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▼ = 創価側
◆ = 法華講 婦人部の返答
● = 樋田
■ 重要文 引文
@ あなたには、池田先生という想いがないの?
A 教義は、そんなに変わっていないの ただホウボウの住処となった大石寺とは関係がないと学会は言っているのよ。
B 勤行が変わるのは、当たり前で化儀だから変化していくものです。
C 心こそ大切なれだから、本尊に偽物も本物もないし、学会こそに大聖人の心がある。
D 六巻抄については?との質問には、「書物を信じてないの!一念なの!あなたには芯がないのよ!だから揺れるのよ!」
E この黄金の三年に魔が競うのは必然で、それに負けては池田先生も悲しむわ。
F 頭でっかちだから学会の清らかな精神が分からなくなる。そういう根性を二乗根性というのよ。
G 御書をなまじ読める人ほど退転するのよ。池田先生を批判するようになる。
H お寺に行っては行けない。供養を強要される。日顕上人は学会のそれも池田先生のお金を、あてにしていたの!先生が書いた本の印税で宗門に多額の供養をしてきた
のよ!
I 素直じゃないから退転するの!
J 学会は池田先生がすべてなのよ!
▼ 池田さんは勤行しない @ A B C
▼ 足が痺れてアイタタタタ〜〜〜。
▼ 月刊ペン事件
▼ 池田大作 破廉恥行状記 実際に出版された書籍 1 2 4 6 8 10 12 14 16 18 20 22 24 26 28 30 32 34 36 38
▼ 池田大作の素顔 藤原行正 池田体制発足当時の幹部
▼ 創価学会・公明党 スキャンダル・ウォッチング 内藤邦夫
▼ 勲章は金で漁ったもの
▼ 下劣な品性
▼ トインビー博士の孫娘の手記
▼
K 新聞配達を辞めたいと言うと、続けることに意義があるのよ!
L あなたの気持ちに気づいてあげれなくて悪かったね。でも正しいのは学会なの。
M 師弟不二なのよ!池田先生を心にもう一度入れて戦うのよ!必ず結果は出る!結果が出ない生活が変わらないのはあなたの祈りが足りないから!一年でだめなら三年
三年でだめなら、十年祈るのよ!
N まわりの学会員さんが幸せそうに見えないと、言うと。まわりにふんどうされる弱い自分を人間革命しなきゃだめなのよ。まわりじゃないのあなたなの!
O 「脱会したことを数人の方にお電話で伝えると、すぐ来て「組織の人には一切電話しないでみんな動揺するから」と言って帰って行った。
「あなたは、何も分かっていなかったのね。
P 死ぬときにどちらが正しいか分かるからね。
Q もろもろの、反論を教学的に言うと、「だからなんなの!それが何?信ずる心一念なの!それが分かってないのね!」
R 日寛上人の教義を言うと、「そうじゃないの!そこから違うの!先生を師匠と決めていないから揺れるの!」
S かたちじゃないの胸中の肉壇なのよ!
21 学会から離れた人でまともな人を見たことがないの!あなたが地獄に落ちるの止めにきたのよ!
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▼ @ あなたには、池田先生という想いがないの?
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◆ 池田先生と己の信心とどういう関係があるのか?
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● 池田先生を何で尊敬しなくてはいけないのか?
→ 想定 ▼ 日蓮大聖人の仏法を世界で唯一忠実に厳守して、世界広布しているから。
→ ● 池田大作は 日蓮大聖人の仏法の根幹を捨てた。
↓
平成26年11月8日聖教新聞誌上での創価学会会長・原田発言
▼ 「会則の教義条項にいう「御本尊」とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。」
2015.11.8 聖教新聞
当該箇所
箇所を示す 1 2
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”永遠の指導者”に対する反逆
▼ 創価学会会則 第3条 牧口常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長、池田大作第三代会長の「三代会長」は、広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である。
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【牧口初代会長】
■御本尊の中、総与の御本尊と称して、大石寺に伝へられる大御本尊を信じ奉る者が正しい信者である
(第三文明社『牧口常三郎全集』第10巻 P151)
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【戸田会長】
◆ いまのところは、まずまず貧乏と病気です。これを、仏さまがおられてお救いにならないわけがない。われわれの貧乏と苦悩を救わんがために、日蓮大聖人様は大御本尊様を建立し、遺(のこ)されてある。
これは、弘安2年の10月12日の大御本尊様のただ1幅なのです。そこから、分身散体の方程式によりまして、ずうっと出てくるのです。それから、ほかの本尊、どこのを拝んでも絶対にだめなのです。弘安2年の10月12日の大御本尊様から出発したものでなければ、法脈が切れてますから、絶対だめなのです。
だから、身延や仏立宗や霊友会(※1)なんか、いくらがんばっても、御利益がでようがないのです。ありませんから、やってごらんなさい。7年もしたら、どんな顔になるか。いや、いままでやった人の顔をみてごらんなさい。
ですから、私の願いとするところは、この弘安2年の10月12日の大御本尊様を信ずるということです。しかし、理論がわかっても、わからなくてもいい。だんだん、そのうちにわかる。絶対だということがわかる。この日蓮正宗の哲学ぐらい、きちんとなっているものはないのです。
(S30.8.24『戸田城聖全集』第4巻343頁〜)
※1 身延 仏立宗 霊友会 顕正会 立正佼成会 などなど、全部、大聖人御真筆本尊の模造曼荼羅 などを本尊として拝んでいる。
今の、学会の理論でいったら、これら全てに功徳があることになるが、その点どうか?
