写本 

大石寺第二十二世日俊上人(1637〜1691)本 
保田妙本寺14世日我(1508〜1586 聖滅227〜305)の弟子の日山本 保田妙本寺蔵
要法寺第13世日辰(1508〜1577 聖滅227〜296)本 西山本門寺蔵

経歴

1672 寛文12 壬子
  6.11 寿円日仁 百六箇対見記を著す(奥)
1685 貞享2 乙丑
 11.10 日俊 本因妙抄・百六箇抄を諸本をもって校合書写す(石蔵)

証言

日辰(1508〜1577 戦国時代)要法寺13世  二論義

御正筆の血脈書を拝せざる間は謀実定め難し。然りと雖も上来の会通を持って録内並びに玄文止に合わせて若し録内玄文に違背せずんば之を信用すべし。(中略)
「本因本果之主、本地自受用報身、垂迹上行菩薩、再誕本門大師日蓮」之文。
「自受用身は本、上行日蓮は迹也」
と云う文を根本と為し明鏡と為す


寿円日仁(要法寺31代 1646〜1712)百六箇対見記

真筆の事、啓蒙日講、中山に於いて御真筆拝見云々。
「日経、本因・百六依用事」「悦師取捨抄」往いて見よ。
興上人、両巻抄を以て尊上人に付属する事、富山に於いて諍い無き故に、西山本門寺末、佐渡妙宣寺住侶、舎弟僧寂円に告げて云わく、
「我、高祖御正筆本因妙抄を見ず、今生の恨み也
寂円云わく、
「日尊自筆の本因妙抄、京要法寺に在り、云々。況や、正筆一本雲州に於いて紛失、一本一条猪熊寺に於いて紛失。」
「日在云わく、我聞く、日法の口伝と」、云々。

堀上人 富士宗門史(90)

たゞ残念なのは、百六箇抄が本山に残ってない。本因妙抄が残っているから、百六箇抄も、むろんあったに違いない。本山でもですね、あの時代は直接の法門に関係あるものは大事にしたかも知れませんけども、そういう難しいものは、平常は使わない。大事にしすぎて使わないでいて、なくなったかしらんと思う。あまり大事にすると、しょっちゅう、みないんですからね、いつかしら、見ないうちに無くなってしまう。大事にして、しょっちゅう、寫し寫ししているというと、どっかに轉寫本がありますけれども。寫しもしないで大事にどっかに、しまっておくというと無くなってしまう。