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もういっちょ、これいきますか。
▼ 大般涅槃経菩薩品
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★ 涅槃経に云はく
■「迦葉菩薩、仏に白して言く○如来の法身は金剛不壊なり。而るに未だ所因を知ること能はず、云何。
仏の言さく、迦葉、能く正法を護持する因縁を以ての故に、是の金剛身を成就することを得たり。
迦葉、我、護持正法の因縁にて、今、是の金剛身、常住不壊を成就することを得たり。
善男子、正法を護持する者は、五戒を受けず威儀を修せず、応に刀剣、弓箭を持つべし。
是くの如く種々に法を説くも、然も故、師子吼を作すこと能はず○非法の悪人を降伏すること能はず。
是くの如き比丘、自利し及び衆生を利すること能はず。
当に知るべし、是の輩は懈怠懶惰なり。
能く戒を持ち浄行を守護すと雖も、当に知るべし是の人は能く為す所無からん。
乃至、
時に破戒の者有って是の語を聞き已はって、咸共に瞋恚して是の法師を害せん。
是の説法の者、設ひ復命終すとも、故持戒、自利利他と名づく」
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★ ↑
■ 正法を護持する者は、五戒を受けず威儀を修せず、応に刀剣、弓箭を持つべし。
■ 是くの如く種々に法を説くも、然も故、師子吼を作すこと能はず
○非法の悪人を降伏すること能はず。
是くの如き比丘、自利し及び衆生を利すること能はず。
当に知るべし、是の輩は懈怠懶惰なり。
能く戒を持ち浄行を守護すと雖も、当に知るべし是の人は能く為す所無からん。
★ ↑ つまり、真の正法の修行者は、武具を持ってまでして、正法を誹謗する邪教の者どもと闘い、時には死ぬことがあってもそれこそが真の常楽我浄・真の常住不壊の境界に達することが出来る。
と説かれている。
逆に、正法を誹謗する者、あるいは正法で説いていることでないものを弘めている者、つまり邪教の者を破折・屈服しないような怯弱な者は、真の自他共の救済は成らず、出来ず、結局はそのような者こそ、仏法における惰弱な怠け者である。
ということではないか。
つまり、惑乱者の、上記の主張は涅槃経でバッサリ破折されている。
全く採用されない痴論である。
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▼ それは涅槃経の細部でしょ?
涅槃経は全体として、そんなイスラム原理主義者みたいな事を説いていますか?
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★ ↑かつて悩乱者はこういっていた。
▼ 「樋田さんとは別のアナロジーを立てれば一発で相対化されてしまう。」
★(※註 アナロジー = 類推)
そうですよね!
ということは、涅槃経の全体像把握という観点では、双方、類推の域をでない。ともいえる。
それを判定するには経文を徹底的に出し合って、どちらの論理が経典と整合性があるか真摯に検証しあうしかない。
ところがである。
悩乱者の主張は「涅槃経は思議してはいけない」とのことなので、経典を引文して検証することが禁忌となる。
よって、そもそも悩乱者側は論議することができない。その資格がない。ということになる。
ところが私の方は、そもそも「涅槃経は思議してはいけない」こんな主張を認めていないので、大いに経典を引文して論証することができる。
いや、ほんと、ありがとう!
であるから、「了義経に依って不了義経に依らざれ」の珍怪釈は涅槃経の文で破折されている。
について悩乱者は反論不能ということになり、私の主張はそのまま真なり。で決着した。
となれば、改訂版 法華経 優 涅槃経 劣 の証明
の後半、「秋収冬蔵」の解釈は私が正しいということになり、
結果、「法華 勝 涅槃 劣」 は確定した。
いや〜〜〜、大変にご苦労様でした。
悩乱者は自らの言葉によって自分自身を反論不能に追い込んでくれました。あっぱれ!
よって以下の文についてはこれまさに真乗とそれを信奉する悩乱者のような者を指している文である。
(はい、悩乱者は「思議してはいけない」のでそもそも反論できない。いいね)
大般涅槃経菩薩品
爾の時に是の経閻浮提に於て当に広く流布すべし、
是の時に当に諸の悪比丘有つて是の経を抄略し分ちて多分と作し能く正法の色香美味を滅すべし、
是の諸の悪人復是くの如き経典を読誦すと雖も如来の深密の要義を滅除して世間の荘厳の文飾無義の語を安置す
前を抄して後に著け後を抄して前に著け前後を中に著け中を前後に著く当に知るべし是くの如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり
とういうことで、真乗は『悪比丘、魔の伴侶』 ということ決定である。
おっと、反論できないんだよ。君は、いいね。「思議してはいけない」んだからね。