日時: 2016年11月28日 23:47:05 JST
件名: 真如苑教徒の方へ
日蓮正宗 妙相寺信徒のKと申します。
樋田氏とのやり取りを拝見させて頂いておりました。
私も大変拙い文章でしたが、閲覧者3として参加させて頂いておりました。
失礼な表現も多々あったと思いますが、樋田氏と同様、正邪を決せんとする以外に他意は無く、ただただ目を醒まして頂きたいとの思いだけでした。
いま、恐らく、当宗祖信徒からの連絡が殺到しておられるかと思います。
この方達も皆、きっと樋田氏や私と同じ思いです。
○○各地にも信徒がおり、連絡があると思われます。私は○○在住です。
是非、一度お会いしたいと存じます。
いつでも構いません。よろしければご連絡お待ちしています。
追伸
私のような浅信浅学な者にお付き合い頂き、本当にありがとうございました。
貴方の最後に言葉に涙が止まりません。
どうか、勇気を奮い起こし、真に正しい仏法を持ち、以って御自身と伊藤真乗氏の謗法罪障消滅を計られんことを切に切に願います。
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日時: 2016年11月29日 16:34:37 JST
件名: Re: 真如苑教徒の方へ
K様
お心づかいのお言葉、ありがとうございます。
伊藤真乗の末葉、Mと申します。
私が樋田氏との議論を打ち切ったのは、彼に負けると思ったからではありません。
伊藤真乗が重んじた「和合」の観点から仏教徒同士が言い争うのは愚かであると思ったからです。
私が樋田氏とのやり取りで書かせていただいた決意、そんなに軽く見えましたでしょうか?
「南無」とは「帰命」であり、命を懸ける事です。
一度、「南無真如一如大般涅槃経」と唱えたからには、私は自 分の命が、運命がどうであろうが伊藤に預けております。
K様にお会いしたとしても、話は平行線になる事が予想されます。
私はそんなに簡単に日蓮正宗から離れたわけではありません。
涅槃経を信奉する事は法華経を供養する事だと頭でも、心でも解ったので今があります。
まして、私は真如苑にて戒律まで授かっております。
開目抄ではないですが、私は約束したことを生涯守るつもりです。
伊藤の弟子として、地獄に私の末席が設けられているなら望むところ。
私はもう既に十分に与えられてい るのです。
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日時: 2016年11月30日 23:08:00 JST
件名: Re: 真如苑教徒の方へ
M 様
▼私が樋田氏との議論を打ち切ったのは、彼に負けると思ったからではありません。
★はい???本気で言ってますか?
敗北の言、私はその潔さに暫く涙しました。樋田氏もそう述べておられた。けして法論に勝ったからではありません。そもそも日蓮正宗に伝わる法義が正しいことは決定しているからです。
仏徒として非を受け容れ身を屈め、法を求める姿に感動した。それをなんですか?真意じゃなかった?ふざけるのもいい加減にしなさい!
▼伊藤真乗が重んじた「和合」の観点から仏教徒同士が言い争うのは愚かであると思ったからです。
★どこまで慢心が強いんですか?
衆生無辺誓願度はどこへ行ったんですか?口だけ達者なら良いというのが真如苑の志向性ですか。
最早、この言にも信憑性がありませんよ。
それはそうでしょう。正直を旨としなければならない筈の(自称)仏徒が二枚舌をまったく省みない事が明らかになったのですから。
和合とは悪を見て放置する事ではありません。
伊藤真乗が説く和合など、真の衆生済度の慈悲も力も無く、ついには自他を欺く「ことなかれ主義」の輩が、己に慈悲も力も無い事を隠し、さも聖人ぶるために嘯いているだけ。
正邪 善悪をウヤムヤにして真の和合も安心・平和も叶うわけがないでしょうが。まさに人も世界も混乱させる邪説。麻薬。
仏を信じず道理が解らない者にとっては、一見聞こえが良いだけの慈悲とは似て非なる「まがい物」
それに、八相作仏に「降魔」があるの知ってますよね?
釈尊は外道や魔の唱える邪義邪説に一歩も引かず闘い降伏せしめた。
その行 その因縁で仏と成ったんでしょうよ。伊藤の教えを真に受けることは、即 釈尊の否定ですよ。分かりません?
伊藤のいう和合こそ妄言(衆生を惑わす言葉)と言うのです。良い歳して何をこんなしょうもない幼稚な邪説に引っかかってるんですか。おそらく私は貴方よりも年少ですが、失礼を承知で言います。
しっかりしろよ!仮にも仏道を求める大の大人が寝惚けた事を抜かしてんじゃねーよ。
真の仏教に依らなければ真の和合などあり得りえないことを知りなさい。
▼私が樋田氏とのやり取りで書かせていただいた決意、そんなに軽く見えましたでしょうか?
★決意?あの「邪師と共に地獄へ行く」というやつですか?軽過ぎますね。御仏への信が。そんな馬鹿げた決意示されて放って置く仏弟子がいますか。
私は日蓮正宗信徒です。世間的にはなんの取り柄も名誉も無い。それどころか、弾かれ者の冴えない男。ですが、そんな私でも、勿体無くも御仏の意を一分でも体している以上は仏の遣いです。
貴方の方こそ日蓮正宗信徒をそのへんの無慈悲な輩のように軽く見ないで頂きたい。貴方が伊藤真乗への執着を断つまでは決して諦めませんよ。
▼「南無」とは「帰命」であり、命を懸ける事です。
★「何に」命を懸けるかが最も重要なことでしょうが。六道を流転し、人界に生じ、そのうえ末法の御本仏の御教えに縁することが出来たことが、どれほど稀有なことか。
命を無駄にするんじゃない!そう生命の尊さを説くのが仏教ではないですか。伊藤真乗など、その尊い命を懸けるだけの価値は微塵も無い!そのことは真っ当な理性があれば誰でも解るよう樋田氏からも明示されている。
真っ当じゃないんですよ!Mさんは!
▼一度、「南無真如一如大般涅槃経」と唱えたからには、私は自 分の命が、運命がどうであろうが伊藤に預けております。
★逃げるんじゃありませんよ。貴方が相当の年月と労力 等々を真如苑に懸けてきたことは概ね分かりました。
真如苑の無いこれからの人生を受け容れるのが怖いんでしょう?
