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▼ ただ、決定的なのは、日蓮大聖人は末法に生きた人とは言い難い事です。
※1「日蓮大聖人の立教当時、末法思想は既にありましたが、人々は無信心ではなかった。」
従って、※2「主に天台で修行された聖者方が次々と「末法を救う新興宗教」を打ち立て、大衆はそれを受け入れて今があります。」
※3「末法の世とは、佛も法も僧も存在しないに等しい今の世相のほうがより近いのではないでしょうか?」

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   ★ → 実に、仏教の捉え方が皮相的である。
まず、末法来入の時限についての再検討はこちら (更に論証を追加してある)

既に末法来入の時限について考察 の  ★ 台密の出現により、釈尊の法華経(白法)は隠没 で記述してあるが、そもそも「末法」とはどういう法が滅尽するというのであろうか。

そこを押さえてなければ、真に「末法」を理解しているとは言えない。

概説

法華経最第一の証明  → 釈尊の仏法とは法華経に究竟する。
「仏法」とは詰まる所、「法華経」を護持する僧団が伝持していることになる。
では「末法」とは その「法華経」を護持する僧団が「闘諍言訟して白法隠没」する状況である。
それはどこかと言えば、日本天台宗 比叡山延暦寺である。
伝教大師が中国天台宗から伝持した純善たる法華経最勝の教説に、真言密教を混入させ汚染させたのが慈覚・智証である。
この時点を以って、「白法隠没」と言えるのではないか。
しかも、その直後から続く両者間の激しい対立から10世末頃「僧兵」が出現し、まさに「闘諍言訟」の様相を呈する。
ここを「末法来入」と言わずして、一体どの時代を指せるというのか?

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▼※1「日蓮大聖人の立教当時、末法思想は既にありましたが、人々は無信心ではなかった。」

   ★ → 法華経に対する純然たる信仰は、慈覚・智証以来もはや地に落ちて汚泥にまみれていたのである。

▼※2「主に天台で修行された聖者方が次々と「末法を救う新興宗教」を打ち立て、大衆はそれを受け入れて今があります。」

   ★ → 当時比叡山延暦寺は"仏教総合大学"的な存在であった。が、そこに修学した者達が起こした新仏教は、日蓮大聖人を除き、悉く法華経の教えに背くものであった。それはもはや正統な「仏教」ではない。それを以って、「仏教興隆」などとはいえない。
また、それが今に続いている、とはいっても、もはや形骸化してただの「葬式仏教」「葬式屋としての一職業」と成り果てており、真の六根清浄・即身成仏を遂げることが出来る力のある仏教ではないことは世間でも良く知る所である。

▼※3「末法の世とは、佛も法も僧も存在しないに等しい今の世相のほうがより近いのではないでしょうか?」
  
   ★ → 根拠不明。 

@ そもそも、仏 法 僧 の三宝とは具体的には何を指していうのか?
A その 仏・法・僧 はいつから明確にいなくなったのか?
B 何を以って いなくなった と定義するのか?
C ではいつから「末法」に来入したと主張できるのか?
D それを明確に証明できるような歴史的事実があるのか?

このような点が明確でない限り、問難者のただの思い込み、妄執、浮言に過ぎない。


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