TOP / 教義的資料目次 /  真如苑教徒反論目次


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総論

真言密教歴史
教義と本尊
破折

仏罰厳証

善無畏 一時頓死
弘法大師 晩年
平清盛
承久の乱

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破折各論

顕密二教判は空海の己義
大日如来が実仏だとするならば「八相作仏」を明示せよ
もし、「大日如来が娑婆世界の仏」 と言うのであれば、 「世に二仏無く、国に二主無き」 という仏教の基本的な決まりごとに反する。
「他土の仏」 と言うのであれば
「大日如来も釈尊も一体」 と言うのであれば、何で釈尊を下し、捨て去るのか。

大日経に二乗作仏を説かず   一切の声聞・縁覚を共にせず。亦世尊普(あまね)く一切衆生の為にするに非ず
此くの如き乗々は自乗に名を得れども後に望めば戯論と作す

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付法の八祖

@ 「法身大日如来」つまり 肉体のない法そのもの(といわれている)仏は、いつ、どこで、どうやって、法を授けたのか?
A 金剛薩た とはどんなモノなのか?
B 三祖である 龍猛=龍樹 は、根拠ない妄説 龍猛 と 龍樹 は別人だった。
 1 金剛薩た から どう付属を受けたのか?
 2 もし 龍猛=龍樹 だとしたら大矛盾あり。
 竜樹 大智度論に曰く「「十方恒河沙の三千大千世界を名づけて一仏国土と為す。是の中に更に余仏無し。実に一の釈迦牟尼仏のみなり
涅槃経に予見 邪教の開祖らの醜態
C 第四祖 龍智 はなんと!寿命700歳!(まるで旧約聖書なみの荒唐無稽さ!)

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伝持の八祖

D 五祖の善無畏 と六祖の一行について
密教はそもそも矛盾破綻だらけのデタラメ宗

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空海破折

@ 「顕劣密勝」 は空海の己義
    第三祖 竜樹菩薩も 法華経こそ秘密経 二乗作仏あるが故 と説く → 空海の「顕劣密勝」は完全な己義・邪儀 
A 空海が、顕教である「六波羅密教」の教説から「大日経」最勝を主張する矛盾
B 「十住心論」は空海の己義
C大日経に二乗作仏なし
D法身・大日如来を立てる誤り
E両部曼荼羅などただの悪戯描きに過ぎない
F本尊と宗旨の混乱が甚だしく、文字どおり支離滅裂の様相

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空海の誑惑

三鈷
夜中に日輪
霊鷲山で釈尊から目の当たりに法を聞いた
直ちに毘盧遮那仏となる?

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遍路の実態
五百羅漢

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護摩
 迦葉三兄弟の帰依
 "亡国"の凶相
 岡山県倉敷市の真言宗寺院の住職が、妻の後頭部を殴打して放火し、自坊を全焼、妻を焼死させた
 慈覚の首
 元僧侶が語る邪宗の害毒

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遍路矛盾

 三業不相応

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体験談

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真言宗豊山派を破す

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伝教大師は真言を破折されていた

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▼ そもそも大日の三部を 「密教」 と云い、法華経を 「顕教」 という事などどの経典にも全く書かれてない。弘法の自見・己義・我見である。

■顕密二教判

顕密二教判(けんみつにきょうはん)とは、弘法が『弁顕密二教論』で説いた教義で、「顕教」 と 「密教」 の勝劣を判じたもの。以下、簡単に概要を記す。

(1)
顕教……歴史上の釈尊によって説かれた随他意(ずいたい)・方便の教え
密教……大日如来が説いた随自意(ずいじい)の真実の教え

(2)
顕教……修行について説くが、悟りの境涯(きょうがい)を説くことができない教え
密教……悟りの境涯を説いた教え

(3)
顕教……生まれ変わり死に変わり、長い間修行しないと成仏できない教え
密教……即身成仏の教え

以上の違いによって、弘法は 「顕劣密勝(顕教は劣り、密教が勝れている)」 と主張した。

つまり、弘法が自身が日本に持ち込んだ真言宗を正当化するために経典に何の根拠もなく勝手に言いだした我見・己義。

▼  真言宗では 
▼「真言三部経 理趣経などは、法そのものである最尊尊極の大日如来が説いた経であるから、肉身を持った劣った仏である釈迦如来が説いた法華経・華厳経。般若経(一部を除く)・涅槃経などより遥かに優れている。」
と主張している。
もし、そうであるならば

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1 大日如来の 出世・成道・説法・利生(りしょう)は釈尊より前か後か?如何(いかん)。
  → 当然、これについてどこにも具体的なことは説かれていない。
  → ということは大日如来などというものは架空の仏であり、実体がない。
  → その教えも、架空の話であって、実体はない。

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2 1、と同様かも知れないが、重ねて指弾すれば、仏として法を説く、という限りは必ず実在の仏として 「八相作仏」 が明確でなければ信用できる対象ではない。

八相作仏

@ 下天(げてん)       
A 託胎(たくたい)      
B 出胎(しゅったい)     
C 出家(しゅっけ)      
D 降魔(ごうま)       
E 成道(じょうどう)     
F 転法輪(てんぽうりん) 
G 入涅槃(にゅうねはん)

では、例えば大日如来が実在の仏だとしたら 「託胎」 したその父母は誰か。その名前は?→ 破折は同上。

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3 もし、「大日如来が娑婆世界の仏」 と言うのであれば、 「世に二仏無く、国に二主無き」 という仏教の基本的な決まりごとに反する。

涅槃経の三十五 
■「我処々の経の中に於て説いて言はく、一人出世すれば多人利益す。一国土の中に二の転輪王(てんりんおう)あり。一世界の中に二仏出世すといはゞ是の処(ことわり)有ること無し」


竜樹菩薩 大智度論
■ 「十方恒河沙の三千大千世界を名づけて一仏国土と為す。是の中に更に余仏無し。実に一の釈迦牟尼仏のみなり」

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もし 「他土の仏」 と言うのであれば、なんでこの娑婆世界有縁の我々衆生にとって主師親三徳を具しておられる釈尊を蔑(ないがし)ろにして、他方疎縁の仏を崇めるのか。
これ不忠・不孝の極みではないか。

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もし 「大日如来も釈尊も一体」 と言うのであれば、何で釈尊を下し、捨て去るのか。

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   ★ → つまり、大日如来などは架空の仏であり、弘法の 「顕劣密勝」 との主張は全くの根拠のない邪義である。

涅槃経に云く
■ 「若し仏の所説に順わざる者有らば当に知るべし是の人は是れ魔の眷属なり」  との経文の如くの魔師・大悪師。

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    →  大日経には 「仏不思議真言相道(そうどう)の法を説いて、一切の声聞・縁覚を共にせず。亦世尊普(あまね)く一切衆生の為にするに非ず」 云云。とあり二乗を隔てている。その他の真言三部経も同様。
つまり一切衆生の成仏が説かれていない劣った経典群である。
仏教の全体観を弁えず、しかもそのような、一切衆生が皆成仏することが出来ない劣った教説を説く、真言三部経を最勝と位置付ける弘法は邪師

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    →  弘法の秘蔵宝鑰(ほうやく)には  
▼「此くの如き乗々は自乗に名を得れども後に望めば戯論と作す」。とあって、法華経を「戯論」と蔑如し下している。
そのような説は大日経・蘇悉地経・金剛頂経など真言三部経にも全くない我見・己義である。

法華経最第一は決定的判釈である。

その法華経に

■ 「法華経譬喩品第三
若し人信せずして 此の経を毀謗せば則ち一切 世間の仏種を断ぜん
或は復?蹙(ひんじゅく)して 疑惑を懐かん
汝当に 此の人の罪報を説くを聴くべし
若しは仏の在世 若しは滅度の後に
其れ斯の如き経典を 誹謗すること有らん
経を読誦し 書持すること有らん者を見て
軽賎憎嫉して 而も結恨を懐かん
此の人の罪報を 汝今復聴け
其の人命終して 阿鼻獄に入らん
一劫を具足して 劫尽きなば更生れん
是の如く展転して 無数劫に至らん


とあり、弘法大師は間違いなく無間地獄に堕ちているということになる。
それは弘法自身の言葉 ▼「謗人謗法は定めて阿鼻獄に堕せん」 の通りでもある。

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真言宗の付法 伝持 の矛盾を突く

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付法の八祖
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真言宗の法流の正系を示している。教主大日如来の説法を金剛薩?が聞いて教法が起こり、真言宗の教えが伝わった系譜である。

  1. 大日如来(だいにちにょらい)
  2. 金剛薩?(こんごうさった)
  3. 龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)
  4. 龍智菩薩(りゅうちぼさつ)
  5. 金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)
  6. 不空三蔵(ふくうさんぞう)
  7. 恵果阿闍梨(けいかあじゃり)
  8. 弘法大師

伝持の八祖[編集]

真言宗の教えが日本に伝わるまでの歴史に関わった8人の祖師。付法の八祖のうち、大日如来、金剛薩?は実在しない人物なので除き、2人の祖師を加えた。八祖大師(はっそだいし)とも称される。

手に印を結んだり仏具などを持っているが、これは悟りの本質をあらわしている。

  1. 龍猛菩薩 : 大日如来の直弟子金剛薩?から密教経典を授かって、世に伝えたといわれている(三鈷杵(さんこしょ)を右手に持っている)。
  2. 龍智菩薩 : 龍猛から密教を授かった(経文を右手に持っている)。
  3. 金剛智三蔵 : インドで龍智から密教を学んだのち唐へ渡り、「金剛頂経」を伝える(数珠を右手に持っている)。
  4. 不空三蔵 : 西域生まれ。貿易商の叔父に連れられて唐へ行き、長安で金剛智に入門。「金剛頂経」を漢語に翻訳し、灌頂道場を開いた(外縛印(げばくいん)を結んでいる)。
  5. 善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう : インド生まれ。大乗仏教を学び、さらに密教を受け継ぐ。80歳になって唐に渡り「大日経」を伝える(右手の人さし指を立てている) 。
  6. 一行禅師(いちぎょうぜんじ): 中国生まれ。天台教学、天文学、数学を学ぶ。長安で善無畏に入門し、善無畏の口述をもとに「大日経疏(だいにちきょうしょ)」を完成させた(法衣のなかで印を結んでいる)。
  7. 恵果阿闍梨 : 中国生まれ。金剛界胎蔵界両部の密教を受け継いだ(椅子に座り、横に童子を待らせている)。
  8. 弘法大師 : 恵果阿闍梨から金剛・胎蔵界両部を授けられ、日本に伝えて真言密教を開いた。空海(五鈷杵(ごこしょ)を右手に持ち、左手には念珠を持っている)。


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付法の矛盾 

@ 「法身大日如来」つまり 肉体のない法そのもの(といわれている)仏は、いつ、どこで、どうやって、法を授けたのか?
そもそも大日如来はしゃべれない。
実に不可解。


A 金剛薩?(こんごうさった)って実在したのか?
だとすれば、どこで生まれて、一生の事蹟はどうだったのか?
具体的に、この地球上の場所と、その年代を明かした経典が存在しない。

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    ↑ これが密教の限界なのである。
つまり、もの言わぬ「法身」を立てるので、衆生を教化するという具体的化導において、
現実として実際、悟りとは一体なんなのか。
何をどう修行すべきなのか。を明示できない、という矛盾がどうしても生じてしまう。

そこで、困った挙句に曖昧な役割を持たせて突っ込んだのが、「金剛薩た」 である。

後の真言密教系の教祖たちがどんなに高邁な観念や理論を述べたとしても、単純な道理として「口も手もない法身如来」が具合的に衆生を化導する事はできないのである。

金剛薩た などというこれもまた架空の、仏なのか菩薩なのか、”得体の知れないモノ”を突っ込んで、(肉体のない)法身如来 → 衆生への化導、という論理的矛盾を誤魔化し、煙に巻いているに過ぎない。

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    竜樹 と 龍猛 は別人でした!
だから、「付法の第三祖」はすっぽ抜けました〜!

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付法の八祖
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真言宗の法流の正系を示している。教主大日如来の説法を金剛薩?が聞いて教法が起こり、真言宗の教えが伝わった系譜である。

  1. 大日如来(だいにちにょらい)
  2. 金剛薩?(こんごうさった)
  3. 龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)
  4. 龍智菩薩(りゅうちぼさつ)
  5. 金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)
  6. 不空三蔵(ふくうさんぞう)
  7. 恵果阿闍梨(けいかあじゃり)
  8. 弘法大師


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次の龍猛菩薩 だが、問難者の好きなウィキペディアによると、そのままリンク先へ行けば、以下のように出ている。
さ、どうします?
竜樹菩薩とは別人だそうですよ?

