TOP / 教義的資料目次 /  真如苑教徒反論目次



▼ 伝持の八祖


その佛教マスターである彼(ナーガール・ジュナ)の血脈を相承したのが弘法(弘法大師)です。
従って、弘法大師は「如来(ないし仏陀)」であり、彼(弘法)が何を言おうがそれは佛のいう事なのです。
凡夫が何を言おうが、まして後世の凡夫がどう思おうが関係ないのです。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

   ★ ↑ さて、ではこの伝持の八祖が崩れたとなると、「弘法は仏陀」ではないですね?
ということは、その系譜を信じて真乗を「現代の仏陀」と信じてきたのだから、それは崩れましたね?
ここは重要な点です。

真乗が仏陀でなかった、とすると、真乗が言ってきた教説は、全て無批判に受け入れてはいけない。ということになりますね?
「涅槃経 優 法華経 劣」 は一体誰が言いました?
真乗ですよね?
これも無批判に容認してはいけない、ということですね?
真乗以外、法華経より涅槃経が優れている、などと言っている人、いますか?
中国にかつて「涅槃宗」が起きたが、天台大師の教判に勝てなくて、結局滅びて今は全く存在してないじゃないですか。
これが歴史の証明じゃないですかね。
天台大師も 伝教大師も 日蓮大聖人も、他にも多々いるだろうが、「法華経 勝 涅槃経 劣」ですよ。
その逆の「涅槃経 優 法華経 劣」 を今時、声高に主張している人は、真乗以外、どこかにいますかね?

貴方は、現代の仏陀だと信じてきた真乗がそう言っているから、強く「涅槃経 優 法華経 劣」という概念に執着しているだけですよ。
真乗が現代の仏陀と言う根拠は真言の系譜に依っていたのだから、その系譜がまがい物、ニセモノ、と分かれば、真乗が仏陀という根拠も崩れ、
そうなれば「涅槃経 優 法華経 劣」という主張も怪しくなるわけだ。

そこで、もう一度、先哲、賢人たちの経典判釈を素直に聞けば、やはり、法華経の追説 が涅槃経であり、法華経と矛盾することを涅槃経では言っていない、と捉えることが正解ですね。

となれば、涅槃経を独尊として弘める、と思い込んでいるのは真乗を信じる真如苑教徒だけで、本来は、法華経も涅槃経も一味であり、もし、涅槃経に未来の弘通の言葉があったとしても、それは法華経と矛盾しない弘通であり、つまり、法華経の弘通の再説、と捉えるべきではないんですかね?

しかも、真乗が弘めたことは、涅槃経にも基より、一切経に全く書かれていない内容なんですよ。
ここも大事だが、今までは真乗が仏陀なんだから、その人がやることにとやかく言うべきではない、黙ってただ行じればいいんだ。
と思ってきたわけですね。
しかし、その現代の仏陀の根拠が崩れたんだから、今度は真乗がしたことを、教義的に厳格に正か邪なのかを見極めなければ危険だということですよ。
間違いなく、霊能 接心 抜苦代受 などはまともな仏教には全くないシステムです。
そんな正統な教説にないことをやっているということは、まさに

涅槃経に云はく
■「若し仏の所説に順はざる者有らば、当に知るべし、是の人は是、魔の眷属なり」

ですよ。

魔は仏の如く振る舞い、それこそ末代の凡夫には見分けがつかないとも説かれてますよ。

さ、真乗に対しての妄執から目を覚ましましょう!
もう一息ですよ!
あと、一歩ですよ!


TOP / 教義的資料目次 /  真如苑教徒反論目次