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日蓮大聖人が上行再誕について触れられた御文の概ね一覧

■ 秘せられた御文
● 明示せられた御文
▲ 暗示せられた御文


■ 上行菩薩末法今の時此(こ)の法門を弘めんが為に御出現之有るべき由、経文には見え候へども如何が候やらん、上行菩薩出現すとやせん、出現せずとやせん。日蓮先づ粗(ほぼ)弘め候なり。(生死一大事血脈抄 文永九年二月一一日 五一歳 514)

■ 上行菩薩に譲り給ひし題目の五字を日蓮粗(ほぼ)ひろめ申すなり。此即ち上行菩薩の御使ひか。(四条金吾殿御返事 文永九年五月二日 五一歳 599)

■ 日蓮末法に生まれて上行菩薩の弘め給ふべき所の妙法を先立ちて粗(ほぼ)ひろめ、つくりあらはし給ふべき本門寿量品の古仏たる釈迦仏、迹門宝塔品の時涌出し給ふ多宝仏、涌出品の時出現し給ふ地涌の菩薩等を先づ作り顕はし奉る事、予が分斉(ぶんざい)にはいみじき事なり。(諸法実相抄 文永一〇年五月一七日 五二歳 665)

■ 日蓮が相承の法門等前々かき進らせ候ひき。ことに此の文には大事の事どもしるしてまいらせ候ぞ。不思議なる契約なるか、六万恒沙の上首上行等の四菩薩の変化(へんげ)か。さだめてゆへあらん。総じて日蓮が身に当たっての法門わたしまいらせ候ぞ。日蓮もしや六万恒沙の地涌の菩薩の眷属にもやあるらん。(668)

■ 日蓮上行菩薩にはあらねども、ほヾ兼ねてこれをしれるは、彼の菩薩の御計らひかと存じて此の二十余年が間此を申す。(新尼御前御返事 文永一二年二月一六日 五四歳 764)

■ 浄行菩薩はうまれかわり給ひてや日蓮を御とぶ(訪)らひ給ふか。不思議なり不思議なり。此の御志をば日蓮はしらず上行菩薩の御出現の力にまか(委)せたてまつ(奉)り候ぞ。(阿仏房御書 文永一二年三月一三日 五四歳 793)


■ 上行菩薩の出現して弘めさせ給ふべき妙法蓮華経の五字を、先立ちてねごとの様に、心にもあらず、南無妙法蓮華経と申し初(そ)めて候ひし程に唱ふるなり。(妙密上人御消息 建治二年閏三月五日 五五歳 966)

■ 上行菩薩等末法の始めの五百年に出生して、此の境智の二法たる五字を弘めさせ給ふべしと見えたり。経文赫々(かくかく)たり、明々たり。誰か是を論ぜん。日蓮は其の人にも非ず、又御使ひにもあらざれども、先づ序文にあらあら弘め候なり。(曽谷殿御返事 建治二年八月二日 五五歳 1039)

■ 妙法蓮華経の五字をば地涌千界の上首上行等の四人にこそ仰せつけられて候へ。只事の心を案ずるに、日蓮が道をたすけんと、上行菩薩貴辺の御身に入りかはらせ給へるか。又教主釈尊の御計らひか。(四条金吾殿御返事 建治三年七月 五六歳 1161)

■ 経には上行・無辺行等こそい(出)でてひろめさせ給ふべしと見えて候へども、いまだ見えさせ給はず。日蓮は其の人には候はねどもほヾ心(得)へて候へば、地涌の菩薩のいでさせ給ふまでの口ずさみに、あらあら申して況滅度後(きょうめつどご)のほこさき(矛先)に当たり候なり。(本尊問答抄 弘安元年九月 五七歳 1282)

▲ 妙法の五字を弘め給はん智者をば、いかに賤しくとも上行菩薩の化身か、又釈迦如来の御使ひかと思ふべし。(法華初心成仏抄 弘安元年 五七歳 1313)

▲ 上行菩薩等の末法に出現して、南無妙法蓮華経の五字を弘むべしと見へたり。しかるに先づ日蓮一人出来す。六万恒沙の菩薩よりさだめて忠賞をかほ(蒙)るべしと思へばたのもしき事なり。(上野殿御返事 弘安二年四月二〇日 五十八歳 1361)

■ 上行菩薩末法の始めの五百年に出現して、南無妙法蓮華経の五字の光明をさ(指)しい(出)だして、無明煩悩の闇をてらすべしと云ふ事なり。日蓮等此の上行菩薩の御使ひとして、日本国の一切衆生に法華経をう(受)けたも(持)てと勧めしは是なり。(寂日房御書 弘安二年九月一六日 五八歳 1393)

■ 当今は末法の始めの五百年に当たりて候。かゝる時刻に上行菩薩御出現あつて、南無妙法蓮華経の五字を日本国の一切衆生にさづ(授)け給ふべきよし経文分明(ふんみょう)なり。又流罪死罪に行なはるべきよし明らかなり。日蓮は上行菩薩の御使ひにも似たり、此の法門を弘むる故に。(右衛門大夫殿御返事 弘安二年一二月三日 五八歳 1435)