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龍猛(りゅうみょう、N?g?hvaya、別訳 龍叫)は、密祖(密教の祖)とされ真言宗では真言八祖の1人である。
長らく龍樹と同一視されてきたが、諸説あるもののおそらくは、6世紀ごろの別人である。

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さらに調べると、↓ こうある。
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密教の祖[編集]

新龍樹[編集]

大正時代の河口慧海寺本婉雅は、『八十四成就者伝』の龍樹伝が特異であることから、それに書かれた龍樹は、本来の龍樹の没後(寺本によると6世紀)の同名異人であるとした。
この説では、本来の龍樹を「古龍樹 (N?g?rjuna I)」、『八十四成就者伝』の龍樹を「新龍樹 (N?g?rjuna II)」と呼び分ける。


河口は、密教経典のうち『無上瑜伽タントラ』(左道密教)が新龍樹の著作であるとしたが、これには、古龍樹の著に基づく真言密教の正当性を主張するという背景があった。


一方、寺本は、龍樹に帰せられていた密教経典の全てが新龍樹の著作であり、古龍樹は密教とは無関係であるとした。
すなわち、古龍樹が中観の祖、新龍樹が密教の祖である[3]


この説に対し羽溪了諦は、2人の龍樹の伝記の骨子

は共通であることから、これらは同一人物の伝記であり、『八十四成就者伝』が異なる部分は密教の影響による潤色であるとした。

また、栂尾祥雲『八十四成就者伝』の史料的価値を否定した。

龍猛[編集]

寺本は、新古2人の龍樹に加え、古龍樹の弟子の龍猛 (N?g?hvaya) がいたとした。
龍猛は浄土教の祖であり、『入楞伽経』に記された龍樹の授記は龍猛のものであるとした[3]

現在、龍猛が別人とされるときは、密教の業績が帰せられることが多い。
この点では、寺本説の龍猛ではなくむしろ新龍樹に対応する(ただし龍猛と新龍樹は別の史料に基づく人物像である)。

中村元による分類[編集]

仏教学者の中村元は、ナーガールジュナ(龍樹)の同一性を疑う「複数説」を紹介している[4]。中村元によると、以下の6つの人物像がナーガールジュナの名に帰せられている。

  1. 中論』など思想を展開させた著者
  2. 仏教百科事典と呼ぶべき『大智度論』の著者
  3. 華厳経』十地品の註釈書『十住毘婆沙論』の著者
  4. 現実的問題を扱った『宝行王正論』の著者
  5. 真言密教の学者(龍猛)
  6. 錬金術の学者

この内、中村は 5 と 6 が、1 と大分色彩を異にしており、別人ではないかと思われると、疑義を呈している。


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もし、龍猛 と 竜樹菩薩 が別人としたら、

真言の付法の系譜そのものが崩壊することになる。

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@ 龍猛 が 竜樹 であろうがなかろうが、そのどちらでも、実体のない、実在も証明できない、二祖 金剛薩?(こんごうさった)から、具体的に、いつ、どこで、どのような形で付法されたのか?明示できまい。

その付法の具体手な全容が、竜樹自身の正当な論書に書いてあるのか?
あったら見せてもらいたいものだ。
つまりこれも、後発で誕生した真言宗が、後人が自宗を正当化しようとして作った、全くの虚偽・虚飾なのである。

A 仮にもし、龍猛 が 竜樹自身だとしたら、自らの発言に矛盾する箇所がある。

大智度論 九
■「十方恒河沙の三千大千世界を名づけて一仏国土と為す。是の中に更に余仏無し。
実に一の釈迦牟尼仏のみなり 

我々が存在する「十方恒河沙の三千大千世界」という計算し難いほどの広大な宇宙空間には

「釈尊以外の仏はいない。 
→ 大日如来などここにはいない。」

と断言している。

つまり、竜樹は、大日如来を根本とする真言の教義体系自体を、ガツン!と否定しているのである。

とすれば、その人物を第三祖に持ち出したのは、真言宗の虚偽であること明白である。

→ ということは、それ以後の系譜など全く意味を為さない。ということである。

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涅槃経に云はく
「我涅槃の後、無量百歳に四道の聖人悉く復涅槃せん。
正法滅して後、像法の中に於て当に比丘有るべし。
持律に似像して少しく経を読誦し、飲食を貪嗜して其の身を長養し、袈裟を著すと雖も、猶猟師の細視徐行するが如く、猫の鼠を伺ふが如し。
常に是の言を唱へん、「我羅漢を得たり」と。
外には賢善を現じ、内には貪嫉を懐く。
唖法を受けたる婆羅門等の如し。
実には沙門に非ずして沙門の像を現じ、邪見熾盛にして正法を誹謗せん」

【意訳】
「我(釈尊)の仏法が滅亡した後、このような宗教家が現れるであろう。
戒律を持(たも)って、厳粛に修行しているように見せかけて、少々経典なども読みなどしているが、実は、常に旨い食い物や酒を求め、漁り、
袈裟をかけてはいるが、まるで漁師が目を細めて獲物を求めてそっと歩くように、
また猫が鼠を狙うように、信者達からの尊敬や、または財産などを狙っている。
そして、常にこう言う
「自分は悟りを得ている」 と (正当な系譜を受けた救済者であり、解脱している、仏である などなど)
外に向かってはまるで聖人のように振る舞い、しかし腹の中では常に金や女・地位・名誉に対する飽くなき欲望と
他の栄えている宗教団体に対して、あるいはまた自分より上の者や団体には、妬み、そねみ、やきもちを焼き、その炎が燃え盛っている。
しかし、いざ正当な教義論争となると、まるで一切ものを喋らない修行をしていた外道の婆羅門のように、押し黙っている。
教義論争に勝てずに、結局反論不能になり続けている。
それ、実には真の正統な僧ではないくせに、三宝一体の「僧」である、などと嘯いて、それらしく振舞い、
しかし、邪見の塊であって、真の正法を誹謗している。」

まさに空海の姿そのままではないか!
よくよく、畏れるべきである。
そして一刻も早く真言亡国の連鎖から目を覚ますべきである。

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付法の八祖
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真言宗の法流の正系を示している。教主大日如来の説法を金剛薩?が聞いて教法が起こり、真言宗の教えが伝わった系譜である。

  1. 大日如来(だいにちにょらい)
  2. 金剛薩?(こんごうさった)
  3. 龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)
  4. 龍智菩薩(りゅうちぼさつ)
  5. 金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)
  6. 不空三蔵(ふくうさんぞう)
  7. 恵果阿闍梨(けいかあじゃり)
  8. 弘法大師


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  ↑  問難者の好きなウィキペディアから

龍智菩薩(りゅうちぼさつ)

龍猛菩薩の弟子として、密教について学び、厳しい修行をしたインドの高僧。
仏教に限らず、さまざまな学問に通じており、
中でも、長寿を保つ秘法を知っていて、700歳で亡くなったと伝えられている。
長きにわたり、多くの人々を救済した、まさに人間離れしたお坊さん。(※下線・太字は当方)

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   ★ ↑ は〜〜〜〜〜? これまともに信じているのか?
もしそうなら、その時点で、人間としての理性が破綻している証左である。

この龍智のこの無茶な逸話はなぜできたのか?
簡単なのである。
つまりその後の、実在の人物、

● 「金剛智(こんごうち、skt:Vajrabodhi、669年 - 741年)は、音訳では跋日羅菩提といい、中国密教の祖師であり、開元三大士の一人である。主に『金剛頂経』系の密教を伝えた。真言八祖の中では、「付法の八祖」で第五祖、「伝持の八祖」では第三祖とする。」

へ、繋げる為に、年月が合わない、足りないので、こんな荒唐無稽な嘘八百の人物をでっち上げて、「寿命700歳」 などとして第4祖として突っ込んだだけのことなのである。

こんないい加減な系譜はこうして詳細に解析すれば(って大したことではない、子供でも分かることだが)
全く信じる価値のない、ガラクタ血脈、ニセ血脈 詐称血脈 捏造血脈 であること明明白白である。

空海の正当化はこれで完全に崩れた。
それでもまだ空海を信じるとすれば、それはただ愚昧な妄執ということ。

それで人生を台無しにし、しかも三悪道に堕ちる業因を日々せっせと積んでいるのである。
なんと哀れなことか!
なんと痛ましいことか!

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伝持の八祖[編集]

真言宗の教えが日本に伝わるまでの歴史に関わった8人の祖師。付法の八祖のうち、大日如来、金剛薩?は実在しない人物なので除き、2人の祖師を加えた。八祖大師(はっそだいし)とも称される。

手に印を結んだり仏具などを持っているが、これは悟りの本質をあらわしている。

  1. 龍猛菩薩 : 大日如来の直弟子金剛薩?から密教経典を授かって、世に伝えたといわれている(三鈷杵(さんこしょ)を右手に持っている)。
  2. 龍智菩薩 : 龍猛から密教を授かった(経文を右手に持っている)。
  3. 金剛智三蔵 : インドで龍智から密教を学んだのち唐へ渡り、「金剛頂経」を伝える(数珠を右手に持っている)。
  4. 不空三蔵 : 西域生まれ。貿易商の叔父に連れられて唐へ行き、長安で金剛智に入門。「金剛頂経」を漢語に翻訳し、灌頂道場を開いた(外縛印(げばくいん)を結んでいる)。
  5. 善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう : インド生まれ。大乗仏教を学び、さらに密教を受け継ぐ。80歳になって唐に渡り「大日経」を伝える(右手の人さし指を立てている) 。
  6. 一行禅師(いちぎょうぜんじ): 中国生まれ。天台教学、天文学、数学を学ぶ。長安で善無畏に入門し、善無畏の口述をもとに「大日経疏(だいにちきょうしょ)」を完成させた(法衣のなかで印を結んでいる)。
  7. 恵果阿闍梨 : 中国生まれ。金剛界胎蔵界両部の密教を受け継いだ(椅子に座り、横に童子を待らせている)。
  8. 弘法大師 : 恵果阿闍梨から金剛・胎蔵界両部を授けられ、日本に伝えて真言密教を開いた。空海(五鈷杵(ごこしょ)を右手に持ち、左手には念珠を持っている)。


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   ★ ↑ 次の矛盾を突く

五祖の善無畏 と六祖の一行について

善無畏が『大日経』等の梵本(梵語すなわちサンスクリットで書かれた原本) を翻訳せんとした際、そこに重大な壁が立ちふさがった。
それは、当時の中国には、すでに天台大師による円満無欠の『法華経』 の教えが弘まっていたため、善無畏が持参してきた経典は、とうてい普及の見込みがないことであった。

 そこで善無畏は、ひとつの迷策を考案し、当時、天台の学匠として知られていた一行阿闍梨を巧言をもってそそのかし、持参してきた経典を天台の義によって翻訳させ、さらに『法華経』の教義に基づいてその解説書を作らせることに成功したのである。

 この善無畏の巧みな誑惑により、あたかも密教は最勝の法であるかのごとく見せかけられ、中国に広く根をおろしていった。

具体的に言うと
『大日経』に説かれる▼「心実相」の語をとりあげて、『大日経義釈』(『大日経疏』 の再治本) の中に

▼「彼(法華経)に諸法実相と言うは、すなわち、これこの経(大日経)の心の実相なり。
心実相とは、すなわち是れ菩提、更に別理なきなり


と述べて、『法華経』 の十如実相の理に同化し、『大日経』にも一念三千・即身成仏の義がある、と標榜した。

そして、『大日経転字輪曼荼羅行品』に

▼「毘慮遮那世尊、執金剛秘密主に告げて言く、我れは一切の本初なり、号して世所依と名づく」、

とある一節をさして、『大日経義釈』の中で

▼「我一切本初とは寿量の義なり

と釈明し、大日如来を『法華経寿量品』の久遠実成の仏に擬して、万有開展の本源と説いたのである。

 かくして『大日経』の中へ『法華経』の教理を取り入れた真言密教では、『法華経』も『大日経』も理論内容においては等しいが、実際の功徳においては、印(印契ともいい、指をまげて種々の形を造ること)と真言(仏の真実の言という意であるが、ここでは種々の呪文のこと) とがある『大日経』 の方が勝れるとして、理同事勝(理においては同じであるが事において勝れる)と主張する。

さらに、天台大師の「法華開会の法門」を自宗に取り入れ、諸宗で依経とする華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃の一切経は、ことごとく『大日経』に摂め入れられている、と言うに至ったのである。

しかし、いかに 「心実相」 「我一切本初」等の『大日経』 の一節を引こうとも、もとより十界互具・一念三千の宝珠はただ『法華経』 にのみ説くところであって、その現証としての二乗作仏・久遠実成は、『大日経』にも、むろん『金剛頂経』・『蘇悉地経』等にもまったく説かれていない。

つまり、善無畏と一行は、これまた、なんと!虚偽・捏造・ペテンを使って、世間を誑惑して真言密教を浸透させていったのである!
こんな連中が、真言宗の伝持 の第五と第六なのか?
だめだこりゃ。

信者は当然、その開祖や、祖師の傾向性に色濃く影響される。
おそらく、真言系信者は、嘘だらけ・捏造だらけ・人を騙すことへいちゃら、自分でも騙している自覚すら持てない。そうして自己主張だけは人一倍、虚栄心が強く、負けず嫌い、、、、そんな傾向が濃厚であろう。

真に恐るべきは邪宗の害毒である。

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密教はそもそも矛盾破綻だらけのデタラメ宗
で、そこらかしこに矛盾隠しの継ぎはぎをしているだけ。
その矛盾を突かれないように誤魔化して、肝心の部分になると「密教だから秘伝・秘儀。だから公開できない」みたいに追及されないように逃げを打っている。
ただそこで勘違いしないでもらいたいのは、日蓮正宗の唯授一人・血脈相承だって公開できない秘伝秘義であるが、それはあらゆる教義体系が総合的に統合されており、一切矛盾破綻がない。
ただその極まった頂点だけは唯授一人で伝持されている。ということである。
しかもその血脈相承の系譜は歴史的に実在した人物として確たるものである。

一方真言密教の秘伝秘義とかいうものは、「不法の八祖」も「伝持の八祖」も、そもそも一番大本の 大日→金剛薩た→龍猛 が既に歴史的に全く裏付けが無く、ただの空想の域を出ないものである。

それも当然で釈尊が方便として説いた仮想仏・架空のお話を基にして作り上げたものだから、誕生からしてただの空想のお話なのである。
お伽噺にいろんな寓意を含めて幼児を教育するような経典だったのである。
そのお伽噺に書かれている空想の産物をあたかも実在しているように錯覚して作り出された宗派なのである。
だから、どこをどう切っても空想の夢物語にまことしやかな理屈付けしているに過ぎない。
これが真言密教の本質である。


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伝持の八祖[編集]

真言宗の教えが日本に伝わるまでの歴史に関わった8人の祖師。付法の八祖のうち、大日如来、金剛薩?は実在しない人物なので除き、2人の祖師を加えた。八祖大師(はっそだいし)とも称される。

手に印を結んだり仏具などを持っているが、これは悟りの本質をあらわしている。

  1. 龍猛菩薩 : 大日如来の直弟子金剛薩?から密教経典を授かって、世に伝えたといわれている(三鈷杵(さんこしょ)を右手に持っている)。
  2. 龍智菩薩 : 龍猛から密教を授かった(経文を右手に持っている)。
  3. 金剛智三蔵 : インドで龍智から密教を学んだのち唐へ渡り、「金剛頂経」を伝える(数珠を右手に持っている)。
  4. 不空三蔵 : 西域生まれ。貿易商の叔父に連れられて唐へ行き、長安で金剛智に入門。「金剛頂経」を漢語に翻訳し、灌頂道場を開いた(外縛印(げばくいん)を結んでいる)。
  5. 善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう : インド生まれ。大乗仏教を学び、さらに密教を受け継ぐ。80歳になって唐に渡り「大日経」を伝える(右手の人さし指を立てている) 。
  6. 一行禅師(いちぎょうぜんじ): 中国生まれ。天台教学、天文学、数学を学ぶ。長安で善無畏に入門し、善無畏の口述をもとに「大日経疏(だいにちきょうしょ)」を完成させた(法衣のなかで印を結んでいる)。
  7. 恵果阿闍梨 : 中国生まれ。金剛界胎蔵界両部の密教を受け継いだ(椅子に座り、横に童子を待らせている)。
  8. 弘法大師 : 恵果阿闍梨から金剛・胎蔵界両部を授けられ、日本に伝えて真言密教を開いた。弘法(五鈷杵(ごこしょ)を右手に持ち、左手には念珠を持っている)。


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   ★ ↑ さあ、いよいよお待ちかねの「弘法」の大矛盾です!

