法寺蔵 身延日朝本 身延蔵 宝 満 〔刊〕外15-28)三大秘法抄・日向書写本)


日興上人は上行菩薩の再誕と信じていた。

 日興上人の三時弘教次第に

■ 付属弟子 上行菩薩 日蓮聖人(歴金一−四三)

 同じく申状に
■ 此 (日蓮聖人)者上行之再誕 (歴全一−七七)

と、明らかに興師は上行の再誕と位置づけられていた。
而るに上行菩薩は釈尊の使者として出現したのだが、日興上人はこの菩薩を使者ということに止まらず仏と拝していたのである。
過去のインドならいざしらず、現時の末法の大導師は上行菩薩であり、その人こそ末法の仏と見たのである。

 日興上人は入滅された宗祖に御供養を取り次いだが、その時の呼称を書状から見てみよう。

番号は『歴代法主全書』の番号である。


  聖人御影の御宝前 20

  御影の御見参 23

  聖人に中上 24

  聖人御知見 26

  聖人の御見参 36 67 68 74

  法花聖人の御宝前 37

  法主上人御神殿 47

  先師宝前 48
  
  聖人の御宝前 50
 
  御宝前 53

  聖人御影の御見参 60 66
 
  仏にまいらせ 61

  仏の御見参 63

  御経日蓮聖人 64

  法花聖人の御宝前 65

  御経目蓮聖人 68

  聖人御見さん 86
 
  ほくゑしやう人の御けさん 89

  法花しやう人の御ほうセん 90

  ほつけしやうにんの御ほうせん 91

  ほくゑ聖人の御けさん 93

  聖人御影の見参 95
 
  法花聖人御宝前 96

  仏の宝前 98

  法主聖人の御宝前 101

  ほとけしやう人の御けさん 103

以上の如くであるが、

「仏にまいらせ」、

「仏の御見参」、

「仏の宝前」、

「ほとけしやう人の御けさん」

と、はっきりと宗祖を「仏」と記している。

日興上人は宗祖を一方では上行菩薩といい、一方では仏といっている。

このことは何を意味するかといえば上行菩薩は仏であると日興上人が考えていたということになる。

もし日興上人が大聖人を上行菩薩の再誕に止めておいたなら「仏」とい語は出てこないはずである。


 次に興門の碩学である日順師をみてみる。
日興上人が大石寺を日目上人に譲り重須に移られてから、日順は重須で師の寂仙日澄と日興上人から若くして明訓に預り、澄師寂後は学成って二代目学頭に就任している。

日順は日興上人同様大聖人を上行菩薩と把えていた。

● 日蓮聖人の出現は上行菩薩の後身なり、行者已に出世して結要付属を弘通す。(富要二−二一)

● 日蓮聖人は恭くも上行菩薩の後身。(同二七)

● 従地涌出の下方の大士・神力別付の上行応化の日蓮聖人。(同二九)

● 何ぞ本化上行の後身を以て迹化薬王の弟子と卑下せんや。(同四七)

● 今流布の法華宗は結要付属の明拠、上行菩薩の所伝なり。(同六七)

 そして上行菩薩が仏であることも理解していた。

● 我朝は本仏の所住なるべき故に本朝と申し、月氏震旦に勝れたり。(同一一)

● 本尊総体の日蓮聖人の御前を蒙り。(同二八)
                                
● 然ルに天竺の仏は迹仏なり、今日本国に顕れ玉うべき釈迦は本仏なり、彼ノ本仏の顕シ玉ふ所なれば日本を中国と云フなり。
                                                    (同一一三)
 このようにインド出現の釈尊を迹仏、大聖人を本仏と論じている。

更に日順には本困妙思想がある。

● 久遠元初自受用報身とは本行菩薩道の本因妙の日蓮大聖人を久遠元初の自受用身と取り定め申すべきなりと。
                                                     (同八三)
 ここには明らかに久遠実成を超えた久遠元初の本仏論が明されている。