◆ 電灯にたとえて考えてみると、ヒューズがとんで電流が流れてこない電灯は、電球が切れていないからといって、いくらつけても明るい光を発しないようなもので、電球は本物であっても、電流が流れてこなければ光が出ないのである(中略)したがって富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である(創価学会発行『折伏教典』339頁)
◆ なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない。こんなありがたい御本尊様を、わずかな御開扉供養で拝むことのできるのは、当本山であればこそであり、まことにもったいないことである。今後も、できるだけ多くの会員を登山させるよう、計画を立てたいと思っている (戸田城聖全集 三―四九〇)
◆ わたくしたちは、無智な人々をみちびく車屋である。 迷っている人があれば車にのせて、大御本尊様の御もとに案内して行くのが、学会唯一の使命である。
宝の山にはいって、宝をとるかとらないかは、その人の信心の結果であって、ただ宝の山たる大御本尊様へ案内するのが、われわれ学会の尊い使命なのである。 (昭和24年10月24日 創価学会第四回総会 東京教育会館)
■ 日蓮大聖人の法門では、拝む対象はただ弘安二年十月十二日御認めの戒壇の大御本尊様あるのみである
(戸田城聖講述『日蓮正宗 方便品寿量品精解』精文館 P100)
■ 日蓮大聖人様はいつも、この娑婆世界に住んでおられる。現在は富士大石寺におわします戒壇の大御本尊様として出現されているのだが、多くの邪宗のものたちは、近くにいながら、かわいそうにも日蓮大聖人様の御当体とは気がつかないでいるのである
(戸田城聖講述『日蓮正宗 方便品寿量品精解』精文館 P33)
■ 弘安二年の本門戒壇の大御本尊に帰依し奉る以外に成仏得道の道は絶対にないのである
(戸田城聖監修『折伏教典』創価学会【昭和29年版】P139〜140)
■ 聖人御難事に、予は二十七年弘安二年なりとおヽせある通り、弘安二年十月十二日御出現の本門戒壇の大御本尊を拝ませねばならぬ事は明らかである
(戸田城聖監修『折伏教典』創価学会【昭和29年版】P330)
■ 本門戒壇の大御本尊を信じ奉らない者は、すべて謗法として禁じなければならない
(聖教新聞社『戸田城聖全集』第5巻 所収「立正安国論講義」P156)
◆ 「大海の水と小さな器の水とでは、同じ海水であっても違うように、本門戒壇の大御本尊は無量無辺の大海の水であり、末法万年の外未来までも流れる一切大衆の信仰の根源であり、功徳の本源であります。私たちが家庭へ頂いて一家で信心している御本尊とはその意義が異なるのです」(『大白蓮華』 昭和三二年四月号三一
※これは戸田会長存命中の創価学会の教義理論機関紙であるから、その内容の責任は当然当時の会長戸田氏にあることは言うまでもない)
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【池田大作名誉会長】
● 社会はますます複雑になっていくであろう。その動向に対処するため、学会も多様性を要請される場合がある。しかし、ただ、次の点だけは不動の路線であることを忘れてはならない。それは、
一、三大秘法の大御本尊が一切の根本であると拝していくことだ。
二、御法主上人の御もとに日蓮正宗の伝統法義を確実に体していくことだ。
(広布と人生を語る 三−二七一)
● 日蓮大聖人の御魂は、多宝富士大日蓮華山大石寺にまします本門戒壇の大御本尊に御留めおかれているのである (広布と人生を語る 三―二四六)
● 大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与(いちえんぶだいそうよ)の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない」(聖教新聞 平成5年9月19日(※)付)
※ 昔の指導を引用すると、「それは僧俗和合時代だったから」 と痴昧な言い逃れをする愚かな学会員がいる。
上の平成5年は間違いなく創価学会が破門された後である。
● 「日蓮正宗創価学会の根本中の根本は、一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊であることはいうまでもない。」 昭和56年1月14日「広布と人生を語る1」
● 「戒壇の大御本尊を離れて、われわれの信仰はありません」(特別学習会テキスト56・ ※創価学会発行書籍の一切の責任者は池田大作のはずである)
● 「絶対なるものは大御本尊のお力である」(広布と人生を語る3−53)、
● 「日蓮正宗創価学会の根本は、一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊であることはいうまでもない。しかもその大御本尊は、日蓮正宗に厳然とおわします。そして宗祖大聖人より第二祖日興上人、第三祖日目上人と代々の御法主上人が法水瀉瓶・血脈相承され、現在は、日顕上人猊下に一切受け継がれているのである」(広布と人生を語る1−131)
■ 信心とは、本門戒壇の大御本尊を信ずることである。(池田大作著『広布と人生を語る3』聖教新聞社 P98)
■ 大御本尊様のことについては、それはとうぜん、極中のなかの極中、究極のなかの究極、極説のなかの極説、したがって、仏法の神髄が大御本尊様であります
(池田大作著『会長講演集』第9巻 創価学会 P218)
■ 大聖人はどのようにおおせになったか。末法において成仏する道は、絶対の幸福生活を会得する直道は、弘安二年十月十二日の大御本尊様を拝む以外にない。
これが日蓮大聖人の出生の本懐であると、おんみずから御本尊様をお遺しくださったのであります
(池田大作著『会長講演集』第2巻 創価学会 P56)
■ 大御本尊様を受持し、信心していくならば、かならず仏になる、大御本尊様をもたないで、大御本尊様をもったものを誹謗すれば、かならず地獄におちる
(池田大作著『会長講演集』第8巻 創価学会 P167)
■ 一生涯、大御本尊様と離れないで、大御本尊様を放さずに、まっすぐ進んでいけば、あとの指導はなにもないのです。ぜんぶふくまれます。
「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし」(開目抄二三二)です
(池田大作著『会長講演集』第9巻 創価学会 P323)
■ 「諸難ありとも疑う心なくば」とは、いかなる非難中傷にあい、逆境に置かれても「根本尊敬」「功徳聚」「輪円具足」の御当体であられる三大秘法総在の戒壇の大御本尊を絶対に疑ってはならない、捨ててはならない、との仰せなのである。「無疑曰信(むぎわっしん)」の大信心に厳然とたつべきである
(池田大作著「開目抄に学ぶ」 東洋哲学研究所『講座 教学研究【2】』所収 P12)
■ 日蓮大聖人の御心とは何か(中略)出世の本懐として顕わされた本門戒壇の大御本尊こそ、究竟中の究竟の御心なのである。この大御本尊を否定して、いかに大聖人の御書を拝読しても、法華経を賛嘆しても、全部、大聖人の御心に背いている仏敵と断ずることができるのである
(池田大作著『御義口伝講義(上)』創価学会 P94)
■ 末法のわれら衆生の信奉すべき御本尊は、日蓮大聖人であり、また大聖人の御生命を、一幅の大曼荼羅として認められた、弘安二年十月十二日の一閻浮提総与の大御本尊以外に絶対にないのである
(池田大作著『御義口伝講義(下)』創価学会 P238)
■ 日蓮大聖人が出世の本懐として建立された一閻浮提総与の大御本尊が三大秘法総在の御本尊であり、この御本尊に帰命(※)すること、その信仰を全世界に広宣流布することが立正安国の実践となるのである
(池田大作著『立正安国論講義』創価学会 P771)
● ※ 「帰命」 とは 「身も心も信じ捧げ尽くす」 意である。
戒壇の大御本尊へ帰命する信仰を全世界に広めることが広宣流布 であり、それこそが世界平和となる と言っているではないか!
→ 戒壇の大御本尊を受持の対象としない 信仰に変わった創価
→ それは池田大作自身が 「広宣流布していない!」 と 自ら証言。
→ 池田は、広宣流布の指導者 ではない。
→ 大聖人の仏法を実践していない。
→ 尊敬する対象ではない。
→ 大謗法者 魔の指導者
■ 末法今時においては、「日蓮が魂を墨に染め流して書きて候ぞ」とおおせになられた、正しき日蓮正宗の大御本尊を信ずる以外には、真の信心はありえないことを知るべきである
(池田大作著『日蓮大聖人御書十大部講義 第5巻 報恩抄』創価学会 P274)
■ 「題目肝心」とは、けっして邪宗日蓮宗等のいうように、どんなニセ本尊に向かっても南無妙法蓮華経と唱えればそれでいいというようなものではない。三大秘法中の本門の題目とは、大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うることである
(池田大作著『日蓮大聖人御書十大部講義 第5巻 報恩抄』創価学会 P362)
■ 大御本尊を拝まなければ、もう学会員ではないのです
(池田大作著『会長講演集』第10巻 創価学会 P192)
【その他】
■ 日蓮大聖人の仏法においては、三大秘法の大御本尊ならびに御書に説かれた法門が、化法にあたります。
これは、仏法の根本原理ですから、絶対に変わりませんし、また、変えられません。ましてや、自分で勝手に作るというわけにはいかないのです
(創価学会「大白蓮華」1966年5月号 P86)
■ 七百年前に、大聖人の教義はすでに決定され、つけ加えたり、変更したりする何物もない。
それを都合の悪い点をごまかして変更したり、勝手に、我見で教義を作ったりするとはなにごとであろうか
(創価学会教学部編『日蓮正宗創価学会 批判を破す』鳳書院 P192〜193)
※ 当時の教学部に今の池田先生は叱られている!