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【矛盾1】

弘法においては、『弁顕密二教諭』を立て、

▼「釈尊五十年の説法は、舎利弗等の請いに応じて応身仏が説いた随他意の教であり、浅略な方便教である。
『大日経』等は、自受法楽のために法身仏・大日如来が談じた随自意の教であり、唯仏与仏内証の深秘の教である」
と説き、即身成仏は大日如来の秘密教に限ると強調している。

 しかしながら、『大日経』等を密教とし、『法華経』を顕教とすることは、いずれの経にも文証のない弘法の己義である。
のみならず、仏の金言を明証とすれば、法華経こそ一大事の法門を秘蔵した経なのである。

『法華経法師功徳品第十』の三説超過の文の次下
■ 「薬王、此の経は、是れ諸仏の秘要の蔵なり。分布して、妄りに人に授与すべからず。諸仏世尊の守護したもう所なり。昔より已来、未だ曽て顕説せず。」325

『安楽行品第十四』
■「文殊師利、此の法華経は、諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於て、最も其の上に在り、長夜に守護して、妄りに宣説せざるを、始めて今日に於て、乃ち汝等が与に、而も之を敷演す。」399

 『如来寿量品第十六』
■「汝等諦かに聴け、如来の秘密神通の力を」429

『如来神力第二十一』
■「如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示頭説す。」(513)

 等々とあって法華経こそ仏の内証たる一念三千が秘められた、秘密の教であることが示されている。

ゆえに、真言宗で勝手に第三祖と仰いでいる竜樹(竜猛)菩薩も(※別人である説が有力であるが、それはどちらでも構わない)、
『大論』の第百巻・第九十品に
■ 「曰く、法華経を秘密と名づく。二乗作仏あるが故に

と説いている。

↑ もし、竜樹を第三祖 とするならば、空海のいう、「顕劣密勝」の義は、まさに大先輩、大仏教学者の竜樹の御指南にも背いている。ということになる。
真言宗系の後人がウソ・捏造で 竜樹を第三祖、などとでっち上げるから、こうやってみっともない矛盾が露見するのである。

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【矛盾2】 

弘法は、真言密教が最も優れていることを説明するために『六波羅蜜経』を引き、五蔵判を立てる。
すなわち、『六波羅蜜経帰依三宝品』の中に釈尊一代聖教を類別して、

(一) 常に閑寂な所を選んで静慮を修する者には俎多覧蔵(経蔵) を、
(二) 威儀を習い正法を護持する者には毘奈耶蔵(律蔵) を、
(三) 正法を説き法相を分別して研墳を究尽せんとする者には阿毘達磨蔵(論蔵) を、
(四) 大乗真実の智恵を願って我・法の二執を離れる者には般若波羅密蔵(慧蔵 を、
(五) 禅定を修せず善法を持たず威儀を修せず諸の煩悩に覆われた者を憐れみ、彼を速疾頓証させんがためには陀羅尼蔵(秘密蔵) 

を、それぞれ修行するように示された一節を、弘法は、法華涅槃等は第四の般若波羅密蔵、真言の三部秘経こそ第五の陀羅尼蔵であると立て、前の四蔵はすべて顕教、後の一蔵が密教であると判じ、これこそ成仏の直道なりとしたのである。 

しかしこの五蔵判を立てるために利用した『六波羅蜜経』は、まさに弘法からすれば「応身如来の劣った仏であるとする釈尊の「顕教」」であり、その自身が蔑如している経を大日経等の正当化に利用するなど、これ大矛盾である。

しかも「『大日経』等は一代の顕教の中には含まれない」としながら、顕教である一代聖教中の「陀羅尼蔵」を『大日経』等になぞらえて最上であると立てることはまさに自語相違の極み。迷乱の極致である。

賢いことで有名な弘法が、こんな簡単な矛盾に気がついていないはずはない。
つまり、真言密教を最勝最尊と周囲に納得させるためならば、手段を選ばない、なりふり構わず、我田引水し、牽強付会し、無智な者どもなら分からんだろうとばかりの強引な解釈をしたものである。
まさに「無理を通せば道理が引っ込む」の典型である。

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【矛盾3】

さらに弘法は、『十住心論』 (これを三巻に要約したものを『秘蔵宝輪』という) を著わして諸宗を批判した。
前の『弁顕密二教諭』は一切経を横に判じ、この『十住心論』は諸宗を竪に判じたものとされ、弘法の二大教判となっている。

『十住心論』 は、『大日経住心品』 に基づき衆生の心を十種に分類し、これを諸宗に配当して批判、真言宗が最勝至極の宗旨であると主張したものであるが、この中で弘法は、
▼「『大日経』に比較すれば『法華経』は三重の劣で、第三戯論である」 とし、

『秘蔵宝輪』 では 
▼「また釈尊というも、無明の辺域にして明の分位にあらず」

として、法華経並びに釈尊を蔑視している。

 しかし、彼の依経たる『大日経』・『金剛頂経』・『蘇悉地経』等のいずれにも、かかる説はまったく見当たらず、これまた経文を無視した弘法の己義に他ならない。

 しかも、中国の祖である善無畏は『大日経義釈』 の中で、一切経を四句に配当し、その第四句・如実知自心を最勝として、これに『法華経』・『大日経』を配している。
『大日経』を『法華経』と同列に配することさえ大変な誤謬であるが、弘法の立てた、『法華経』を『大日経』より三重に劣るとする説は、彼の祖師たる善無畏の説とも、まったく矛盾しているのである。

 そもそも『法華経』が、釈尊出世の本懐・己今当に超過して最勝真実の教であることば、経文の随所に示されており、これを第三戯論などと語ることは、まさに
■ 「若し人信ぜずして此の経を毀誘せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん。……其の人命終して阿鼻獄に入らん」(法華経175)
の重罪にあたるものである。

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【矛盾4】

『大日経』には
■ 「仏は菩薩の為に不思議真言相応の法を説いて、一切の声聞や縁覚を其の座に共にせず
等と二乗不成仏の立場に立つ経典であり、真言三部経などは、一代聖教中の方等部に属することが明らかで、「四十余年未顕真実」の方便経たることは疑いない。

それを
▼『大日経』と『法華経』とは共に一念三千の理を説くことは同じであるが、印と真言とが説かれる『大日経』 の方が実際の功徳において勝れる」
とする、理同事勝の定義は全くの邪義である。

いかに 「心実相」 「我一切本初」等の『大日経』の一節を引こうとも、もとより十界互具・一念三千の宝珠はただ『法華経』にのみ説くところであって、その現証としての二乗作仏・久遠実成は、『大日経』にも、むろん『金剛頂経』・『蘇悉地経』 等にもまったく説かれていない。

それは前項 

37 真言宗伝持 第5祖 善無畏 第6祖 一行 は、なんと!天台大師の一念三千と、法華経寿量品の久遠実成を盗み取って、真言密教へパクっていた! 
で解説したように
中国の善無畏と一行が、天台宗の教義から一念三千の名を盗み取り、自宗の極理と称していたからである。
 ゆえに、『法華経』と『大日経』とは、理においても雲泥の勝劣があるばかりか、二乗作仏・久遠実成の現証が「法華経」のみに説かれることにより、事においても「大日経」は遠く「法華経」に及ばない。
このうえ、いかに『大日経』に印・真言が説かれると力んでみたところで、一念三千の説かれぬ「大日経」では、もとより九界即仏界・仏界即九界の義がないので、手に印を結び、口に真言を唱えても、真の大功徳・即身成仏は永久にありえぬのである。

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【矛盾5】

法身・大日如来を立てる誤り

そもそも本来、仏とは一身即三身・三身即一身にして、法・報・応の三身が即一身に具わり、はじめて衆生済度の力用が生ずるのであって、それを各々別個の法身仏・応身仏等とするならば、何の用もありえない。
爾前の経々に、法身・報身・応身のそれぞれを各別に示しているのは、仏の徳性の一面のみを顕わしたのであって、すべて仮の仏の姿である。
これらの仏は、ひとたび『法華経』の十如実相が説かれれば、三身相即の円満無欠の仏に摂せられるのである。

 しかるに真言宗では、大日如来を法身、釈尊を応身と立て、あくまでも法身と応身とを別個に対比し、法身・大日如来の最勝を述べているが、これは爾前経の域を一歩も出ていない偏頗な仏身論である。

 そもそも「大日如来」という仏名は、「毘慮遮那」(法身仏のこと)という梵名を中国で訳した名であるが、法華経の結経たる普賢経に
■ 「釈迦牟尼仏を毘慮遮那遍一切処と名づけたてまつる」 (法華経642)
と述べられていることからも、法身・大日如来とは、釈尊が説法の必要上から方便をもって用いた一時の名であり、じつは三身相即の釈尊の、法身の一面を示していたことが明白である。

 したがって、真言宗で立てる単なる法身の大日如来は、法華経の三身相即の釈尊より数段劣る仏といわざるをえない。

 また、こうした単なる法身仏は、理上の仏であって、実際の婆婆世界に、下天・托胎・出胎・出家・降魔・成道・転法輪・入涅槃  という八相作仏の相をもって出現する実仏ではないから、我々衆生にとっても無縁の教主なのである。
かかる理仏を立てて実仏と偽り、婆婆世界の教主たる釈尊を押し倒すことは、まさに本末転倒の妄説である。

ことに、弘法が「十住心論」に
釈尊は無明の辺域 (仏界から遠く離れた迷いの境涯)にして明の分位(明らかな悟りの位) にあらず」等と述べ、

また新義真言宗の正覚房(覚ばん)が『舎利講の式』に
■「真言の行者にくらべれば『法華経』の教主釈尊など履物取りにも及ばず
等と述べて釈尊を蔑如していることは、大謗法の極みというべきである。

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【矛盾6】

真言密教で崇める両部曼荼羅なども、『大日経』・『金剛頂経』等には 九界即仏界・仏界即九界の十界互具の義がないことから、数百の諸仏・諸菩薩が大日如来を中心に融通して具足するという曼荼羅の義は崩壊しており、ただ諸尊を図上に並べたてただけの、悪戯書きにすぎない、というべきである。

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【矛盾7】

今日の真言宗では、念仏の阿弥陀仏を祀っている寺院があったり、四国八十八箇処巡礼の札所に禅宗や天台宗の寺院を含めていたり、はたまた高野山に浄土真宗の祖・親鸞の墓を建てるなど、本尊と宗旨の混乱が甚だしく、文字どおり支離滅裂の様相を呈している。
これ、正しい仏統でないことの紛れもない現証であろう。

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4年に一度のオリンピックと共に訪れる「閏年(うるうどし)」の本年。
この年に遍路をすると、
何とご利益が3倍になるらしい。
巡礼者にとって最大の関心事であろう。

★ 遍路の現状

「遍路」とは、
空海〈弘法大師〉の足跡をたどり、四国八十八ケ所の霊場を巡礼することである。

かつて、遍路は、家内安全・病気平癒・先祖供養など、現世や将来を願う祈りの旅であった。

しかし、近年では、
信仰によるもの以外に、健康維持やストレス解消、また自分自身を見つめ直す、さらには単なる観光というように様々な目的で巡られているのが実状のようだ。

このことに商機を見出した商魂たくましい業者は、「歩き遍路」以外にも「自家用車遍路」や「乗合バス遍路」、
さらには「巡礼代参サービス」や「お砂踏み」なる横着なサービスを展開するなど、もはや当初の「足跡をたどる」という意義はどこへやらといった有り様てある。

また、一昨年は四国霊場開創1200年という節目の年に当たり、旅行各社も需要拡大を見込んで様々なプランを打ち出し、さらには四国4県も遍路を盛り上げるべく、様々な企画を行っていた。

一例を挙(あ)げれば「四国へんろ展」の開催や、全国に遍路を知らしめるべく「1日で巡るお遍路さんin丸の内」「お砂踏みin仙台空港」など。
専用のラッピングカーで全国を巡回するといった力の入れようだ。

また各寺院でも「記念撮影」を用意するなど、受け入れ側も抜かりはなく、まさに四国全土を挙げて遍路をアピールしたのである。

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★ 三倍の由来は拙(つたな)い伝説

そして今年は、何と遍路のご利益が「3倍」になるという。なぜ3倍なのか。
事の始まりは次の伝説に由来する。

「ある日、河野衛門三郎という強欲非道な大百姓が托鉢(たくはつ)の鈴に昼寝を破られた。
腹を立てた衛門三郎は、その旅僧を竹箒(たけぼうき)で叩いて追い返すと、その後、8人の子供が次々と死んでしまった。
悲しみの中、強欲であったことを悔い、あの時の旅僧が弘法大師であったときづくと、許しを乞(こ)うべく後を追った。
しかし、四国霊場を20回まわっても弘法大師に出会えることはなかった。
そこで衛門三郎は、閏年のこの年、21回目にして逆回りをすれば出会えるのではないかと考え、逆打ちを始めると、間もなく足腰が立たなくなり倒れてしまった。
すると目の前に弘法大師が現われ、そこで衛門三郎はこれまでの行いを深く懺悔し、許しをもらうことができた。

さらにはその後、伊予の領主・河野一族の世継ぎとして生まれ変わる願いも叶った〈衛門三郎の伝説は諸説あり〉」
この伝説が基となって、「閏年」に札所の88番から1番に向かって「逆打ち」すると、そのご利益がなぜか3倍になるそうなのだ。

何とも説得力に欠ける「遍路伝説」ではある。

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★ 遍路に真の利益なし

遍路で巡礼する札所のほとんどは空海を祖とする真言宗の寺である。

空海は「顕劣密勝(けんれつみっしょう)」という自分勝手な己義(こぎ)を構(かま)え、顕教は劣り、密教である大日の三部教を最勝と説いて大日如来を本尊とする。

しかし、大日日経の一切諸経を説いた釈尊が、
我(わ)が所説の諸経而(しか)も此(こ)の経の中に於(おい)て法華最も第一なり」 (法華経 325ページ)
と述べているように、すべての経典の中で法華経こそが最も正しい教えであることは明らかである。

しかも大日如来は現実に世に出現して成道した仏ではなく、釈尊が迹(しゃく)を垂(た)れた法身・理仏であって、
これを本尊として用(もち)いることも、釈尊の本意に背(そむ)く邪義であり、法華誹謗(ひぼう)の罪過に当たるものである。

法華誹謗の空海をいくら遍路で念じて歩こうが、そこには真の利益の存しないことを、よく知らねばならない。

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四国八十八箇所のあるお寺は五百羅漢像を祀ってたので

「大日如来では無いのですか?」

と聞いたところ

こう言うのはその寺によって自由ですから

とおっしゃってました?(笑)

謗法大師も泣いてますねぇ(笑)

