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やはり伊藤真情など実に軽薄な教義しか説いていない への反論

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この真如苑教徒、
▼「実は論争で負けたとは思っていない。
ただ真乗が「和」を大切にしろ。と教えているから論争を止めただけだ。(趣意)」
と嘯いているそうである。
なるほど!そうですか。
ではやはり徹底的に行きますかね。
ホロッときた自分が馬鹿だった?(^_^;)

ま、真言系は 虚栄心が強くなり、嘘・誇張だらけになる。 との傾向性がありますからね。当然と言えば当然か。

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★ やはり伊藤真情など実に軽薄な教義しか説いていない

▼↑ 本当にどーでも良い、議論の本質と全く関係のない論点に逃げて盛んに暴言をまき散らす樋田氏ですが、短く反論を加えておきます。

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▼ 肉親(※ママ)の釈尊=ゴータマ・シッダールタ(身体)
智慧そのものの釈尊=悟りのご内証(心)

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   ★ ↑ ここにきてやっとそれらしいことが言えましたね。
しかもかなり気弱なご様子。で言葉少なげ。
本当にこのことが分かっていたのなら、最初からそういいなさいよ。

では、本当に分かっているのか再詰問
ではその「智慧そのもの」の釈尊とは、いつ、どのようにして悟ったのか?
問難者が言う、その因果は?
悟りを開けた因とは?
法華経にしか釈尊の久遠の成道のことは説かれていない。
その法華経に、

■「我実に成仏してより已来、云々」
■「是より来(このかた)、我常に此の娑婆世界に在って、説法教化す。」
等とあり、久遠無量劫の昔のある時点に、「成仏した」とある。

この経文からすれば、真乗が言う「久遠常住釈迦牟尼如来」も久遠のある時点で仏になった。ということになるが、
それでいいのか?
無始無終ではないのか?

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▼ 勿論、無始無終です。
法華経にも「久遠元初の佛」という概念があるでしょ?
久遠元初の佛=大日如来=久遠常住釈迦牟尼如来
こんな簡単な事が解らないですか?

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   ★ ↑ ここが、自分が矛盾したことを言っていると気が付けないほど、低級な似非仏教の教理しか知らない。ということ。
例文までヒントで出して挙げているのに分からない。
まず、法華経では「久遠元初の仏」という概念はない。「久遠実成」である。
どこまで逆上ったとしても、久遠のある時点で成仏したとあり、それ以前は仏ではなかった。

『釈尊が自らを示して
■「我実に成仏してより已来、云々」
■「是より来(このかた)、我常に此の娑婆世界に在って、説法教化す。」
等とあり、久遠無量劫の昔のある時点に、「成仏した」とある。』

との通り。
とうことは、真乗の言う「久遠常住釈迦牟尼如来」など釈尊の教説に全く存在しない、真乗が勝手に言いだした虚仏(虚物)。
だから真乗はまさに魔師・邪師・悪師・ペテン師 ということである。

参考資料 「水ぶくれ真如苑」  三土 修平 (著)
真如苑 実態 長女・次女の手記(編集中)

ま、これを読めば真乗が如何に俗物の塊で、いや俗物以上の俗物で、醜悪な金と色狂いの老人であったか歴然である。


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