ここに列出した本仏義は日順の独創と断ずることは許されない。
日順は学問をひたすら求めた正直な人であった。
日順にみる本仏思想は日興上人から引き継がれたものであり、それが日興門流、特に大石寺にも伝持されたと考えるのが妥当であろう。
けっして富士の本仏思想は後世につくられたものでない。
宗祖から日興上人へ、そして日興上人から日日上人へと伝えられていったのである。

殊に日有上人の聞書には本因妙抄・百六箇抄・御義口伝に依らなくてとも理路整然とした本仏論�を見ることが出来るのがその証佐である。

(※� 
● 当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし。(富要一−六五)

● 滅後末法の今は釈迦の因行を本尊とすべきなり。(富要一ー八二)
                                                 
● 当宗御門徒の即身成仏は十界互具の御本尊の当体なり、其ノ故は上行等の四菩薩の脇士に釈迦多宝成りたまふ所の当体大切な
  る御事なり。他門徒の得意には釈迦多宝の脇士に上行等の四菩薩成りたまふと得意て即身成仏の実義を得はづしたまふなり
  (中略)上行菩薩等の四菩薩の体は中間の五字なり、此ノ五字の脇士に釈迦多宝と遊バしたる当体を知らずして上行等の四菩薩
  を釈迦多宝の脇士と沙汰するは、中間の妙法蓮華経の当体を上行菩薩と知らざる。(富要二−一四〇)

● 高祖所弘の本門は本迹に相対せず直に久遠の妙法蓮華経を受持する故に事なり本門なり。(富要二−一四七)

● 正像二千年の間にも出でず、末法今時上行菩薩の御再誕日蓮聖人と名乗り、久遠名字の下種の妙法を当時事迷の我等が為に
  弘通したまふ、受持斯経の大導師となり畢る事、有り難き御恩徳なり、仍ホ高祖大聖は我等が為に三徳有縁の主師親、唯我一
人の御尊位なりと云へり。(富要二一一五九)

日有上人はこれらの文からもわかるように宗祖を上行菩薩の再誕ととらえ、その身が三徳有縁の本仏とする宗門古来からの法義を示されている。
日蓮宗と日蓮正宗の相違は上行菩薩をそのまま菩薩とみるか仏と拝するかの違いである。)

事実、日有上人にはこれら三書の引用文はない。

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二箇相承が曾存であったことは歴史的事実である。

日蓮一期弘法付嘱書    弘安五年九月  六一歳
 日蓮一期(いちご)の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり。
弘安五年壬 九月 日 日蓮花押 
    血脈の次第 日蓮日興 (日蓮一期弘法付嘱書 弘安五年九月 六一歳 1675) 

身延山付嘱書    弘安五年一〇月一三日  六一歳
 釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。
  弘安五年壬午十月十三日   武州 池上   日蓮花押 1675

証明 

二箇相承否定の邪義を破す
  山口範道師 http://toyoda.tv/nika.htm

二箇相承への疑難を破す   高橋粛道師 http://toyoda.tv/nikasojo.htm

となれば、日興上人が日蓮大聖人の仏法の全てを相承されたことを認めなければならない。

■ 日興が云はく、聖人御立ての法門に於ては全く絵像木像の仏菩薩を以て本尊と為さず、唯(ただ)御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべし、即ち自筆の本尊是なり。(富士一跡門徒存知事    延慶二年 1871 )

これ大聖人が十界文字曼荼羅を御本尊としておられたことの紛うことなき明証ではないか。

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御真蹟が存在するのに録内・録外に未収録 または録外に収録された御書

念仏者臨終現悪相御書 文永3年  真蹟 池上 本門寺   録内・録外 未収録
安国論御勘由来  文永5年4月5日 真蹟 中山法華経寺  外
宿屋入道再御状 文永5年9月 真蹟 京都 本圀寺  録内・録外 未収録
安国論副状 文永5年 身延曾存 録内・録外 未収録
富木殿御消息 文永6年6月7日 真蹟 京都 立本寺  録内・録外 未収録
金吾殿御返事 文永6年11月28日 真蹟 中山法華経寺 録外
止観第五之事 文永6年12月22日 真蹟 熊本 本妙寺 録内・録外 未収録
故最明寺入道見参御書 文永6年 真蹟 羽昨 妙成寺 録内・録外 未収録
行敏御返事 文永8年7月13日 真蹟 湖西 本興寺 録外  
土木殿御返事 文永8年9月15日 真蹟 京都 本満寺 録外
五人土籠御書 文永8年10月3日 真蹟 京都 妙覚寺 録外