懸けた分だけ無駄だと思いたくない気持ちもあるでしょう。私も元は創価に居たので分かります。
池田が、学会が邪宗教という事実。そこに加担した自分の罪業。何より、それまで創価の信仰で共々に幸せになりたい、なれると固く信じて布教し、不本意にも成仏を妨げる邪宗教に縁をさせてしまった方々の事を思うと、悔しさではなく絶望しかありませんでした。
いっそのこと消えてしまいたいという思いと、申し訳なさ、恥ずかしさに押し潰されそうな日々。
当時私は20代でしたが、仕事も手に付かなくなり、ついには寝たきりになりました。
家族や友人にも合わせる顔がないため、居留守を使い連絡を断ち、常にあらゆる音と刺激に怯え、独り暮らしというのに自分の足音さえ耐えられず猫のように足音を消す生活。
外出せざるを得ない時は耳栓をしていました。
消えたいと思いながらも死ぬ事が出来ず、ただ漫然と、命を維持するだけの味のしない食事を摂り糞を垂れ、寝るだけの日々。
これ、生き地獄ですよね。
当時つけていた日記はまともに見返すことが出来ないほど酷い内容です。
そんな日々が1年ほど続き、ようやく落ち着いてきた私の中に残っていたのは、池田や創価への執着でも絶望感でもない、恥ずかしさでもない、御仏への僅かながらの信でした。
▼K様にお会いしたとしても、話は平行線になる事が予想されます。
★でしょうね。そんなことはわかってますよ。貴方の顔を見たいんです。面と向かって、ちゃんと言いたいんですよ。この馬鹿がって。
▼私はそんなに簡単に日蓮正宗から離れたわけではありません。
★そうかもしれないけど、貴方、日蓮正宗のこと何も知らないじゃないですか。
もともと偏った物差しで測ったもの。濁り腐った目や曇りまくった鏡では正確な像が捉えられない。おかしいのは当たり前でしょうが。
▼涅槃経を信奉する事は法華経を供養する事だと頭でも、心でも解ったので今があります。
★逆だと言ってるでしょう。法華経を供養する事が、一切経・一切の仏を供養することになるんです。妄想するのもいい加減にしなさいよ。貴方のように解ったフリ、悟ったフリをする輩が似非仏教を弘めて世の中迷惑している。
正法広布の邪魔!やめるまで徹底的に闘いますから覚悟してください。
▼まして、私は真如苑にて戒律まで授かっております。
★日蓮正宗信徒だったのなら入信時に御授戒を頂いた筈ですよね。
「今身より仏身に至るまで爾前迹門の邪法邪師の邪義を捨てて、法華本門の正法正師の正義を持ち奉るや否や」
「今身より仏身に至るまで爾前迹門の謗法を捨てて、法華本門の本尊と戒壇と題目を持ち奉るや否や」
「今身より仏身に至るまで爾前迹門の不妄語戒を捨てて、法華本門の不妄語戒を持ち奉るや否や」
この授戒文を承けて
「持ち奉るべし南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」
貴方は唱え誓ったのです。
覚えていますか。
それが幼少期だろうがなんであろうが誓った。御仏との誓いを破り、邪師 伊藤真乗へ帰依した。
真如苑の戒律など教説に無いまったくの出鱈目。
いわば怪律 壊律 傀律 乖律 碍律 蓋律
の類。生命を縛り蝕むものでしかない。
▼開目抄ではないですが、私は約束したことを生涯守るつもりです。
★分も弁えず我見邪説に都合良く大聖人様の御名を用いる。。どれだけ唾を吐けば気が済むのか。もしかして本気でふざけてるんですか?
約束?どこまで自己中なのMさん。思ってもいない事を、その場しのぎの為に平気で吐ける貴方の約束ってどんだけのものですか。こんな泥塗り上手の弟子を育てることが伊藤の目指したものですか?
まずは日蓮正宗の信仰をしっかりやって命にこびり付いた虚飾と二枚舌の癖を直し、正直者になった暁に伊藤との約束を果たしたら如何ですか。でないと今の貴方では人も救えなければ約束も守れませんて。
▼本当苦しいです。
でも、救いのない人々の為に私は法を説き続けます。
★貴方自身が救いのない悪法の果報に苦しんでるのに、どうやって人を救うっていうんですか?人を苦しめる法を弘めてどうするんですか?
▼伊藤の弟子として、地獄に私の末席が設けられているなら望むところ。
★真如苑は貴方ほどの強信者でも結局は悲愴 悲観的になる力の無い邪教。
真の仏法とは法華経に
「勇猛精進」とあるが如く、力強く、
「広大深遠 無量無礙 力 無所畏」とあるが如く、遮るものも畏れることも無い、
しかも
「我此土安穏 天人常充満 園林諸堂閣 種々寳荘厳 寳樹多華果 衆生所遊楽
諸天撃天鼓 雨曼荼羅華」とあるが如く、実に晴れ晴れとした 穏やかで 賑やかな 目出度いものです。そこに悲愴感は無い。
悲愴的 悲観的になることそれ自体、真如苑がいかに功徳と生命力を奪い、苦しめるかを如実に表した現証。
▼私はもう既に十分に与えられてい るのです。
★重度のアルコール依存症患者や麻薬中毒者も同じ事を言う。「もうなーんも要らな?い。これさえあればいい?気持ちいい??私のことは放っといて??止めないで??何もかもめんどくさ??い」とね。
Mさん。貴方は何も得ていない。逆に我々衆生にとって最重要事項である成仏の道と得るべき功徳を失っているんですよ。
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日時: 2016年11月30日 23:43:58 JST
件名: ひとつだけ釘を刺させて頂きます
K様
お世話になっております。
私の為にたくさんの言を連ねて頂けた事、不肖、私ごときに恐縮です。
ですが、K様。彼方のお話は聞けませんよ。
もう一度、ご自分が私の為にお書きになった文章を読んでもらえますか?
何の面識もないK様に、このようなメールを頂き、「ああ!俺って間違ってた!」となりますか?
仏法以前の常識として、信頼関係ができるまではそれなりのものの書き方があるのでは?
私は、そういう常識がないところで日蓮正宗だけは絶対にしないと決めたのです。
仏法が道理だとは私は思いませんが、仮に道理であるとすれば、K様?
すこしばかり失礼ではないですか?
失礼から入って、相手を度する事ができますか?
ちなみに、自分は全く礼を失していないとお考えならば、これ以上、お話しすることはございません。
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日時: 2016年11月30日 23:54:29 JST
件名: 追伸
私の所に女性の方からもメールを頂いておりますが、ご存知ですか?
私がなぜ、今回、議論を降りたか。どう考えているのか、彼女にお話ししています。
ご存じならそちらも参照してくださいますように。
真如苑 第一世 伊藤 真總 末葉
M 大律師
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日時: 2016年12月1日 0:14:28 JST
件名: Re: 真如苑教徒の方へ
追記。
★法華経に仏の内証をして「無所畏」畏るる所無し 。
とあります。裏を返せば、本来 未だ仏と成っていない(仏力法力に対して不信の)衆生には「畏れる何か」が存在することが前提となっている。ともいえる。
それは何かとひとことで言えば、魔であり、破邪顕正・正法広布の闘いに於いて必ず起こる諸難を指します。
これを畏れない=無所畏 なのが仏ではありませんか。
▼何故、仏法を原因としてわざわざ対立する必要があるのか?
正邪 善悪は一如。切っても切れない関係です。仏法(正法)が争いの『原因』なのではありません。正法でない『謗法』こそが、争いや不幸、無秩序の原因なのです。
伊藤の言う和合(仏法)が正ならあり得ない御言葉ですよね。
また、涅槃経に説かれる釈尊の本生譚(釈尊が過去世に菩薩道を行じていた時の物語)こそ、伊藤の言う「(誤った)和合思想」ではあり得ない内容です。
菩薩道=修行=成仏の因
魔や邪宗邪義の僧(三類の強敵)ら『謗法の徒との死闘』を経て、その因縁に依り仏と成ったんですよ?
▼何故、仏法を原因としてわざわざ対立する必要があるのか?