そりゃあ泣きたくなりますね。

なんせ、お遍路は、真言宗と言っておきながらも、実際には、邪宗のお寺の集まりです。

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★ 護摩(ごま)の起源

"護摩(ごま)"は、仏教の中でも真言密教の修法のして一般的に認知されている。

あるプロ野球選手が「精神鍛錬」と称して真言宗寺院で護摩行をする姿は、ニュースでもたびたび取り上げられている。

しかし、護摩が、"ホーマ"というヒンズー教の呪術(じゅじゅつ)的祭儀が起源となっていることを知る人は少ないだろう。


★ 仏教は呪術(じゅじゅつ)的儀式を否定

釈尊は、カースト制度の最上位にいる宗教的権威者・バラモンが行う占いや呪術を徹底的に否定した。

当時、悪いバラモンは、宗教的権威を悪用し、「悪相がある」「呪われる」と言っては布施(ふせ)を強要するなどしていたので、人々はひどく怯(おび)えていた。
その時、主として行っていた祭儀が"ホーマ"と呼ばれる生贄(いけにえ)の火祭りである。
これには動物だけでなく、バターなどの乳製品や穀物なども火中に投じて捧げられた。
供物は煙となって天上の神に届くと信じられたのである。

これに対して釈尊は"不殺生(ふせっしょう)"を掲げて真っ向から否定し、誰もが納得できる"因果の道理"を説いて人々に安心を施(ほどこ)したので、特に「無畏施(むいせ)」とも言われるようになった。

また、火祭りは、火が神聖にして、これを崇拝することで過去世からの穢(けが)れを除くことができるとも信じられ、行われていた。

しかし、釈尊は、化導の初期段階である阿含時(あごんじ)に、
「バラモンよ。木片を焼いたら浄(きよ)らかさが得られると考えるな。(中略)わたしは〔外的に〕木片を焼くことをやめて、内面のみ光輝きを燃焼させる」 (中村元訳『ブッタ 悪魔との対話ーサンユッタ・ニカーヤUー』147ページ)
と述べ、"護摩"の権威を早くから否定している。

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★ 鍛冶屋(かじや)のチュンダ(純陀)

釈尊は、晩年、鍛冶(かじ)職人チュンダ(純陀)か、食物のもてなしを受けたという。
鍛冶職人はカースト制度の最下層に位置するが、釈尊はチュンダの布施を最大限に賞賛した。
ここにも当時のインド社会に対する痛烈な批判が込められている。

つまり、火が穢れを浄化するというのなら、朝から晩まで火を燃やして仕事をしている鍛冶屋のチュンダこそ、
穢れが少なく尊敬されるべきであるのに、身分が低く軽んじられているのは、一体どういう訳なのかということである。

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 迦葉(かしょう)三兄弟の帰依

釈尊成道の地、仏陀伽耶(ぶつだがや)には火の儀式を司(つかさど)るバラモンである迦葉(かしょう)三兄弟がいた。
最初に長兄・優楼頻羅(うるびんら)迦葉が釈尊の教化を受けて500人の弟子と共に帰依し、その後、二人の弟も多くの弟子を引き連れて釈尊に帰依した。

優楼頻羅迦葉は釈尊に帰依すると、直(ただ)ちに拝火の祭具をすべて川に投げ捨てた。
川下(かわしも)で、流れてきた兄の祭具を見つけた末弟は、長兄が賊(ぞく)に襲われたものと誤解し、慌(あわ)てて兄のもとに馳(は)せ参じたと言われる。

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★ "亡国"の凶相

賢明な読者は既にお判りだろう。"護摩"は仏教ではない。
むしろ釈尊は、外道の行う呪術や迷信の一つとして"護摩"を否定していたのだ。

伝統的とか神秘的のもてはやし、正邪を弁(わきま)えないのは、釈尊への冒涜(ぼうとく)である。

インド・中国・日本の三国に共通して仏教の衰退期には、必ずヒンズー教の色彩が濃い"密教"と、これに付随する呪術的祭儀が興(おこ)るのである。

今、真言宗の寺院で行っている護摩行も例外ではない。
我々は「真言亡国」の格言を歴史上の現実相として深く心に留めるべきだ。

かの一連のオウム真理教の事件も、極度に人格の歪(ゆが)んだ教祖が、呪術的・神秘的祭儀で人心を引きつけた末に、引き起こされた悲劇ではないか。

低級な通力に幻惑され、最も大事・大切な正邪を見誤ってはならない。

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★ 真言密教は亡国の悪法

過般の新聞報道に、岡山県倉敷市の真言宗寺院の住職が、妻の後頭部を殴打して放火し、自坊を全焼、妻を焼死させたという衝撃的な事件が報じられた。

この鬼畜がごとき所業は、真言密教の害毒、仏罰の現証と言えよう。

なぜなら、釈尊は、
「法華経は、諸仏如来の秘密の蔵(ぞう)なり。諸教の中に於て、最も其の上(かみ)に在り」 (法華経 399ページ)
と教示とされているが、真言宗の祖師たちは、第一の法華経を第三に下し、真言教を第一としてしまった。

そのような教えを信ずれば、
今生には亡身・亡国となり、後生には無間地獄に堕ちる〈趣意〉」 (御書 1271ページ)
と日蓮大聖人は指弾されているが、前述の住職の話など、まさにその通りの所業ではないか。

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 堕地獄の現証

また、大聖人は、
■「弘法・慈覚が死去の有り様(さま)〈中略〉それほどに浦山敷(うらやま)くもなき死去にて候ぞや」 (御書 1106ページ)
と、真言密教の祖師たちの臨終は、
堕地獄の現証を呈していたと仰せである。

中でも、慈覚について、
■「慈覚大師の御はか(墓)はいづれのところに有りと申すべき事き(聞)こへず候。世間に云ふ、御頭は出羽国立石寺(りっしゃくじ)に有り云云。いかにも此の事は頭と身とは別の所に有るか」 (同 1455ページ)
と述べられている。

これを裏付けるように、山形県の立石寺(山寺)の「入定窟(にゅうじょうくつ)」と称する岩窟には、古くから慈覚の遺骸(いがい)を安置すると伝えられてきたが、近年の学術調査の結果、岩窟内に5人の人骨が発見され、なんと、
その中の一体には頭部がなくら代わりに頭部木造(平安初期)が置かれていた。

つまり、何者かの手によって胴体部分の遺骨が安置され、欠けていた頭蓋骨は木造で補っていたのだ。

まさに大聖人が、
■「法華経の頭(こうべ)を切りて真言教の頂(いただき)とせり。此即ち鶴の頸(くび)を切って蝦(かえる)の頸に付けゝるか。真言の蟆(かわず)も死しぬ、法華経の鶴の御頸も切れぬと見へ候」 (同)
と仰せのように、
慈覚は諸経の頂である法華経を切った仏罰により、頭部と胴体が切り離されるという、その死後、見るに堪えない恥辱(ちじょく)を受けた。

これぞ堕地獄の現証と言わずして何であろう。

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 元僧侶が語る邪宗の害毒

真言宗の元僧侶で、平成24年8月に入信し、現在は法華講員として活躍してるTさんの体験談を紹介する。

Tさんは若い頃から密教に興味を持ち、様々な修行に没頭したという。
そして35歳のとき、高野山(真言宗の本山)で出家し、僧侶となって修行に励み、高野山大学にも勤務した。

しかし、40歳のとき、突然、強度と精神的変調をきたし、パニック障害・鬱(うつ)病と診断された。
その頃から真言宗に強い疑問を抱き、ついに高野山を下りて、一般の企業に就職した。

その後は大量の向精神薬を処方してもらい、何とか症状を抑えながら仕事をしていたが、47歳のときに、とうとう心が壊れて生命力を喪失し、対人関係は崩壊、会社からも解雇されて、不幸のどん底に落ちたという。

Tさんはその後、不思議な縁で本宗寺院を訪れ、そこで御僧侶から折伏されて、無事に御授戒を受けることができた。
Tさんは次のように証言している。
「真言宗は、本当に怖ろしい邪宗。
身を持って体験した私が言うのだから間違いない。
私は邪宗である真言宗を捨て、御本尊様からたくさんの功徳を戴いた。
入信したその日から、どん底からの上昇の日々となったのである。

私は、真言宗の害毒により患ったパニック障害などの精神疾患を完治させ、生命力と正常な対人関係を取り戻して、心からやりたい仕事にも就くことができた
と述べ、晴れて邪宗の害毒と決別した今は、喜び勇んで折伏に精進している。

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★ 巡礼の旅、遍路(へんろ)とは

「お遍路(へんろ)さん」とは言えば、
菅笠(すげがさ)に白装束、首に輪袈裟を掛け、手には金剛杖を握って道を行く、
修行者の姿を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。

遍路とは、かつて四国の地で修行した真言宗の開祖・弘法大師(空海)ゆかりの四国八十八ケ所の霊場などを巡礼する旅のことである。

その際には、弘法大師に見立てた金剛杖を片手に霊場を巡り、行った先の本尊に向かって般若心経を唱え、その証明として朱印(しゅいん)を押してもらうのが習わしのようだ。

巡礼するに当たり、札所とされる霊場に行くことを「打つ」と言う。
そして札所を1番から番号順に巡るのを「順打ち」、
逆から回るのを「逆順打ち」と呼び、
なぜか逆順打ちは、
順打ちの3回分の利益があるとも言われ、お得感がありそうだ。
あるいは番号に関係なく巡るのを「乱れ打ち」と呼ぶらしい。

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★ 今、お遍路が熱い?

近年では、国内外から注目を集め、政治家や芸能人、スポーツ選手をはじめ、外国人観光客までもがこの遍路に挑戦しているという。
さらには遍路を世界遺産に登録しようとする動きもあるようで、このブームに便乗して地元では様々なサービスも展開されている。

例えば、霊場を歩いて巡る「歩き遍路」、気軽に自分の車で行く「自家用車遍路」、借りた車で行く「レンタカー遍路」、また「乗り合いタクシー遍路」、「貸し切りタクシー遍路」、をはじめ「乗り合いバス遍路」までもがラインナップされている。

さらには、わざわざ苦労して巡礼地に出向かなくてもよい「巡礼代参サービス」なるものもある。
その中には代参する人がバスや電車を使って巡る「公共機関使用プラン」や、歩いて巡る「徒歩巡礼プラン」など、数十万円もの費用がかかる巡礼方法もある。

横着な巡礼もあるもんだと思われるかもしれないが、さらに楽な方法としては、八十八ケ所の砂を一ヶ所に運んできて、その砂を踏んで札所にいったことにする「お砂踏み」なる究極の方法もあるのだ。
ここまでくると、もはや「遍路って何なんだ」とさえ思えてくる。

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★ 三業不相応の巡礼

では、この遍路を行う目的はいったい何なのか。
遍路代参業者サイトには、
「1つ目は『追善供養』です。
今は亡き人の冥福を願って巡礼するというものです。

2つ目は『予修供養』です。
自らが生前に、あらかじめ死後の冥福を祈るためのものです。

3つ目は、いわゆる『自分探し』ともいわれ、
信仰的な発心よりも、癒(いや)し、リフレッシュを目的とした巡礼者が増えたといわれます」

とあり、

一つは先祖供養、
二つには自分の冥福祈願、
三つには癒し

がその目的であるようだ。

一つ目と二つ目の目的を果たすためには、
正しく勝れた本尊を用いることが絶対条件である。
しかし、真言宗で立てる大日如来は現実に世に出現した仏ではなく、
釈尊が迹を垂(た)れた法身・理仏であり、これを本尊として用いるのは、そもそもの誤りである。

また、仏道修行では疎(おろそ)かにできない三業相応ということにおいても、
「意」では弘法大師を念じ、
「口」では般若心経を唱え、
「身」では巡礼先で大日如来や釈迦如来、阿弥陀如来に薬師如来、観世音菩薩や不動明王に手を合わせるといった、
支離滅裂な有様
だ。

ましてや各札所は、すべて弘法大師にゆかりがあるとはいえ、中には真言宗以外の臨済宗や曹洞宗、天台宗といった寺まで紛れ込んでいる始末である。

さらには先のサイトに、
「お遍路は決して信仰心の有無や宗派にはこだわっていないので、心をこめて拝むことができれば大丈夫です」
と開き直るように、
信仰心などなくてもよいと明言している。

大がかりであるとはいえ、こんなスタンプラリーのような遍路に、真の功徳・利益が具(そな)わるはずもないことは言うまでもない。

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真言宗豊山派を破す。 

僧侶自ら幸せにはなれないと発言したいい加減な宗教

この宗派は真言宗でありながら大日如来ではなく本尊は千手観音である。
千手観音と言えば、法隆寺を本山とする聖徳宗が本尊としている。

真言の開祖の弘法大師に背いている、なんと、でたらめな宗派である。

亡くなったら人は「密厳浄土」という所にいくようであると、その寺の住職が言っておる。
釈尊の説いた教典ではなくどうやらその宗派が勝手に作った架空の世界であるようだ。
そして、それを証明できないから真言だけで五十九派に分かれいる主張している。

お釈迦様が説いていない「密厳浄土」など証明できるはずもない。
真言宗そのものが釈尊が説いた例え話しとして説いた架空の仏である「大日如来」を本尊としていたのである。
現在で分かりやすく言えば「ウルトラマン」「仮面ライダー」を本尊としているのと同じ。
「密厳浄土」などと言うのは自分達で勝手に作った世界であるから、正に「ウルトラマンの光に国」であろう。
ここまで出鱈目であれば、もはや仏教を語るニセ仏教である。

日蓮正宗の信徒が真言宗豊山派の副住職に
「ところであなたは、この真言宗豊山派をやって幸せになりましたか?」
と聞いたら

「全然!」

と回答したではないか!