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※ かつての会長指導を引用すると、愚かな学会員は
「それは僧俗和合時代のものだから」
という言い逃れをする。
が、「法」そのものは不変であるはずである。
また、信仰の根幹である「本尊」の定義も不変不動でなければならない。
この「創価学会の永遠の規範としての指導」を今回の原田発言において完全否定した。
これは永遠の指導者・池田大作氏の意思なのか?
それとも現執行部の独断専行なのか?
もし、永遠の指導者・池田大作氏の意思ならば、かつての「永遠の指導」と今回の会則改変という「永遠の指導」とは大いに矛盾し真逆の内容である。
「かつての指導」が正しいのならば「今回の会則改変」は教義的に間違っていることになる。
このどちらに従ったらいいのか?
また、もし、今回の「会則改変」が教義的に正しいとするならば、かつての「指導」は会長自ら会員及び社会に対して嘘を吐いていたことになる。
しかも、信仰の根幹である本尊義に関してであるから、かつての指導が正しければ、今回の会則改変・教義改変は「大謗法」となるし、
また、もし、今回の会則改変・教義改変が教義的に正しいとするならば、かつての会長指導は全て「大謗法」だったということになる。
この矛盾をどう説明するのか?
池田大作氏は、社会的に責任ある巨大宗教団体の”永遠の指導者”であるのだから、その矛盾する点を、発言した本人として公式の場において「御書根本」で正当な御文を引用して説明すべきである。
これほど根本的かつ重大な教義について、自身の師弟不二の師匠であり、同じく”永遠の指導者”であった戸田会長の言をも覆し、また自らの”永遠の指導”を悉く覆しているのであるから、奥様と御一緒に箱根駅伝ルートの下見に行けるほどの気力・体力があるのならば、池田大作氏自身が公の場に於いて、かつての発言との矛盾を責任持って説明することぐらいできるであろう。
またそれが正しい信仰をしてきた者には当然備わる、勇気と責任感溢れた人間性であると思うがいかがか?
もし、それができないとなれば、池田大作氏の長年の信仰では、全く「人間革命」していなかった。ということになるのではないか?
とすれば、”永遠の指導者”御自身が実践してその目的である「人間革命」を体現できないのならば、創価学会の信仰自体に”人間革命”する功徳が全くない。ということになる。
また、もし現執行部の独断専行であるならば、それは創価学会・永遠の指導者達への反逆行為である。
”永遠の指導者”の”永遠の指導”を穢す者どもであるから、”永遠の指導者”池田大作氏は即刻責任者全員を退任させ、除名し、永久に創価学会から放逐させるべきであろう。
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▼ A 教義は、そんなに変わっていないの ただホウボウの住処となった大石寺とは関係がないと学会は言っているのよ。
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◆ 学会は戒壇の大御本尊を否定し信仰の対照にしないと決定した謗法団体である。戸田先生は、富士大石寺の大御本尊を拝まないものは、すべて謗法である。と言ってましたよ!
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● 「大石寺が謗法となった」 と、証明してください。
どこが謗法なんですか?
そもそも、いつの大石寺を自身の目で確認しましたか?
最後に大石寺行ったのはいつですか?
上からの受け売りでそういう根拠もないことを言い続けていると、それこそ「謗法」ですから、ひどい罰が出ますよ!
事実あなた自身、旦那、子供、親、孫、その他大切な人、ペット、などなど、に 肉体・精神共の健康問題 経済問題 人間関係の悪化 などの重大で長い間根本的に解決できない問題が起こっているんじゃないですか?
よく、自分の足元を見てものを言いなさい!
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▼ B 勤行が変わるのは、当たり前で化儀だから変化していくものです。
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◆ 化儀とは、仏が衆生を化導する形式のこと。学会には三宝がない!凡夫が勝手に勤行を変えているので意味がない。
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● では「化儀」は誰が変えていいのか?
あなたが変えていいのか?
誰なら許されるのか?
なぜ創価だけが変えるのを許されるのか?
顕正会が化儀を変えるのは許されるのか?許されないとしたらなぜなのか?
創価とどこが違うのか?
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▼ C 心こそ大切なれだから、本尊に偽物も本物もないし、学会こそに大聖人の心がある。
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◆ 戸田先生や池田先生は、本尊が何でもいいってそんな事言ってましたか?大聖人の心って何ですか?
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● だったら、誰が本尊書いてもいいのか? 誰が書いてよくて、誰が書いてはいけないのか?
なぜ 曼荼羅じゃなければいけないのか?
曼荼羅も、どういう曼荼羅じゃなければいけないのか?
● 学会に大聖人の心が、どのようにあるのか?
そもそも「大聖人の心」とは何か?
■ 三大秘法其の体如何。答ふ、予が己心の大事之に如(し)かず。(三大秘法稟承事
弘安五年四月八日 六一歳 1594)
三大秘法とは何か?
本門の戒壇とはどこか?
広宣流布の暁に どこに、どの御本尊を安置するのか?
→ ▼ ・・・・・・
学会に大聖人の心などないではないか!
いい加減なことを勝手に言うもんじゃない!