伊藤 真乗は言いました。
「仏法と言うのは何一つ切り捨てない和合が肝心なのです」と。
★『人を救うために』衆生を悪道に陥れる謗法とは徹底的に闘う。邪義は徹底して斬り捨てるのが真の菩薩。真の仏弟子。
貴方の主張↑、完全なる邪説ですから。
仏となる因縁を説くこの重要な部分を誤読(拝してすらいない?レベル)する伊藤に人を教化出来るわけが無い。
出来るとすればすれば、釈尊 三世十方の仏菩薩全員、ペテン師の誇大妄想狂。
そんなことは、絶対に、断じて【あり得ない】
この一事をもって伊藤真乗は初めから根っから涅槃経を信じていなかった謗法者であることが明白。
早く棄てるべき。今すぐ。
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日時: 2016年12月4日 0:18:07 JST
件名: Re: 追伸
K様
お世話になります。
さて、私の感想は
http://www1.bbiq.jp/watanabe6972/
に表明した通りです。
空気を読んで頂きたい。
逆に、嫌味ではなく本気でお聞きしたいのですが、彼方は法華講で救われていますか?
救われていないから折伏が足りないとか思っておられませんか?
仏は折伏の数で救う、救わないを決めると思っておられますか?
樋田氏や彼方を見ていて、私は日蓮正宗だけはしてはいけないと確信しました。
そう宣言したうえで何かお話があるのならお話ください。
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私はこんなタイミングで声をかけてくる人を全く信用する気にはならない。
彼方も普通の常識がおありならお解りになりますよね?
まだお若く、樋田氏に入れ込んでいるのでしょうか?
ただ、私の中では彼方にも、樋田氏にもついていく気持ちはありません。
なぜならば、私が知っている日蓮正宗そのままで常識がないからです。
きっと救いもないでしょう。
創価学会だったから救いがなかったのではないかと思っていましたがちがいました。
それを学び終わり、本当の救いがどこにあるのかを知った私に、何を仰っても無駄です。
むしろ私の意思を尊重しないと言う意味において、失礼ですよ?
この私にまだ折伏の類の言辞を弄し、無礼を働くならば、そのままをインターネットで公開します。
くれぐれも謹んでください。
できれば、何の救いもない法華講などこの際、辞めるに越したことはないのでしょうが、いろいろなしがらみがおありでしょう。
まずは、折伏餓鬼にならないように一息ついて、人間らしい感性を養ってください。
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日時: 2016年12月13日 21:25:10 JST
件名: Re: 追伸
M 様
返信遅くなり申し訳ありません。
貴方の「感想」を拝見しました。
その上でまだ何かお話があれば、とのことでしたので送ります。
…………………………………………………………………
▼仏は折伏の数で救う、救わないを決めると思っておられますか?
☆↑これは、仏の御心をひとつも信解していない者の言です。
Mさんと伊藤真乗 真如苑が、いかに正当な義を拝せない信不具足の者達であるかを論証します。
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@成仏の条件は法華経を持ち説くこと
▲法華経 見宝塔品
「誰か能く此の娑婆国土に於いて 広く妙法華経を説かん 。今正しく是れ時なり。 如来は久しからずして当に涅槃に入るべし。 仏は此の妙法華経を以て 付属して在ること有らしめんと欲すと。 」
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さらに意訳すると概ね次↓のようになります。
誰かよくこの娑婆国土で広く妙法蓮華経を説く者はいないか。 今まさしくこれを説く時である。 如来は久しくないうちに涅槃に入るだろう。 仏はこの妙法蓮華経を人々に付属して、のちの世に(唯一、成仏の叶う法たる妙法蓮華経を)在らしめたいと欲す。
この娑婆国土において法華経を持ち、広く説くこと=仏の御心に適った行→『成仏の叶う信心』
法華経を持たず、一人にも説かない・説けない=仏の御心に背く→『師敵対・不成仏』
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A正法(法華経)護持の者の姿と行為
▲涅槃経
「若し善比丘あって法を壊る者を見て、置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば、是我が弟子、真の声聞なり」
▲「善男子、正法を護持する者は、五戒を受けず威儀を修せず、応に刀剣、弓箭を持つべし。種々に法を説くも、然も故、師子吼を作すこと能はず非法の悪人を降伏すること能はず。
是くの如き比丘、自利し及び衆生を利すること能はず。
当に知るべし、是の輩は懈怠懶惰なり。
能く戒を持ち浄行を守護すと雖も、当に知るべし是の人は能く為す所無からん。」
……………………………………………………………………………
【姿】五戒を受けず威儀を修せず、応に刀剣、弓箭を持ち
【行為】正法を壊る非法の悪人を見て、置かず、能く駈遣し呵責し挙処、降伏する。
これらの経文から、成仏を目指す上で折伏が絶対不可欠の行、条件であることは確定的。
Mさんの姿と行為は真逆ですね。経文に背き、恰も五戒や威儀を修することが最高善であるかの如く装う。
世間に迎合し、媚び諂い、善人のように振舞ってみせ、法に無知な衆生を誑かし(誑かされ)極悪人と共に悪道への手引きをする。指摘されてもなお反省の色も見せない。実にこれ仏並びに一切衆生の敵。悪人の姿です。
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B折伏の数の多少について
法華経法師品
▲「若し是の善男子 善女人 我が滅度の後 能く竊かに一人の為めにも 法華経の乃至一句を説かば 当に知るべし 是の人は則ち如来の使にして 如来に遣わされて 如来の事を行ず 」
……………………………………………………………………………
たとえ密かに一人にでも法華経を説く者は如来の遣いであり、尊い姿に違いありません。が、四弘誓願を旨とし、一人でも多くの人々を救わんとするのが真の菩薩。
▼仏は折伏の数で救う、救わないを決めると思っておられますか?
↑邪教真如苑の害毒で仏への信や思考力などが破壊されているために、仏の御心を履き違えて捉える。仏法を正当に信解出来てもいないのに、自分はさも仏の御心を知っているかのような物言い。
“一切”衆生救済を願とし、たとえ一人でも法華経を説く事が仏の欲する所であることは上掲の御文に顕然。であれば、一人より二人、三人・・・乃至一切を救わんと力の限り説くことが仏の欲する所であることも自明。
この単純な道理が解らなくなっている事自体、絶望的な末期症状である証左。
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C真の菩薩は衆生に同苦した姿「願兼於業」の者
法華経 法師品第十
「薬王、當に知るべし。是の人は自ら清浄の業報を捨てて、我が滅度の後に於て、衆生を愍れむが故に悪世に生れて、広く此の経を演ぶるなり」……………………………………………………………………………
自らを顧みず、他を救わんとするのが真の菩薩。いわゆる「願兼於業」(業、願を兼ぬと読む。)
過去遠々劫から無数の仏を供養した功徳により、本来ならば菩薩には清浄な業報があるにもかかわらず、広く妙法を弘通する誓願を立てて、願って悪世に生まれ、“悪世の衆生を救済するためにその衆生に同苦”して、しかも、それら“衆生の業苦と同じ境界”に立って妙法を弘めること。……………………………………………………………………………
その上でMさんの質問↓を見ると
▼逆に、嫌味ではなく本気でお聞きしたいのですが、彼方は法華講で救われていますか?
救われていないから折伏が足りないとか思っておられませんか?
