一、◎ 霊言について

二、◎ 信仰の対象・本尊について
 1、● 幸福の科学では、「エル・カンターレ」を自称する大川氏を信仰の対象としている
 2、●大川氏の写真を本尊としていることについて。 

三、◎「釈尊の再誕」という件について
 1、大川氏■ 「諸々(もろもろ)の比丘(びく=僧)、比丘尼(びくに=尼僧)たちよ、我はここに再誕す。我が再誕を喜べ、我が再誕にきづけ」
 2、▼「地球人類を創ったエル・カンターレが、二千六百年前 (?) に釈尊として現われ、現在、大川隆法氏として現われた」
 3、■ 「若し仏の所説に順(したが)はざる者有らば、当に知るべし、是れの人は是魔の眷属なり」 (涅槃経)

四、◎ 法華最第一を批判する「釈尊の再誕」である大川氏。

五、◎日蓮聖人に関して
 1、●大川氏『日蓮聖人の霊言』
 ▼「相手の現状を千里眼と宿命通力(しゅくめいつうりき)で分析したあと、日蓮上人におうかがいを立て、霊言として解答を・・・」 
 2、▼「日蓮の他宗排撃は、真理流布に急であった面は評価できますが、他宗を正邪の邪としたのは、間違っております」 (『黄金の法』) 
 3、■若し仏法を行ずる人有って、謗法の悪人を治罰せずして観念思惟を専(もっぱ)らにして邪正権実をも簡(えら)ばず、詐(いつわ)って慈悲の姿を現ぜん人は諸の悪人と倶に悪道に堕つべしと云ふ文なり。今真言・念仏・禅・律の謗人をたゞさず、いつ(詐)はて慈悲を現ずる人此の文の如くなるべし。(聖愚問答抄文永五年 四七歳 404~)
 4、●日蓮大聖人は御一人から御一人への、厳格な唯授一人の血脈相承による仏法の伝持を御指南されました。
その唯授一人の次第を無視し、蔑ろにして、突然誰かの夢の中で、お告げのようなことをされるわけがないと思われます。

六、◎ 【創造主である""についての矛盾】
 1、▼『太陽の法』
「神は一千億年くらい前に三次元宇宙空間の創造を計画し、それに備えて、八百億年前に三次元世界を統括する十三次元神霊を創造した」
 2、▼「宇宙も人頼も全て、神の意志によって創られた」
 3、「人間は神の子であり、「正しき心の探究」をしていくことによって、悟りと喜びが得られ、それが「この世とあの世を貫く幸福である」
 4、▼貴会には 悪霊撃退祈願 や 病気平癒祈願・結婚祈願・成功祈願の修法があるそうですが?
 5、▼大川氏は「宇宙は神の意志で創られた」という天地創造の神を立てますが・・・

七、◎天台大師の一念三千について

八、◎「四正道」について

九、◎ 大川氏の発言・予言について
 1、■ 「別に霊言集で問わなくても、私が書いてもかまわないのですが・・・大川隆法の名前で書き、発表したのでは、世の人々はなかなか信じてくれません」(新・幸福の科学入門)
 2、●大川氏は『黄金の法』の中で、西暦2000年の世界について、ノストラダムスの予言に基づき、
■「世界の人々は、前年の夏に起きた衝撃的な悪夢からまだ立ち直れないでいます」

十、◎  「エル・カンターレ・ファイト / エル・カンターレ・ヒーリング」について


大川隆法が仏陀の再誕である証拠はどこにあるのか

阿私仙人

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幸福の科学 大川氏への公開質問状

私は日蓮正宗信徒・樋田昌志です。以下の質問に対して、公開法論もしくは公開文書対論を申し込みます。
もし返答がない場合には、大川氏の反論不能として、貴殿と幸福の科学の宗教的違法性を徹底的に喧伝していく所存です。
ご承知置き下さい。

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一、◎ 霊言について

1、▼ 『大川氏は昭和563月に突然、神がかり、無意識に手が動いて文字を書く「自動書記現象」が起こり、紙にカタカナで「イイシラセ イイシラセ」から始まるいくつかの事柄を書き連ねた(教団の主張の趣意)』

↑大川氏の言によるところの「大川氏の指導霊」という日蓮大聖人は、以下の如く御指南されています。

■ 一向に権経を弘めて実経をつゐに弘めざる人師は、権経に宿習(しゅくじゅう)ありて実経に入らざらん者は、或は魔にたぼらかされて通を現ずるか。但し法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず。(唱法華題目抄 文応元年五月二八日 三九歳 日蓮正宗富士大石寺・平成新編御書 233