■ 「文証無きは悉(ことごと)く是邪謂(じゃい)なり」(持妙法華問答抄 弘長三年 四二歳 294)
■ 文証の所出を知らざる我意の浮言ならば之を用うべからず。(法華真言勝劣事 307)
■ 若し証拠なくんば誰の人か信ずべきや。かゝる僻事(ひがごと)をのみ構へ申す間、邪教とは申すなり。其の迷謬(めいびゅう)尽くしがたし。(祈祷抄 文永九年 五一歳 634)
■ 或は小(すこ)し自義に違(たが)ふ文有れば理を曲げて会通(えつう)を構(かま)へ、以て自身の義に叶はしむ。(127)
■ 証文に経文を書いて進ぜず候はん限りは御用ひ有るべからず。是こそ謗法となる根本にて侍れ。(題目弥陀名号勝劣事 332)
■ 『寺泊御書』に
「所詮仏教に依つて邪見を起す目の転ずる者大山転ずと欲う」(全集九五二n)
■ 諸宗何れの宗なりとも偏党執心あるべからず、いづれも仏説に証拠分明(ふんみょう)に道理現前ならんを用ふべし、(破良観等御書 建治二年 五五歳 1078)
■ いかにひが(僻)ほうもん(法門)をい(言)ゐくる(狂)へども失(とが)ともをぼへず。854
■ 僻目(ひがめ)にて西の物を東と見、東の物を西と見るなり。妙法比丘尼御返事 弘安元年九月六日 五七歳 1268
■ 僻見(びゃっけん)を御信用有りて、今生には国と身とをほろ(亡)ぼし、後生には無間(むけん)地獄に墮ち給ひぬ。(兵衛志殿御書 弘安元年九月九日 五七歳 1271)
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永遠の指導者 戸田会長
開眼について
●「末法の現在においては、絶対に戒壇の大御本尊様こそ、われわれが即身成仏できる生身の御本仏様であらせられるのです。また、われわれがいただいている御本尊様も、文底事の一念三千、真の草木成仏の理によって開眼された、これまた生身の御本仏様であります。この御本尊様こそ、真の木絵二像開眼の御姿でなくてなんでありましょうか。これは日蓮正宗以外の邪宗では絶対になしえないところであり、ただ日蓮正宗のみのもつ深秘の法門であります。邪宗がいくら日蓮正宗の御本尊をマネて作ってみたところが、それこそ馬の骨なのであります。否、恐ろしい毒薬の働きをもつのであります 」『大白蓮華』第62号 昭和31年7月号
※この言は、木絵二像開眼についての宗門僧侶の論文の後に、その意を受ける形で掲載されており、その文責者は (T) となっている。であるからこの発言をそのまま戸田会長のものと断定することはできない。が上記の文体をみると戸田会長の他の発言や論文の文調に酷似している。少なくとも昭和31年発行の大白蓮華であるから戸田会長の監修を得て発行されていることは間違いなく、その時点での創価公式見解である。またその内容についての最高責任者は戸田会長であるから、この言は当時の創価学会就中戸田会長の見解と解釈することには間違いはない。
御本尊書写
●「御法主猊下だけが、御本尊をしたためることのできる仏様なのです」『戸田城聖先生質問会集』
●「御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしょうもない。だから、仏立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから、力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている。」 『大白蓮華』昭和三十四年七月号
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▼ D 六巻抄については?との質問には、「書物を信じてないの!一念なの!あなたには芯がないのよ!だから揺れるのよ!」
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◆ 何が一念か?六巻抄を知らない馬鹿な人ですね!芯がないのは貴方です!
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● 上記 文証を用いない者は全て邪義・謗法の輩 との文証。
● 「日寛上人の書物(御指南)は信じない」 ということは、
「日寛上人の全てを信じている訳ではない」、ということ。
それでいて、その「全てを信用できていない日寛上人」の書写した本尊(の改ざん・模造掛け軸)を拝む・・・・
日寛上人を信じていないなら、その人が書写した本尊を拝めないでしょう?
この矛盾に気がつかないのは、まさに「頭破七分」の証拠!
もし、日寛上人を全面的に信じていないのにその本尊を拝めるとしたら、
なぜ、日顕上人の御本尊を交換する必要があったのか?
おかしいでしょ!
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▼ E この黄金の三年に魔が競うのは必然で、それに負けては池田先生も悲しむわ。
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◆ 信仰するのは自分の成仏の為である!池田先生は関係ない!
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● 池田先生が悲しんでいるという今のリアルタイムでの動画メッセージください!しかも健康そのものの動画で! (^_^)/~
● 「黄金の三年」って何? そんなこと御書のどこに書いてあるの? 誰が決めたの? 池田先生が決めたの? だったら証拠見せて?
証拠見せられないの?
■ 若し証拠なくんば誰の人か信ずべきや。かゝる僻事(ひがごと)をのみ構へ申す間、邪教とは申すなり。其の迷謬(めいびゅう)尽くしがたし。(祈祷抄 文永九年 五一歳 634)
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▼ F 頭でっかちだから学会の清らかな精神が分からなくなる。そういう根性を二乗根性というのよ。
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◆ そういうことを言い、思考停止させるのが学会のやり方である!
二乗根性とは、折伏をしないことをいうのである!学会の何処が清らか?
およそ謗法とは、謗仏謗僧なり。
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● 【諸法実相抄】
■ 行学の二道を励み候べし、行学たえなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりおこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし。668
あなたこそ、きちんとした文証が確かな教学を学んでこなかったから、今の学会の矛盾に気が付けないのよ!
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参考文献
1951年(昭和26年)7月19日、74人の乙女が西神田の旧学会本部に集い、結成式が行われた。敗戦の傷痕が色濃く残る時代、社会には女性の嘆きの声が満ちていた。女子部の結成に際し、戸田会長は慈愛を込めて語り掛けた。「女子部は、一人も残らず幸福になりなさい」
では、幸福になるための方途とは何か。さまざまに論じられようが、正しき思想・哲学をもつことこそ幸福の大道である、と戸田会長は喝破した。それゆえ、「女子部は教学で立て」との励ましを送った。
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多くの若い女性たちは、自分の「性格」や「自信のなさなどにむやみに悩む場合が少なくない。その自分が最も自分らしく輝いていける、偉大な「人間革命」の大道を教えたのが、日蓮仏法である。
流されやすく、弱い自分の境涯を決然と乗り越え、強く、生きがいのある自分になるのだ。そして、決して悩みの風雨に負けないで、堅固な、大切な自分自身の一生の土台を築きゆくことだ。この青春の羅針盤こそ「教学」にほかならない。「教学を学び抜いていくことである」と、恩師は叫んだ。
もしも、教学がなければ、正邪善悪が見えない。最高の人生の大道、正義の師弟の道がわからない。それでは何が幸福かわからない。結局、幸福になれない。正しい仏法の眼を磨く修行が教学である。だからこそ、戸田先生は、慈父の如く「女子部は教学で立て!」と繰り返し繰り返し指導していかれた。
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▼ G 御書をなまじ読める人ほど退転するのよ。池田先生を批判するようになる。
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◆ 「学会は御書根本」と豪語していたではないか!自分達の言ったことも忘れていませんか?ご都合主義そのものですね(笑)
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● あれ? 今回の会則改変でも「学会は御書根本」といってなかったっけ?
▼『御書根本に、各人が人間革命を成就し、』云々
→ 御書を根本にしながら、御書をなまじ読んではいけないんだぁ〜〜〜。・・・バカじゃないの?(^_^.)
そうやって苦し紛れに、深く考えもしないで、その場しのぎの事ばかりを言い続けるざまが、頭破七分 といって、まさに大謗法の害毒。
そいう卑怯・卑劣な性格だと、必ず、身内、職場、友人から嫌われますよ!
そして、挙句の果てには、周りの人間全てと不仲になり、相手にされなくなり、頑固で依怙地で偏屈な、孤独で惨めな人生となりますよ!
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▼ H お寺に行っては行けない。供養を強要される。日顕上人は学会のそれも池田先生のお金を、あてにしていたの!先生が書いた本の印税で宗門に多額の供養をしてきたのよ!
