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とうとう、敗走宣言ですか?

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樋田様

お世話になっております。
これ以上、付き合いきれないというのもありますが、※@「樋田様は結局、他人の揚げ足取りばかりで議論にならないと判断し、私が議論をまとめました。」
これに対する反論があれば、その内容に反論する価値がある部分だけ反論しますが、※A「基本的に今後はスルーになります。」
その前に、一度、また会って話しましょうか?
涅槃VS法華 という※B「下らない理論理屈」ではなく、※C「「人が救われるという事はどういう事か」」を話し合いたい気分です。
日蓮大聖人は哲学者。経典を学んでも涅槃経を説けなかった単なる学僧。
※D「伊藤 真乗るはあらゆる艱難を乗り越えて涅槃経を世に表した聖人。」
※E「その差が、今の日蓮正宗の醜悪ぶりと真如苑との差という現証」にあらわれていますよね?

           ○○○○拝    

2016/11/20 (日) 0:49  着信

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   ★ ↑ これ、典型的な敗走宣言ですね。
もちろん、法論当事者は自ら「負けました」とはまず絶対に言いません。
しかし、これだけ、ある意味分かりやすい敗走宣言も珍しい。
今迄相当量、創価や他の根性の腐り切った謗法者と文書対論してきたが、こんなに分かりやすい反応を見たのは初めてである。
一例で判断してはいけないが、創価などの、三大秘法と唯授一人血脈そのものを誹謗している者どもに比べれば、「涅槃経 優 法華経 劣」 という妄念の者の方が、少しは罪業が軽いが故に、心根も少しはましなのかも知れない。

が、しかし、甘い顔をしてはいけない。
真の救済とは、邪義・邪説に妄執しているその根性を徹底的に破折してあげて、動執生疑を起こさしめ断疑生信へ導くことだからである。

涅槃経に曰く
■ 「若し大乗経を誹謗(ひぼう)する者有らば、当に勢力(せいりき)を以て之を摧(くじ)きて伏せしめ、既(すで)に摧伏(さいふく)し已(お)はって然して後に勧めて大涅槃を読ましむべし。」

である。
もちろん、ここに言う、「大涅槃」とは、法華経の追説が涅槃経 との意から、「法華経を中心としたところの真に即身成仏できる教法」 という意義である。

では、分析しつつ破折を加えていこう。

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▼ ※@「樋田様は結局、他人の揚げ足取りばかりで議論にならないと判断し、私が議論をまとめました。」

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   ★ ↑ まずこれが典型的な敗走する者達の常套句である。
いわく ▼「揚げ足取り」 
しかし、どうであろうか?

真如苑教徒への再反論

ここにある全ての破折文を見て、私が「揚げ足取り」に終始していると、果たして言えるだろうか?
ここは自分で自分を正当には評価できないものなので、まさに世の有識具眼者にお伺いしたいところである。

また、既にメール上では、「もう、勘弁してくれ〜い」 的な内容のものが来てはいたが、(これも後に発表する。問難者本人にも通告してある)
いよいよ問難者がまいってきたのは、このメールの直前の

28 ▼「お釈迦様は肉体でなく、悟りの智慧そのものです。」を徹底的に破折する。
29 ▼「肉体のないお釈迦様」がなぜ▼「今から2,500年ほど前に霊鷲山で「これから大事な事を説くよ」」と言うことができるのか?

であろう。

これについても、問難者は当方からの詰問を▼「子供の喧嘩レベル(趣意)」と内容を貶めようと、初めから必死に逃げを打っていたが、次の問難者の間抜けな返答に、そこへ更に破折の追撃を受けたものだから、「もう、こりゃたまらん。これ以上は反論不可能。逃げるが勝ち」 と慌てて冒頭のメールを打ってきたのであろう。

29 ▼「肉体のないお釈迦様」がなぜ▼「今から2,500年ほど前に霊鷲山で「これから大事な事を説くよ」」と言うことができるのか?

↑これがUPされたのが、11・19 の19時頃。  問難者から冒頭のメールが来たのが 2016/11/20 (日) 0:49  着信

どうであろう、問難者の慌てぶりが実に分かり易いではないか。
かく言うのも、実は、今までの文書対論、現場対論の経験値から、28 29 をUPした時点で、「そろそろギブアップして来るだろうな」との予感はあったのである。
それがこちらの読み通りに展開したので、逆にこちらが驚いた次第である。実に分かり易い。
創価や、他の下衆な謗法者などは、それはそれは粘って絡みついてきたものである。

学会員・反論不能で遁走の記録

とか

クズ犬「考える人」完全粉砕・反論不能一覧表

など

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28 ▼「お釈迦様は肉体でなく、悟りの智慧そのものです。」を徹底的に破折する。
29 ▼「肉体のないお釈迦様」がなぜ▼「今から2,500年ほど前に霊鷲山で「これから大事な事を説くよ」」と言うことができるのか?