↑末法に仏の遣いとして現れる菩薩の意義、願兼於業の意を全く理解出来ておられないことがよく分かる質問です。
菩薩は悪世の衆生の“業苦と同じ境界”に立って妙法を弘めるのですから、表層の部分では不幸に見えなくもありません。
信の無い六根不浄の者、特に自ら進んで師敵対をするような謗法の悪人にとっては菩薩が「救われていない」と見えるようであっても、当の菩薩本人は、正法を行ずる(一分でも仏と境智冥合できることへの)歓喜の生活を送ることが出来ているのです。
これを一水四見(見る者の境界によって対象の捉え方が違う)といいます。
※ ただし、正法を持つ者であっても、信や行が薄まれば、正しく持てていない状態=六根不浄となり、衆生を救うために自ら願った業や姿にも関わらず、そのことを忘れ、見失い、「煩悩・業・苦の三毒を法身・般若・解脱の三徳」へと転ずることが出来ずに、苦を苦のままで受ける生活となります。
主観を述べろと仰るのであれば、貴方の意に反し、「おおいに救わています」と答えます。
思うに、救われているのかどうかというのは、個々人のその時その瞬間の信仰度合い・生命状態に依るものですし、主観の域を出ません。
仏道修行の果報は1年3年5年10年・・と長い目で見なければ解らないものです。
正法を行ずるといっても、皆、外用の姿は凡夫であり、「信」を外せば、たちどころに仏と自らの本心を見失い迷いますから、やはり、信仰によって成仏=救われたかどうかの判定は、「最期臨終の時まで正念を持っていられるか」に尽きると思います。凡眼凡知で軽々に云々出来るものではないのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、仏の語に虚妄無しと信ずる限り、【自らの言動が真に仏意仏説に適っているか否か】という一点でのみ、成不成の如何を問い判定する以外にないと言えるでしょう。
また仏法は因果倶時ともいいます。仏の因を積む中に成仏の果報が同時に具わっているのです。
少なくとも現時において、甚だ非力で拙いとはいえ、非法の衆たる貴方と真如苑、その他の邪教を仏に順じて呵責している者が救われていることは仏が嘘つきでない限り間違いありません。
……………………………………………………………………………
Mさん。真の菩薩ではない貴方が今生積んでいるものは、身・口・意の全てにおいて堕獄の悪因です。想う事も言動も全てです。
だから未来を待つまでもなく、今現時においてその果報を受け苦しんでいるのです。
これは貴方だけの問題ではないのですよ。貴方がやる事なす事、全て自他を穢し苦しめるものなのです。縁ある人、御先祖や大切な人に対して申し訳ないとは思いませんか?
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D不信・驕慢・臆病者はそもそも法華経を持てない。持つ資格が無い。
▼樋田氏や彼方を見ていて、私は日蓮正宗だけはしてはいけないと確信しました。
☆法華経 法師品第十
「猶多怨嫉・況滅度後」
この経は、如来の現在すら、なお怨嫉多し、況や滅度の後をや。
……………………………………………………………………………
末法に正法を持ち折伏を行ずることは難事中の難事との意です。
相手の信ずるものを否定し、た折るのだから、当然嫌われる。仏への信と勇気が無ければ出来ません。
貴方は不信。驕慢。臆病。だから仏の仰せであってもやりたくない、仏敵ですから正法を持てないのは道理です。
経文に真っ向から違背しているのはMさん、貴方と邪師 伊藤真乗、真如苑です。
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日時: 2016年12月13日 21:26:03 JST
件名: Re: 追伸
▼私はこんなタイミングで声をかけてくる人を全く信用する気にはならない。
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☆こんなタイミング、とはどういうことでしょうか?
A 御自身が苦境にある時に
B 樋田氏との論議に敗れ、傷心・疲労困ぱいの時に
C AB両方を意味するのでしょうか。
…………………………………………………………………………
いずれにせよ、衆生が悪法に執著し、持ち、広めている以上、折伏するのが仏道です。老少不生の理から、双方とも、いつなんどき最期を迎えるかわかりません。
貴方の言は裏を返せば、
「私の都合と機嫌の良い時でなければ、仏説も人の忠告も聞かない」と、駄々を捏ねているだけではありませんか。
自身が仏法的にたいへんな重篤状態にあることをまだ解っておられない。
そもそも貴方は主師親たる仏の御言葉さえ信用していないのですよ。仏以外に他のどなたの言なら用いるというのですか?
そのような幼稚で自分本意であっては人を導き救うどころか自身の成長も無いのでは?まして況や成仏など夢のまた夢でしょう。
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▼彼方も普通の常識がおありならお解りになりますよね?
☆貴方の思う「普通の常識 」と 「仏説」では、仏法者としてどちらを優先すべきでしょうか。
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▼まだお若く、樋田氏に入れ込んでいるのでしょうか?
☆それを聞いてどうなるというのでしょう。仏法の正邪に歳は関係ありません。
樋田氏も私も、仏を信じています。
それよりも、若くもないであろう、邪師 伊藤真乗に入れ込んでいる貴方自身、いまこそ冷静になって考え直したほうが賢明です。
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▼ただ、私の中では彼方にも、樋田氏にもついていく気持ちはありません。
☆私や樋田氏について来いと言ってもいなければ思ってもいません。
人師・邪師ではなく、仏様について行くべきである、と申し上げているのです。
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▼なぜならば、私が知っている日蓮正宗そのままで常識がないからです。
☆邪教真如苑のようにコロコロと教義を変えないのが真の仏教である証です。
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▼きっと救いもないでしょう。
☆邪教の毒気深く入り、そう思い込んでいる、思い込まされているのです。「きっと救いもないでしょう」というのは、経文を素直に拝せない、迷った貴方の単なる憶測に過ぎません。
私達は我見でなく経文をもって、唯法華経にのみ救いがあることを再三にわたり示しています。
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▼創価学会だったから救いがなかったのではないかと思っていましたがちがいました。
▼それを学び終わり、本当の救いがどこにあるのかを知った私に、何を仰っても無駄です。
☆樋田氏との論議において、あなたは唯一恃むところの伊藤真乗の正当性を証明出来ず、完膚なきまで敗北し、あげく遁走しました。
いま現在、そのような邪教真如苑の中で根拠薄弱のまま、ただ盲信し、いつか救われるのだと思い込んでいるだけです。
人に救いはあるのかと問い、答えを待つ前に「きっとない」とひとり無理矢理に納得してみせる様は憐れです。けして嫌味ではありません。
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▼むしろ私の意思を尊重しないと言う意味において、失礼ですよ?
▼この私にまだ折伏の類の言辞を弄し、無礼を働くならば、そのままをインターネットで公開します。
▼くれぐれも謹んでください。
☆↑何かとても怯えているような印象を受けます。
「この私に」との物言いも、慢心の強さが伺えますね。
やり取りは公開して頂いて構いません。むしろ、そのほうが世の人々に真如苑の危険性を知らしめることに繋がると考えます。是非公開してください。私のほうでも機会をみて公開したいと思います。
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▼できれば、何の救いもない法華講などこの際、辞めるに越したことはないのでしょうが、いろいろなしがらみがおありでしょう。
☆↑日蓮正宗を辞めた方がよいという根拠を何も示していませんね。仏法の正邪に迷い、真如苑の正当性も崩れ、理性に蓋をし盲信するしかない状況にあるがゆえに、さすがにそんな真如苑を勧めることができない、といったところでしょうか。
かくいう貴方自身、「しがらみ」などという世間的な理由に縛られ、真如苑を辞めるに辞められないのではありませんか?自分がそうだからといって、他人まで同じ状況であるとするのは妄想です。気持ちは分からなくもありませんが、それは浅ましい考え方ですよ。
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▼まずは、折伏餓鬼にならないように一息ついて、人間らしい感性を養ってください。
☆よいですか。貴方はいま、人を教導出来る立場にないのです。双方に言えることですが、人を教訓するよりも先ず自身がどうなのかを深く見つめるべきです。
仏法に違背する者は必ず不知恩であり、畜生にも劣るといいます。
「平らかなるは人」ともいいます。
平穏でいられないMさんこそ、正法正義を信じて悪法を捨て、人間として、仏弟子として、あるべき道を歩むべきです。
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日時: 2016年12月13日 21:57:19 JST
件名: Re: 追伸
K
私は相手を尊重しようとする人間はスルーしない。
けれど法華講に入るつもりは全くない。
君も私も互いに宗教がなければ仲良くなれたのかもしれないな?
