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▼ 勧持品二十行の偈 に対する問難を破すについての反論
★ 今の論題は、問難者が 「お釈迦様は肉体でなく、悟りの智慧そのものです。」 と発言したこと。その矛盾を突いている。
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★ A 「法華経が悟りの智慧そのもののエッセンスである」 とは誰が、いつ言ったことなのか? 「智慧」がしゃべったのか?
▼ お釈迦様が、今から2,500年ほど前に霊鷲山で「これから大事な事を説くよ」と仰いませんでしたか?
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★ ↑ 全然、ダメ! 肉体がない者が、どうして ▼「今から2,500年ほど前に霊鷲山で「これから大事な事を説くよ」と仰」 っることができるのか?
絶対無理でしょう。
あなたの言葉を借りれば、「常識で考えてそんな事あり得ないのが解らないでしょうか?」
@ その2500年前にいたのは「肉体のない智慧」ということになる。
肉体がないのに、なんでこの世にいたことが分かるのか?
A 「智慧」しかないのに、何で 「仏滅年代」 が存在するのか? 「仏滅」とは「肉体」ではない何が滅んだのか?
B 肉体がない「智慧」がどうして死ぬのか?
C 問難者の言う、「ぺっぺ」が発見したものは、では結局なんなのか?
問難者の大好きな ウィキペディアから
「1898年にイギリス駐在官W・C・ペッペが、ピプラーワーから、「ガウタマ・シッダールタの遺骨及びその一族の遺骨」であると書かれた壺を発掘した。ペッペが発見した遺骨の壺は、現在では真の仏舎利として最も信憑性があるとされている[4]。この壺は当時のイギリス領インド政府からタイ王室に譲り渡され、仏舎利の一部は日本では覚王山日泰寺に納められている」 引用終り
おおおおおお〜〜〜!何だこれはぁ〜〜!
「肉体」のない釈尊の骨が見つかった!ってことになる。
肉体のない人の骨。。。。。 「常識で考えてそんな事あり得ないのが解らないでしょうか?」
さ、さ、しっかりした回答をよろしくお願いしますよ。
つづく
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因みに、このペッペの発見だが、実は面白い話がある。
既に書いているのに問難者はシレーっとしてスルーしているが。。。
※● 考古学的定説が大きく覆る事例
『インド仏教史上巻』平川彰氏
「1898年にペッペが釈迦族の故地ピプラーフワーと故塔を発掘したところ、遺骨をおさめた壷が発見された。
その壷にはアショーカ王の碑文、あるいはこれより古い書体で、これが釈迦族によって祀られた釈尊の遺骨であることが記されていた。(中略)
「八王分骨」という涅槃経の記述は、歴史的事実と見られている。(中略)
1898年にペッペが発掘した故塔を、さいきんインドの考古学者が再調査し、ペッペが舎利壷を発見した場所よりも更に深いところで、いくつかの舎利壷を発見したという。
おそらくそれらの舎利壷は、ペツぺの発掘した舎利壷よりも古いであろう。
詳細は今後の研究に待たねばならない。」 (インド仏教史上五三〜六)
と、この様に定説を覆す発見の可能性を示唆している。
(※ 仏滅年代もこれと同様で、ある程度絞り込まれた様にも見えるが、実はまだまだ定説を覆す大きな発見が登場する可能性も否定できないのである。)
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ついでだから、問難者よ、この問題↑についてもきちんと返答したまえよ。頬被りをしてないで。
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