これは「神がかり的な現象は、魔にたぼらかされた者の通力であるから信用してはならない。」と云う義ですが、大川氏の標題の現象は、まさに「魔の通力」であり、信用してはならない。と指導霊である日蓮大聖人が指弾されていますが、この件についてのご説明をよろしくお願いします。

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二、◎ 信仰の対象・本尊について

1、● 幸福の科学では、「エル・カンターレ」を自称する大川氏を信仰の対象としています。

↑大川氏が「イイシラセ」との啓示を受けたとする、日興上人は以下の如く記述されています。

■日興が云はく、聖人御立ての法門に於ては全く絵像木像の仏菩薩を以て本尊と為さず、唯(ただ)御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべし、即ち自筆の本尊是なり。(富士一跡門徒存知事)

大旨 日蓮大聖人に常随給仕され日蓮大聖人の仏法の一切を血脈相承された日興上人は、「日蓮大聖人の仏法に於いては、「絵像・木像」の類を本尊としてはならない。
ただ、日蓮大聖人御自筆の曼荼羅を本尊とし、信仰の根本尊仰の対境としなさい。」と御指南です。

幸福の科学では、大川氏の写真つまり「絵像」を尊仰の対象として本尊としている訳ですが、「イイシラセ」と聞いたはずの、日興上人の御指南と全く食い違った信仰姿勢ですが、この矛盾はどう説明されますか?

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2、●大川氏の写真を本尊としていることについて。

大川氏の"指導霊"であるはずの日蓮大聖人は、末法の今の時代の本尊について、

■ あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんばゆづ(譲)る事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり。(阿仏房御書 文永一二年三月一三日 五四歳 793

と仰せになり、「文字曼荼羅御本尊こそが、唯一、真実の御本尊である。」と御指南下されました。

さらに、

■仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計(ばか)りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。(聖人御難事 弘安二年一〇月一日 五八歳 1396

と、弘安二年十月十二日御建立の戒壇の大御本尊こそ、出世の本懐中の本懐、究極の尊極無上の御本尊として御図顕され、以後はこの御本尊を以て一切衆生救済、即身成仏の根本本尊として尊信していくべき事をお示しされました。

また、そのことは

三大秘法其の体如何。答ふ、予が己心の大事之に如(し)かず。(三大秘法稟承事弘安五年四月八日 六一歳 1594)

と、日蓮大聖人の仏法は 三大秘法 → 一大秘法 → 本門の本尊(弘安二年十月十二日御建立の戒壇の大御本尊)に尽きる。極まる。と仰せです。

ところが、大川氏は、自分の写真を本尊として会員に拝ませています。
これでは、指導霊役の日蓮大聖人の御指南に真っ向から背いていることになります。

そもそも「本尊」とは

根本尊崇 根本として尊崇すべきもの
本有尊形 元々遥かなる永遠の昔から尊い形相として存在していた
本来尊重 無始以来の過去より不動にして元より尊重すべきもの

であり、極まって顕れ出だされた「本尊」がたかだか700年で「変更」されるような浅薄な存在ではありません。

また、幕府権力や邪教徒らのによる迫害で何度も命に及ぶことがあっても、一生涯、教義信条を変えられることがなかった日蓮大聖人が、仮に大川氏の「指導霊」になられたとしても、その根本的信条を変節するなどということは考えられません。

むしろ、多くの人々が納得できる道理に叶った説明をするとすれば、
後から生まれてきた大川氏が、既に仏教者としてとみに有名である「日蓮大聖人」の名を詐称して、実際は聞いてもいない「日蓮大聖人の霊言」などという全くのウソを言い繕って、信者獲得、書籍購買数増加を狙っている、、ということではないでしょうか?

ともあれ、上記の本尊の矛盾をご説明ください。


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三、◎「釈尊の再誕」という件について

1、大川氏は

■ 「諸々(もろもろ)の比丘(びく=僧)、比丘尼(びくに=尼僧)たちよ、我はここに再誕す。我が再誕を喜べ、我が再誕にきづけ」  と述べています。

しかし釈尊は『法華経』において、自身の滅後、末法の時代に法華経を広める役目を、上行菩薩を上首とする地涌(じゆ)の菩薩に付嘱(ふぞく)されているのであり、自らがこの地上に再誕するなどとはどこにも説かれていません。

この件について簡略に説明しますと、

まず『大集経』分布閻浮提品に

■「次の五百年は(※第五の五〇〇年)、我が法の中に於て、闘諍言訟して白法隠没し損減すること堅固ならん」

と説かれ、釈尊の仏法が滅尽することが予証されています。

しかし『法華経薬王品』に

■「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん。悪魔、魔民、諸天、龍、夜叉、鳩槃荼等其の便を得ん」