でも私は伊藤真乗の弟子である事を辞めるつもりはないのだよ。
樋田氏と会った時には「辞めても良い」と思っていたんだ。
けど、法華講は私が知っている創価学会と何も変わらなかった。
君たちは議論に勝ったと思っているのだろう?
それはそうだ、私が「負けました」と自ら申し出たのだから。
でさ?
議論に勝って何になった?
私があれで法華講に入りたいと思うようになるかな?
なんだか、議論に負けたくせに面倒な事言うな!早く法華講に入れ!的な感じでたくさんのメールが来るんだけどさ?
K?
「俺、お前みたいになりたいよ」って始めるのが信仰じゃないか?
そうでなければ、名前だけ登録した信者が増えるだけじゃね?
K、私は君の信仰を否定しないよ。
でも、私はその教えが最高だとは思わない。
いつか君が、最高の教え、大般涅槃経を求めた いと思ったら連絡してほしい。
但し、法華講からこの教えに入るといろいろと迷う事もなる事をあらかじめ言っておく。
「こうしろ」と強制される教えになれていると、どうしたらいいのか解りにくいのは確かだ。
K、宗教を抜きにすれば君と俺とは友達になれるだろう。
心がけてくれたことはうれしかった。
本当にありがとう。
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日時: 2016年12月13日 23:51:39 JST
件名: Re: 追伸
M 様
▼私は伊藤真乗の弟子である事を辞めるつもりはないのだよ。
樋田氏と会った時には「辞めても良い」と思っていたんだ。
けど、法華講は私が知っている創価学会と何も変わらなかった。
君たちは議論に勝ったと思っているのだろう?
それはそうだ、私が「負けました」と自ら申し出たのだから。
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▼でさ?
議論に勝って何になった?
私があれで法華講に入りたいと思うようになるかな?
なんだか、議論に負けたくせに面倒な事言うな!早く法華講に入れ!的な感じでたくさんのメールが来るんだけどさ?
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☆ 真の慈悲のありがたさがどうしても解らず、逆に疎ましく思うのが謗法者ですよ。私もそうだったのでお気持ちはよく分かります。
前にも申し上げたように、こちらの認識としては、議論の勝敗は最初からついているのです。それこそ久遠の昔から。
Mさんの仰る通り、議論に負けてなどなく、涅槃経が法華経より優れ、第一であるなら、その根拠を示して明証して欲しいのです。仏弟子なら諦めないで頂きたい。
私はたしかに品行方正な人間ではありませんが、単に嫌がらせをしてやろうとか、喧嘩を吹っかけているとか、ムカつかせたいなどという気は一切ありません。
親、先祖、大切な人、一切衆生の成仏が掛かっているのですよ。成仏の可否を巡る話にアツくなって当然でしょう。信仰を娯楽や暇潰しでやっているのではないのですから。
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▼K?
「俺、お前みたいになりたいよ」って始めるのが信仰じゃないか?
そうでなければ、名前だけ登録した信者が増えるだけじゃね?
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☆たしかに、そのような面もあるでしょう。というか先程のメール、ちゃんとご覧になっていないでしょう?
信を無くしたり薄れたり、有名無実の仏弟子となる危険性は誰人にもありますし、末法に出現する菩薩が折伏を行じる姿は現代の一般常識から見れば顰蹙を買うこと必定の振る舞いと映るでしょう。
しつこいようですが、有徳王のくだりなど、まさに、謗法・外道思想から来るところの誤った平等主義や偏った博愛主義に染まる信なき現代人には理解出来ません。
しかし、です。それが仏の言。随自意の語です。そうせよと「仏様が仰せ」なのです。素直に拝せば誰人も否定出来ない事実であることに変わりありません。
仏の御意(厳愛の義、慈悲)がどのようなものであるかは、まさに唯仏与仏。信解できない者には絶対に解らないのでしょう。
その者の境界によって「俺、お前みたいになりたいよ」という対象は様々です。
たとえば異常人格者や快楽殺人鬼にとってはhttp://ahouroushi.kimodameshi.com/killer3.htmlやチャールズマンソン、宮崎勤がヒーローにもなり得ます。
要するに、境界の違いによって憧れを懐く人物も様々であり、その人物が正しく善い行いを為しているかどうかはまた別の問題ということ。
仏説を否定し、真の六根清浄の功徳を得ていないMさんの「境界」が憧れる伊藤真乗は、仏法の眼から見れば、上記の快楽殺人鬼などよりも遥かに重罪を犯しています。
快楽殺人鬼らも正法を信じていない悪人に違いありませんが、しかし正法を殊更に誹謗もしていないと推測されます。よって、直に法華経を下し、無数の有情・非情を悪道に引き摺る伊藤真乗は彼らに比べるべくもない程の極悪人です。
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▼K、私は君の信仰を否定しないよ。
でも、私はその教えが最高だとは思わない。
いつか君が、最高の教え、大般涅槃経を求めた いと思ったら連絡してほしい。
☆お気持ちはありがたいですが、それなりの論証が出来てからにして頂きたいです。
そうでないと求めようとは思いません。それに、否定「しない」のではなく、私の持つ信仰が邪であることを教義の面からも論理的にも否定出来ないのが実のところでしょう。
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▼但し、法華講からこの教えに入るといろいろと迷う事もなる事をあらかじめ言っておく。
「こうしろ」と強制される教えになれていると、どうしたらいいのか解りにくいのは確かだ。
☆申し訳ありませんが、現時点ではその可能性はゼロです。どこから真如苑に入ろうが、迷い苦しみ正しく生を全う出来ないことは経文にも明らかですし、Mさんのことば・姿が教えてくださっています。
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▼K、宗教を抜きにすれば君と俺とは友達になれるだろう。
心がけてくれたことはうれしかった。
本当にありがとう。
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☆堅いやつとお思いでしょうが、やはり正邪善悪、筋目やけじめをきちんとつけ、厳愛を兼ねてこそ、心を赦せる真の友たりうる。つまり正法を抜きにしては得られないと考えます。
・・・というか、宗教の話抜きならお会い出来るのですか?であれば、一度お茶しませんか。
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日時: 2016年12月14日 16:51:41 JST
K
君たちは樋田氏のネットワークのもと、チームプレーで動いているのだね?
でも私の折伏は諦めてもらおうか。
私が真如苑を辞める事はあり得るよ。
でも、法華講に戻る事は、もう絶対にないからね。
☆ 真の慈悲のありがたさがどうしても解らず、逆に疎ましく思うのが謗法者ですよ。私もそうだったのでお気持ちはよく分かります。
悪いが慈悲の押し売りは止めて貰えないかな?
まして、それを受け入れないなら謗法者?