以下 類例 繁多である。

つまり、録内・録外 未収録でも また録外収録でも真筆が存在するのであるから、このカテゴライズに拘泥する必要は全くない。

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〔系年〕 御述作の年代
〔真〕 御真蹟
〔写〕 古写本
〔大〕 大石寺版 御真蹟聚
〔安〕 立正安国会版 御真蹟
〔法真〕 法蔵館版 真蹟集成

平 平賀本
宝 三宝寺本
満 本満寺本
延外 延山録外
内 録内
外 録外
受 他受用御書
要言 深見要言本
続 祖書続集
遺 高祖遺文録
縮 霊艮閣版日蓮聖人遺文
纂 類纂高祖遺文録
新修 昭和新修日蓮聖人全集
聖 日蓮正宗聖典
全 日蓮大聖人御書全集
昭定 昭和定本日蓮聖人遺文
新定 昭和新定日蓮大聖人御書
対録 立正安国会版 御真蹟対照録
新編 平成新編日蓮大聖人御書
宗全 日蓮宗宗学全書
要 富士宗学要集

文段 日寛上人御書文段
健 御書抄
書註 御書註
啓 録内啓蒙
拾 録内拾遺
扶 録内扶老
微 録外微考
考 録外考文
断註 御真蹟断片抄註
平講 日蓮聖人遺文全集講義
竜講 日蓮聖人御遺文講義

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阿弥陀・釈迦等の諸仏も因位の時は必ず止観なりき。口ずさみは必ず南無妙法蓮華経なり。(十章抄   文永八年五月  五〇歳 真蹟)

日蓮大聖人が釈尊に遣わされた弟子というならば、なぜ釈尊の因位の修行の方法を知っているのか?

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釈尊が上行菩薩に付嘱したのは、そもそもパーリ語かサンスクリット語であったはず。
なぜ、漢語の「妙法蓮華経」なのか?
しかもそこに「南無」と付けたのは誰か?
もし日蓮大聖人が弟子ならば、そんな勝手なことをしていいのか?

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■ 上行菩薩は釈尊の本地を開顕する為、釈尊五十年の説法の内わずか法華経の八品のみに出現。
神力品第十九以後は、さっさと本地へ戻ってしまう。
もし上行が釈尊の久遠からの弟子であるならば、師である釈尊の成道から御入滅まで付き従うのが師弟子の道であろう。如何?

■ 我が弟子之を惟(おも)へ、地涌千界は教主釈尊の初発心(しょほっしん)の弟子なり。寂滅道場にも来たらず双林(そうりん)最後にも訪(とぶら)はず、不孝の失(とが)之(これ)有り。迹門の十四品にも来たらず本門の六品には座を立ち、但八品の間に来還(らいげん)せり。是くの如き高貴(こうき)の大菩薩、三仏に約束して之を受持す。(観心本尊抄)

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■ 法華経の行者は一期南無阿弥陀仏と申さずとも、南無阿弥陀仏并(なら)びに十方の諸仏の功徳を備へたり。譬へば如意宝珠の金銀等の財を備へたるが如し。(十章抄   文永八年五月  五〇歳 真蹟)

法華経の行者 日蓮は 十方の諸仏の功徳を備えている。

■ 如意宝珠は万宝を雨(ふ)らし(法華題目抄   文永三年一月六日  四五歳  真蹟)

如意宝珠から幾千万の宝が出生する。
如意宝珠が能生の根源 幾千万の宝は 所生
→ 法華経の行者が能生 根源の仏 一切の諸仏はその「法華経の行者」から出生した所生の仏 ということではないか。

■ 日蓮は閻浮(えんぶ)第一の法華経の行者なり。(別当御房御返事 文永一一年四〜五月頃  五三歳 728 身延曾存)
■ 日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり。此をそしり此をあだむ人を結構せん人は閻浮第一の大難にあうべし。(撰時抄 建治元年六月一〇日  五四歳 845 真蹟)

