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★ 真如苑は

@ 涅槃経・優 法華経・劣 と下している
A 伊藤真乗の系譜に当然「弘法」がいる。
この「弘法」は、釈尊を「無明の辺域」と下し、法華経を「大日経より三重の劣」と下している。
依って、以下の法華経の警告が当てはまることになる。

■若し人信せずして 此の経を毀謗せば
則ち一切 世間の仏種を断ぜん
或は復?蹙して 疑惑を懐かん
汝当に 此の人の罪報を説くを聴くべし
若しは仏の在世 若しは滅度の後に
其れ斯の如き経典を 誹謗すること有らん
経を読誦し 書持すること有らん者を見て
軽賎憎嫉して 而も結恨を懐かん
此の人の罪報を 汝今復聴け
其の人命終して 阿鼻獄に入らん(譬喩品第三 175)

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▼ 大丈夫です。
大般涅槃経月喩品第十五には
「この経典が世に現れて、若し衆生の耳に一たびふれるなれば、悉く一切の諸悪、無間の罪業は消滅する。
この大般涅槃の境界は、思議すべからず、善く如来微密の性を説く、
この義を以ての故に、諸々の善男子、善女人等は、如来に於いて常住の心を生じ、変易することなきを信ずべし。
その時、正法は断ぜず、僧宝亦滅せず。」

とあり、この大般涅槃を聞くものは無間地獄に入るような罪でも消滅すると釈尊が約束して下さっています。

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   ★ ↑ 可哀想だけど、全然違う。

涅槃経の経文は全て 「法華経 勝 涅槃 劣」 の立場が底意にある。

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  その証明は済んだ。
65 涅槃経 と 法華経 の優劣について反論 は完全に痴論・駄文と化した
66 ▼「とにかく涅槃経は第一なの!真如苑ではそう決まってんの!だからそれを根拠に君の説を崩す!」 ← 祝!完全に反論不能!
67 いよいよ反論不能で御乱心か!
68 例えばエベレストの 「一番高い頂上」 に登ることが 「一番難しい」 のはないのか?
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その意を拝して上掲の経文を読めば意自ずから明らかである。

つまり、法華・涅槃の縁に一度触れれば、確かにそれは絶対に成仏するのである。
が、しかし、そこにプロセスに違いがあるのである。

@ 素直に法華・涅槃(※注「法華 勝 涅槃 劣」の正しい教説の通りに)聞き、信受した者 → そのまま即身成仏を遂げて、常寂光土において(※注 娑婆即寂光) 生死即涅槃 常楽我浄の境界を得る。

A 法華・涅槃(※注「法華 勝 涅槃 劣」の正しい教説の通りに)聞いたが素直に信じることができず、誹謗する者 → その悪重罪業により無間地獄乃至三悪道・四悪趣に沈淪・彷徨して後、→人界に生じ、再度法華・涅槃に出会い今度は成仏するのである。

B Aで人界に生じたがそれでもまだ法華・涅槃(※注「法華 勝 涅槃 劣」の正しい教説の通りに)信じられない者 → A の前半を繰り返す → 最後は必ず @ となり、救われる。

これが法華・涅槃(※注「法華 勝 涅槃 劣」)による救済のプロセスである。

であるから、

真如苑信者は(もちろん教祖・苑主も皆んな含めて)

@ 涅槃経・優 法華経・劣 と下している
A 伊藤真乗の系譜に当然「弘法」がいる。
この「弘法」は、釈尊を「無明の辺域」と下し、法華経を「大日経より三重の劣」と下している。
依って、以下の法華経の警告が当てはまることになる。

■若し人信せずして 此の経を毀謗せば
則ち一切 世間の仏種を断ぜん
或は復?蹙して 疑惑を懐かん
汝当に 此の人の罪報を説くを聴くべし
若しは仏の在世 若しは滅度の後に
其れ斯の如き経典を 誹謗すること有らん
経を読誦し 書持すること有らん者を見て
軽賎憎嫉して 而も結恨を懐かん
此の人の罪報を 汝今復聴け
其の人命終して 阿鼻獄に入らん(譬喩品第三 175) 

となって、長い年月かけて上掲の涅槃経の文

大般涅槃経月喩品第十五には
「この経典が世に現れて、若し衆生の耳に一たびふれるなれば、悉く一切の諸悪、無間の罪業は消滅する。
この大般涅槃の境界は、思議すべからず、善く如来微密の性を説く、
この義を以ての故に、諸々の善男子、善女人等は、如来に於いて常住の心を生じ、変易することなきを信ずべし。
その時、正法は断ぜず、僧宝亦滅せず。」

のように救済されるのである。

だから、確かに心配はない。大丈夫なんです。
ただ、一度永久に近い長い年月、地獄 餓鬼 畜生 修羅 人界でも大変惨めで悲惨な境遇などを経験しなければなりませんよ。
できたら、そんな思いをせずに直ちに「法華経 勝 涅槃 劣」なのだから、正しい法華経を、素直に、無雑に、純粋に、信じて、共々に即身成仏の大果報を得ましょう!
と言っているのである。



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