イスラーム過激派は、無差別テロを「真の慈悲」と信じているよ。
そうでなければ、自分の命を懸けてテロなどしないさ。
君たちも全く同じだ。
法華講を求めないなら、これ全て謗法。
そう自分たちが信じるのは自由だが、どうか私の信教の自由も尊重してほしい。
>Mさんの仰る通り、議論に負けてなどなく、涅槃経が法華経より優れ、第一であるなら、その根拠を示して明証して欲しいのです。仏弟子なら諦めないで頂きたい。
樋田氏は、大般涅槃経名字功徳品第六の「八大河悉くこの大般涅槃に入る」の反論は出来ていないが?
それにもまして、法華講をやっている人間と真如苑をやっている人間とを比べてみると良いよ。
私は、君も御存じのとおり山口のT氏などを観ていると、法華第一などあり得ないとしか思えないよ。
>しかし、です。それが仏の言。随自意の語です。そうせよと「仏様が仰せ」なのです。素直に拝せば誰人も否定出来ない事実であることに変わりありません。
>仏の御意(厳愛の義、慈悲)がどのようなものであるかは、まさに唯仏与仏。信解できない者には絶対に解らないのでしょう。
そのような事を言っているのは日蓮系統の者のみです。
君は全ての経典を読破した上で言っているのかい?
日蓮がそう言っているだけじゃないか。
そもそも私は自分で自分を「私が佛だ」と主張する類の人間は信用しない。
中世では日蓮、現代では大川 隆法だ。
>仏説を否定し、真の六根清浄の功徳を得ていないMさんの「境界」が憧れる伊藤真乗は、仏法の眼から見れば、上記の快楽殺人鬼などよりも遥かに重罪を犯しています。
自分がおかしなことを言っていると解っているのかな?
私が快楽殺人者よりも遥かに重い重罪を犯している?
誰が、そんな事を決めるのかな?
なぜ、私は刑務所にぶち込まれていないのかな?
君はまず世間の常識を踏まえないと、誰も話を聞いてくれないよ?
☆お気持ちはありがたいですが、それなりの論証が出来てからにして頂きたいです。
そうでないと求めようとは思いません。それに、否定「しない」のではなく、私の持つ信仰が邪であることを教義の面からも論理的にも否定出来ないのが実のところでしょう。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10167744040
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13167913458
上のリンクに君の仲間がいるよ。
これで法華講が邪宗だという結論は普通の人間なら解ると思う。
次に、古文が言葉で有る以上、その真意は凡夫には解らないよ。
「解釈次第」になってしまう。
☆堅いやつとお思いでしょうが、やはり正邪善悪、筋目やけじめをきちんとつけ、厳愛を兼ねてこそ、心を赦せる真の友たりうる。つまり正法を抜きにしては得られないと考えます。
>・・・というか、宗教の話抜きならお会い出来るのですか?であれば、一度お茶しませんか。
残念だが、K、君には「宗教の話抜き」という譲歩を貰っても会いたいとは思わない。
悪いけど、会ってみたいと思わせる魅力は無いね。
私は経典に救いと慈悲を求めるが、君は経典に論的整合性とかドライなものしか求めなさそうだからね。
樋田氏も含めて、皆に伝えて欲しい。
私は法華講はやらないと。
君も私の事は放っておいてくれないか?
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日時: 2016年12月15日 0:12:13 JST
件名: Re:
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▼私が真如苑を辞める事はあり得るよ。
でも、法華講に戻る事は、もう絶対にないからね。
☆ 死んでも伊藤真乗についていくのではなかったのですか。出来れば貴方を信用したいのですが、こうも言説が右往左往で一貫しないとそれも難しいですね。精神不安定なのではありませんか?
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☆ 真の慈悲のありがたさがどうしても解らず、逆に疎ましく思うのが謗法者ですよ。私もそうだったのでお気持ちはよく分かります。
▼悪いが慈悲の押し売りは止めて貰えないかな?
まして、それを受け入れないなら謗法者?
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☆私の言ではありません。仏説です。文証を挙げます。
涅槃経に云はく
「若し大乗経を誹謗する者有らば、当に勢力を以て之を摧きて伏せしめ、既に摧伏し已はって然して後に勧めて大涅槃を読ましむべし」
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▼イスラーム過激派は、無差別テロを「真の慈悲」と信じているよ。
そうでなければ、自分の命を懸けてテロなどしないさ。
君たちも全く同じだ。
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☆子供みたいなことを仰いますね。
道理を無視して無理くり難癖を付けることしか出来なくなるのですか。それが真如苑を長年信仰して得た智慧ですか。
貴方の言葉を借りれば「それで私が目を醒ましますか?」です。
イスラームの教えに詳しくはないですが、彼らの教えは因果の理法を無視した外道義。仏法で説く慈悲や救済とは異質のものです。貴方も仏教徒を自称するのですから、それくらいお判りのはずだと思いますが。
聖戦で死んで後、天国に生じて処女を侍らせることができることを信じ望む。自己の快楽を本とした極めて幼稚で低劣下卑な動機。こんなもの慈悲とは呼べません。
こんなくだらないものを仏法の慈悲と混同するとはまことに罪深いことです。
何度でも言いますが貴方は仏法の持つ慈悲の義をまったく理解出来ていない。
それに我々は無差別に法を説き下種はしますが、殺生などしていません。
無差別に「法を説く」ことと無差別に「人を殺す」ことの違いも判りませんか?
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「八大河悉くこの大般涅槃に入る」をもって
▼(他宗とも)一緒に仲良くやります。
そもそも真如苑には「邪教」の概念が存在しません(かつてある教団に限って一時、邪教としましたが、現在では他宗の悪口はありません)。
と言っていましたね。無差別テロを働くイスラームの教理のどこが涅槃経の理なんですか?邪教ではないと?
仲良くやってみてください。真如苑なら出来るのでしょう?世界が混乱する今こそ真如苑の活躍の時、真如密の偉大な力を万人に示すチャンスではありませんか。
冗談はともかく、いよいよおかしいですよ。Mさん。
悩乱とはこのことを言うのです。
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▼法華講を求めないなら、これ全て謗法。
そう自分たちが信じるのは自由だが、どうか私の信教の自由も尊重してほしい。
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☆私は真如苑の非を説いているのです。貴方にも仏性が存しています。その尊い命を穢すことを愁いているからこそ折伏するのです。
涅槃経の理・仏の願いというのは、誤った方向に進む衆生を導くものではないのですか。心身錯乱し毒を好んで飲む者の「自由」を尊重して良いのですか。
前にも書きましたが、何でもかんでも自由を尊重すれば良いというものではありません。誤った法や価値観を野放しにして、各人が自由主義を掲げ生活すればどうなるか。
世界も人心もいよいよ混乱の度合いを深めることは間違いないでしょう。
そもそも、信教の自由は迷いの凡夫が定めた世間法であって、万古不易の依るべき法ではありません。仏はそんなものを説いておられません。もし尊重しているのなら、何故法を説く必要がありますか?
