さてさて、ほとほとこの駄犬は世話が焼ける

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大石寺狂信者は、この根本教義に文証の無い言い訳を繰り返す。
「御書にすべてが書かれている訳ではない」と。
当たり前だ。
すべてを書く暇も必要もあるか。
ただし、日蓮大聖人は、末代幼稚の我々を救済するために誕生された大慈大悲の御本仏である!
ゆえに、末代幼稚の我々が過たず成仏出来る教えだけは必ず誰にでも理解出来るように明確に書き残されているはずである!
逆に言えば、末代幼稚の我々が、かえって迷うような教えを残される訳が無い!

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● 簡単な「文証 道理」である。

【出世の本懐】

御書中、大聖人御自身における「出世の本懐」との語は、以下の二か所しかない。

A ■  あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんばゆづ(譲)る事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。「出世の本懐」とはこれなり。(阿仏房御書 文永一二年三月一三日 五四歳 793)

B ■ 仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、「出世の本懐」 を遂げ給ふ。其の中の大難申す計(ばか)りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。(聖人御難事 弘安二年一〇月一日 五八歳 1396)

この両文は「十界曼荼羅御本尊」に関することである。

これは「出世の本懐」が二重構造となっている。

A 総じての「出世の本懐」 の中に 更に B 別しての「出世の本懐」 が存する、ということである。


つまり、「出世の本懐」集合Aの中に 「出世の本懐」集合Bが含まれる という概念である。



例 国会議事堂はどこにあるのか? 総じては 東京 → 別しては 千代田区永田町1-7-1  ということである。


そして

■ 本尊とは「勝れたる」を用ふべし。(本尊問答抄 弘安元年九月 五七歳 1275)

■ 此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為(な)す「一閻浮提第一の本尊」、此の国に立つべし。(如来滅後五五百歳始観心本尊抄 文永一〇年四月二五日 五二歳 661)


つまり、大聖人の真の「出世の本懐」は、「最勝・最尊の十界曼荼羅御本尊 御一幅に収斂される」、ということである。


【三大秘法】

■ 三大秘法其の体如何。答ふ、予が己心の大事之に如かず。(三大秘法稟承事   弘安五年四月八日  六一歳 1594)

■ 法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひて候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給へばなり。秘す可し秘すべし。(1595)


大聖人の「出世の本懐」は、「三大秘法の十界曼荼羅御本尊」 となる。

三大秘法とは 本門の本尊  本門の戒壇  本門の題目

この 「本門の戒壇」 とはある一か所の場所を指す。

文証

■ 戒壇とは、(中略)霊山浄土(りょうぜんじょうど)に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。(三大秘法稟承事 弘安五年四月八日 六一歳 1595)

■ 国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。(日蓮一期弘法付嘱書 弘安五年九月 六一歳 1675) 

■ 下種の弘通戒壇実勝の本迹 三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり。(百六箇抄 弘安三年一月一一日 五九歳 1699)



その大聖人の「出世の本懐」である「三大秘法の十界曼荼羅御本尊」 とは、何か?

大聖人御真筆中 「本門戒壇」との銘記があられるのは、弘安二年十月十二日御建立の大曼荼羅だけ。


次、

■ 「地頭の不法ならん時は我も住むまじ」(日興上人・美作房御返事)

この「原理・道理」から
御真筆御本尊といえども、その願主・施主・所持者が謗法となれば、そこには大聖人の御魂がお住まいにならない。

そして

■ 玄文第七  ■ 「三世乃(すなわ)ち殊(こと)なれども毘廬遮那一本異らず。百千枝葉同じく一根に趣くが如し。」

この原理から、大聖人の御魂は、全ての十界曼荼羅御本尊の一根、つまり根本であられる、戒壇の大御本尊へ帰趨するのである。


『 邪宗の仏像も売ってる、謗法の仏壇・仏具・仏像屋 』 で売っている 『 ネット販売の模造掛け軸 』 の元は、全て、この

「大聖人の御魂がもぬけられた 十界曼荼羅御本尊」(現時では)である。

その上、駄犬が拝んでいる『 ネット販売の模造掛け軸 』は、悪鬼魔神の棲み込んだ、魔仏 である。

論証 ↓

【開眼供養を論証】

● 2014.8.20 純円の仏 ≠ 生身の仏  

● 2014.8.21 「開眼供養」の原理を 真言師の「開眼供養」の原理から逆論証する

● 2014.8.21 木絵二像の「開眼の義」を会通

● 2014.8.21 ■ 人死すれば魂去り、其の身に鬼神入れ替はりて子孫を亡ず。

● 2014.8.21 「死骨成仏」 の原理を明かす

● 2014.8.21 小結 「木絵二像 を 本尊 と成すには 必ず 「開眼供養の義」 が必要」 と断ずる

● 2014.8.21 ■ 我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり。

● 2021.8.21 ■ 「一念三千の法門をふ(振)りすす(濯)ぎたるは大曼荼羅なり。

● 2014.8.22 開眼論証 結論 駄犬「考える人」が拝む『 ネット販売の模造掛け軸 』には悪鬼・魔神が棲み込んでいる


現証 

駄犬がかくも、腐臭を放つ醜悪な人格と成り果て、しかも、それを全く自覚できない、哀れな狂人となったのである。

現証の証拠

駄犬「考える人←実は「何も考えられない人」完全粉砕

この中の数々の駄犬の発言が何よりの証拠。


さ、駄犬、以上の、文証と道理による論証を、きちんと「三証」を揃えて破ってごらん。

できるかなぁ?