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◆ 御寺に行くことは、三宝におまいりすることである!宗門にご供養することは、三宝にご供養することです!
そんな、当たり前のことがわからないのは、哀れである。
むしろ大聖人の仏法を利用して
「お世辞を使っておいた方が広布基金が沢山取れる」と言って会員から財務を収奪、搾取し創価学会を「私物化」している池田大作の方が罪深いではないか!
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● 誰が供養を強要されたか、その証拠を出して。 もちろん、その人が中立公正の立場であることが最低条件。
さ、お願いします。
もちろん、宗門から破門されたような脱落坊主とか、宗門から退転して、根拠・証拠もなく、好き放題に宗門憎しの悪言を吐いているような者は証人として採用却下だからね。
▼「日顕上人が池田さんのお金をあてにしていた」
▼「先生が書いた本の印税で宗門に多額の供養をしてきた」
という「証拠」出してね。
もし証拠出せなければ、
■ 若し証拠なくんば誰の人か信ずべきや。かゝる僻事(ひがごと)をのみ構へ申す間、邪教とは申すなり。其の迷謬(めいびゅう)尽くしがたし。(祈祷抄 文永九年 五一歳 634)
ちなみに、池田さんが全ての本を書いてきた、という「証拠」も出してね。
世の中でも、ゴーストライターが書いているっていう事実はごまんとあるものね。
その証拠見なければ全部が池田さんが書いただなんて信じられないわ〜〜〜。
因みに、「第一書籍」 とか 「篠原善太郎」 さんとか 知ってる? うふふふ。
人間革命が、不思議と、篠原善太郎さんが亡くなったとほぼ同時に、休載になったのよ。
あと、昔の人間革命の文体や、筆致と、新人間革命の それとは、全然似ても似つかない。
これヒントとして与えておくわ。
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参考文献
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「人間革命」は篠原善太郎氏が書いたもの。「新・人間革命」は文体が異なるため篠原善太郎氏が書いたものではない。篠原善太郎氏は亡くなった。
それで、「新・人間革命」に変わったのである。
文体が異なることから別人が書いてあることが明白であるため、「人間革命」に「新」を付けたのだろう。これは追求されたときの言い逃れのためである。
篠原善太郎氏は竹入義勝氏と同じく長野県の古くからの法華講員である。東大在学中に同人誌に小説を書いていた。小説家志望であった。そこに目を付けられ、「人間革命」のゴーストライターとなった。
文体とは人の指紋のように変えることが出来ない物です。出版社の人に聞いたら解ります。出版社の人はプロですから解ります。自分も大学時代、文学に凝っていましたので文体と、そしてその小説の雰囲気で解ります。文学に長年凝っている人ならそういうことは分かるものです。
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池田大作が書いてるんじゃありませんよ
随筆人間革命でS(篠原善三郎)氏に感謝の意を込めて
「ともあれ、執筆にあたって、今までも多くの方がたにご協力を戴く。..........とくに私を激励してくれたS氏にいたっては、資料の収集はもちろんのこと、文体の運び方、文章の調子、結構までご協力を戴き、感謝の言葉もない。益々のご協力をただ乞う。」『随筆人間革命』(p47、聖教新聞社)
「資料の収集はもちろんのこと、文体の運び方、文章の調子、結構までご協力を戴き」と言っているんだから、ほとんど代筆ですね
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「人間革命」に普遍性なし
学会員にとって「人間革命」「新・人間革命」は“現代の御書”と意義づけられる、池田指導でもっとも重要とされる書である。しかし、この小説は脱会した側近幹部から、これは池田名義の著作物を代作するゴーストライターによるものと、月刊ペン事件裁判で暴露された。
戸田・池田両著作は当初、聖教新聞に掲載され、後年、単行本、文庫本となって出版されるが、出版を経るごとに改訂されているのである。聖教職員すらその事実を知らない者が多いばかりではなく、そんな事実はありえないと反論するはずである。まして、末端会員はその事実を知るよしもない。 このような書籍を有難く読んだところで、10年すれば、書き換えられることになり、宗教の普遍的教えに沿うものでもなんでもない。古本屋で買い取ってももらえない、大量廃棄物となるだけである。
昭和40年代に出版したころは、一巻あたり100万部とも150万部ともいわれるほどの販売を誇り、大ベストセラーとなっていたが、今日においては10〜20万部ほどに激減しているものと思われる。
参考資料
「篠原は『人間革命』を書いたことで本部・聖教新聞社内で特別待遇を受けるに至った。伊東に別荘をもっているのも、学会幹部の中で篠原一人だけ。篠原が書く『人間革命』の原稿を聖教の記者が少しでも手直ししようものなら、怒鳴り込んでそれを元通りに訂正させた。『人間革命』の担当記者だった原田稔や松本和夫らは、自ら取材したというよりも、篠原の手伝いをしたといった方が正確だ。篠原には本部の三階にあった黎明図書館の脇に書斎が与えられ、そこでいつも原稿を書いていた。
『山崎正友裁判』の時、裁判官から″『人間革命』は、あなたが書いたのですか″と尋ねられ、池田がいみじくも『私の直筆です』と答えた話は有名。『私が書いた』といわなかったところがミソである。学会系の出版物の中に″『人間革命』を執筆中の池田会長″と題された写真があった。だが、机の上には参考資料の一冊もない。そんな状態で本が書けるわけがないことは、少しでもものを書く苦労を知っている人なら分かるはずだ。」
池田大作・幻想の野望――小説『人間革命』批判 七里和乗著
戸田会長著作「人間革命」に削除箇所が存在
精文館版から聖教文庫版にいたり削除箇所
「日本の癌になる対支問題の解決には、われわれが支那大陸の地下工作にまで乗り出そうではないか! 勿論、巌の全財産は、この運動に提供する!」(386-7ページ)
「牧田城三郎先生は国家諫暁を思い立たれ、自分は学会幹部を集めて、救国の一大折伏戦や支那大陸への潜行運動などを展開しようとしたが、それは飽く迄も、日本を負けさせたくないからであって、……」(455ページ)
原島嵩証言
『人間革命』第十巻の時、聖教新聞主幹であった私あてに原稿が届けられておりました。それは、最初のうち二、三回分は先生の直筆でしたが、あとは、明らかに奥様の字に変わっておりました」『週刊サンケイ』1980.9.4号)
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「人間革命」が池田氏の著作ではなくゴーストライターに書かせたものだったことは、昭和50年代の月刊ペン裁判によって暴かれ今では一部の末端会員までもが知るところとなった。
その裁判での証言とは別に、当時学会本部勤務であった幹部がその秘密を知った経緯について、「創価学会を斬る」41年目の検証(日新報道)に掲載しているのでご紹介しましょう。
古谷 そもそも「人間革命」および「新・人間革命」そのものが、大作の代作によるデッチ上げの産物。驚くにはあたりません。前にも本誌の座談会(一九号)で少し話しましたが、私は実際の著者が篠原さん(善太郎・故人)だと知った強烈な体験があるんです。
昭和四三年から始まった「日蓮正宗創価学会の時間」という文化放送のラジオ放送がありました。四四年に学会本部に入社した私は、日大芸術学部の放送学科出身だったこともあって、いきなり担当につけられた。「人間革命」を女性ナレーターが朗読する番組を担当して半年ほど後、局側のシナリオライターが「内容がおかしいから直したい」といってきたんです。私は「一字一句、そのまま放送しなければいけない」といったのですが、彼は「修正しないとあなた方が損をする」という。仕方なく元の原稿と直した原稿を上司だった秋谷さん(栄之助。現会長)と岡安さん(博司・現創価大学理事長)に見せて「変えたい」と迫ったんです。でも、二人はただうなるだけ。結局、「箱根研修所に篠原さんという人が行っているから、事情を話してOKをもらえ」との結論です。