と説かれ、釈尊入滅後、2000年から2500年の間に、「末法の法華経」が建立され、広宣流布することが予言されています。

更に『妙法蓮華経如来神力品第二十一』に

■爾の時に仏、上行等の菩薩大衆に告げたまわく、
諸仏の神力は、是の如く無量無辺不可思議なり。若し我、是の神力を以て、無量無辺百千万億阿僧祇劫に於て、嘱累の為の故に、此の経の功徳を説かんに、猶尽すこと能わじ。
要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示頭説す。

と説かれ、釈尊の一切の仏法を、上行菩薩を代表として、その他の眷属の菩薩方へも付嘱されたことが明示されています。

以上の教説から、釈尊は自ら再誕することはあり得ず、釈尊の仏法は上行菩薩の再誕者によって再興、もしくは立教されることは、釈尊の自らの言として明白です。

とすれば、「大川氏が釈尊再誕」との言が、仮に真実だと仮定すれば、これら釈尊の予言や法華経などの教説が全部ウソ。ということになります。
すると、大川氏は嘘つきだった釈尊の再誕。ということになるのですが、その点いかがでしょうか?

逆に、釈尊の教説が真実だとすれば、今の大川氏の発言は、虚妄であり、大川氏が大嘘つきか、もしくは誇大妄想狂、あるいは、宗教的詐欺師・・ということになってしまうのではないか、と心配しますが、この点はいかがでしょうか?

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2、▼「地球人類を創ったエル・カンターレが、二千六百年前 (?) に釈尊として現われ、現在、大川隆法氏として現われた」
そして
「エル・カンターレが九次元神霊として最初に金星に誕生したのは、今から五十五億年前」といいますが、

●釈尊は、法華経寿量品の中で、五十五億年前どころか五百塵点劫の久遠の昔にすでに仏になっていたこと、さらにそれを倍する長遠の年月をかけて菩薩道を修していたことを明かされています。

● さらに〝神が宇宙創造を意図したのは、一千億年前″だそうですが、それとても、釈尊の五百塵点劫成道からみれば一瞬前くらいの近い過去、ということになります。

以下がその時間を説明された箇所です。

法華経寿量品第十六

■「今の釈迦牟尼仏は、釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、道場に座して阿耨多羅三藐三菩提を得たりと思えり。然るに善男子よ、我(われ)は実に成仏してより已来(このかた)、無量無辺百千万億那由他劫なり

■「たとえば、五×百×千×万×億×那由他×阿僧祇の三千大千世界を、仮に人ありて抹(す)りて微塵となし、東方五×百×千×万×億×那由他×阿僧祇の国を過ぎて、すなわち一塵を下し、かくの如く、この微塵が尽きんが如き(無くなるまで)、東に行くとしたら、この諸々の世界の数を知ることを得べしや、不(いな)や」と弥勒菩薩に質問しています。

それに対して弥勒菩薩の答えです。

「弥勒菩薩等、倶に仏に白して言さく、
世尊、是の諸の世界は、無量無辺にして、算数の知る所に非ず、亦心力の及ぶ所に非ず。

一切の声聞、辟支仏、無漏智を以ても、思惟して其の限数を知ること能わじ。我等、阿惟越致地に住すれども、是の事の中に於ては、亦達せざる所なり。世尊、是の如き諸の世界無量無辺なり。

大川氏のいう、一千億年や五十五億年など、まさに誰でも計算できる範疇であり、釈尊の久遠実成の成仏の年限と桁外れに差があります。

この矛盾についてご説明よろしくお願いします。


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3、●仏教は徹底した証拠主義であり、未来に仏・菩薩が出世する場合にも、予め経文上にそのことを予証として残しておくのです。
しかし、そうした予証もないのに、勝手に仏・菩薩の再誕を名乗る者が現われたとすれば、それは、まさしく

■ 「若し仏の所説に順(したが)はざる者有らば、当に知るべし、是れの人は是魔の眷属なり」 (涅槃経)

と示されるように、仏法を破らんとする「魔の眷属」とされるのです。
                   
とすれば、経証もないのに、釈尊の再誕を自称する大川氏こそ、「魔の眷属」ということになるのですが、この点についてはどうですか?
 

