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▼  一方、日蓮大聖人が活躍されたのは

生:1222年2月16日 → 没:1282年10月13日

大まかに言えば400年くらいのズレがあります(日蓮大聖人の出世が経文で予言されたとする時期より早すぎる)。最大では約900年、私は佛教の世界観からすれば1,000年程度のズレまでは許容できるのかなと考えていましたが、厳格に「法を説く人」を確定する作業では、やはり「1617年〜2117年」の500年内かそれ以降に出現している「聖人」の方が、日蓮大聖人より「経典に予言された人」に近いはずです。

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   ★ → 経典に「末法」に出現を予言された日蓮大聖人 

確かに、現代の釈尊入滅年代
(1) BC.566年-486年(高楠順次郎説)
(2) BC.565年-485年(衆聖点記説)
(3) BC.564年-484年(金倉圓照説)
(4) BC.466年-386年(宇井伯寿説)
(5) BC.463年-383年(中村 元説)
(6) BC.624年-544年(東南アジア圏にて採用されている説)
を概ね正しい、と仮定すると、鎌倉時代など当時の仏教界で常識化していた仏滅年がB.C.949年からは概ね400年〜500年ほど末法来入が遅れるということになろう。

そうなれば、日蓮大聖人は「像法」時代の御誕生、ということになって、大聖人様が「法華経で予証された末法の法華経の行者」ということが成り立たなくなる。
これについては、種々考察し、検討を加えているので、参照ください。

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▼ また、この御文は「断絶せしむること無けん」と、法華経は釈尊の世から、世の末まで「断絶させるな」と仰っています。
大集経を根拠として「釈尊のあらゆる言説は無効になる。」というのは乱暴すぎます。

大集経にある「隠没」とは特殊な言葉遣いであるのでここでは触れませんが、「減損」するは、明らかに無くなる事、効力を失う事ではありません。
従って、釈尊の説く法華経が無効になり、日蓮大聖人の説く法華経が本物という説はこの文に反しています。
但し、「釈尊が説く法華経は存在するが、その功徳は減損され、日蓮大聖人という方が説くことによって法華経は再びその功徳を取り戻す」と言うのであればこの文の意味する所により近い自然な読み方になると思います。

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   ★ → 当該経文

■ 妙法蓮華経薬王菩薩本事品第二十三 

「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん。

ここだけを見れば、確かに、主張の通りであろう。
が、しかし、

『大集経』分布閻浮提品
■「次の五百年は(※第五の五〇〇年)、我が法の中に於て、闘諍言訟して白法隠没し損減すること堅固ならん

とあり、この文意を拝せば 白法(→ 一代仏教で唯一純一円満の法華経)が隠れ没して、損じ減ずること確定的 と読める。
ここで、「隠没」 の語であるが、既に問難者は大きな過ちを犯している。
既に破折しておいた箇所を再掲しよう。

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▼ 1、 大集経 分布閻浮提品 −説かれる時の問題―

「次の五百年は(※第五の五〇〇年)、我が法の中に於て、闘諍言訟して白法隠没し損減すること堅固ならん」

つまり、お釈迦様が滅度した後、500年ずつ時代を区切っており、2500年後には末法(500年×第五番目=2500)になるよ。

その時には「白法(びゃくほう:正しい法)隠没(おんもつ:『※@偽って死者扱いすること。偽って戸籍に名前を載せない事』)し損減(減らす事)する」し、釈尊が説いた正しい法も存在はするが埋もれていたり、埋もれてなくてもその功徳が減損(減る)していたりすると仰っております。

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   ★ → 細かいことのようだが『※@ 隠没』 の訳は歴史民俗用語辞典からの引用で、仏教用語としては正しくない。
純粋に 「隠れ、没する」 と訳すべきであり、その方が文意が通じる。
今後も、同様な問題が予想できるのだが、言葉の訳し方は、あくまで仏が説こうしていた意に通じるかが肝要なのである。
つまり経典の教旨の全体観に立った上で細部を見て行かなければならない。
それは経典が成立する過程には長い時間の経過があり、また、幾つもの民族、言語、国家を経てきているが故に、多様な要素が堆積しているからである。
本質的な骨格・綱格においては釈尊の御言葉が根本であることはその深遠な教旨から疑い得ないが、網目においては、後の訳出者の添加や編集があったであろうことが認められるからである。
であるから、「経文」を拝しその「義」を解し、仏の「意」に通じる読み方をしないと、経文の判釈に迷い惑うのである。
重々留意しなければならない点である。
とかく、経文の語句の解釈を様々な辞典を漁り、自分の意に通じるような訳を見つけて、全体の義を曲げて捉える者が多いが、それこそが仏教が曲がる大きな悪しき要因であるから、よくよく誡めなければならない。  (引用以上)