当時は「池田先生が書いている」と思い込んでいましたから、「単に取り次いでくれる人」と思って篠原さんに電話をかけました。ところが、「とんでもない。秋谷を出せ」とすごい剣幕で怒る「『人間革命』は篠原さんが書いている」と教えられたのは、そのあとです。
押木 「人間革命」代作の件は、私も四七〜八年頃から徐々にわかるようになってきました。ところで、篠原さんが亡くなったあと、「新・人間革命」は誰が書いているんでしょうか。言論出版妨害事件の誤魔化し方をみても、代作者の苦労がしのばれますが(笑)……。
古谷 本人に確認したわけではありませんが、松本和夫である可能性が高いですね。というのは、「新・人間革命」を始める前に、何人かの代作者候補があがったそうです。そのころに、潮出版社の何人かから「いま松本和夫がものすごく喜んでいる」という話を聞きました。「とうとう『人間革命』執筆のご指名がかかった」というんです。それまで冷や飯を食っていて、病気を理由に故郷の群馬に帰っていたのが、また池田に引っ張られたようです。「俺もとうとうここまできた」と大変な喜びようだったそうです。
押木 彼は聖教新聞社で「人間革命」の担当編集者をしたり、代作グループの特別書籍にいたこともある。部下だったことがあるのでよく覚えていますが、非常に博識で、深く考えるというより膨大な資料にもとづいて器用に原稿をまとめるほうに才能を発揮していたような気がします。
古谷 そうそう、博覧強記。ただ、独特の自分を誇示するような態度が出るので周囲からはあまり好感をもたれていなかった。
押木 人の原稿の間違いや校正ミスを見つけて指摘し、悦に入るようなところもありましたね。
「これは○○だよ、君〜」という口調を思い出します。代作者は替わつても、歴史を誤魔化す手法は相変わらず……。
古谷 ひどい。『人間革命』もひどかつたが、歴史の改竄という点では『新・人間革命』はそれ以上かもしれません。
なんと、当時『人間革命』が代作だったことは信濃町本部の常識で、知らない末端会員は疑うことすらしないで、せっせと騙されて買わされていたのだ。
『新・人間革命』は編集のプロが読んでも文体の違いから、同一の者が書いたものではないと指摘された通り、久しぶりに読みくらべてみても確かにその様に感じるのである。
池田さんはただ今、多数の著作物を一気に書き上げていると聞くが、基本的に万年筆で書いているということが知られている。ならば、相当のペンだこができているものと思う。
是非、その写真やら人間離れしたスピード執筆の様子を映像で知らしめたらいかがか。
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▼ I 素直じゃないから退転するの!
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◆ 退転とは、正法から脱落することである。学会は謗法団体であるから学会から脱会することは退転とは言わない!
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● 永遠の指導者 戸田会長・池田先生のかつての指導に素直ですよ!
● 何に対して素直じゃなければいけないのか?
日蓮大聖人に対して素直であるべきでしょ?
■ 世皆(みな)正に背(そむ)き人悉(ことごと)く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相(あい)去り、聖人所を辞して還らず。是(ここ)を以て魔来たり鬼(き)来たり、災(さい)起こり難(なん)起こる。言(い)はずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず。
→ 学会は今発展してるんでしょ? もし学会が正しいのならば、なぜ今国に災害が多いのか?
つまり、学会が謗法で、そうであるならば日蓮正宗が正しいってことじゃないですか?
少なくとも、大聖人の御書で、今の創価の正統性を立証してくださいよ!
私は、大聖人が御書に仰せの事に「素直」でありたい!
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▼ J 学会は池田先生がすべてなのよ!
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◆ それって池田先生が学会を私物化したということですよね!
創価学会が発足した条件は何か忘れているようですね?
(ここで学会発足の条件を言う)
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● 池田先生が全て!と成れる根拠・証拠を、「御書根本」なんだから御書の御文で証明して!
● その池田さんって、勤行してないんですよ!
月刊ペン事件
● 更にこんな破廉恥なことず〜〜〜〜〜〜と続けてきたんですよ!
池田大作 破廉恥行状記
実際に出版された書籍
因みに、この現本では、イニシャル部分は全て実名。
もしこの内容が嘘なら、裁判好きの創価が裁判を起こさないはずがない。
それは、宗門とも他の事例を比較すれば明白。
最近の裁判
宗門僧侶や、慧妙の些末な出来事ですら、創価は裁判を起こしてきている。
にもかかわらず、このような池田さん個人の名誉を著しく貶める内容を訴えない理由は何か?
つまり、
この問題に触れたくない。
この問題が衆目の関心を浴びることを避けたい
この問題がほぼ事実である
以上の理由からでしょう。
こんな下衆な男を、正しい仏法を実践している人として信じられるはずないじゃないですか!
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▼ K 新聞配達を辞めたいと言うと、続けることに意義があるのよ!
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◆ どういう意義があるのですか?
誰も配達してくれないからそういう脅しを言っているだけ!あ〜哀れだね!学会員の誰一人も自ら新聞配達します?なんて言わないんだからね。あ〜可笑しい?マイ聖教って言っている奴なんか他人事みたいに知らん顔だよ?(笑)
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● いやいやいや〜〜、。 じゃ、「聖教新聞が謗法じゃない。配れば功徳がある」っていうことを御書で証明して見せて!
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▼ L あなたの気持ちに気づいてあげれなくて悪かったね。でも正しいのは学会なの。
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◆ だから何処が正しいの?
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● お気持ちありがとう! ならば、今の学会が正しい、って御書で証明して見せて!
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▼ M 師弟不二なのよ!池田先生を心にもう一度入れて戦うのよ!必ず結果は出る!結果が出ない生活が変わらないのはあなたの祈りが足りないから!一年でだめなら三年三年でだめなら、十年祈るのよ!
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◆ 池田先生は師匠ではないです。
何を戦うのですか?
10年やっても結果は罰ばかりだった!やってみたからわかったのです!
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● あなたにはどんな「功徳」が出たの?
