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★ → 問難者からの突き付けられている論難がまだ山積みされている。
これを全て片付けなければならない。
骨が折れるが、こちらも教義的に曖昧だった部分が鮮明になってありがたい。

ではいきましょう。

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▼ 現に、※@「伝教大師も弘法に弟子の礼をとって学ぼうとしました。法華経のみではダメだと解っていたからです。」
たったこれだけの理屈で何を言っても却下されてしまうのです。
真実とはシンプルなものですね。

※A「事細かに真言宗をつついて、法華を正当化しようと思っても歴史的事実がそれを拒みます。
真言を論破するにはナーガール・ジュナをはじめとする伝持の八祖のどこかを否定するしかないのです。」

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   ★ ↑ ※@「伝教大師も弘法に弟子の礼をとって学ぼうとしました。法華経のみではダメだと解っていたからです。」

この下りであるが、この言い分は、真言系の伝である。
伝教大師は真言密教の矛盾を既に見抜いて指摘していたのである。

   依憑天台集序
■ 「天台の伝法は諸家の明鏡なり。
陳隋より以降興唐より已前、人は則ち歴代称して大師と為し、法は則ち諸宗をもって証拠とす。
故に梁肅(りょうしゅく)の云はく、
「(中略)出世の道は大師に非ずんば則ち三乗四教の旨、晦(くら)くして明らかならざる者なり」と。
我が日本の天下は円機已に熟し、円教遂に興らん。
此の間(ごろ)の後生各自宗に執して偏に妙法を破す
(中略)
新来の真言家は則ち筆受の相承を泯(ほろぼ)し
旧到(くとう)の華厳家は則ち影響(ようごう)の軌模(きも)を隠す。」

★ 伝教大師は、この文の通り、天台の教判こそ最高であり、それは当時の中国・日本の仏教界においても確定的定説であったことを記しているのである。
そして真言については

■ 新来の真言家は則ち筆受の相承を泯(ほろぼ)し

つまり、弘法の持ち込んだ後発の新興宗教 真言密教は、そもそも付法・伝持の八祖などデタラメで、虚偽・捏造の誑惑であり、天台大師の一念三千を盗み取って真言密教の教義内へ取り込んでいるだけのもの!と喝破されていたのである。

そもそも、弘法は伝教大師が御存命中には、それほど活躍できていなかった。
それはつまり、伝教大師の存在、つまり天台の教判が厳として存在していたからである。
そして伝教大師の没後、弘法は国家泰平と玉体安穏の加持祈祷を宮中で行なうことを願い出て天皇に取り入り、着々と真言宗の基礎を固めていったのである。
元々、中国でも「真言宗」などという「宗」名は名乗っておらず、弘法に依ってはじめて用いられた宗名なのである。

ではなぜ伝教大師は真言密教の経典とか教説を必要としたのか。
簡単である。
伝教大師は法華経を中心に、天台教学・戒律・密教・禅の4つの思想をともに学び、日本に伝えて(四宗相承)、延暦寺は「仏教総合大学」としての性格を持っていた。
そのために、全ての「学部」の基礎的教材・資料は必要であるから、弘法にもその知識を求めたのである。
別に、教義的に屈服して教えを乞うたのではないことは、先ほどの文証で明白である。

それを、真乗は真言出身であるから当然真言優位の逸話や伝承を信徒へ伝える。
その結果、問難者のような極めて偏向的な認識しかできなくなるのである。

これは、世間でも「伝教大師が弘法に屈服して教えを乞うた。」という誤謬が伝播しているかのようにも見えるが、これは、真言系の悪宣伝の故であるので、注意が必要である。

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▼※A「事細かに真言宗をつついて、法華を正当化しようと思っても歴史的事実がそれを拒みます。
真言を論破するにはナーガール・ジュナをはじめとする伝持の八祖のどこかを否定するしかないのです。」

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   ★ ↑ 39 対論相手が 真言宗の伝持の八祖が偽りだったことを認める  『ああ!確かに論破されている!』
   


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