幸せになれないものを拝んでも意味がない。
真言宗豊山派のホームページに
不安な時代を生きるために」
という記事の中に
「多くの心ある人々の不安を少なくすることができるものこそ真の宗教なのである。」
そこの住職が「幸せになれない」と言っているようでは、この宗教は真の宗教ではないことは証明している様である。

だからこういう邪見で何も知らない人々を誑惑する真言各派に対して
日蓮大聖人は
「天下第一の自賛毀他(じさんきた)の大妄語(だいもうご)の人」

と断じ、このような主客顛倒(しゅきゃくてんとう)の教法で国家を祈祷するゆえに
「真言亡国」と破折せられたのです。

私の母方の宗教が真言天台宗でした。
財産家で埼玉一帯の山々を所有していました。
結核で両親や兄弟を亡くし、子供でしたから財産も騙し取られました。
日蓮正宗に改宗した母だけ生きています。
母方の一族は滅亡です。

間違ってもこのような真言寺に参拝したり拝んだりしないことです。
破滅します。

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2-2真言宗を破折された御書

法華真言勝劣事 P120
法華経と真言の勝劣を明かす

真言七重勝劣事 P128
真言は法華経より七重も劣ることを明かす

真言天台勝劣事 P134
天台法華と真言密教の勝劣を明かす

真言諸宗違目 P139
真言と諸宗の誤りを明かし流罪赦免の運動を止める

真言見聞 P142
真言宗の教義の誤りをあげる

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第34回総会より
井桁美也子 さん
私は、今から22年前、姉の折伏によって、日蓮正宗に入信することができました。
 私は京都で生まれ育ったのですが、家は京都の西本願寺と東本願寺の間の地域にあり、私自身、幼い頃より、家にある仏像から道端の地蔵にまで手を合わせ、深く邪宗教に関わってきました。
そして、高校を卒業した年に結婚し、奈良県の室生(むろお)村という所に嫁いだのですが、その村には女人高野≠ニして有名な、真言宗室生寺派の大本山・室生寺があり、村自体が室生寺によって成り立っている、という土地柄だったのです。嫁ぎ先も室生寺と深く関わっており、姑は室生寺で働いておりました。
そのような村で生活するようになって五年が過ぎた平成2年3月、二人の子供を連れて里帰りした折に、姉に連れられて妙観講の京都布教所に行き、折伏を受けたのです。

私は、その時に聞かされた真言宗の害毒の話に大きなショックを受けました。
 真言宗は、お釈迦様が説いた大日経という経典の中に出てくる大日如来≠ニいう架空の仏を崇(あが)め、その大日経を説いた大元であるお釈迦様を、「大日如来よりもはるかに劣る」といって蔑視(べっし)しています。
  つまり、柱である本当の仏を押し倒して、架空の仏を崇めているわけです。そのため、真言宗を信仰していると、一家の柱となる主人や長男が立たず、病気や事故で若死にしたり、身を持ち崩して行方不明になるなどして、家が絶えたり女系になるケースが極めて多い、というのです。
 それはまさに、私が室生村に行ってからの数年間で見聞きした姿そのものでした。

嫁いだ当時、私は、村に精神障害や知的障害の男の子が異様に多いことに驚きました。その後も、成人した男性が川で水死したり、てんかんの発作や病院の誤診で亡くなってしまうという出来事が頻繁(ひんぱん)に起き、姑や嫁だけが取り残されたり、跡を継ぐ者が全て死に絶えてしまった家も、けっして珍しくはなかったのです。
 当時は、それが真言宗の害毒によるものだなどとは思いもせず、あまりの不気味さに、私は「この村、お祓(はら)いしてもらった方がいいんと違う?」と言ってしまったほどです。
 かく言う私自身、第一子を身ごもった時、七ヶ月で流産していました。男の子でした。
 折伏を受けた私は、そうしたことを思い合わせ、四歳になる息子のことが心配でたまらなくなりました。息子は、室生寺が経営する保育園に通っており、そこで毎日、真言宗の本尊を拝まされ、般若心経を読まされていたのです。私は、子供達を守りたい一心で入信を決意し、御授戒を受けました。

ところが、それを知った家族の怒りは大変なものでした。
 最初は「頼むからやめてくれ」と泣き落としだった姑は、それでも私が信心をやめないとわかると、突然逆上して、持っていた箸を投げつけてきたり、舅は舅で、事あるごとにイヤミを言ってくるのです。
 初めのうちこそ黙認していた主人も、両親の猛反発に驚いたらしく、それからは私に対して、ひどい暴力を振るってくるようになりました。両親は、主人が暴力を振るうのを見ても、「危ないからあっちに行っとこう」と言って、子供を連れて別の部屋へ退避してしまい、主人の暴力を止めようともしません。
 ある時などは、息子が家に祀(まつ)ってある邪宗の本尊を拝むように強要されていたので、私がそれを阻止(そし)しようとしたところ、姑はものすごい剣幕で怒鳴り、舅は私の顔を叩き、挙げ句の果てに家から蹴(け)り出された、ということもありました。
 とにかく、舅・姑・主人に加え、親戚も保育園の先生も村の人達も、皆が真言宗の檀家ですから、誰ひとりとして私の味方になってくれる人はいません。私が講中の先輩方と連絡を取れないように、私達の部屋の電話線も引きちぎられてしまいました。
 しかし、怒鳴(どな)られ、罵倒(ばとう)され、嫌がらせや泣き落としの日々が続き、「出ていけ!」と言われても、子供達をこの恐ろしい真言宗の村に置いて出ていくことはできません。私は、嫁ぎ先に留まり、内得信仰で信心を貫いていきました。

そして、入信から五ヶ月が過ぎた頃です。京都で行なわれる支区座談会に出席させてほしい、と主人に頼んだところ、突然、主人は狂ったように暴力を振るい始めたのです。蹴られ、服を引き裂かれ、髪をつかんで部屋中を引きずり回された私は、体中が熱くなり、足腰が立たなくなってしまいました。
  その翌日、病院へ行ったところ、私を診察した医師があまりの状態に警察に通報し、そのことから離婚することとなりました。一番の気掛かりは子供達のことでした。この邪宗にまみれた村に子供達だけを残すことは絶対にできません。しかし、主人が全面的に非を認めたので、子供達は私の方で引き取ることができました。本当に有り難いことでした。

その後、実家に戻った私は、晴れて御本尊様をお受けし、先輩や同志の方達に励まされながら、会合参加、折伏、毎月の総本山参詣と、二人の子供を連れて精いっぱい信心修行に励みました。すると、その功徳で、子供達は良い保育園に入ることができ、私も良い仕事が見つかって、私達親子の生活環境は整っていきました。
その様子に、はじめは信心に反対していた母も、御本尊様の御力を知って入信しました。
 ところが父の方は、私達の信心には反対しないものの、自分が入信することは頑(がん)として拒(こば)み続けました。折に触れて仏法の話をするものの、父は全く聞く耳を持たず、時には「うるさい!」と一喝してくることもありました。
 そして、十年余りがたった平成十五年頃、父の身に異変が起きてきたのです。
 父は、物忘れが激しくなり、外に出かけると異様に帰りの遅くなることが続きました。それが単なる物忘れでないことは明白でした。

支区部長に相談したところ、部長は「お父さんを折伏しましょう」と言って、我が家に来てくださいました。すると、父は驚くほど素直に話を聞いて、促(うなが)されるままに一緒に御題目を三唱したのです。あの頑(かたく)なに拒んでいた父からは想像もできない光景でした。そして、その翌日、父は御授戒を受けることができたのです(大拍手)。
しかし、この時すでに父の頭の中は取り返しのつかない状態になっていました。病院で診察を受けたところ、アルツハイマー型認知症であることが判明したのです。
 アルツハイマー型認知症は、記憶力の低下に始まって、次第に感情がなくなり、欲望もコントロールできなくなって、高度な痴呆状態に陥(おちい)り、そのうち身内の顔すらわからなくなって、最後には全身衰弱で死亡してしまう、という恐ろしい病気です。予想していたこととはいえ、その診断が下された時は本当にショックでした。
 もう、御本尊様に助けていただく以外ありません。家族皆で精いっぱい仏道修行に励んで、父に功徳を回していこう、と話し合いました。さらに、父自身にも功徳を積んでもらえるよう、父と共に勤行し、父を連れて会合に参加し総本山にも参詣していきました。

そのような中、父は、物忘れはあるものの、とくに不自由を感じることもなく生活してくることができました。
しかし、診断から二年ほどが経った頃より、父の病状は悪化してきて、家での介護に限界を感じた私は、父を施設に預けることを考えました。
 すると、高校と専門学校を卒業して介護福祉士の仕事に就(つ)いたばかりの息子が、真っ先に反対してきたのです。息子は、「俺が世話をするから、おじいちゃんを施設に入れたらあかん。長い間働いて俺らを育ててくれたんやから、かわいそうや」と言うのです。
 まさか息子がそんなことを言ってくれるとは思ってもいませんでしたので、私は、驚くとともに本当に嬉しく思いました。それからというもの、息子は、仕事が休みの日や帰宅後は、下の世話をはじめとする父の介護を、嫌な顔ひとつせず手伝ってくれました。おかげで、私は、会合参加、折伏、登山と、安心して仏道修行に励むことができたのです。
 母子家庭となってしまったことから、十分に母親らしいこともしてあげられなかった息子が、こんなふうに私を助け支えてくれるようになるとは、ひとえに日蓮正宗の信仰をしてきたおかげであり、本当に御本尊様に守られていたのだと、ただただ有り難くてなりませんでした。

さて、父ですが、父は、昨年二月、硬膜下血腫(こうまくかけっしゅ)になっていることがわかり、緊急手術を受けました。この手術によって認知症の症状が悪化することが心配されたのですが、父は以前にもまして元気になることができました。
 また、八月、十月と、今度は立て続けに尿路感染症にかかってしまいました。その時は、意識も低下し、もうだめかもしれないと思うほどの衰弱ぶりでしたが、私が父の耳元で題目を唱え続けたところ、翌日には信じられないような回復を遂げてしまったのです。
 今は、訪問看護や訪問入浴を利用しつつ、自宅にて家族全員で父の介護をしています。ほぼ寝たきりの父ですが、使える部分はフルに動かし、寝ながらでも鍛(きた)えられるところは鍛えようとしているようです。先日も、訪問看護の看護師さんから、「お父さん元気になってきたね。力がすごく強いわ」と言われました。
 父は、アルツハイマーを発症してから九年が経つというのに、いまだに表情も豊かで、声をたてて笑うことさえあるのです。通常、このようなことはありえないそうですが、本当に父は御本尊様に守っていただいているのだ、と実感しております。

離婚当時は幼かった子供達も今ではすっかり成長して、26歳になった息子は介護の道に進み、22歳の娘は、先日、看護師の国家試験に無事合格して、この四月から病院に勤務することになり、私にとっても両親にとっても、本当に頼もしい存在となっています。
とくに、私が入信するきっかけになった息子は、現在、折伏にも頑張っており、その功徳で、一年前に就職したばかりの病院でも仕事ぶりが認められて、病棟のリーダーに抜擢(ばってき)されたり、病院全体の責任ある仕事も任されるようになりました。息子の仕事には、父の介護を手伝ってきてくれたことが大いに役立っているようです。
今でも息子は、仕事で疲れて帰ってきても真っ先に父のことを気に掛けて、「おじいちゃん、おじいちゃん」とかまってくれ、父の回りではいつも笑いが絶えず、父にとっても今が一番良い環境なのではないかと思います。

また、私自身も、平成19年に、縁あって、妙観講の同志である現在の主人と再婚し、さまざまな面で支えてもらえるようになりました。
そして平成20年に、43歳という超高齢で、勇気を出して出産した男の子も、すくすくと育ち、家族の癒(いや)しとなっております。
日蓮大聖人様は、
「法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる」(御書八三二頁)
と仰せられています。まさにこの御金言のとおり、二十二年前に折伏を受け、意を決して入信して以来、一時は本当に 辛い思いをしましたが、今となってみれば、両親も入信することができ、子供達も健全に育って、現在の満ち足りた幸せな人生を手に入れることができたのです。全て御本尊様によって、最良の道に運ばれてきたのだと思います。
もし、この信心に入信していなかったら、もし、嫁ぎ先の反対に屈して信心を退転してしまっていたら、今の幸せは絶対にありませんでした。それを思うと、御本尊様には感謝申し上げても感謝しきれません。
この御恩に報いていくためには、折伏を行じ誓願を果たす以外にない、と心得、家族そろって折伏に励んでまいります。
なお、本日も、父を含め、家族揃って無事に登山することができました!(大拍手) これも御本尊様のおかげであります。ありがとうございました(大拍手)。

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1.成立の歴史

釈尊出現以前の古代インドでは、悪魔払いや呪術などの、原始的な祈祷が盛んに行われていた。
この教義が大乗仏教の思想によって次第に体系づけられ、発達したのが、一般にいうところの密教
である。

密教は、唐の玄宗皇帝の時代に、善無畏三蔵(637年〜735年)・金剛智三蔵(671年〜741年)・不空三蔵(705年〜774年)のいわゆる三三蔵によって中国にもたらされた。中国には、それ以前にも、密教に関連した一部の経典が伝えられていたが、体系化された密教の伝来はこの時が始まりといえよう。

三三蔵のうち善無畏は、中インドのマカダ国の王子であったが、出家して大乗仏教を学び、玄宗皇帝の開元4年(716年)にインドから入唐、『大日経』・『蘇悉地経』等を訳し、皇帝の尊信を受けた。

一方、南インドの金剛智も、開眼8年(720年)入唐、『金剛頂経』・『瑜伽論』等を訳し、その教えは弟子の不空に伝授された。

以上の三三蔵が事実上の中国真言宗の元祖であるが、この間、インド・中国のいずれにおいても、まだ真言宗という名はなかった。

さて、善無畏が『大日経』等の梵本(梵語すなわちサンスクリットで書かれた原本)を翻訳せんとした際、そこに重大な壁が立ふさがった。それは、当時の中国には、すでに天台大師による円満無欠の『法華経』の教えが弘まっていたため、善無畏が持参してきた経典は、とうてい普及の見込みがないことであった。

そこで、善無畏は、ひとつの迷策を考案し、当時、天台の学匠として知られていた一行阿闍梨を巧言をもってそそのかし、持参してきた経典を天台の義によって翻訳させ、更に『法華経』の教義に基づいてその解説書を作らせることに成功したのである。

この善無畏の巧みな誑惑により、あたかも密教は最勝の法であるかのごとく見せかけられ、中国に広く根をおろしていった。

日本においては、弘法大師空海(774年〜835年)が、延暦23年(804年)に遣唐使に加わって渡唐し、不空の弟子・恵果に師事して法を付され、帰朝して、嵯峨天皇の大同2年(807年)に真言宗を立宗したのが始まりである。

空海は、こうした真言宗の付法・伝承の次第を次のように説明した。
まず大日如来が自受法楽のために談じた『大日経』等を、第二祖金剛薩多が結集して南天竺の鉄塔の中に収めた。
釈迦滅後七百年頃、竜猛(竜樹)菩薩がその鉄塔を開き収められていた法門を金剛薩多から授かって第三祖となり、次いで第四祖竜智菩薩、第五祖金剛智に伝付した、というのである。

しかして、善無畏はその後の付法が明らかでないので付法の祖には含めず、金剛智の弟子・不空をもって第六祖とし、不空から第七祖恵果へ、そして空海へと伝えられたことになっている。
以上を付法の八祖と称するが、善無畏と一行を抜きに真言の教義はありえぬため、これとは別に、竜猛・竜智・金剛智・不空・善無畏・一行・恵果・空海という、伝持の八祖も立てるのである。

なお真言宗とは真言陀羅尼宗の略称で、空海によって、はじめて用いられた宗名である。

空海は、東大寺の別当を務めた後、天皇から東寺を賜り護国教王院と号し、晩年には高野山金剛峰寺を造立して真言宗の根本道場とした。

ところが、弘法と同時期に日本天台宗の伝教大師がおり、すでに諸宗を破折して法華一乗を弘め、仏教界の第一人者となっていた。そこで、真言宗興隆を念願とする空海は、これとの対決を避け、むしろ一時は親交を結ぶ方が得策と考えたのであろう、自ら伝教大師に交わりを求めている。
が、所詮は清濁の流れを異にしている両者であったため対立、伝教大師はその著書『依憑集(えひょうしゅう)』の中で、「空海が新しく将来した真言宗は、もともと一行が善無畏にそそのかされ、天台の教義を盗んで教義を形成した」と、真言の邪義を破折したのであった。