▲ 此の経文に斯人行世間(しにんぎょうせけん)の五(いつつ)の文字の中の人の文字をば誰とか思(おぼ)し食(め)す、上行菩薩の再誕の人なるべしと覚えたり。(1435)

▲ 日蓮聖人は御経にとかれてましますが如くば、久成(くじょう)如来の御使ひ、上行菩薩の垂迹(すいじゃく)、法華本門の行者、五五百歳の大導師にて御坐候聖人(頼基陳状 建治三年六月二五日 五六歳 1130)

▲ 問うて云はく、末法に於ける流布の法の名目如何。答へて云はく、日蓮の己心に相承せる秘法を此の答へに顕はすべきなり。所謂(いわゆる)南無妙法蓮華経是(これ)なり。問うて云はく、証文如何。答へて云はく、神力品に云はく「爾(そ)の時仏上行等の菩薩に告げたまはく、要を以て之を言はゞ乃至宣示顕説す」云云。(十八円満抄 弘安三年一一月三日 五九歳 1518)

■ 問うて云はく、今の文は上行菩薩等に授与するの文なり。汝何が故ぞ己心相承の秘法と云ふや。答へて云はく、上行菩薩の弘通し給ふべき秘法を日蓮先立ちて之を弘む。身に当たるの意に非ずや。上行菩薩の代官の一分なり。(1518)

● 日蓮聖人の御房は三界の主、一切衆生の父母、釈迦如来の御使ひ上行菩薩にて御坐候ひける事の法華経に説かれてましましけるを信じまいらせたるに候。(1135)

● 彼は薬王此は上行。(法華本門宗血脈相承事(本因妙抄) 弘安五年一〇月一一日 1682)

● 霊山浄土多宝塔中久遠実成無上覚王の直授相承、本迹勝劣口決相伝の譜、久遠名字已来本因本果の主、本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮詮要す。(具騰本種正法実義本迹勝劣正伝(百六箇抄) 弘安三年一月一一日 五九歳 1685)

● 十一、下種の法華経の教主の本迹 自受用身は本、上行日蓮は迹なり。我が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり。其の教主は某なり。(1695)

● 十四、下種の自解仏乗の本迹 名字の妙法を上行所伝ぞと聞き得たる方は自解仏乗の本なり。(1696)

● 虚空蔵菩薩貌吉(みめよき)児(ちご)を御肩に立て給ふ。〔聖人上行菩薩の口伝、並びに是生の口伝〕此の少人我が為には上行菩提薩・なり。日の下の人の為には生財摩訶薩・なり。亦一切有情の為には行く末三世常恒の大導師なり。是を汝に与へんとの給ふと見て後、御事(おこと)懐妊の由を聞くと語り相(あ)ひたりき。さてこそ御事(おこと)は聖人なれ。
 〔聖人の御生まれ仏の御誕生に殊ならざる口伝〕
 又産生(うまれ)たまふべき夜の夢に、富士山の頂に登りて十方を見るに、明らかなる事掌(たなごころ)の内を見るが如く三世明白なり。梵天・帝釈・四大天王等の諸天悉く来下(らいげ)して、本地自受用報身如来の垂迹上行菩薩の御身(おんみ)を凡夫地に謙下(けんげ)したまふ。御誕生は唯今なり、無熱池(むねっち)の主阿那婆達多(あなばだった)竜王・八功徳水を持ち来たるべし、当に産湯に浴し奉るべしと諸天に告げたまへり。仍(よ)って竜神王即時に青蓮華を一本荷(にな)ひ来たれり。其の蓮より清水を出だして御身に浴し進(まい)らせ侍(はべ)りけり。其の余れる水を四天下に灑(そそ)ぐに、其の潤ひを受くる人畜・草木・国土世間悉く金色の光明を放ち、四方の草木華(はな)発(ひら)き菓(このみ)成る。男女座を並べて有れども煩悩無し。淤泥(おでい)の中より出づれども塵泥(じんでい)に染まざること、譬へば蓮華の泥より出でて泥に染まざるが如し。人・天・竜・畜共に白き蓮を各手に捧げて、日に向かって「今此三界(こんしさんがい)、皆是我有(かいぜがう)、其中衆生(ごちゅうしゅじょう)、悉是吾子(しつぜごし)、唯我一人(ゆいがいちにん)、能為救護(のういくご)」と唱へ奉ると見て驚けば、則ち聖人出生したまへり。「毎自作是念、以何令衆生、得入無上道、速成就仏身」と苦我(くが)(な)き玉ふ。(産湯相承事 日興之を記す 1708)


● 今末法に入りて上行所伝の本法の南無妙法蓮華経を弘め奉る。日蓮世間に出世すと云へども、三十二歳までは此の題目を唱へ出ださゞるは仏法不現前なり。此の妙法蓮華経を弘めて終には本法の内証に引き入るゝなり。(御講聞書 1844)


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