貴方の主張は「涅槃経最第一」でしたよね。「信教の自由」が成仏を目指す上でほんとうに大事であり尊重しなければならないのなら、何故、仏が教えに勝劣を設けたのか説明がつきません。
Mさん。貴方はやはり、仏説を微塵も信じていませんね。己の欲する部分だけを用い、自己正当化や一時的な慰めの手段としているだけでしょう。
五千起去の者と同類、いや、そもそも仏を信じていないので一闡提というべきですね。
▲法華経 方便品第二
爾の時に世尊、舎利弗に告げたまわく、
汝已に慇懃に三たび請じつ。豈説かざることを得んや。汝今諦かに聴き、善く之を思念せよ。吾当に汝が為に、分別し解説すべし。
此の語を説きたもう時、会中に比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、五千人等有り。即ち座より起って、仏を礼して退きぬ。所以は何ん。
此の輩は罪根深重に、及び増上慢にして、未だ得ざるを得たりと謂い、未だ証せざるを証せりと謂えり。此の如き失有り、是を以て住せず。
「此の輩(法華経を聴聞しようとしない不信の者)は罪根深重に、及び増上慢にして、未だ得ざるを得たりと謂い、未だ証せざるを証せりと謂えり。」
仏説の如くの修行が無い→真の功徳・菩提が一分も得られない→それでいて仏の御意を悟ったつもりでいる。
この御文通りではないですか。
一闡提のMさんには想像もつかず、転倒して「この増上慢が何を言うか」と思われるかもしれませんが、日蓮正宗信徒は、惰弱とはいえ、如説修行により一分の菩提を得ているのです。
それを貴方にも観じて欲しい。まさに言語道断の境地です。ほんとうにありがたいものですよ。私(や日蓮正宗そのもの)にではなく、【経文に対して】素直に心を開きましょうよ。
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>Mさんの仰る通り、議論に負けてなどなく、涅槃経が法華経より優れ、第一であるなら、その根拠を示して明証して欲しいのです。仏弟子なら諦めないで頂きたい。
▼樋田氏は、大般涅槃経名字功徳品第六の「八大河悉くこの大般涅槃に入る」の反論は出来ていないが?
☆http://toyoda.tv/shinnyokyoto.hasyaku61.htm
http://toyoda.tv/shinnyokyoto.hasyaku63.htm
http://toyoda.tv/shinnyokyoto.hasyaku109.htm
粉々じゃないですか。といっても、毒を飲まされ正当な義が拝せないからやはり解らないのでしょうか。
貴方にとっては苦しいことでしょうけど、逃げずにちゃんと見ましょう。受け入れましょう。当事者なんですから。
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▼それにもまして、法華講をやっている人間と真如苑をやっている人間とを比べてみると良いよ。
☆法四依はあなたの依る涅槃経にあるでしょう。まさか依法不依人の仰せを破れと涅槃経徒が勧めているのですか?
慢心・ 名聞名利 ・ 臆病 ・狐疑の者は、どうしても他人の目が気になって仕方がないし、比較してなんとか安心を得たがるんですよね。
「普遍・不変・不動不揺・万古不易の仏説」と自他の言動を比較検討することが重要であって、
普遍・不変・不動不揺・万古不易ではない未だ迷いの中にある荒凡夫の、それもたった一部分の振る舞いによって何をどう判断出来るというのですか。
ほんとうに浅ましいです。
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▼私は、君も御存じのとおり山口のT氏などを観ていると、法華第一などあり得ないとしか思えないよ。
☆何方のことを仰っているのか存じませんが、その「山口のT氏」が法華第一ではないという論拠ですか?
詳しい内容もわからないし、あまりにバカバカし過ぎます。しかもそれ、単なる主観でしょう。一水四見。お伝えしたはずですよ。依法不依人はどこへ?
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>しかし、です。それが仏の言。随自意の語です。そうせよと「仏様が仰せ」なのです。素直に拝せば誰人も否定出来ない事実であることに変わりありません。
>仏の御意(厳愛の義、慈悲)がどのようなものであるかは、まさに唯仏与仏。信解できない者には絶対に解らないのでしょう。
▼そのような事を言っているのは日蓮系統の者のみです。
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☆以前にも文証を引いてお伝えしたように、紛いない釈尊の直説ですよ。
それこそまさに、日蓮正宗のみに随自意の教説が伝わっているという証左ではありませんか。
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▼君は全ての経典を読破した上で言っているのかい?
日蓮がそう言っているだけじゃないか。
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☆全ての経典は読破していません。
貴方や伊藤真乗は読破しているのですか?というより八万法蔵といわれる膨大な経典を読破している者など現代にいないでしょう。
八万法蔵を諳んじたとされる智慧第一の舎利弗が法華経を信解することにより記別を受けた。義・理が解る者にはこの一事で十分です。
貴方は舎利弗よりも聡明ですか?
やり取りをする限り、とてもそうは思えませんよ。
つまり膨大な経典を読破しなくとも、主要な経典の義理を拝せば法の正邪優劣はわかります。「一をもつて万を察す」「庭戸を出でずして天下を知る」です。
ただ、残念な事に不信・生き瞽の者には解らないそうです。
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▼そもそも私は自分で自分を「私が佛だ」と主張する類の人間は信用しない。
中世では日蓮、現代では大川 隆法だ。
☆仏であることを明かさない仏っているのですか?
仏説に依らず「他人が仏だと認定した人」または「自分が仏だと思う人」の言を信じる、ということですか。
いよいよ支離滅裂ですね。釈尊は御自ら仏と宣言しておられますよ。そのような態度だから釈尊の教説も信じないのですね。これで一闡提は確定的です。
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>仏説を否定し、真の六根清浄の功徳を得ていないMさんの「境界」が憧れる伊藤真乗は、仏法の眼から見れば、上記の快楽殺人鬼などよりも遥かに重罪を犯しています。
▼自分がおかしなことを言っていると解っているのかな?
私が快楽殺人者よりも遥かに重い重罪を犯している?
誰が、そんな事を決めるのかな?
なぜ、私は刑務所にぶち込まれていないのかな?
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☆一闡提のMさんに釈尊の教説を信じなさいと言うのも無理はありませんが、いちおう伝えます。
それと、文章をよく読んでください。誤読が過ぎますよ。
私は伊藤真乗を指して言ったのであってMさんを指していません。(貴方が執心堅く意地でも伊藤真乗に順ずるのであればその罪に大差は無いということになりますが…あくまでもMさんは邪師
伊藤真乗の被害者であると思っていますので。)
Q 快楽殺人者よりも遥かに重い重罪を犯している?
A 大品般若経に云く
『舎利弗仏に白して言く世尊五逆罪と破法罪と相似するや、仏舎利弗に告わく相似と言うべからず 所以は何ん 若し般若波羅蜜を破れば則ち十方諸仏の一切智一切種智を破るに為んぬ、仏宝を破るが故に法宝を破るが故に僧宝を破るが故に三宝を破るが故に則ち世間の正見を破す
世間の正見を破れば 則ち無量無辺阿僧祇の罪を得るなり無量無辺阿僧祇の罪を得已つて則ち無量無辺阿僧祇の憂苦を受るなり』
五逆罪=@殺父A殺母B殺阿羅漢C出仏身血D破和合僧
私が挙げた快楽殺人者は、大量に人を殺めてしまってはいる(それはそれで大変な罪には違いない)が、しかし五逆の域を出ない。
それに比べ、
邪師 伊藤真乗は明らかに仏説に違背する謗法者であり、その謗法悪法を宣揚し弘めた。(それに順ずる貴方も仏語・仏戒をよくよく自覚し心腑に染め畏れるべきである)
涅槃経二十二に云はく
「悪象等に於ては心に恐怖する事無かれ悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ何を以ての故に是悪象等は唯能く身を壊りて心を破ること能わず悪知識は二倶に壊るが故に乃至悪象の為に殺されては三趣に至らず悪友の為に殺されては必ず三趣に至らん」
悪象等=不慮の事故などをいう。身は壊れるが、心は壊れない。
悪知識=仏を信ずる色心ともに壊る。
快楽殺人者は悪知識とは言い難い。悪象の類といえる。
伊藤真乗は100%正真正銘の悪知識です。
Q 誰が、そんな事を決めるのかな?