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   ★ → 問難者はこのように、「隠没」 という仏典において使用された語句を、あろうことか、「歴史民俗用語辞典」 などという筋違いな辞典から訳しているのである。
それを根拠に当該経文を意訳しているのであるから、当然、仏の御心に通じていくわけがない。

まず、大集経の当該の段、全文を拝す。

■『大方等大集経』第五十五
「我が滅後五白年の中に於いて,諸の比丘等は猶,我が法に於いて解説堅固ならん,
次の五百年には我の正法,禅定三昧に,住するを得ること堅固ならん。
次(後)の五百年には読誦多聞にして,住する得ること堅固ならん。
次の五百年には我が法の中に於いて,多く塔寺を造り,住する得ること堅固ならん。
次の五百年には我が法の中に於いて言頌を闘諍し,自法隠没損減すること堅固ならん」(大正13,No.397,363L29一中5)

大集経の「法滅尽品」は前後二つの部分よりなっている。
前半は法滅の原因とその結末を克明に述べたもの

破戒・悪比丘が出現して正法乱れて非法・法滅する。と説く。

後半は法滅事件の具体的記述である。
異民旅のインド侵入に対し、拘「目+炎」弥国の難看が出てこれを駆遂した。
難看はこの戦いに心を痛め、般遮会を行なって自己の罪を懺悔しようとした。
この会において、三蔵と阿羅漢との間に波羅提木叉の誦持について諍論がおこり、興奮した三蔵の弟子は阿羅漢のひとりを殺してしまう。
これに端を発し、この会は二派に分かれてたがいに争い殺し合い、ついに正法は隠没してしまったというのである。

『大集経』は一大仏教叢書ともいえる経典であるが、この経典が人びとの関心を集めたのは、随所に説かれる鮮明な法滅思想のためである。

月藏分のなか、人びとの注目を集めたのは、「分布閻浮提品」に説かれる五堅固説と「法滅尽品」に展開される正法滅尽の記述である。

「大集経・月蔵分』(「法滅尽品」第二十)
■「我が滅度後,仏法まさに滅せんとする時,あらゆる出家者は漸恥有ること無く,功徳の智を遠離し,懈怠にして精進せず,道を捨てて世の業を学ぶ。禁戒を持するを楽しまず,愚癡にして俗と交わり,多言にして,復た羞ずること無し」
とあり、その後、
■「辺夷の王等が来りて,仏の塔寺を毀破し,諸の衆僧を殺害し,仏僧の物を劫奪する」

■「釈迦の所集の法は,今日当に隠没し,色界の諸天子,一切の欲界の天,正法は隠没し已る。…今より世間に於いて更に仏法有ること無く,律儀・木叉戒の一切は悉く空無なり

とあり、明らかに法滅尽の様相を説いている。

他 『証契大乗経』(大正、一六・六六二下) においては
■「仏法は正光・像法 乃至 一切の仏法が隠没し滅尽するを示現す」 とある。

また 『蓮華面経』では仏滅後の比丘が食肉妻帯して,金銀を蓄財し,生活のために医療・囲碁・双六(六博)・占い・呪術等によって自活し,破戒無漸にして教法を改竄する様子などが事細かに描写される。

そもそも、こういう「末法」を記述した経典群は 「法滅懸記」 と言われ、釈尊の仏法が滅尽する様相を嘆き憂うものなのである。

そういう、全体観を見ないで、ただ目先の一語句について云々するから、正しい判断ができず、正しい師が分からず、邪師を見抜くことができず、信仰の筋目を誤り、人生を台無し、未来に於いての悪業を積むことになるのである。

まさに、■ 「義に依って語に依らざれ」 と 自身が第一と標榜する涅槃経に誡められている訓戒が身で読めていないのである。
これ、「論語読みの論語知らず」との愚行である。
なぜそうなるのか。
正しい師に付かず、悪しき邪師に惑わされているから、仏道修行しているつもりで、実は仏の御心と真逆の方向へ引き摺り込まれているが故に、経典に示された通りの正しい果報が身につかないのである。


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