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四、◎ 法華最第一を批判する「釈尊の再誕」である大川氏。

大川隆法氏の『黄金の法』では、

「法華経至上主義についてですが、釈迦の教えは何百何千の法門があり、法華経のみが正しく、他の経典は真理を伝えていないという考えは、間違っております」  などと、法華経が唯一真実の正法(しょうぼう)たることを否定しています。

しかし、法華経の序分にあたる開経の『無量義経』には、
「四十余年未顕真実(しじゅうよねんみけんしんじつ)」

すなわち「四十余年には未(いま)だ真実を顕(あらわ)さず」と説かれ、「これまで四十余年間にわたって説かれた膨大な経典は、方便であり真実を説いたものではない」と説いているのです。

『法華経』方便品(ほうべんぽん)
「唯(ただ)一乗の法のみ有り 二無く亦(また)三無し」

真実の一切衆生が皆、成仏し最高の境界を得られる教えは、ただ法華経のみである。

「正直に方便を捨てて 但(ただ)無上道(むじょうどう=最高の教え)を説く」

正直に直ちに、今までの方便教を捨てて、今こそ真の最高の教えを説く。

法華経譬喩品第三
■「余経の一偈をも受けざる有らん」

法華経以外の教のたとえ一偈をも信仰したり、修行したり、用いてはならない。

法華経法師品(ほっしほん)
「我が所説の諸経 而(しか)も此(こ)の経の中に於いて 法華最も第一なり」

釈尊一代の教説の中で、法華経こそ最第一である

と説かれ、法華経こそが正しい教えであると宣言されているのです。


また、大川氏がかつて"指導した"という天台大師は(後述)

「法華は折伏にして、権門の理を破す」 (『法華玄義』)

と立て、法華経の上から他の方便権経を打ち破っています。

大川氏は「釈尊の再誕」であるはずなのに、どうして、このような矛盾があるのでしょうか?
これらの教説を、転生する間に、もしや忘れてしまったのでしょうか?

この点についても詳しく説明をお願いします。


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五、◎日蓮聖人に関して

1、●大川氏の『日蓮聖人の霊言』に

「相手の現状を千里眼と宿命通力(しゅくめいつうりき)で分析したあと、日蓮上人におうかがいを立て、霊言として解答を・・・」 とあります。

これについて日蓮大聖人は『唱法華題目抄』に、

「魔にたぼらかされて通を現ずるか。但(ただ)し法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず」

と御教示されており、この末法の時代に通力(神通力)などを売り物にするのは魔の所業であると断じておられるのです。

「千里眼」とか「宿命通力(※しゅくみょうつうりき)」を標榜する大川氏は、その指導霊であられる日蓮大聖人から「魔の権化・邪師」と指弾されていることになりますが、この点はいかがでしょうか?

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2、●大川氏は、

▼「日蓮聖人や日興上人から霊言を受けた」 とも言われています。

その上で大川氏は

 ▼「日蓮の他宗排撃は、真理流布に急であった面は評価できますが、他宗を正邪の邪としたのは、間違っております」 (『黄金の法』) などと日蓮大聖人の化導を批判しています。

それでいて、一方で、

 ▼「日蓮聖人は私の指導霊役を務めて下さっている」(『黄金の法』) とも言われてます。

「指導霊」とは、指導して導いてくださる方である思いますが、その日蓮大聖人に間違いがあったと大川氏は断言しているということであれば、指導される側が指導する側を否定しているのですから、何も指導を受ける意味もないのではないかと思われますが、この点についてはいかがでしょうか?

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3、● また、上記の大川氏の日蓮大聖人への批判について、日蓮大聖人は以下の如く仰せです。

若し仏法を行ずる人有って、謗法の悪人を治罰せずして観念思惟を専(もっぱ)らにして邪正権実をも簡(えら)ばず、詐(いつわ)って慈悲の姿を現ぜん人は諸の悪人と倶に悪道に堕つべしと云ふ文なり。今真言・念仏・禅・律の謗人をたゞさず、いつ(詐)はて慈悲を現ずる人此の文の如くなるべし。(聖愚問答抄文永五年 四七歳 404~)

この文の義は、

今末法という時代で、仏法を修行する、信仰する人がいても、法華経を誹謗する悪人を諫め罰せず、ただ観念論や宗教的概念を思索し述べること、(ここには著述も含まれるでしょう)などに専念して、宗教の正邪や、法華経とそれ以外の方便、仮の教えである教説をきちんんと選り分け峻別し、何が正しく、何が間違っているのかを明確にせずに、偽善的に慈悲の姿を現している人は、他の多くの悪人と共に三悪道に墜ちます。
末法というこの時に、真言宗・念仏宗・禅宗・律宗などの法華経以外の経典を信奉する邪教者を、諫め糺さないで、自分に不利益になるからと、真実を偽り、仮初めの慈悲の姿を現わす者は、この文(南岳大師の前掲の文)の様に、諸の悪人と一緒に地獄・餓鬼・畜生道に墜ちます。


という事ですが、これはそのまま大川氏にあてはまりませんでしょうか?
この点についても明快な解答をよろしくお願いします。

つまり、大川氏は、創価学会員を含むあらゆる宗派の人々に本を買っていただいて収益を上げたいが為に、上記の発言のような大矛盾を起こしているのではないでしょうか?

