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★ → 釈尊はその久遠元初の妙法蓮華経を修行して五百塵点劫の昔に成道する。
下種が実って成仏したので、釈尊を熟脱の仏という。釈尊が説かれる仏法を熟脱の仏法、本果妙の仏法という。

  ▼ 私が申し上げた「大日如来(すべての因としての佛)」→「金剛薩?(因を受けた果としての佛)」のプロセスそのものですよね?
後は、答える必要もありませんね?(一応、載せておきます)

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    ★ ↑ 本当に分かりの悪い児ですね。

@ 実在した日蓮大聖人が過去の姿を釈尊の教説に全く矛盾せず説き顕す → 上行菩薩 → 久遠本仏 
A 実在したインド応誕の釈尊 → 我本行菩薩道 として因位の姿を説く
@とAに矛盾が全くない。

ところが、

大日如来 法身であるが故に現実社会に実在しない
金剛薩た 同じく、全く架空の存在 ただ真言密教でイメージだけの教義的な理屈をつけて説いているだけの存在。そんなの誰でも何とでも言える空想の話。
今巷で数多存在する全ての新興宗教の「神」と「教祖」様の関係もほとんど同じこと。

大日如来 も 金剛薩た も どちらも、全く実在の証明ができていない。

そんな仮想仏ではだめなんだと何度も言っている
(が、妄執に凝り固まった頭には入らない。まるで池田大作を仏と思い込んでいる創価学会員と同じレベル。
または浅井昭衛を真の仏教指導者と妄執している顕正会会員とも同じ。)

44 法身・大日如来 (久遠常住釈迦牟尼如来 も同じ) では 現実に生きている衆生を救えない原理  

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★ → その後、処々に八相作仏して出生し、種々の法を説き、必ず最後に妙法蓮華経を説き、衆生を得脱せしむる。
→ インドに応誕し、種々の方便教を説いた後、妙法蓮華経を説き、過去に下種受けてここまで得脱できなかった衆生一切を得脱せしむる。
→ この時、熟脱の仏として未来末法に於いて熟脱の衆生が全くなくなり、再び巡りくる下種仏法の時代のために、上行菩薩へ付嘱する。
→ その後、正法・像法の間、熟脱の衆生は一切得脱する。
→ すると時代はまた全く下種を受けてない衆生だけの時代となり、下種の仏が応誕する。
→ それが外用上行菩薩 その内証が久遠元初の下種・本因妙の御本仏。

  全く、因果律に矛盾がない。


▼ 「下種・本因妙の仏」の八相作仏は?
因果律に即してないのではないですか?

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   ★ ↑ 既に破折すみ

46 久遠本仏は三身相即であり、八相作仏されている

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▼ ナーガール・ジュナが密教の伝持の八祖の元祖になったように、

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   ★ ↑ 39 対論相手が 真言宗の伝持の八祖が偽りだったことを認める  『ああ!確かに論破されている!』

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▼ 伝教大師が弟子の礼をとって弘法大師に教えを乞うたように

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   ★ ↑ 41 伝教大師は、空海の真言密教の虚偽・捏造・誑惑を喝破されていた。

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▼ 真如苑および伊藤 真乗師の正当性は動かしがたい事実としてそこに存在しているのです。

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   ★ ↑ 40 真言の系譜がニセモノと分かれば、伊藤真乗が「現代の仏陀」とは言えなくなるのではないのか?


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▼ 我々が生まれる前からも、そして死んだ後にも、ただそこに大自然があるように、
真理と言うのは理論理屈で左右されるものではないと私は思いますが、樋田氏はどう思われるでしょう?
同じ思いだと良いのですが…

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   ★ ↑ 真理が不変でも、その真理が、迷える衆生が真の幸福をえるために活用されなければ何の意味もなさない。
仏法が教えることは、単なる物理学的な見地から宇宙の法則がこうだ、ああだ、と発見したようなものではない。
仏とは、衆生が真の幸福を得るための法則を悟り、その法を衆生に教え、それを実践させ、仏と同じ悟りの境界へ導く存在である。
真理そのものが存在していても、仏によってその真理に則り導かれてこそ、真理の本来の意義が成就するである。
この原理が法身如来のみを説く浅い教派には解けてないのである。
なので、説明もできないし、理解もできない。

大日如来 あるいは久遠常住釈迦牟尼如来でもいい、
もし、真理そのものが不変に常住しているのならば、どこにでもあるんだから誰でも即、解脱出来るはずではないか。
なんでわざわざ中間に人を介する必要がある?
我々だってそもそも宇宙の一部なんだから、真理の一部もしくは全体であろう。
なぜ、悟れない?というか、なぜそもそも迷って苦しんで不幸なのか?

ではなぜ空海だけが特別なのか?その因果因縁は?
なぜ真乗だけ特別なんだ?
真乗の出所の正当性の裏付けはもう崩れた。
ならば真乗だけなぜ特別にその真理とやらを悟れる因果因縁があったのか?

何も説明できないではないか。

つまり、真言密教も、真如苑も、正しい釈尊の教えと程遠い、悟りの実体のない空疎な妄想だったのである。
それを覆い隠すために、やれ加持だの祈祷だの護摩だのと派手な所作で無智な民衆のど肝を抜いてきただけの事。

真如苑も同様。
真の悟りの実体が全く分かっていない、悟りそのものがないから、
やれ 霊能だの 接心だの 抜苦代受 だのいって無智な信者たちの目を眩ませているだけのこと。
それで始末が悪い事に、魔の通力で、これまた、時々、奇跡的なことが起こるもんだから、さあ大変。
そうやって真の正しい果報である六根清浄・即身成仏からどんどん引き離されて行ってしまうのである。

今日の体験談を読んでハッとしたことがある。
実は対面対論した時にも感じてはいたが、貴方自身も、実は大変顔色が優れず、薄黒く、目も、創価学会に心底入れ込んだ連中のような目であった。
その目の状態は具体的にここでは言わぬが、今まで仏教もどきに魂を奪われた大勢の者達と対面してきた経験から、貴方もかなりヤバい状況であるな。という印象をもっていた。
そこへ今日の体験談である。
やはり、顔が薄黒い、という。
元々の地黒というのではない。精気が抜かれた黒さなのである。

竜樹菩薩 大智度論に云はく
■「修多羅(※経典)に依るは白論なり。修多羅に依らざるは黒論なり」

■「赤白端正なる者は天上を得る」

   ★ → 逆を言えば、蒼黒醜曲なる者は三悪道に堕ちる ということか。

あっ、調べたらやはりあった。

大智度論
■ 「臨終(りんじゅう)の時色黒きは地獄に堕(お)つ」


よくよく畏れなければなるまい。



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