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法華経では詳細に書かれています?


★ よく如来が説くところの様々な教説の意義・筋目を熟知し、それぞれの諸仏等を供養した上で、このような無上の正法を建立して、受持し擁護する。
もし成仏する心を発し、求めるのならば、よく知りなさい。そのような人は未来世において必ずよくこの正法を建立し、受持し擁護する。
この故に貴方方、今、未来世においての護法の人を知らなければならない。
それはどうしてか?
この成仏を目指す者は、未来世において必ずよく正法を護持するからである。

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  ★ → さて、この経文の一体どこが、伊藤真乗が明治39年(1906年)に生まれて、真如苑という、真言宗の系譜を標榜しながら、涅槃経を依経として、しかも”霊能”などという極めて主観的・偏向的・非合理的な手法が売り物の新宗教を開く、という予言になっているというのだろうか?
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   ★ ↑ まずこれに反論できていない。
上記の経文のどこに 霊能 接心 抜苦代受 などの「義」がある?
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▼ そうですね。
経典に「我が滅度、2,289年後の3月28日、山梨の伊藤家に生まれ、真言で修行し、霊能を以て仏法を弘め、接心で救い、抜苦代受を打ち立てる」
と書いている経典はありません。

如来が説くところの様々な教説の意義・筋目を熟知し、それぞれの諸仏等を供養した上で  
(真言宗醍醐派での修行を初めとして、様々に修行し)
このような無上の正法を建立して、
(涅槃経を中心とし、それを弘めるための接心、霊能、抜苦代受を打ち立て)
受持し擁護する。
(昭和から平成の現代から未来に渡って涅槃経を受持し、これを守る)
と読むわけですね。
無論、これは解釈です。
事実としては、涅槃経に「未来に必ずこの経を説くものが出る」と示され、その如く伊藤 真乗師が出たという事です。

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   ★ ↑ くどいようだが「法華 勝 涅槃 劣」あるいは「法華 主 涅槃 従」は決定した。
この真如狂徒が必死になって理屈を捏ね繰り回していたがとうとう完全に反論不能になり最後は完全敗北宣言した。

115  ▼「不可思議なのは 『佛の内証』」 と、前言を翻したのだから、「涅槃 勝 法華 劣」と主張していた根拠は崩れ去った。残念〜!
117 ■「是れ即ち勝となす、善男子、この義を以ての故に、甚奇甚特(じんきじんとく)にして思議すべからず」の五行前位から見たいので提示してくださいますか?
118 あれ?▼『涅槃経は「不可思議」=思う事も論ずることもできない』 って言ってましたよね? すり替えましたね〜!卑怯・姑息のの卑劣漢!
119 大般涅槃経 梵行品 の当該箇所をなぜ漢文のみで提示してきたのか?真如苑教徒のその腹黒い意図を暴く。
120 また首が落ちた!梵行品の文はただ方等十二部経と涅槃経を比較しただけの文だった!墓穴さらに増える!

となればもはや上記の「解釈」は採用されない。失当である。
涅槃経で説かれる「正法」とか「此の経」と言う類の語は全て「法華経 主 涅槃経 従」に括られた中で解釈すべきこととなる。
従って、「涅槃経 主」 と立てて涅槃経を殊更に法華経より重要視して担ぎ上げることは釈尊の真意を穢す極悪大重罪となる。
由って真乗は教主に見せかけてその実は釈尊に師敵対の大悪党ということになる。


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