しかし、伝教大師亡き後の仏教界は、空海の一人舞台となり、空海は、国家泰平と玉体安穏の加持祈祷を宮中で行うことを願い出て天皇に取り入り、着々と真言宗の基礎を固めていった。

空海の死後、実慧の広沢流、真雅の小野流に分派し、以後は三十六派に分かれ、更に多数の分派を生じたが、大別して高野山を総本山とする古義真言宗、智山(ちざん)・豊山(ぶざん)の両山をもって総本山とする新義真言宗とに分けられる。

現在、寺院総数は約1万5千、僧侶数約2万人、檀徒数約120万世帯といわれているが、その勢力もあまり振るわず、次第に衰退しつつある。
また近年は、不可思議な超常現象ブームに乗じ、密教の神秘的呪術を見世物のようにして、何とか巻き返しをはかろうと企てている現状である。

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2.教義と本尊

真言宗の伝統によれば、『大日経』と『金剛頂経』を金胎両部(『大日経』は胎蔵界といって、一切法が各自の胎内に蔵有されているという理を説く経であり、『金剛頂経』は金剛界といって、如来内証の金剛のような智徳の具足を説く経であるという)もしくは、両部大経と称し、根本の依経としている。
そして、これに『蘇悉地経』を加えて三大部もしくは三部秘経とし、更に、『珂祇(ゆぎ)経』と『要略念誦経』を加えて五部秘経と称する。

本尊には法身・大日如来を立て、無上絶対の仏と仰ぐ。
真言宗では本尊を絵曼荼羅として、図顕するが、これに胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅の二種があり、両部曼荼羅と称している。
胎蔵曼荼羅とは、『大日経』を典拠として大日如来の理の方面を示し、金剛界曼荼羅とは、『金剛頂経』を典拠として大日如来の智の方面を顕している。
この両部曼荼羅の他に、四種曼荼羅といって、密教の世界観を図示したものがあるが、これは、宇宙法界(ほっかい)が絶対者たる大日如来を象徴していると見たうえで、法界の相貌を四種に分類して図示した曼荼羅である。

次に真言宗の教義であるが、中国において、善無畏と共に真言の教義を造りあげた一行は、『大日経』に説かれる「心実相(しんじっそう)」の語をとりあげ、自らの著である『大日経義釈(ぎじゃく)』の中に、

「我(法華経)に諸法実相と言うは、すなわち、これ、この経(大日経)の心の実相なり。心実相とは、すなわち是れ菩提、更に別理なきなり」

と述べて、『法華経』の十如実相の理同化し、『大日経』にも一念三千・即身成仏の理がある、と標榜した。

そして、『大日経転字輪曼荼羅行品』に、

「毘盧遮那世尊、執金剛秘密主に告げて言(のたまわ)く、我は一切の本初なり、号して世所依と名づく」

とある一節をさして、『大日経義釈』の中に、我一切本初とは寿量の義なりと釈明し、大日如来を『法華経寿量品』の久遠実成(くおんじつじょう)の仏に擬して万有開展(ばんゆうかいてん)の本源と説いたのである。

かくして『大日経』の中へ『法華経』の教理を取り入れた真言宗では、『法華経』も『大日経』も理論内容においては等しいが、実際の功徳においては、印(印契ともいい、指をまげて種々の形を造ること)と真言(仏の真実の言葉という意であるが、ここでは種々の呪文のこと)とがある『大日経』の方が優れるとして、理同事勝(理においては同じであるが事において優れる)と主張する。

そして、法華開会(かいえ)の法門を自宗に取り入れ、諸宗で依経とする華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃の一切経は、ことごとく『大日経』に摂められているというのである。

空海にいたっては、これらの釈の上に、更に『弁顕密二教論』を立て、「釈尊五十年の説法は、舎利弗等の請いに応じて応身仏が説いた随他意の教であり、浅略な方便教である。『大日経』等は、自受法楽のために法身仏・大日如来が談じた随他意の教であり、唯仏与仏(ゆいぶつよぶつ)内証の深秘(じんぴ)の教である」と説き、即身成仏は大日如来の秘密教に限ると強調している。

そして、これを説明するために『六波羅蜜経』を引き、五蔵判(ごぞうはん)を立てる。
すなわち、『六波羅蜜経帰依三宝品』の中に釈尊一代聖教を類別して、

(1) 常に閑寂な所を選んで静慮を修する者には俎多覧蔵(経蔵)
(2) 威儀を習い正法を護持する者には毘奈耶(びなや)蔵(律蔵)
(3) 正法を説き、法相(ほっそう)を分別して研鑽を究尽せんとする者には阿毘達磨蔵(論蔵)
(4) 大乗真実の智慧を願って我・法の二執を離れる者には般若波羅密蔵(慧蔵)
(5) 禅定を修せず善法を持たず威儀を修せず諸の煩悩に覆われた者を憐れみ、彼を速疾頓証させんがためには陀羅尼蔵

を修行するように示された一節を、空海は、法華涅槃等は第四の般若波羅密蔵、真言の三部秘経こそ第五の陀羅尼蔵であると立て、前の四蔵はすべて顕教、後の一蔵が密教であると判じ、これこそ成仏の直道なりとしたのである。

更に、空海は『十住心論』(これを三巻に要約したものを『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』という)を著して諸宗を批判した。
前の『弁顕密二教論』は一切経を横に判じ、この『十住心論』は諸宗を竪に判じたものとされ、空海の二大教判となっている。

『十住心論』は、『大日経十心品』に基づき衆生の心を十種に分類し、これを諸宗に配当して批判、真言宗が最勝至極の宗旨であると主張したものであるが、この中で空海は「『大日経』に比較すれば『法華経』は三重の劣で、第三戯論である。また釈尊というも、無明の辺域にして明の分位にあらず」として、『法華経』並びに釈尊を蔑視している。

また、すでに述べてきたことでも明らかなように、真言宗では即身成仏を表看板に掲げている。
更にこれを強調するために、空海は『即身成仏義』一巻を著し、その中で理具・加持・顕得の三種即身成仏義を立てた。

まず理具成仏とは、理論上、凡夫と仏とは一体不二であり、衆生は本から両部曼荼羅を具有しており、衆生即大日如来であるとする。
次に加持成仏とは、三密、すなわち身密(手に印を結び)・口密(口に真言を唱え)・意密(意に大日如来の悟りを観念する)を実践するところに仏力に加持(感応と類似する意義)せられるとする、いわば成仏の実践。
第三の顕得成仏とは、成仏の実現であり、無量の功徳を開顕して仏身を証得するというものである。

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3.破折

真言宗で依経としている『大日経』・『金剛頂経』・『蘇悉地経』等は、もとより釈尊五十年の聖教の中で方等部に属する方便権経である。
そこに説かれる所詮は、会二破二(※1)といって、すでに小乗教で説かれていた声聞・縁覚の二乗を、菩薩界に入るための方便であったとして菩薩界に会入し、菩薩界と比較して二乗は真実ではないと打ち破るところに尽きている。

※1 会二破二  二乗を会(え)し、または二乗を破して一乗に帰着させること。
会二は二乗を会し一乗となすこと。
破二は二乗を破して一乗を顕すこと。
しかし、この一乗とは一仏乗ではなく、三乗の中の菩薩乗をいう。
これは法相宗の慈恩、三論宗の嘉祥などが主張した法華経の解釈である。
しかし、開目抄では、法華経は一切衆生を皆成仏せしむる一仏乗の教えであり、会二破二という菩薩乗に限った教えという解釈は誤りで、後に慈恩、嘉祥も自説の非を悟り、天台に帰伏したとある。
更に撰時抄では大日経等の真言の極理も会二破二の一乗に過ぎず、一仏乗の教えでないことを指摘している。


それ故、声聞・縁覚・菩薩の三乗と相対して一仏乗を示した『華厳経』にも劣り、いわんや、三乗を開いて即座に一仏乗に会入する『法華経』には遠く及ばないのである。

これをもって釈尊は、『法華経』の序文たる『無量義経』に「四十余年には未だ真実を顕さず」(開結88頁)

と説かれ、『法華経』に至っては、

「正直に所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き当に説かん。而もその中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり」(開結390頁)

等と説かれて『法華経』の最勝真実を示していのである。

ここに、真言宗所依の『大日経』等は、四十余年の方便権経として捨て去るべきことが明瞭である。

しかるに、こうした批判の矛先をかわし自経の最第一を宣揚するために、真言宗では、『大日経』等は釈尊の所説ではなく法身・大日如来の説である。ゆえに四十余年の経々の中にも、釈尊の已説、今説、当説の中にも入らない」と主張する。

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これこそ真言宗も大きな誑惑であって、後の本尊批判でも詳しく述べるが、もとより大日如来は、現実に出世成道した仏ではなく、単なる理上の法身仏なのである。
『大日経』等が大日如来の説であるというなら、いったい、大日如来はいつの時代に出世成道し、どこで法を説いたのか。
この我々の住む娑婆世界に、現実に出現し、成道し、法を説く仏でなくては、我々衆生には無縁の教主であり、『大日経』等も我々衆生の眼にふれることすらない筈である。

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しかも、空海にいたっては、五蔵判を立てるにあたって、彼等の立義からいけば釈尊の所説である筈の『六波羅蜜経』を典拠とし、更に、この経の中で一代聖教を五種に分類したところの第五番目、陀羅尼蔵こそ『大日経』等であるとしている。
そもそも、彼等が顕教として嫌う釈尊の所説たる『六波羅蜜経』を引くことは、まことに矛盾も甚だしく、しかも『大日経』等は一代聖教中にも含まれないとしながら、一代聖教の陀羅尼蔵を『大日経』等であると立てるあたり、「弘法も筆の誤り」では済まされないほどの自語相違であり、迷乱の極みである。

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また、すでに述べたこととも重複するが、『大日経』には

「仏は菩薩の為に不思議真言相応の法を説いて、一切の声聞や縁覚を其の座にともにせず」

等と会二破二の義が説かれており、このことからしても『大日経』等は、一代聖教中、声聞・縁覚を対機として説かれた方等部に属することが明らかで、四十余年未顕真実の方便経たることは疑いないのである。

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次に、真言宗で、『大日経』と『法華経』とは共に一念三千の理を説くことは同じであるが、印と真言とが説かれる『大日経』の方が実際の功徳において優れるとしている、理同事勝の邪義について批判しておく。

いかに真言宗で「心実相」「我一切本初」の『大日経』の一節を引こうとも、もとより十界互具・一念三千の宝珠は、ただ『法華経』にのみ説くところであって、その現証としての二乗作仏・久遠実成は、『大日経』にも、むろん『金剛頂経』・『蘇悉地経』等にもまったく説かれていない。
それもその筈、中国の善無畏・一行が、天台宗の教義から一念三千の名を盗み取り、自宗の極理と称していたのである。

ゆえに、『法華経』と『大日経』とは理においても雲泥の差があるばかりか、二乗作仏・久遠実成の現証が『法華経』にのみ説かれることにより、事においても『大日経』は遠く『法華経』に及ばない。
このうえ、いかに『大日経』に印・真言が説かれると力んでみたところで、一念三千の説かれぬ『大日経』では、もとより九界即仏界・仏界即九界の義がないので、手に印を結び口に真言を唱えても、真の大功徳・即身成仏は永久にありえぬのである。

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なお、善無畏・一行は『大日経義釈』の中に、一切経はすべて『大日経』の中に摂め入れられているとしているが、これとて『法華経』の開権真実・開三顕一等の開会の法門を盗み取ったもので、『大日経』そのものには根拠がまったくなく、この上ない欺瞞の説といわざるをえない。

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こうした誑惑の邪義を知ってか、知らずか、空海は『弁顕密二教論』を著して、顕劣密勝と立て、『法華経』を顕教と下している。

しかしながら、『大日経』等を密教とし『法華経』を顕教とすることは、いずれの経にも文証のない空海の己義である。
のみならず、仏の金言を明証とすれば、『法華経』こそ一大事の法門を秘蔵した秘密の経なのである。
それは、『法華経法師品』の三説超過の文の次下に、

「薬王、此の経は是れ、諸仏の秘要の蔵なり。・・・・諸仏世尊の、守護したもう所なり。昔より已来、未だ會て顕説せず」(開結390頁)

とあり、『安楽行品』(開結465頁)には、

「文殊師利、此の法華経は、諸仏如来の秘密の蔵なり」

『寿量品』(開結496頁)には、

「汝等(なんだち)諦(あきらか)に聴け、如来の秘密神通の力を」

『神力品』(開結581頁)には、

「如来の一切の秘要の蔵・・・・・皆此の経において宣示顕説(せんじけんぜつ)す」(開結581頁)

等々とあって、『法華経』こそ仏の内証たる一念三千が秘められた、秘密の経であることが示されている。
ゆえに真言宗で勝手に第三祖と仰いでいる竜樹(竜猛)菩薩も、『大論』の第百巻・第九十品に、

「曰く、法華経を秘密と名づく。二乗作仏あるが故に」

と説いているのである。

しかるを、あくまで『大日経』等こそ密教なりと主張するなら、それは日蓮大聖人が、

「疵・片輪等を隠すは隠密なり、然れば即ち真言を密と云うは隠密なり」(全集144頁)

と批判されたごとく、密教は密教でも、二乗作仏・久遠実成の一大事がないことを隠す、隠密の教というべきである。

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また空海は、『十住心論』の中で、『法華経』は『大日経』より見れば三重の劣であり第三戯論であるとして、法華経を誹謗している。

しかし、彼の依経たる『大日経』・『金剛頂経』・『蘇悉地経』等のいずれにも、かかる説はまったく見当たらず、これまた経文を無視した空海の己義に他ならない。
それも、中国の祖である善無畏は『大日経義釈』の中で、一切経を四句に配当し、その第四句・如実知自心を最勝として、これに『法華経』・『大日経』を配している。『大日経』を『法華経』と同列に配することさえ大変な誤謬であるが、空海の立てた、『法華経』を『大日経』より三重に劣するとする説は、彼の祖師たる善無畏の説ともまったく矛盾しているのである。

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そもそも『法華経』が、釈尊出世の本懐・已今当に超過して最勝真実の教えであることは、経文の随所に示されており、これを第三戯論などと謗ることは、まさに、

「若し人信ぜずして此の経を毀謗(きぼう)せば、即ち一切世間の仏種を断ぜん。・・・・其の人命終して阿鼻獄に入らん」(開結240頁)

の重罪にあたるものである。

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以上に述べてきたごとく、真言宗の教義は誑惑と自語相違に満ちたものであるが、その根源はなんといっても真言宗の付法・伝承の次第にあるといってよい。