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■ 釈尊ほどの仏を三業相応して一中劫が間ねんごろに供養し奉るよりも、末代悪世の世に法華経の行者を供養せん功徳はすぐれたりとと(説)かれて候。まこと(実)しからぬ事にては候へども、仏の金言にて候へば疑ふべきにあらず。
其の上妙楽大師と申す人、此の経文を重ねてやわ(和)らげて云はく「若(も)し毀謗(きぼう)せん者は頭(こうべ)七分に破(わ)れ、若し供養せん者は福十号に過ぎん」等云云。釈の心は、末代の法華経の行者を供養するは、十号具足しまします如来を供養したてまつるにも其の功徳すぎたり。又濁世(じょくせ)に法華経の行者のあらんを留難(るなん)をなさん人々は頭七分にわ(破)るべしと云云。(国府尼御前御書 文永一一年六月一六日  五三歳 真蹟)

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■ 而るに法華経の末代の行者を心にもをもはず、色にもそねまず、只たわぶ(戯)れての(罵)りて候が、上の提婆達多がごとく三業相応して一中劫、仏を罵詈(めり)し奉るにすぎて候ととかれて候。(法蓮抄 建治元年四月  五四歳 真蹟)

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■ 戯論(けろん)に一言継母の継子をほむるが如く、心ざしなくとも末代の法華経の行者を讃(ほ)め供養せん功徳は、彼の三業相応の信心にて、一劫が間生身の仏を供養し奉るには、百千万億倍すぐべしと説き給ひて候。これを妙楽大師は福過十号とは書かれて候なり。十号と申すは仏の十の御名(みな)なり。十号を供養せんよりも、末代の法華経の行者を供養せん功徳は勝るとかヽれたり。(法蓮抄 建治元年四月  五四歳 真蹟)

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■ 教主釈尊記して云はく、末代悪世に法華経を弘通するものを悪口罵詈等せん人は、我を一劫が間あだせん者の罪にも百千万億倍すぎたるべしととかせ給へし。(撰時抄 建治元年六月一〇日  五四歳 真蹟)

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 法華経の第四法師品に云はく
●「人有って仏道を求めて一劫の中に於て合掌して、我が前に在って無数の偈(げ)を以て讃(ほ)めん。是の讃仏(さんぶつ)に由(よ)るが故に無量の功徳を得ん。持経者を歎美せんは其の福復(また)彼に過ぎん」等云云。
文の意は一劫が間教主釈尊を供養し奉るよりも、末代の浅智なる法華経の行者の、上下万人にあだまれて餓死すべき比丘(びく)等を供養せん功徳は勝るべしとの経文なり。
一劫と申すは八万里なんど候はん青めの石を、やすり(鑢)を以て無量劫が間す(磨)るともつきまじきを、梵天(ぼんてん)三銖(さんしゅ)の衣と申して、きはめてほそくうつくしきあま(天)の羽衣(はごろも)を以て、三年に一度下(くだ)りてな(撫)づるに、なでつ(尽)くしたるを一劫と申す。
此の間無量の財(たから)を以て供養しまいらせんよりも、濁世の法華経の行者を供養したらん功徳はまさるべきと申す文なり。
此の事、信じがたき事なれども、法華経はこれていに、をびたヾしく、まことしからぬ事どもあまたはんべり。
又信ぜじとをもえば多宝仏は証明を加へ、教主釈尊は正直の金言となのらせ給ふ。
諸仏は広長舌(こうちょうぜつ)を梵天につけ給ひぬ。
父のゆづりに母の状をそえて賢王の宣旨(せんじ)を下し給ふがごとし。
三つこれ一同なり、誰かこれを疑はん。(松野殿御消息 建治二年二月一七日  五五歳 真蹟)

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■ 日本国の一切衆生の父母となる法華経の行者日蓮(富木尼御前御書  建治二年三月二七日  五五歳 真蹟)

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■ かヽる日蓮を用ひぬるともあしくうやま(敬)はヾ国亡ぶべし。(種々御振舞御書 建治二年  五五歳 身延曾存)





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