A 仏。上掲の御文を見るべし。
Q なぜ、私は刑務所にぶち込まれていないのかな?
A 現時においては仏法と王法(政治・世間法)に大変な乖離がある。よって現時の世にあっては謗法罪では投獄されない。しかし、死後かならず無間の獄にぶち込まれること必定である。邪師 伊藤真乗は、無間の苦しみを受け償っているのは経文に照らして疑い無い。
この「殺人よりも仏を謗る罪(仏種を断ずる行為)の方が遥かに重い」という概念は、仏法を信じない一闡提や道理に無知な一般の者には理解が出来ず、逆に仏説を疑い、誹謗します。(そのことで更に謗法罪を積む)
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▼君はまず世間の常識を踏まえないと、誰も話を聞いてくれないよ?
☆ご忠告ありがとうございます。
ただ、こちらは敬称をつけて応じているのに、相手を呼び捨てる貴方が何を言っているのかとの思いは拭えません。
また、「世間の常識」を踏まえたMさんの話を真如苑では誰も聞いてくれないからと樋田氏に会いに行ったのでしょう?なんだか矛盾していませんか。
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☆お気持ちはありがたいですが、それなりの論証が出来てからにして頂きたいです。
そうでないと求めようとは思いません。それに、否定「しない」のではなく、私の持つ信仰が邪であることを教義の面からも論理的にも否定出来ないのが実のところでしょう。
▼http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10167744040
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13167913458
上のリンクに君の仲間がいるよ。
これで法華講が邪宗だという結論は普通の人間なら解ると思う。
☆見ましたが仰る意味がわかりませんね。どこをどう読めば日蓮正宗が邪宗だという結論になるのですか。真如苑に肯定的な意見の方が少ないし。普通ではない貴方がいう「普通の人」の意見など取るに足りません。仏説を示しましょう。
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▼次に、古文が言葉で有る以上、その真意は凡夫には解らないよ。
「解釈次第」になってしまう。
☆それが本当なら凡夫でない者はいないのだから仏の真意は伊藤真乗も含め誰も解らないことになるではありませんか。
貴方が迷っているからといって皆が皆そうだと断定するのは早計に過ぎますね。
それともMさんも伊藤真乗も凡夫ではないと?(仏説に依らず邪義邪教を修する者は物の怪といいますが、その意でしょうか。)
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☆堅いやつとお思いでしょうが、やはり正邪善悪、筋目やけじめをきちんとつけ、厳愛を兼ねてこそ、心を赦せる真の友たりうる。つまり正法を抜きにしては得られないと考えます。
>・・・というか、宗教の話抜きならお会い出来るのですか?であれば、一度お茶しませんか。
▼残念だが、K、君には「宗教の話抜き」という譲歩を貰っても会いたいとは思わない。
悪いけど、会ってみたいと思わせる魅力は無いね。
私は経典に救いと慈悲を求めるが、君は経典に論的整合性とかドライなものしか求めなさそうだからね。
☆ 貴方が「K、宗教を抜きにすれば君と俺とは友達になれるだろう。」と仰ったのですよ。
言説を二転三転させ首尾一貫せず、無責任。自分の非を絶対に認めず、その時その時で自己正当化。剰え相手に非があるかのように決めつけ振る舞う。
20数年間、真如苑で必死になって救いと慈悲を求めた結果がその振る舞いと思考性ですか?おかしいです。
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▼樋田氏も含めて、皆に伝えて欲しい。
私は法華講はやらないと。
君も私の事は放っておいてくれないか?
☆ 邪義を吐き続ける限り放ってはおきません。よろしくお願いいたします。
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日時: 2016年12月15日 2:13:41 JST
K
君と話すのは疲れる。
全然、面白くない。
友達にもなれそうにないな。
勝手に法華講頑張ってくれよ。
ただ、私に対しては二度とアクセスしないでほしい。
君のメールは「迷惑メール行」だ。
まさに日蓮仏法にふさわしい。
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日時: 2016年12月15日 4:26:50 JST
そうですか。真如苑 第一世 伊藤 真總 末葉 M 大律師 、遁走ですか。
およそ四半世紀。真如密を命懸けで求めても、成仏という仏法上の最重要課題に真正面から向き合えず、論じることが出来ず、あげく「面白くない」と単なる感情論で投げ出し、最後っ屁として皮肉にもならない駄言を吐くことしか出来ないことが証明されました。
その情けない、頼りない、覇気のない、弱々しい姿こそ邪教真如苑に巣食う魔仏に精気と正気を奪われた何よりの現証です。
ちなみに私は日蓮正宗の信仰をはじめてまだたった5年のヒヨッコです。その上、樋田氏をはじめ、他の御信徒方の足下にも及ばない信力・行力・教学力、つまり日蓮正宗の中にあっては浅信・浅学・懈怠の惰弱な落ちこぼれ、徳薄垢重の者に過ぎません。
「真如苑の大律師」がどれ程の位なのかは知りませんが、その非力な私から逃げ、輪をかけて非力なのですから、
やはり真如密など、
救いのない、(教理破綻)(邪義邪説)
衆生を救えない、(仏の力用無し)
誰も救われない (三悪道行き疑い無き)
邪教です。
追伸
先にもお伝えしたように、こちらも時期を見て貴方とのやり取りを全て公開します。実名は伏せますので、その点ご安心ください。
最後に、Mさんの今生での邪教棄捨、正法護持が叶うよう、心より御祈念申し上げ、妙法蓮華経の五字に因んで五つ、御本仏
日蓮大聖人様の御金言をおくります。
▲念仏無間地獄抄に云く
信は道の源功徳の母と云へり。
▲弥源太殿御返事に云く
日蓮を杖柱ともたのみ給ふべし。嶮しき山、あしき道、つえをつきぬればたをれず。殊に手をひかれぬれば転ぶ事なし。南無妙法蓮経は死出の山にてはつえはしらとなり給へ。釈迦仏・多宝仏・上行等の四菩薩は手を取り給ふべし。
▲御義口伝 第一 信解品の事に云く
此の信の字は元品の無明を切る所の利剣なり。其の故は、信は無疑曰信とて疑惑を断破する利剣なり。解とは智慧の異名なり。信は価の如く解は宝の如し。三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり。智慧とは南無妙法蓮華経なり。信は智慧の因にして名字即なり。信の外に解無く、解の外に信無し。信の一字を以て妙覚の種子と定めたり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と信受領納する故に無上宝聚不求自得の大宝珠を得るなり。信は智慧の種なり、不信は堕獄の因なり。
▲当体義抄に云く
日蓮が一門は、正直に権教の邪法邪師の邪義を捨てヽ、正直に正法正師の正義を信ずる故に、当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕はす事は、本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱ふるが故なり。
▲立正安国論に云く
汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無くんば身は是れ安全・心は是れ禅定ならん、此の詞此の言信ず可く崇む可し。