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4、●日蓮大聖人は御一人から御一人への、厳格な唯授一人の血脈相承による仏法の伝持を御指南されました。
その唯授一人の次第を無視し、蔑ろにして、突然誰かの夢の中で、お告げのようなことをされるわけがないと思われます。

それを証明する以下の御指南があります。

■【百六箇抄】(1702
但し直授(じきじゅ)結要(けっちょう)付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。

→ 日蓮大聖人から正当なる別付嘱を受けられた日興上人から続く、唯授一人・血脈相承の方を尊仰していきなさい。→途中で突然、夢のお告げのようなことを言い出す者を信じてはいけない。
という義になります。

■日蓮一期弘法付嘱書    弘安五年九月  六一歳
日蓮一期(いちご)の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり。
弘安五年壬 九月 日 日蓮花押    血脈の次第 日蓮日興  1675
 

→日蓮大聖人の全ての仏法は日興上人へ付嘱した。この「唯授一人・血脈相承の次第」を広宣流布の暁まで、未来永劫に護っていきなさい。
→突然、神がかって霊言を聞いた、などという者に誑かされてはいけない。

という義です。

■『御本尊七箇之相承』
「日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事如何。師の曰わく、深秘なり、代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(聖典三七九㌻)

→  日蓮大聖人→日興上人→日目上人・・・と続く歴代御法主上人こそが、その御内証に日蓮大聖人がいらっしゃる。
→ それ以外の血脈正統でない者のいうことは信じてはいけない。

と言う義です。

このような日蓮大聖人の実際の御著述や御指南からして、大川氏の日蓮大聖人や日興上人に関する発言は実に怪しい虚偽であると思われますが、その点について、大川氏が受けているという、霊言が、日蓮大聖人や日興上人からであることは絶対間違いない、という証明を、どうかよろしくお願いします。

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六、◎ 【創造主である""についての矛盾】


1、▼『太陽の法』では
「神は一千億年くらい前に三次元宇宙空間の創造を計画し、それに備えて、八百億年前に三次元世界を統括する十三次元神霊を創造した」 とあります。

● 三次元空間のない場所に「神」はどのような姿で、どのように存在していたのですか。

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2、▼「宇宙も人頼も全て、神の意志によって創られた」とありますが、

● 人間はどのようにして生まれるのですか?

● 生まれつきの差はどうして生じているのですか?
例えば身障者などは神の意志で生まれたのですか?

● 有害ウィルスなど、を""はどうして造ったのですか?

● ""がこの世界を造ったのに、なぜ、悪や、不幸が存在するのですか?


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3、▼大川氏の教えでは

人間は神の子であり、「正しき心の探究」をしていくことによって、悟りと喜びが得られ、それが「この世とあの世を貫く幸福である」  とあります。

● 神の子である人間に、なぜ修行が必要なのですか?
なぜ正しき心の探究をしなければ「悟りを得られないのですか?
神は何故最初から人間を完璧に創造できなかったのですか?


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4、▼貴会には 悪霊撃退祈願 や 病気平癒祈願・結婚祈願・成功祈願の修法があるそうですが、

● 神がこの世を造ったのに、なぜ、悪霊 病気、が存在し、人生に失敗などが起こるのですか?

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5、▼大川氏は「宇宙は神の意志で創られた」という天地創造の神を立てますが

● その神はいったい何者なのですか?
今現在どこに存在しているのですか?
出自や正体は明かされていますか?。

原因があるから結果が生ずるのが、宇宙森羅万象を貫く基本的な原理原則であり、因果のないものはこの世に存在しません。
因果のない事象も存在しません。
しかし、〝その因果の法則に貫かれている宇宙を作った神だけは、因果の法則を無視して、生ずる原因がなく、もともと存在していた″ などとするのは、まさに大きな自己矛盾ではないでしょうか?
それは、つまりは、"天地創造の神"などはまさに想像の産物であえって、実在しないということではないですか?

