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【法華経を最第一と証明する-1】

まず、法華経の開経である無量義経には、

■ 「諸(もろもろ)の衆生の性欲(しょうよく)不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと、方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず」(『無量義経』説法品)

と説かれ、これまで42年間には真実の教えを説いてこなかったのであると明かします。
そして法華経において、

■ 「正直に方便を捨てて 但(ただ)無上道を説く」(『法華経』方便品第二)

として、これまでの方便の教えを捨て去り、無上道(最高の教え)を説いたのです。そしてさらに、

■ 「此の法華経は、諸仏如来の秘密の蔵(ぞう)なり。諸経の中に於いて、最も其(そ)の上(かみ)に在り」(『法華経』安楽行品第十四)

等々とも説かれています。

しかしこうした文証の場合、他の経文について「その経典が説かれた時点での「第一」である」その意義と同じことではないのか、という疑問がでてくるかも知れません。
が、しかし法華経には、以下の経文があります。

■ 「我が所説の諸経 而(しか)も此(こ)の経の中に於いて 法華最も第一なり(中略)我が所説の経典、無量千万億にして、已(すで)に説き、今説き、当(まさ)に説かん。而(しか)も其(そ)の中に於て、此(こ)の法華経、最も為(こ)れ難信難解なり」(『法華経』法師品第十)

この経文中、「已に説き」とは42年間の方便教のことであり、「今説き」とは開経の無量義経であり、「當に説かん」とは、法華経の後に説く結経の普賢経(ふげんぎょう)と、そして『涅槃経』を意味します。

すなわち、過去・現在・未来のすべてにわたる一切の経典の中で、この法華経こそが最も勝(すぐ)れた経典であると、釈尊自らが宣言されているのです。
これを「已今当(いこんとう)の三説超過」といいますが、これについて

中国天台宗の第六祖・妙楽大師は、

■ 「縦(たと)ひ経有って諸経の王と云ふとも、已今当説最為第一と云はず」(『法華文句記』)

と述べられています。

すなわち、当分の第一として「この経が最も勝れている」という意味の経文は諸経のあちこちに示されていても、過去・現在・未来の一切のなかで「最も勝れている」と宣言されるのは、法華経以外にはありません。

したがって、「法華経こそが最も勝れた、最高の教法である」と言えるのです。

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  疑難 ▼ 過去・現在・未来の中で「法華経、最も為(こ)れ難信難解なり」と仰せになっていますが、「最上なり」とは仰っていませんね?

  反証 ★ → まさに、「語」にとらわれている浅はかな姿。

■ 薬王今汝に告ぐ 
@「a我が所説の諸経 b而も此の経の中に於て c法華d最も第一なり」
爾の時に仏、復、薬王菩薩摩訶薩に告げたまわく、
A「a我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。b而も其の中に於て、c此の法華経、d最も為れ難信難解なり。」(『法華経』法師品第十)

この文脈から言って、「全ての経の中で法華経が第一である。」と、まず示され、その意義を再度、念入りに説くために、次の
■「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於て、此の法華経、最も為れ難信難解なり」
と仰せられるのである。

最初の文@と後の文Aを比較して並べてみる。

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@-a 我が所説の諸経       →     A-a 我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。

@-b 而も此の経の中に於て   →     A-b 而も其の中に於て、

@-c 法華              →     A-c 此の法華経、
 
@-d 最も第一なり         →     A-d 最も為れ難信難解なり。
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こうして見れば、最後の句の 「最も第一なり」 は 「難信難解」 と同格、同義の扱い、同じ位置付けの意義となるではないか。

これは、単純に文章読解力の問題である。
もしこの問題が高校試験に出題されて、「最も第一なり」 は 「難信難解」 と同格、同義の扱い、同じ位置付けの意義と読めない、と回答したならば、まず間違いなく不正解である。 


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三乗方便 一乗真実の文証

■ 四十余年 未だ真実を顕さず (法華経開経 無量義経)

■ 「如来は但一仏乗を以ての故に、衆生の為に法を説きたもう」(方便品・法華経102n)

■ 「十方仏土の中には 唯一乗の法のみ有り 二無く亦三無し 仏の方便の説をば除く」(方便品・法華経110n)

■ 「今此の経の中に、唯一乗を説きたもう」 (信解品・法華経198n)

■ 「此の経は、方便の門を開いて真実の相を示す」 (法師品・法華経328n)

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法華経最第一の文証

方便品第二
■ 正直に方便を捨て 但無上道を説く 

見宝塔品第十一
■ 我仏道の為に 無量の土に於て
始より今に至るまで 広く諸経を説く
而も其の中に於て 此の経第一なり

安楽行品第十四
■ 此の法華経は、諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於て、最も其の上に在り、

薬王菩薩本事品第二十三
■ 海為れ第一なるが如く、此の法華経も、亦復是の如し。諸の如来の所説の経の中に於て、最も為れ深大なり。

■ 須弥山為れ第一なるが如く、此の法華経も、亦復是の如し。諸経の中に於て、最も為れ其の上なり。

■ 衆星の中に、月天子最も為れ第一なるが如く、此の法華経も、亦復是の如し。千万億種の諸の経法の中に於て、最も為れ照明なり。

■ 帝釈の三十三天の中に於て王なるが如く、此の経も亦復是の如し。諸経の中の王なり。

■ 仏は為れ諸法の王なるが如く、此の経も亦復是の如し。諸経の中の王なり。

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● 法華経以外は不可

方便品第二

■ 世尊は法は久しくして後要(かなら)ず当(まさ)に真実を説き給ふべし

■ 十方仏土の中には  唯(ただ)一乗の法のみ有り二無く亦(また)三無し

■ 諸仏世に出でたもうには唯此の一事のみ実なり 余の二は則ち真に非ず

■ 若し小乗を以て化すること 乃至一人に於てもせば
我則ち慳貪に堕せん 此の事は為めて不可なり

譬喩品第三
■ 今此の三界は 皆是れ我が有なり
其の中の衆生 悉く是れ吾が子なり
而も今此の処 諸の患難多し
唯我一人のみ能く救護(くご)を為す(※ 釈尊以外は不可 本尊足り得ない 依枯依託成り得ない)

■ 「若し人信せずして 此の経を毀謗せば 則ち一切 世間の仏種を断ぜん」(譬喩品・法華経175n)

等と説かれており、法華経が一仏乗の最勝の経典であることを動かすことはできない。

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教理において最勝・円満・完全

@ 女人成仏・
A 悪人成仏・
B 二乗作仏、
C 十界互具・百界千如・一念三千
D 久遠実成 (仏の本因・本国土を明かし、衆生との結縁の次第を明かす)

が説かれて、一切衆生の成仏の道が開かれている。

これに対し、その他の経典にはこのような法門はまったく説かれていない。(法華経の流通分である涅槃経は除く。が涅槃経には滅後末法への付嘱がない)
一切衆生の成仏を説き明かしていない経典には、一切衆生を救う力はない。】


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