御書編纂の歴史

■金綱集
(古来十巻本・現行は十四巻本)は、身延二祖日向(1253ー1314)が日蓮晩年の身延山での講義を、たとえば「浄土宗見聞」・「真言宗見聞」などと諸宗に配して記述したもので、古来から身延門流の秘書として重んぜられた有名なもので、現存の写本は身延三世日進・四世日善等によって筆写され、日蓮の直弟子の著作としては最も大部のものである。
 しかし、何故に金綱集が編まれたかは一切不明である。
 ただ言えることは、日蓮の『一代五時図』等に基ずいて、釈尊一代の教説の位置ずけを行っていることから見て、恐らく日向は、それを更に綿密にして、諸宗の主張を明瞭にすることが、その主眼であったと考えられる。
 すなわち、『一代五時図』等が「華嚴・阿含・方等・般若・法華涅般」の五時教判を中心として、それに対する各宗の配当を図示するのに対し、金綱集は各宗を柱として、その宗の依経・依論・祖師などについて詳述し、その特徴的教義を揚げている。要は、諸宗破立の素材として金綱集が編まれたものと解すべきであろう。


■ 録内録外

写本

■録内

 ●最古 千葉県本土寺蔵 平賀本「録内御書」(1448 聖滅167)

 ●日朝「録内合本」(文明4年1472 聖滅191 までとされているが、「諌暁八幡抄」の識語によれば、書写作業は1479年聖滅198 まで続いている。)

■録外

 ●最古 日朝本「録外合本」10巻、127通、身延文庫、久遠寺、文明12年(1480?聖滅199)

 ●日意所持本「録外御書」全30巻、身延文庫、久遠寺、明応8年(1499 聖滅218)


刊本

●録内 148通 40巻

 元和八年(1622 聖滅341)本国寺版 最初
 寛永十九年(1642 聖滅361)中島版
 寛文九年(1669 聖滅388)村上版(現在ではこれを指す場合が多い)

●録外 25巻 259章

 寛文二年(1662 聖滅381)山屋次右衛門 開版
 寛文九年(1669 聖滅388)武村市兵衛 改版


■その他

 ●他受用御書 京都平楽寺、慶安2年(1649 聖滅368)

 ●本満寺本「録外御書」一如日重 文禄4年(1595 聖滅314)

 ●三宝寺本「録外御書」中正日護 書写年は不明 16世紀後半より17世紀初頭の間と思われる。