この点についても、詳細かつ明確にお答えいただきたくお願いします。


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七、◎天台大師の一念三千について

大川氏は『太陽の法』に、

「いまから一千数百年前に、天台智覬(てんだいちぎ)が、中国の天台山で一念三千論を説いていたのですが、そのとき、霊天上界において、彼を指導していたのは、実はほかならぬこの私でした」などと述べています。

さらに天台大師を指導したその内容とは、

「思い→想い→念(おも)いとだんだんに力を得てくるおもいの力があるわけですが、…人の心には、念いの針というものがある。この念いの針は、一日のうちで、さまざまな方向を指し示し、揺れ動いて、とまるところを知らない。…人の念いの針は、すなわち、これ一念三千、あの世の天国地獄に、即座に通じてしまうのだ」  というものだそうです。

また『幸福瞑想法』には、

「人間の思いの性質、念の性質、これがどこにでも通じるという性質のことを一念三千と言います。三千というのは、割り切れない数、すなわち、数多いという意味です」 などという説を述べています。

この一念三千について、日蓮大聖人は『一念三千法門』で、

■「十界(じっかい)の衆生(しゅじょう)各互ひに十界を具足す。合すれば百界なり。百界に各々十如を具すれば千如なり。此(こ)の千如是(せんにょぜ)に衆生世間・国土世間・五陰(ごおん)世間を具すれば三千なり」

と御教示されています。
すなわち十界互具(じっかいごぐ)・百界千如(ひゃっかいせんにょ)・三千世間と広がる心を持つ衆生の一念を、一心三観(いっしんさんがん)・一念三千というのです。

これは、大川氏の言われる、一念三千の解釈とはほど遠いのですが、この矛盾について、一念三千の詳細な大川氏流の解説を以て、説明していただきませんか。


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八、◎「四正道」について

教団では「四正道(よんしょうどう=愛・知・反省・発展の探求)」を説き、これを幸福になる基本原理であるなどと主張しています。

また、これらを釈尊の説いた「八正道(はっしょうどう)」になぞらえています。

大川氏は『太陽の法』で、

■ 「天台大師よ、八正道は、まさしくこの一念三千論を基礎として生まれたのである」

などと述べていますが、仏教で説かれる八正道というのは、小乗教の四諦(したい)法門のうち、道諦(どうたい)における八種の修行法のことであり、実大乗教たる『法華経』の、天台の一念三千法門とは何の関係もない、方便大乗教よりもさらに劣る教えです。

しかも大川氏の説く「四正道」は、キリスト教の博愛主義の枠(わく)を出ない道徳論レベルのものであり、仏教の中でも低い教えである小乗教にもおよばない、さらに仏教とは何の関係もない、根拠のない外道論であると思われますが、この点についても、仏教の教学的に詳細にご説明ください。

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九、◎ 大川氏の発言・予言について

1、● 大川氏はかつてこのように発言していました。

 「別に霊言集で問わなくても、私が書いてもかまわないのですが・・・大川隆法の名前で書き、発表したのでは、世の人々はなかなか信じてくれません」(新・幸福の科学入門)

これはまさに「霊言集」に収録した、「霊との一問一答は創作だった。」と白状したも同然かと思われますが、これでは幸福の科学という教団は、宗教の名を借りた営利出版企業と断ぜられても致し方ないと思いますがいかがでしょうか?

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2、●大川氏は『黄金の法』の中で西暦2000年の世界について、ノストラダムスの予言に基づき、

「世界の人々は、前年の夏に起きた衝撃的な悪夢からまだ立ち直れないでいます」

として、世界各地の状況を述べ、ニューヨークは機能をなくして壊滅的になっていると言い、日本も復旧作業が続けられている…などと、まことしやかに予言しています。
しかし実際、何も起こらなかったことは衆知(しゅうち)の事実です。
この予言大ハズレの件について、詳細にご説明ください。

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十、◎  「エル・カンターレ・ファイト / エル・カンターレ・ヒーリング」について

正会員になると「エル・カンターレ・ファイト」と呼ばれる悪霊撃退の修法と、「エル・カンターレ・ヒーリング」という病気癒しの修法を執り行うことができるそうですね。
例えばヒーリングの場合、相手に向かって合掌した後、手を横に開いて頭の上に組んでから胸の前に突きだして「エル・カンターレ・ヒーリング」と叫ぶのだそうですが、

それについては、大川氏の指導霊である日蓮大聖人は、そもそも、このような「修法」はお認めでありません。
また、これについて、何らかの"御利益"を感じていらっしゃる方もいるでしょうが、それについてはこう仰せです。

■実経に入らざらん者は、或は魔にたぼらかされて通を現ずるか。但し法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず。(唱法華題目抄 233