(おそらくしょうもない事言ってきますよ。しょぼい内容の事。)
で、何を言ってきても、仮にいいことのように聞こえてもそれは 魔の通力
なぜなら、ニセ本尊を作って、根本の戒壇の大御本尊を捨てた創価が大謗法でない訳がないから。
■「若し衆生生死を出でず仏乗を慕はずと知れば、魔是(こ)の人に於て猶(なお)親(おや)の想(おもい)を生(な)す」(種々御振舞御書 建治二年 五五歳 1063)
■ 人善根(ひとぜんこん)を修すれども、念仏・真言・禅・律等の行をなして法華経を行ぜざれば、魔王親のおもひをなして、人間につきて其の人をもてなし供養す。(1063)
■「一分のしるしある様なりとも、天地の知る程の祈りとは成るべからず。魔王・魔民等守護を加へて法に験(しるし)の有る様なりとも、終(つい)には其の身も檀那も安穏なるべからず。」(御書・諫暁八幡抄 1531n
さらに、以下の御文を挙げて、もし罰のない生活だったら、もっと怖い。と教えること。
■順次生(じゅんじしょう)に必ず地獄に堕つべき者は、重罪を造るとも現罰なし。一闡提人これなり。571
■詮ずるところ、上品の一闡提人になりぬれば、順次生に必ず無間獄に堕つべきゆへに現罰なし。
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▼ N まわりの学会員さんが幸せそうに見えないと、言うと。まわりにふんどうされる弱い自分を人間革命しなきゃだめなのよ。まわりじゃないのあなたなの!
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◆ 他所を見るな、ということでしょうか?回りの学会員さんが不幸なら心配するのが慈悲ではないですか?
創価の家族は暖かいと言ったのは、あなた方です。不幸な人を一人ももれなく救って行くことが学会精神ではないのか?それを無視することは無慈悲というものです!言うことがコロコロ変わる。
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● 周りの学会員を見渡せば、引き籠り 鬱 自殺 ガン 脳梗塞 大事故 ケガ 大病 破産 倒産 家庭不和 一家離散 早死に 最愛の人を亡くす 火事 犯罪に巻き込まれる 犯罪者が多い 夜逃げ 行方不明 ギャブル・アルコール・風俗依存症 精神障害 人格破綻 社会不適合 性格悪い 意地悪 冷酷 DV ペットの異常・異常死 。。。。
こんな現実は、まさに 大罰 でしかない!
全国的に起こる創価の罰現証
これだけ厳罰が多発しているのに、それに気が付けないのは、
■ 辛(から)きを蓼葉(りょうよう)に習ひ臭きを溷厠(こんし)に忘る。善言を聞いて悪言と思ひ、謗者(ぼうしゃ)を指して聖人(しょうにん)と謂ひ、正師を疑って悪侶(あくりょ)に擬(ぎ)す。其の迷ひ誠に深く、其の罪浅(あさ)からず。(立正安国論
文応元年七月一六日 三九歳 242)
こういう状態だからですよ!
あるいは、蛙の生茹で。 煮え切って取り返しのつかなくなるまで、気が付けない!
後悔先にたたず。
自分の子供・孫の命を落す様なことが現実に多く起きているんですよ!
そうなってから気がついてももう手遅れでしょう!
いい加減に、目を覚ましなさい!
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▼ O 「脱会したことを数人の方にお電話で伝えると、すぐ来て「組織の人には一切電話しないでみんな動揺するから」と言って帰って行った。
「あなたは、何も分かっていなかったのね。」
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◆ その言葉貴方にお返しします!
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● もし創価に正義が本当にあるなら、堂々と、御書を引いて私を説得できるはず。
それもできないで、組織へ連絡するなとは、あまりに弱虫な、卑怯、卑劣、姑息、臆病な姿では?
およそ「日蓮大聖人の心が学会にある」とは恥ずかしくて言えないんじゃない?
大聖人はあらゆる邪宗徒と正々堂々と破折・法論したでしょう!
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▼ P 死ぬときにどちらが正しいか分かるからね。
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◆ それも貴方にお返しします!
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● そんな時まで待たなくても、今直ぐ分かりますよ!
宗教の正しさは 文証・理証・現証 の三証で証明できるじゃないですか!
そんな日蓮大聖人の仏法の基本中の基本すら忘れたの?
今のあなたの説明に 文証 は一つもない! 日寛上人の六巻鈔を否定するなんて、むしろ「文証なし」の邪教の姿。
永遠の指導者である三代会長の昔の指導と、今は真逆。つまり 「道理が通っていない」!
そして、先ほどの、日寛上人の御指南を否定しながら、日寛上人の御本尊を拝む、この、子供が聞いても分かる矛盾に気が付けない、「頭破七分 という現証」!
また、学会員に多発している「不幸な現証のオンパレード」。
学会が広まっている、といいながら、日本も世界もいよいよ混迷を深めている現状。
この 三証 によって、創価は、間違いなく大謗法団体。大邪教であること必定!
何も死ぬまで待つ必要もない。
もし、この大謗法団体の創価にずるずるいながら死を迎えようとしてるなら、今生ではいよいよ不幸が重なりに重なり、老後は、孤独で惨めで汚らしい醜態を晒し、死に際しても悪相を極めて死ぬことになり、そのまま無間地獄に真っ逆さまに堕ちることはもはや確定的!
いい加減、目を覚ましなさい!
大馬鹿者!
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▼ Q もろもろの、反論を教学的に言うと、「だからなんなの!それが何?信ずる心一念なの!それが分かってないのね!」
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◆ だから信心する一念って何ですか?
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● 謗法者を信じてもただ今生はド不幸になり、死後、三悪道・地獄へ行くだけ。
よくよく創価こそ大謗法であることを知りなさい!