すなわち釈尊入滅より、唐の玄宗皇帝の時に初めて密教が伝わるまで、実に薬1600年を経過しているわけであるが、この間、大日如来の教えは金剛薩?・竜猛(竜樹)・竜智の三人に伝承されてきたという。しからば、三者共に、人間離れして数百歳の長寿を保ったことにしなくては年代がまったく符合しなくなってしまう。

こうした嘘言(そらごと)の付法の次第を立てるところに、すでに仏の正法が伝わっていよう筈もなく、真言宗も根本的な誑惑が存するのである。

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最後に、真言宗で立てる法身・大日如来につき、若干の批判を加えておく。

そもそも本来、仏とは一身即三身・三身即一身にして、法(ほっ)・報(ぽう)・応(おう)の三身が即一身に具わり、はじめて衆生済度の力用(りきゆう)が生ずるのであって、それを各々別個の法身仏・応身仏等とするならば何の用(はたらき)もありえない。
爾前の経々に、法身・報身・応身のそれぞれを各別に示しているのは、仏の徳性の一面を顕したのであって、すべて仮の仏の姿である。
これらの仏は、ひとたび『法華経』の十如是が説かれれば、三身相即の円満無欠の仏に摂せられるのである。

しかるに真言宗では、大日如来を法身、釈尊を応身と立て、あくまでも法身と応身とを別個に対比し、法身・大日如来の最勝を述べているが、これは爾前経の域を一歩も出ていない偏頗な仏身論である。
そもそも大日如来という仏名は、毘盧遮那(法身仏のこと)という梵名を中国で訳した名であるが、法華経の結経たる普賢経に、

「釈迦牟尼仏を毘盧遮那遍一切処と名づけたてまつる」(開結706頁)

と述べられていることからも、法身・大日如来とは、釈尊が説法の必要上から方便をもって用いた一時の名であり、実は三身即応の釈尊の、法身の一面を示していたことが明白なのである。

したがって、真言宗で立てる単なる法身の大日如来は、法華経の三身相即の釈尊より数段劣る仏といわざるをえない。
また、こうした単なる法身仏は理上の仏であって、実際の娑婆世界に、下天・托胎・出胎・出家・降魔・成道・転法輪・入涅槃という八相作仏の相をもって出現する実仏ではないから、我々衆生にとっても無縁の教主なのである。
かかる理仏を立てて実仏と偽り、娑婆世界の教主たる釈尊を押し倒すことは、まさに本末転倒の妄説である。

ことに、空海が『十住心論』に「釈尊は無明の辺域(仏界から遠く離れた迷いの境涯)にして明の分位(明らかな悟りの位)にあらず」等と述べ、また新義真言宗の正覚房が『舎利講(しゃりこう)の式』に「真言の行者にくらべれば、『法華経』の教主釈尊など履物取りにあらず」等と述べて釈尊を蔑如していることは、大謗法の極みというべきである。

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以上、真言宗で法身・大日如来を立てることについて批判してきたが、この他に、彼等が崇める両部曼荼羅なども、『大日経』・『金剛頂経』等には九界即仏界・仏界即九界の十界互具の義がないことから、数百の諸仏諸菩薩が大日如来を中心に融通して具足するという曼荼羅の義が崩壊してしまい、ただ諸尊を図上に並べたてただけの悪戯書きにすぎなくなってしまうのである。

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4.結論

これまで述べてきた邪義によって、真言宗が亡国の悪法たることは明らかである。

なんとなれば、『涅槃経』に、

「我れ処処の中に於いて説いて言わく、一人出世すれば多人利益す。一国土の中に二転輪王あり一世界の中に二仏出世すと云わば、是の処あることなし」

と説かれるごとく、二仏は並出しないのである。
しかるを、真言宗においては、この娑婆世界の教主たる釈尊に対立させて大日如来などという無縁の理仏を立て、あまつさえ本主の側を押し倒している。
これは、日蓮大聖人も、

■「世間をみるに各各・我も我もといへども国主は但一人なり二人となれば国土おだやかならず家に二の主あれば其の家必ずやぶる一切経も又かくのごとくや有るらん何の経にても・をはせ一経こそ一切経の大王にてはをはすらめ」(全集294頁)

と仰せのごとく破滅の因であり、かかる転倒の悪法をもって祈る時、亡国・亡家・亡人は必然なのである。

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その現証を挙げれば、

まず中国の善無畏等は、

■ 「されば善無畏三蔵は閻魔王にせめられて鉄(くろがね)の縄七脉(ななずじ)つけられてからくして蘇りたれども又死する時は黒皮隠隠として骨甚だ露焉(あらわる)と申して無間地獄の前相・其の死骨に顕れ給いぬ、人死して後色の黒きは地獄に堕つとは一代聖教に定むる所なり、金剛智・不空等も又此れをもって知んぬべし」(全集1523頁)

と示されるように、とても普通の臨終ではなかったのである。

ことに善無畏は、自著である『大日経義釈』(※1)の第五に、自らが生前すでに堕地獄の苦の一分を体験したと述べている。
それによれば、意識を失った善無畏が、ふと気付くと閻魔王の前に引き立てられており、鉄縄で縛られ呵責されたが、懺悔の意を表するために『法華経譬喩品』の「今此三界」の偈文(げもん)(※3)を唱えたところ、ようやく赦免された。
そして意識を取り戻してみると、実際に鉄縄の跡が残っており、十日くらい消えなかった(※2)
という。

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※1…36品からなり,第31品までは唐の無行が将来した原本,第32品以下は善無畏が将来した供養次第法で,善無畏が両本を漢訳して合本とした。註疏には,善無畏の本経講義筆録を基本とした一行(いちぎよう)の《大日経疏》20巻と,それを修正した《大日経義釈》14巻があり,前者は東密,後者は台密が依用する。【愛宕 元】。

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※2 閻魔のせめ 
 善無畏が講述し、一行が筆記した
大日経疏巻五に
「阿闍梨(善無畏)の言く、少(わか)かりし時、嘗(かつ)て重病に因(よ)りて、神識を困絶せしに、冥司に往詣して、此の法王(閻魔)を覩たり(中略)因りて放(ゆる)されて、此に却還せらる。蘇るに至りて後、その両臂の縄に緊持せられし処に、猶(な)お瘡痕あり、旬月にして癒(いえ)たりき」

とある。

 善無畏が閻魔の責めにあったことは、本文で「大日経の疏(しょ)に我とかかれて候」と述べられているように、ほかならぬ善無畏自らが大日経疏巻五のなかで告白していることなのだから、真言宗の側としても否定のしようがない。 
 このことは鎌倉時代、世間にかなり広く知られた話だったらしい。
■「日本醍醐の閻魔堂・相州鎌倉の閻魔堂にあらわせり」の御文、及び下山御消息の■「眼前に閻魔堂の画を見よ」(三六一n)との仰せから推察すると、当時、京都の醍醐寺と鎌倉の閻魔堂には、これを題材とした絵が掲げられていたのではないかと思われる。
 
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※3 ■ 此くの如くいみじき人なれども、一時(あるとき)に頓死(とんし)して有りき。蘇生(よみがえ)りて語りて云はく、我死につる時獄卒(ごくそつ)来たりて鉄の縄七筋(すじ)付け、鉄杖を以て散々にさいなみ、閻魔(えんま)宮に到りにき。八万聖教一字一句も覚えず、唯法華経の題名許(ばか)り忘れず。題名を思ひしに鉄の縄少しき許(ゆ)りぬ。息続(いきつ)いで高声(こうしょう)に唱へて云はく「今此三界皆是我有(こんしさんがいかいぜがう)、其中衆生悉是吾子(ごちゅうしゅじょうしつぜごし)、而今此処多諸患難(にこんししょたしょげんなん)、唯我一人能為救護(ゆいがいちにんのういくご)」等云云。七つの鉄の縄切れ砕け十方に散ず。閻魔(えんま)冠を傾けて南庭に下り向かひ給ひき。今度は命尽きずとて帰されたるなりと語り給ひき。

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また、日本に真言宗を開いた空海の臨終も、空海自身が、天長八年(831年)に上に奉った書に、

「悪瘡体に起って吉相根せず」

※ 沙門空海言(もう)す。空海、恩沢に沐せしより、力を竭(つく)して国に報ずること歳月すでに久し。
常に願うらくは蚊虻(ぶんぼう)の力を奮つて、海岳の徳を答せんと。しかるに今、去(いん)し月の尽日(つごもりのひ)、悪瘡、体(てい)に起こつて、吉相現ぜず。両楹(両方の柱=両足)夢にあり、三泉(死後世界・黄泉)たちまちに至る。
(弘法大師著作全集 第三巻 山喜房仏書林 374P)


とハッキリ述べていることから、晩年はライ病等の類で苦しんで一生を終えたことがわかる。(所説はあるが)
空海は『秘蔵宝鑰』の中巻に「法を謗れば必ず阿鼻獄に堕つる」と述べているが、まことに自らの後生を言い当てているかのようである。

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に、かの平清盛は平家の武運長久を真言宗で祈祷し、自らはにわかの熱病で悶絶死、平家一門は壇ノ浦において海の藻屑となって滅亡している。

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承久の乱においても、朝廷側は真言宗で鎌倉調伏の祈祷を行ったが、逆に、わずか一日もささえられず、新興勢力であった武家側に打ち破られ、三人の上皇が遠島流罪となったのである。

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このように真言宗の信仰は、小は個人を地獄へ堕とし、大は国家社会を滅ぼす、恐るべき害毒をもたらす邪宗教である。
その本主を打ち倒す転倒の邪義によるものか、代々真言宗の檀家である家庭には女系家族が多く、また誑惑の邪義によるものか、個人の性格も自ずと誇大妄想・見栄・二枚舌が強いようである。

700年前、日蓮大聖人によって邪義の根は絶たれたとはいえ、今日に至るまで、その害毒は色濃く民衆に影を落としているのである。

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伝教大師は真言密教の矛盾を既に見抜いて指摘していたのである。

   依憑天台集序

■ 「天台の伝法は諸家の明鏡なり。
陳隋より以降興唐より已前、人は則ち歴代称して大師と為し、法は則ち諸宗をもって証拠とす。
故に梁肅(りょうしゅく)の云はく、
「(中略)出世の道は大師に非ずんば則ち三乗四教の旨、晦(くら)くして明らかならざる者なり」と。
我が日本の天下は円機已に熟し、円教遂に興らん。
此の間(ごろ)の後生各自宗に執して偏に妙法を破す
(中略)
新来の真言家は則ち筆受の相承を泯(ほろぼ)し
旧到(くとう)の華厳家は則ち影響(ようごう)の軌模(きも)を隠す。」

★ 伝教大師は、この文の通り、天台の教判こそ最高であり、それは当時の中国・日本の仏教界においても確定的定説であったことを記しているのである。
そして真言については

■ 新来の真言家は則ち筆受の相承を泯(ほろぼ)し

つまり、弘法の持ち込んだ後発の新興宗教 真言密教は、そもそも付法・伝持の八祖などデタラメで、虚偽・捏造の誑惑であり、天台大師の一念三千を盗み取って真言密教の教義内へ取り込んでいるだけのもの!と喝破されていたのである。

そもそも、弘法は伝教大師が御存命中には、それほど活躍できていなかった。
それはつまり、伝教大師の存在、つまり天台の教判が厳として存在していたからである。
そして伝教大師の没後、弘法は国家泰平と玉体安穏の加持祈祷を宮中で行なうことを願い出て天皇に取り入り、着々と真言宗の基礎を固めていったのである。
元々、中国でも「真言宗」などという「宗」名は名乗っておらず、弘法に依ってはじめて用いられた宗名なのである。

ではなぜ伝教大師は真言密教の経典とか教説を必要としたのか。
簡単である。
伝教大師は法華経を中心に、天台教学・戒律・密教・禅の4つの思想をともに学び、日本に伝えて(四宗相承)、延暦寺は「仏教総合大学」としての性格を持っていた。
そのために、全ての「学部」の基礎的教材・資料は必要であるから、弘法にもその知識を求めたのである。
別に、教義的に屈服して教えを乞うたのではないことは、先ほどの文証で明白である。

世間でも「伝教大師が弘法に屈服して教えを乞うた。」という誤謬が伝播しているかのようにも見えるが、これは、真言系の悪宣伝の故であるので、注意が必要である。


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空海は伝教大師の隙を狙っていたのではないでしょうか。

伝教大師は新参の真言宗に怪しさを感じ、空海の持ち帰った経典を読みたかったようです。
しかし、空海は、当時の高僧を全て論破した伝教大師の力に、読まれると勝てないと恐れていたと考えています。

空海は伝教大師の入寂を待っていたかのように、法華経誹謗を始めています。


私のブログから−−−−−−
http://ameblo.jp/kitani1/entry-12002231951.html

十界互倶D 修羅界の人 空海

修羅界を復習すると
常に争う心を持ち、本質は諂曲(てんごく:へつらう心や態度)で相手の隙をうかがい、自分が尊大に振る舞える機会を待つ。

空海は虚構が多い。
「夜中に太陽が現れた」「弘法大師の面(おもて:顔)が開いて、大日如来が現れた」「中国から三鈷を投げたら高野山に」など、以前にも書いた。

少し、付け足すと、
高野山奥の院の霊廟において現在も空海が禅定を続けているとされる。髪の毛が伸びていた等の伝説がある。しかし、荼毘(火葬)されたとの古文書が残っている。

このように信じがたい内容が多い。

また、空海の四国遍路も癩病で人前に出られないため、四国へ行っているとしていたとの話も聞いたことがある。

あるいは、真言宗の空海の祈雨伝説を読むと、不思議な事が書かれている。
祈祷を命じられた守敏(空海のライバルの僧)の祈りは17日たっても叶わなかった。替わった空海が、祈っても七日間雨が降らない。そこで空海が通力を使って、見てみると守敏が通力を使って、竜神(雨の神様)を封じ込めていた。
これも虚構を感じる。それだけでなく、守敏を貶める内容になっている。

この祈雨の話は、出典により、日数などいろいろ違うようだ。日蓮大聖人は、「守敏は七日、空海は二十一日」とされ、「結局、天皇の和歌によって、雨が降った」とされている。また、「ずっと降らなかった雨も、さらに二十一日以上も雨が降らなければ、自然に雨は降る」とされている。

また、伝教大師が御存命中は、法華経誹謗を取り立てて行っていない。しかし、伝教大師入寂後、十住心論を書き、法華経誹謗を始めている。釈尊や天台大師は法華第一、華厳第二とされるが、空海は、大日第一、華厳第二、法華第三とする。根拠も示していない。

空海は極端に己を高く見せようとするしていると感じる。
伝教大師は真言宗の怪しさに気づかれていたと考えている。そのために、伝教大師は、真言宗の信望する経典をすべて見ようとされていた。空海は「伝教大師に経典を見せてはまずい」と見せない。伝教大師の死去を待っていたかのように、十住心論と書き始める。