→何か、御利益らしきことがあったとすればそれは魔の通力であって、決して最終的には幸福にならない。

■ 人善根(ひとぜんこん)を修すれども、念仏・真言・禅・律等の行をなして法華経を行ぜざれば、魔王親のおもひをなして、人間につきて其の人をもてなし供養す。

→正しいと思って、信仰している人も、真の正しい法華経を行じなければ、魔王が親のようにその人に取り憑いて、もてなし、何らかの利益らしき現証が起こるのです。
しかし、それはあくまで魔の仕業ですから、後々は必ず、経済・健康・人格・人間関係などなどで大不幸に落とされます。
死して後は地獄へ堕とされます。

■「一分のしるしある様なりとも、天地の知る程の祈りとは成るべからず。魔王・魔民等守護を加へて法に験(しるし)の有る様なりとも、終(つい)には其の身も檀那も安穏なるべからず。」(御書・諫暁八幡抄 1531㌻

→少々のことは叶うようにも見えますが、人生の根本的な問題解決にはなりません。しかも、最後には、不幸が重なって競い起こり、悲惨な老後や末路を迎えます。

ということですが、このような大川氏の指導の下に行われている、「エル・カンターレ・ファイト」とか「エル・カンターレ・ヒーリング」という「修法」と、大川氏の指導霊である日蓮大聖人が仰せに大きな矛盾があるのですがこの矛盾に対してどうお考えかご説明ください。

以上

返答期限は平成○○年○月○日とします。

大川氏の論理明快な返答を心よりお待ちしております。


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Q 一、大川隆法という謂わば人類の歴史を否定する根拠、

A 大川隆法が特別な人物であるとする根拠は何か?

釈尊については伝承が伝わっている。

唯我独尊(ゆいがどくそん)とは、釈迦が誕生した時に言ったとされる言葉。
釈迦は摩耶夫人の右脇から生まれた[1]とされるが、その直後に七歩歩いて右手で天を指し、左手で地をさして「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん[2][3]、もしくは、てんじょうてんがゆいがどくそん[4])と言った、という伝説から出てきたものである。しばしば釈迦を、崇める言葉として使われる。

意義[編集]

元来、「天上天下唯我独尊」は、釈迦が言ったのではない。
釈迦以前に出世したといわれる過去七仏の第1仏である毘婆尸仏(びばし)が誕生した際に言った[5]とされる。
しかしそれが、釈迦が生まれた際に、他の人々がそのように讃嘆したという説が生じて、のちに釈迦自身が誕生直後に自ら言ったと信じられるようになったものである[6]。

『大唐西域記』(646年成立)の中に記載されている、釈迦の誕生当時を伝える誕生偈と呼ばれる偈文には、

天上天下 唯吾獨尊

今茲而往 生分已盡[7]

という一節が記されている。 これを訳すと

世界の中で我のみが尊い。
今ここに生まれてきたが再び生きることはない。

つまり釈迦がこの世で解脱するから「唯我独尊」であると言う。
釈迦の誕生を伝える仏典には、『佛本行集経』卷八・樹下誕生品下、『佛説太子瑞應本起経』卷上などがあるが、代表的な『修行本起経』卷上・菩薩降身品第二には、

天上天下唯我為尊 三界皆苦吾当安之

欲界・色界・無色界の三界の迷界にある衆生はすべて苦に悩んでいる。
私はこの苦の衆生を安んずるために誕生したのだから、尊いのであると言う。

ところが残存するパーリ仏典は『大唐西域記』と同じように釈迦自身の解脱という点で尊いとしている。
この利他の面で尊いとするのか、解脱という利自の面で尊いとするのかに、時代による釈迦観の違いが現れている。

「天上天下唯我独尊」の意味を「全世界で私たち一人一人の人間が一番尊い」と解釈する説もあるが、経典上の根拠が全く無い説である。
天台宗尼僧の露の団姫は、「この広い世界のなかで、私たち人間にしかできない尊い使命がある」と解釈している。[8]

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1、降兜率(ごうとそつ)

兜率天(とそつてん:欲界六天の第四天で将来仏となるべき菩薩の住処)よりお釈迦様が六本の牙をもつ白象になり閻浮提(えんぶだい:私たちの住む世界)に降ってこられるという伝説です。

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2、託胎(たくたい)

白象となり閻浮提に降ってこられたお釈迦様は、王妃マーヤー夫人の右脇より入り胎内に宿り、マーヤー夫人は懐妊したといわれています。伝説によればこの時、マーヤー夫人は宮殿で横になっていると、天上より六牙の白象が降りてきて右脇より胎内に入っていく夢を見たといいます。

