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大般涅槃経梵行品について

▼ 乾隆大藏經-大般涅槃經卷18梵行品第八之四 - 佛學世界(網路藏經閣)

14段目から

不知見覺而是菩薩所知見覺善男子若我
弟子謂受持讀誦書寫演?十二部經及以
受持讀誦書寫敷演解?大涅槃經等無差
別者是義不然何以故善男子大涅槃者即
是一切諸佛世尊甚深祕藏以是諸佛甚深
祕藏是則爲勝善男子以是義故大涅槃經
甚奇甚特不可思議
迦葉菩薩白佛言世尊
我亦知是大涅槃經甚奇甚特不可思議
佛法衆僧不可思議菩薩菩提大般涅槃亦不
可思議世尊以何義故復言菩薩不可思議
善男子菩薩摩訶薩無有教者而能自發菩
提之心?發心已勤修精進正使大火焚燒
身首終不求救捨念法心何以故菩薩摩訶
薩常自思惟我於無量阿僧祇劫或在地獄
餓鬼畜生人中天上爲諸結火之所燒然初


です。

涅槃経は法華経の後の経ですから、「是則爲勝善男子以是義故大涅槃經甚奇甚特不可思議」
「是れ即ち勝と為す、善男子、この義を以ての故に(大般涅槃経)は甚奇甚特にしてしぎすべからず」
と言葉遣い(「甚奇甚特」や「不可思議」)の上のみならず、文意上もこれまでの経典より「勝となす」とされております。

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A   ★ ↑ ではこの誑惑を暴いていきましょう。

http://www.archive.org/stream/kokuyakudaizky08tokyuoft#page/613/mode/2up

これは貴方が紹介してくれたHPでの梵行品の当該箇所です。

本文は、

『善男子、若我が弟子、十二部経を受持、書写、演説すると、及以(および)大涅槃経を受持、読誦、書写、敷演、解説すると、等しうして差別無しと謂ふは、是の義然らず。
何を以っての故に。
善男子、大涅槃とは即ち是一切の諸佛世尊の甚深秘蔵なり。
是諸仏の甚深秘蔵なるを以て、是則勝と為す。
善男子、是の義を以ての故に大涅槃経は甚奇甚特にして思議すべからず。』

です。

その前の部分も貴方は載せて来てますが今回の本題とは意味が違う箇所なので省きます。
では、行きますね。

十二部経  とは何でしょうか? 当然知ってますよね?

まずは貴方の好きなウィキペディアから
十二部経 - Wikipedia

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無量義経
「善男子、初め四諦を説いて、声聞を求むる人の為にせしかども、而も八億の諸天、来下して法を聴いて、菩提心を発し、中ろ処処に於て、甚深の十二因縁を演説して、辟支仏を求むる人の為にせしかども、而も無量の衆生、菩提心を発し、或は声聞に住しき。
次に方等十二部経、摩訶般若、華厳海空を説いて、菩薩の歴劫修行を宣説せしかども、而も百千の比丘、万億の人・天、無量の衆生、須陀?に住し、斯陀含を得、阿那含を得、阿羅漢果を得、辟支仏因縁の法の中に住することを得。
善男子、是の義を以ての故に、故に知んぬ。
説は同じけれども而も義は別異なり。
義異なるが故に、衆生の解異なり。
解異なるが故に、得法、得果、得道、亦異なり。
是の故に善男子、我道を得て初めて起って法を説きしより、今日、大乗無量義経を演説するに至るまで、末だ曽て苦空無常無我、非真非仮、非大非小、本来生ぜず、今亦滅せず、一相無相、法相法性、不来不去なり、而も諸の衆生四相に遷さるると説かざるにあらず。
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法華経見宝塔品第十一
若し八万 四千の法蔵
十二部経を持って 人の為に演説して
諸の聴かん者をして 六神通を得せしめん
能く是の如くすと雖も 亦末だ難しと為ず
我が滅後に於て 此の経を聴受して
其の義趣を問わん 是れ則ち難しと為す

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そして 涅槃経に云はく
■「是の諸の大乗方等経典、復無量の功徳を成就すと雖も、是の経に比せんと欲するに、喩へを為すを得ざること、百倍・千倍・百千万億・乃至算数譬喩も及ぶこと能はざる所なり。
善男子、譬へば牛より乳を出し、乳より酪を出だし、酪より生蘇を出だし、生蘇より熟蘇を出だし、熟蘇より醍醐を出だす。
醍醐は最上なり。
若し服すること有る者は衆病皆除き、所有の諸薬も悉く其の中に入るが如し。
善男子、仏も亦是くの如し。
仏より十二部経を出だし、十二部経より修多羅を出だし、修多羅より方等経を出だし、方等経より般若波羅蜜を出だし、般若波羅蜜より大涅槃を出だす。
猶醍醐の如し。醍醐と言ふは仏性に喩ふ」

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   ★ ↑ もうお分かりですね?
つまり、十二部経というのは方等部の教えであり、般若 華厳 などより低い教説。
増して況や、法華経などには遠く及ばない経典群ということですね。

そこで、もう一度当該文を拝してみましょう。

『善男子、若我が弟子、十二部経を受持、書写、演説すると、及以(および)大涅槃経を受持、読誦、書写、敷演、解説すると、等しうして差別無しと謂ふは、是の義然らず。
何を以っての故に。
善男子、大涅槃とは即ち是一切の諸佛世尊の甚深秘蔵なり。
是諸仏の甚深秘蔵なるを以て、是則勝と為す。
善男子、是の義を以ての故に大涅槃経は甚奇甚特にして思議すべからず。』

   ★ ↑ はい。「十二部経を修行することと、涅槃経を修行することを同じと思ってはいけません。
涅槃経は諸仏の深く秘蔵していた教説である。
この深く秘蔵の教説であるが故に勝れているのである。
であるがゆえに、涅槃経は甚だ奇であり、甚だ特殊であるから思議してはならない。」

ま、こうなる訳ですな。

はい、どこにも「法華経」の義はありません。
方等十二部経と比して優れている。と言っているに過ぎませんね。

さてさて、貴方はこの段を全部読んだとき、当然この事実を知って愕然とした。
真乗の解釈とは、全く違う。。。しかも真乗は切り文して我田引水していた!なんということだ!
でも、もはや後ろには引けぬ。真乗先生は佛なんだ!絶対そうだ!そうに決まってるんだ!
くっそ〜〜〜、でも、どうしよ〜〜。(-_-;)
そうだ、漢文だけ出して何とか誤魔化そう!
しかもこの部分が書き下し文で大勢に見られたら絶対にやばい。。。涅槃 優 法華 劣 が主張できなくなっちまうじゃないか!

それで、このような漢文の白文のままのHPをわざわざ探し出してきた訳ですな。
貴方の行動パターンは実に分かり易い!

さ、ここも解釈が完全に間違っていたんだから、佛であるという師匠・真乗先生の分まで一緒に、世の中に詫びて訂正し、撤回しなさい。
そうして
「涅槃経は法華経と比較して勝れてはいませんでした。
もう二度とこのような妄言は吐きません。
妄執も懐きません。
法華経様本当に申し訳ありませんでした。」

この文を自筆のサイン入りで、公表しなさい。
いいですね?


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