私自身が考える修羅界の特徴は、「常に争う心を持つ」だけでなく、「虚構が多い」「チャンス到来までへりくだる」「相手を貶める」等を考えている。

空海は修羅界の心を持つ人物と考えている。また、現代にも巨大新興宗教の教祖にその姿を見る。

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空海の話は、実は差別問題にぶつかる為に躊躇していたのですが。それは学会員からも聞いた事ありますし、顕正会の富士に真言宗批判として載っていた記事です。

「弘法(空海)はハンセン氏病(原語病名)にて石室にて一人寂しく亡くなった」と。


>空海のハンセン氏病説は「性霊集補闕抄」

「沙門空海言す。空海、恩沢に沐せしより、力を竭(つく)して国に報ずること歳月すでに久し(中略)然るに、今、去る月の尽日に-悪瘡体に起こって吉相減ぜず」

国の師にならないかと要請を断る時の文のようです。

天皇はそんな悪瘡は自分の祈りで直したらといったようですが。

あと法華講の方のサイト記事にも書いてあります。
http://d.hatena.ne.jp/ashuhokkekoshu/20141028/p2
http://www.e-net.or.jp/user/mblu/ndb/jsk/shingon-01.html 


このサイト記事では日蓮聖人自体が、空海はハンセン氏病にて亡くなったと言われたと書かれています。

自分の意見としてはおそらくデマでは? 石室やお堂で亡くなるのは断食での即身成仏の為、体の悪瘡は密教錬金術による水銀中毒か?断食のため栄養失調症の疥癬症?と思うのですが。
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高野山伽藍ばなしシリーズ;6

続・三鈷の松の事(飛行三鈷の事)

 以前、三鈷の松について少し述べさせて頂きましたが、こんな話もありますので、紹介してみたいと思います。
 お大師様が明州の浜から投げた三鈷は、現在大塔の建っている地面に落ちたのを、丹生明神がそれを拾い上げて、傍らにあった松の木の枝に懸けた、というのです。この話は、室町時代前期あたりに書かれた『日域諸寺私記并諸社』という書物の中にみられ、その中では、「左大臣頼長が、奥高野山を参詣された折、奥の院の林賢阿闍梨が、内密にこの話をお話下されたもの」である、としています。

 ところで、それでは唐の明州の浜から飛来した三鈷杵はどうなったか、と
いいますと、『高野山秘記』(明徳四年(1393))に、
 「故彼三古、中尊大日御祖木御頭之中安置也」
とあり、大塔本尊の中尊大日如来の頭の中に納めた、とあります。
 このことは、『南山秘口』『高野山縁起』にも同様の記事が認められます。
『南山秘口』ではさらに、この三鈷の複製品を造り、それを法勝寺の五仏中尊の頭の中に納めた、としています。

 別説としては、『南山要集』に、「三鈷令埋給所事」として、
A「同云。覚成法印曰。大塔之後山令埋之給。仍彼山號三鈷峯云々」
このように、三鈷杵を大塔の後ろの山に埋め、そこを三鈷の峯と呼んだ、としています。
また、『高野山順禮記』にも、
B「三古ハ御影堂ノ前ノ松ナリ。御社山ニウヅマル。件山ハ在口伝。ソノ山ハ三古峯ト云。宗長者知人三古峯ト云」
として、三鈷を山に埋めて、そこを三鈷の峯と呼んだ、としています。
 ただ、『高野山順禮記』には、
C「改安置所ハ大塔□皆正北有高岡。件岳頂所被埋置也」
などとあり、同じ書物でも埋めた場所が違ってきます。
AとCは大塔の北、Bは西。またAとBは三鈷の峯と呼ぶが、Cではなにも触れていない。
などなど、どうにも記述が一定していないので、今いちこの説はアテになりません。

 では実際には三鈷杵はどうなったのかというと、仁海記の『飛行三鈷記』に、
「件杵大師授真然。真然安置金剛峯寺中院。中院別当定観授大法師雅真。雅
真授仁海。仁海入三衣筥奉持及六十餘年」
とあるように、弘法大師から真然へ、真然から定観へ、定観から雅真へ、雅
真から仁海へ、それぞれ授けられて、金剛峯寺において保管されていたよう
です。
 その飛行三鈷は、寛治二年(1088)に白河上皇が行幸の際に高野山から持ち出され、一時鳥羽の宝蔵に納められていましたが、建長五年(1253)、後鳥羽天皇の皇后であった修明門院の命により、再び高野山に返納され、御影堂に納められました。
 その後は、寛正二年(1461)に足利義政が拝見し、永正十七年(1520)の金堂屋根替落慶、天正十五年(1587)の金堂落慶、慶長二年(1597)の大塔修理落慶、寛永十一年(1634)の高祖八百年忌法会などで、たびたび僧俗の目に触れています。

 そして現在でも、飛行三鈷杵は封印されて、御影堂内々陣に大事に保管さ
れています。

 伝説の物品が、今でも宝物として保管されている、というのは、何ともロマンを感じさせるではありませんか。

「中国から日本まで三鈷杵が飛ぶなんて、そんなバカな」
などと言わずに、伝説のおもしろさと、そのような伝説を生むだけの徳を持ったお大師様の偉大さを胸に、お参りをするのもなかなかオツではないか、と思います。

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 大師伝に云はく「帰朝舟を泛(う)かぶるの日発願(ほつがん)して云はく、我が学ぶ所の教法若(も)し感応(かんのう)の地(ところ)有らば此の三鈷(さんこ)其の処に至るべしと。仍(よ)って日本の方に向かひ三鈷を抛(な)げ上げたまふ。遥かに飛んで雲に入る。十月に帰朝す」と。又云はく「高野山に入定(にゅうじょう)の所を占(し)む。乃至彼の海上の三鈷今新たに此に在り」と。

 金剛頂経の疏(しょ)に云はく 慈覚釈 「毘盧遮那(びるしゃな)経に云はく、我昔道場に坐して四魔を降伏(ごうぶく)すと。此を以て知ることを得、毘盧遮那仏不久現証と云ふと雖も、而も成仏以来甚(はなは)だ大いに久遠なることを」と。又云はく「彼の法華久遠の成仏は只(ただ)此の経の毘盧遮那仏なり、異解(いげ)すべからず」と。

 教時義の四に云はく 安然の釈、弘法を破するの文なり 「但し此の文の中に法華を判じて略説と為(な)すことは唯(ただ)理を説けばなり。故に知んぬ、真言教を広説と為すことは、広説とは事理を説けばなり」と。

 秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)の中に云はく「謗人謗法は定めて阿鼻獄に堕して更に出づる期無し。世人此の義を知らず。舌に任せて輙(たやす)く談じ深害を顧(かえり)みず。寧(むし)ろ日夜に十悪・五逆を作るべくも一言一語も人法を謗(そし)るべからず」と。

又云はく「師の曰く、菩薩の用心は慈悲を以て本と為し、利他を以て先と為す。能(よ)く斯(こ)の心に住して浅執を破し深教に入る利益尤(もっと)も広し。若し名利(みょうり)の心を挟(さしはさ)みて浅教に執して深法を破すれば斯の尤(とが)を免(まぬか)れず」と。

 教王経の開題に云はく「金剛頂経及び大日経は、並びに是竜猛(りゅうみょう)菩薩南天の鉄塔の中より誦(じゅ)し出だす所なり」と。
 不空三蔵の要決に云はく「其の大経本は阿闍梨(あじゃり)の云はく、経帙(ちつ)広長にして床(ゆか)の如し。厚さ四五尺、無量の頌(じゅ)有り。南天竺界の鉄塔の中に在り」と。

 付法伝に云はく「鉄塔は是(これ)人功の所造に非ず。如来神力の所造なり」と。

 大日経に云はく「大日遍照尊微塵(みじん)衆生と為りて八相示現を成し、衆生と同じく受苦す」文。(258 日本真言宗事   文応元年  三九歳 )

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弘法大師の伝に云はく「帰朝泛舟(きちょうはんしゅう)の日発願(ほつがん)して云はく、我が所学の教法若(も)し感応(かんのう)の地有らば、此の三鈷(さんこ)其の処に到るべしと。仍(よ)って日本の方に向かって三鈷を抛(な)げ上ぐるに遥(はる)かに飛んで雲に入る。十月に帰朝す」云云。又云はく「高野山(こうやさん)の下に入定(にゅうじょう)の所を占(し)む。乃至彼の海上の三鈷今新たに此に在り」等云云。(報恩抄 1025)

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弘法大師の自筆に云はく「弘仁九年の春、疫(えき)れい(癘)をいの(祈)りてありしかば、夜中に日いでたり」云云。かヽるそらごと(妄語)をいう人なり。此の事は日蓮が門家第一の秘事なり。本文をとりつめ(取詰)ていうべし。(三三蔵祈雨事 建治元年六月二二日  五四歳 875)


↑ 成劫より已来住劫の第九の減、已上二十九劫が間に、日輪夜中に出でしという事なし。(1024)

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↑▼「弘仁(こうにん)九年の春天下大疫」等云云。

春は九十日、何(いず)れの月何れの日ぞ、是一。
又弘仁九年には大疫ありけるか、是二。

又▼「夜変じて日光赫々(かくかく)たり」云云。
此の事第一の大事なり。
弘仁九年は嵯峨(さが)天皇の御宇(ぎょう)なり。左史右史の記に載(の)せたりや、是三。
設ひ載せたりとも信じがたき事なり。成劫二十劫・住劫九劫・已上二十九劫が間にいまだ無き天変(てんぺん)なり。
夜中に日輪の出現せる事如何。又如来一代の聖教にもみへず。未来に夜中に日輪出づべしとは三皇五帝の三墳(さんぷん)五典にも載せず。仏経のごときんば減劫にこそ二つの日三つの日乃至七つの日は出づべしとは見ゆれども、かれは昼のことぞかし。
夜(よる)日(ひ)出現せば東西北の三方は如何。
設ひ内外の典に記せずとも現に弘仁九年の春、何(いず)れの月、何れの日、何れの夜の、何れの時に日出づるという。
公家(くげ)・諸家・叡山等の日記あるならばすこし信ずるへんもや。

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次下(つぎしも)に
「昔、予、鷲峰(じゅぶ)説法の筵(むしろ)に陪(ばい)して、親しく其の深文を聞く」等云云。
此の筆を人に信ぜさせしめんがためにかまへ出だす大妄語か。
されば霊山にして法華は戯論、大日経は真実と仏の説き給ひけるを、阿難(あなん)・文殊(もんじゅ)が誤りて妙法華経をば真実とかけるか、いかん。
いうにかいなき婬女(いんにょ)・破戒の法師等が歌をよみて雨(ふ)らす雨を、三七日まで下(ふ)らさヾりし人は、かヽる徳あるべしや、是四。(1026)

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1027

孔雀(くじゃく)経の音義に云はく
「大師智拳(ちけん)の印を結んで南方に向かふに、面門俄(にわ)かに開いて金色の毘盧遮那(びるしゃな)と成る」等云云。
此又何れの王、何れの年時ぞ。
漢土には建元を初めとし、日本には大宝を初めとして緇素(しそ)の日記、大事には必ず年号のあるが、これほどの大事にいかでか王も臣も年号も日時もなきや。


又次に云はく
▼「三論の道昌(どうしょう)・法相の源仁(げんにん)・華厳の道雄(どうおう)・天台の円澄」等云云。
抑(そもそも)円澄は寂光大師、天台第二の座主なり。其の時何ぞ第一の座主(ざす)義真、根本の伝教大師をば召さヾりけるや。
円澄は天台第二の座主、伝教大師の御弟子なれども又弘法大師の弟子なり。
弟子を召さんよりは、三論・法相・華厳よりは、天台の伝教・義真の二人を召すべかりけるか。

而も此の日記に云はく
「真言瑜伽(ゆが)の宗、秘密曼荼羅道(ひみつまんだらのみち)彼の時より建立しぬ」等云云。
此の筆は伝教・義真の御存生(ぞんしょう)かとみゆ。
弘法は平城(へいぜい)天皇大同二年より弘仁十三年までは盛んに真言をひろめし人なり。
其の時は此の二人現にをはします。
又義真は天長十年までおはせしかば、其の時まで弘法の真言はひろまらざりけるか。
かたがた不審あり。

孔雀経の疏(しょ)は弘法の弟子真済(しんぜい)が自記なり、信じがたし。
又邪見の者が公家・諸家・円澄の記をひ(引)かるべきか。
又道昌・源仁・道雄の記を尋ぬべし。

▼「面門俄かに開いて金色の毘盧遮那と成る」等云云。

面門とは口なり、口の開けたりけるか。
眉間(みけん)開くとか(書)ヽんとしけるが誤りて面門とかけるか。
ぼう(謀)書をつくるゆへにかヽるあやまりあるか。


「大師智拳の印を結んで南方に向かふに、面門俄かに開いて金色の毘盧遮那と成る」等云云。

涅槃経の五に云はく
■「迦葉、仏に白(もう)して言(もう)さく、世尊我今是の四種の人に依らず。何を以ての故に、瞿師羅(くしら)経の中の如き、仏(ほとけ)瞿師羅が為に説きたまはく、若(も)し天・魔・梵・破壊(はえ)せんと欲するが為に変じて仏の像となり、三十二相八十種好(しゅごう)を具足し荘厳(しょうごん)し、円光一尋(じん)面部円満なること猶月の盛明(じょうみょう)なるがごとく、眉間の毫相(ごうそう)白きこと珂雪(かせつ)に踰(こ)え、乃至左の脇より水を出だし右の脇より火を出だす」等云云。

又六の巻に云はく
■「仏迦葉(かしょう)に告げたまはく、我般涅槃(はつねはん)して乃至後是の魔波旬(まはじゅん)漸(ようや)く当(まさ)に我が之の正法を沮壊(そえ)すべし。乃至化して阿羅漢の身及び仏の色身と作り、魔王此の有漏(うろ)の形を以て無漏(むろ)の身と作り我が正法を壊らん」等云云。

弘法大師は法華経を華厳経・大日経に対して戯論(けろん)等云云。
而も仏身を現ず。
此涅槃経には魔、有漏の形をもって仏となって、我が正法をやぶらんと記し給ふ。
涅槃経の正法は法華経なり。
故に経の次下の文に云はく「久しく已に成仏す」と。
又云はく「法華の中の如し」等云云。
釈迦・多宝・十方の諸仏は一切経に対して法華経は真実、大日経等の一切経は不真実等云云。
弘法大師は仏身を現じて、華厳経・大日経に対して法華経は戯論等云云。
仏説まことならば弘法は天魔にあらずや。

又三鈷(さんこ)の事殊(こと)に不審なり。
漢土の人の日本に来たりてほ(掘)りいだすとも信じがたし。
已前に人をやつか(遣)わしてうづ(埋)みけん。
いわうや弘法は日本の人、かヽる誑乱(おうらん)其の数多し。
此等をもって仏意に叶ふ人の証拠とはしりがたし。



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