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阿私仙人

インドの聖仙。釈迦誕生にあたりその相を見て、出家すれば大慈悲の聖師となり、俗にあれば理想的国王とされる転輪王となると予言した。

阿私陀仙人(あしだせんにん)

釈尊が生まれた時、その将来を占った仙人。釈尊が誕生の時、父の浄飯王は占い師を集めて、太子の将来を占わせると、三十二相を具しているので、家にあっては転輪聖王となり、出家すれば仏になるであろう。阿私陀仙人が太子を占うや、 涙を流して泣きだすのです。浄飯王が尋ねると、天眼で占い、まさしく仏になられ法を説かれるであろうが、自分は年すでに晩暮にして、法雨に浴することができないので、悲しみ嘆いたのですと阿私陀仙人は言ったという。


阿私陀(あしだ)仙人が悉達(しった)太子の生まれさせ給ひしを見て悲しんで云はく、現生には九十にあまれり、太子の成道を見るべからず、後生には無色界に生まれて五十年の説法の座にもつら(連)なるべからず、正像末にも生まるべからずとなげきし(撰時抄 建治元年六月一〇日  五四歳 838)

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大川隆法にはそのような伝記が全くない。
→ 誇大妄想狂 とどこが違うのか

日蓮大聖人が末法の本仏である証拠は明確


日蓮大聖人が久遠の本仏であったことの簡明な道理
法華経で予証された末法の法華経の弘通者

日蓮大聖人が上行再誕に触れられた御文

日蓮大聖人が釈尊より勝れた仏である法華経の文証


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Q 日蓮正宗の教義ではあの世をどの様に説いているか。

A 十界 有情 非情 後生 六道輪廻 常寂光土 常楽我浄 

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Q  また何故大川氏が説いているあの世と精通しないのか。

A そもそも大川隆法が言う、「あの世」が正しいなどという根拠はどこにあるのか。
それはどのように証明できるのか?

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Q 一、 鎌倉時代に生きた日蓮大聖人が指導霊であったのだから、啓示をうけた大川総裁をを否定するはずがない。

A 「日蓮大聖人が大川隆法の指導霊」などと言っているのは、大川隆法だけであり、それが正しいとする客観的証拠は全く存在しない。
精神病患者が言い続けている妄想と何が違うのか?

参考

一、◎ 霊言について

1、▼ 『大川氏は昭和563月に突然、神がかり、無意識に手が動いて文字を書く「自動書記現象」が起こり、紙にカタカナで「イイシラセ イイシラセ」から始まるいくつかの事柄を書き連ねた(教団の主張の趣意)』

↑大川氏の言によるところの「大川氏の指導霊」という日蓮大聖人は、以下の如く御指南されています。

■ 一向に権経を弘めて実経をつゐに弘めざる人師は、権経に宿習(しゅくじゅう)ありて実経に入らざらん者は、或は魔にたぼらかされて通を現ずるか。但し法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず。(唱法華題目抄 文応元年五月二八日 三九歳 日蓮正宗富士大石寺・平成新編御書 233
これは「神がかり的な現象は、魔にたぼらかされた者の通力であるから信用してはならない。」と云う義ですが、大川氏の標題の現象は、まさに「魔の通力」であり、信用してはならない。と指導霊である日蓮大聖人が指弾されていますが、この件についてのご説明をよろしくお願いします。

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Q それならば、歴史的事実としてもモーゼやキリストに神から啓示があったのも紛れも無い事実であるそれを否定する根拠

A モーゼ や イエスに 神から啓示があった。とする、客観的証拠は?
これらも、本人 もしくは後の教団によって創作された、教祖を神格化するための、捏造話ではない、と証明できる根拠は?

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Q 一、日蓮大聖人も釈尊から啓示をうけた立場では無いのか

A 日蓮大聖人は釈尊から啓示を受けてリ立教されたというお立場ではない。
あくまで、文証・理証・現証の検証により、自らのお立場を立証されている。


日蓮大聖人が久遠の本仏であったことの簡明な道理
法華経で予証された末法の法華経の弘通者

日蓮大聖人が上行再誕に触れられた御文

日蓮大聖人が釈尊より勝れた仏である法華経の文証


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Q 一、日蓮正宗では本尊に題目を唱える事で何故成仏の境涯に至るのか

A 一大秘法 開いて 三大秘法 本尊・戒壇・題目が悟り・成仏の本体 本尊の成仏の境界に感応道交して、我が胸中に眠れる仏界が開き即身成仏する。

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Q 一、日蓮正宗の教義においてナンミョウホウレンゲキョウの本当の意味を教えてください。

A 悟りの本体 仏の本体