■ 悲しいかな数十年の間、百千万の人魔縁に蕩(たぼら)かされて多く仏教に迷(まよ)へり。謗(ぼう)を好んで正(しょう)を忘る、善神怒(いか)りを成さゞらんや。円を捨てゝ偏(へん)を好む、悪鬼便(たよ)りを得ざらんや。如(し)かず彼(か)の万祈を修せんよりは此の一凶(いっきょう)を禁ぜんには。
■ 辛(から)きを蓼葉(りょうよう)に習ひ臭きを溷厠(こんし)に忘る。善言を聞いて悪言と思ひ、謗者(ぼうしゃ)を指して聖人(しょうにん)と謂ひ、正師を疑って悪侶(あくりょ)に擬(ぎ)す。其の迷ひ誠に深く、其の罪浅(あさ)からず。
■ 汝(なんじ)疑ふこと莫(なか)れ汝怪(あや)しむこと莫れ。唯須(すべから)く凶を捨てゝ善に帰し源を塞(ふさ)ぎ根を截(き)るべし。
■ 謗法の人を禁(いまし)めて正道(しょうどう)の侶(りょ)を重んぜば、国中(こくちゅう)安穏にして天下泰平ならん。
■ 若し比丘及び比丘尼・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)有りて麁悪(そあく)の言(ことば)を発し、正法を誹謗せん。是の重業(じゅうごう)を造りて永く改悔(かいげ)せず、心に懺悔(ざんげ)無からん。是くの如き等の人を名づけて一闡提の道に趣向(しゅこう)すと為す。若し四重を犯し五逆罪を作り、自ら定めて是くの如き重事(じゅうじ)を犯すと知れども、而(しか)も心に初めより怖畏(ふい)・懺悔無く、肯(あ)へて発露(ほつろ)せず。彼の正法に於て永く護惜建立(ごしゃくこんりゅう)の心無く、毀呰軽賤(きしきょうせん)して言に禍咎(かぐ)多からん。是くの如き等の人を亦一闡提の道に趣向すと名づく。
■ 嗟呼(ああ)悲しいかな如来誠諦(じょうたい)の禁言(きんげん)に背くこと。哀れなるかな愚侶(ぐりょ)迷惑の麁語(そご)に随ふこと。早く天下の静謐(せいひつ)を思はゞ須(すべから)く国中の謗法を断(た)つべし。
■ 人の世に在(あ)るや各(おのおの)後生を恐る。是(ここ)を以て或は邪教を信じ、或は謗法を貴ぶ。各(おのおの)是非に迷ふことを悪(にく)むと雖も而も猶仏法に帰することを哀(かな)しむ。何ぞ同じく信心の力を以て妄(みだりに邪義の詞(ことば)を崇(あが)めんや。若し執心飜(ひるがえ)らず、亦曲意(きょくい)猶存せば、早く有為(うい)の郷(さと)を辞して必ず無間(むけん)の獄(ひとや)に堕(お)ちなん。
■ 広く衆経を披(ひら)きたるに専ら謗法を重んず。悲しいかな、皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る。愚かなるかな各(おのおの)悪教の綱に懸(か)かりて鎮(とこしなえ)に謗教の綱に纏(まつ)はる。此の朦霧(もうむ)の迷ひ彼の盛焔(じょうえん)の底に沈む。豈愁(うれ)へざらんや、豈苦しまざらんや。
■ 汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ(やぶ)壊れんや。国に衰微(すいび)無く土に破壊(はえ)無くんば身は是(これ)安全にして、心は是禅定ならん。此の詞(ことば)此の言(こと)信ずべく崇(あが)むべし。
■ 此の経文を被(ひら)きて具(つぶさ)に仏語を承(うけたまわ)るに、誹謗の科(とが)至って重く毀謗(きぼう)の罪誠(まこと)に深し。(客)
■ 今世(こんぜ)には性心(しょうしん)を労(ろう)し来生(らいしょう)には阿鼻に堕せんこと文(もん)明らかに理詳(つまび)らかなり疑ふべからず。(客)
■ 唯(ただ)我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡(いまし)めんのみ。(客)
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▼ R 日寛上人の教義を言うと、「そうじゃないの!そこから違うの!先生を師匠と決めていないから揺れるの!」
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◆ 池田先生は、在家だから師匠ではないです。在家同志の師弟なんか無意味です。師とは、弟子に仏法を教え、
弟子は、絶体の信を懐いて師に仕える中で仏法を会得するのです。
池田先生の御書講義なんて聞いたことないですけど。(笑)
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● 繰り返し。
池田さんが師匠 だと決められるべき根拠を御書を挙げて説明してください。
御書の御文から納得できたら、今から師匠と仰ぎましょう。
■ 法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて、余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはひなるべし。(曽谷殿御返事
建治二年八月二日 五五歳 1039)
根源の師 とは誰ですか?
池田さんなど、「根源の師」じゃないでしょう?
大聖人の御文一つ出せないでいること自体、根源の師を忘れて余所へ心を移している姿そのものではないですか!
必ず、三悪道に堕ちますよ!
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▼ S かたちじゃないの胸中の肉壇なのよ!
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◆ 胸中の肉壇だったら御本尊なんかいらないですよね?
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● だったら、自分でも鏡に写して拝みますか? あはははは〜〜。だって、胸の中に本尊があるんでしょう?
ならば、学会に入会しない人でも胸中の肉団に仏界はあるんでしょうから、そもそも創価に入らなくってもいいじゃんか?
顕正会員だって胸中の肉団に御本尊があるんでしょう?
だったらそこら辺の顕正会でも拝んだら?
いやいや、誰でもあるんだから、誰でもいいから拝み倒したら?あははははは〜〜〜!
なんで、わざわざ本尊拝む必要があるんですかぁ〜〜〜?
その無智蒙昧な頭に、少し教えてあげましょうね。
途中でギャーギャー喚かずに静かに聞きなさいよ。いいですね!
■ 此の御本尊全く余所(よそ)に求むる事なかれ。只我等衆生、法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におはしますなり。(日女御前御返事
弘安二年八月二三日 五八歳 1387)
この「法華経」ってなんですか?
■ 今、末法に入りぬれば余経も法華経もせん(詮)なし。但南無妙法蓮華経なるべし。(上野殿御返事 弘安元年四月一日
五七歳 1219)
■ 法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひて候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給へばなり。秘すべし秘すべし。(三大秘法稟承事 弘安五年四月八日 六一歳 1595)
■ 「三箇の秘法建立の勝地は富土山本門寺本堂なり 乃至 日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為す可きなり」(百六箇抄 1699〜1702)
→ つまり 法華経 = 三大秘法 = 一大秘法 = 戒壇の大御本尊(最尊・尊極の御一幅の御本尊)
その戒壇の大御本尊を信心で受持して唱える胸中に、仏界が涌現する。 そいう御書。
魔や悪鬼が棲んでるニセ本尊拝んで、戒壇の大御本尊を否定して投げ捨てて、いくら題目死ぬほど唱えても、仏界など死んでも現れません!
悪鬼魔神まみれの創価活動は、「大謗法」!
大罪・大悪業を積みますよ!
まさに、地獄へ向かってまっしぐらですよ!
自分だけじゃないんですよ!
子や、孫まで地獄へ引っ張るんですよ!
あなたの責任ですよ!
あなたが、創価の大謗法に気がつかないと、子供や孫が大変な不幸に見舞われますよ!
目を覚ましなさい!
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▼ 21 学会から離れた人でまともな人を見たことがないの!あなたが地獄に落ちるの止めにきたのよ!
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◆ 逆ですね。学会から離れたら、皆さん正常になります。成仏を目指して幸せになります!死んだら大聖人様が迎えにきてくれます!学会にいたら全員池田先生と共に無間地獄行きです!
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● え?私の知っている人で、創価辞めて、日蓮正宗へ戻った人で、生活も、人生も謳歌している人、知ってるけど、会いませんか?
その人が「まともな人」かどうか、あなた自身の目で見極めてくださいよ。
で、私も、あなたとその人の応対を見てどっちがまともなのか判断させてください。
で、もしその人があなた以上にまともだったら、あなた、はっきり謝罪してくださいね。
よろしくお願いしますよ!
● では、学会離れて日蓮正宗へ行った人と、私の目の前で法論してください。
勝った方へ付きます!
絶対実現して、今の発言の責任取って下さいね!
もしそれが出来ないのなら、それは、もはや創価の負けですよ!いいですね!
あなたが自信なくて無理なら、大幹部でも、教宣部でも、副会長でも誰でもいいですよ!
必ず実現してください!
それすらできない卑怯者にならないでくださいね!
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