この内容は決して「揚げ足取り」などという低次元の問題ではない。
問難者は自分の負けを認めたくないが故に、こういう言で、相手を貶めて、自分の主張に誤りがない、としたいのであるが、実はそんなレベルの問題ではないのである。
ことは  報身 法身 応身 この三身如来の関係性であり、実に奥深い問題なのである。

これは、伊藤真乗が立てた教義が狂っているが故に、それを真面目に信じている信徒が狂うのである。
真乗はこう立てている。

@−2 改訂版 真言宗 及び 伊藤真乗 の矛盾を粗々突く

ここに既に指摘してあるが、

真如苑の主張する系譜を

久遠常住釈迦牟尼如来
→法身大日如来
→普賢菩薩
→龍猛
→龍智
→金剛智
→不空
→恵果
→空海
→聖宝理源大使
→佐伯恵眼   
→金剛真乗(伊藤真乗教祖)

としてある。


これがとんでもない邪義・邪説なのである。
「法身大日如来」というのはその名の通り、法身 つまり 法そのものを身とする如来 → 肉体を持たないのである。
これ自体、方便の教えなのだが、真乗は当初、真言系を前面に出して布教していたが、伝統仏教から脱却して何とか独自性を出したい真乗はそこへ涅槃経を持ち込みだす。
その涅槃経は「釈尊」が現実にインドに応誕して説いた経典である。
ところが真言では、「法身である大日如来こそが真の根本仏であって、肉体を持って生まれてきた釈迦如来などは、「無明の辺域」つまり凡夫に毛が生えた程度の仏」と下すのである。
ここに矛盾が起きてしまうのである。

法身大日如来 を根本に考えると、どうしても密教の教えに与さなければならない。
しかし、何とか真如苑を最高絶対の教団ということにしたい。
で、涅槃経が最高と言うからには「釈尊」を根本に位置付けないとまずいだろう。
そこで、とにかく「釈尊」を何とか「法身大日如来」の前に持ってきたい。
だが、まてよ。「肉体を持った釈尊」 ということになると、これまたヤバい。
法身である大日如来に 「肉体を持った釈尊」が法を相伝することになってしまい、なんか変だ。
真言系からも猛批判を受けること必至。
そこで、浅智恵出して「智恵のみの常住釈尊」と立て、そこから大日如来へ相伝したことにすれば、おお!これだ!
名前はえっと、えっと、そうだ!「久遠常住釈迦牟尼如来」でどうよ?
これで、真如苑最高絶対を喧伝できる!
しかも、涅槃経ならば、法華・涅槃部だから、真言三部経よりは上と言える。
それに、創価学会は法華経だから、これともかぶらない。
しかも、しめしめ、涅槃経の方が後に説かれてる。
後の方が法華経より更に上って言えるじゃんか!
これでもう、無敵だ!鬼に金棒だ!
ってな訳だったのである。

ところが! 報・法・応の三身如来の教義が全く分かっていないもんだから、曖昧ないい加減なイメージ論でしかものが言えない。
それがそのまま信徒へ影響し、今回の問難者の 「お釈迦様は肉体でなく、悟りの智慧そのものです。」 との発言になったのである。

この矛盾を暴くことが、まさに伊藤真乗の邪師さ加減を暴くことに繋がる大変に重要なポイントであったわけである。
ところが問難者は、自分が毒されてきたいい加減な解釈しかできない真乗の教義がいかに間違っているかが検討もつかず、しかし、相手の追及にも明快な返答もできない。
困った挙句に、※@「樋田様は結局、他人の揚げ足取りばかりで議論にならないと判断し、私が議論をまとめました。」こういって逃げを打ったのである。

さ、ここまで解説しても果たして、「揚げ足取り」 と非難し続けて、遁走できますかね?

今回は良い機会だから、この文書対論を読んできた方々に感想をいただき、後にUPしたいと思う。
もちろん、問難者の方でも誰かに読んでいただいてその感想を挙げていただいて大いに結構である。

つづく


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