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月刊ペン裁判

経緯
原判決文からの抜粋引用
上記判決文が真実である論証
邪難者の質問
池田大作 証人出廷
月刊ペン裁判で明らかになったこと
池田大作は勤行しない
昭和59年7月18日 東京高裁 第三刑事部 控訴棄却判決文
本部幹部会 福島弁護士発言を粉砕する
最高裁が差し戻した理由
人間革命など池田著作はゴーストライターが
慧妙記事 1
 池田 不倫の容認
 三畳間
 三畳間 ポロッと、失言
 不自然! 高根証言

慧妙 2 
 芸者身請け 
 裏工作
 裁判所の心証は限りなく黒に近いグレー
 言論弾圧
 月刊ペン事件 埋もれていた真実
 矢野手記

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経緯


地裁 隈部 有罪 懲役10か月 執行猶予1年

高裁 一審判決支持

最高裁 差し戻し判決

地裁 隈部 罰金20万円

高裁 差し戻し一審判決 支持
↓   隈部 控訴
最高裁  隈部死去 → 終結

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差し戻し第一審 決定審 原判決文から

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全裸の池田大作氏の傍らにバスタオルをもった渡部通子氏がいたのを埼玉県大宮市の渡部氏の実家である松島家の3畳間で見たと証言した小沢よね証言について

■ 「右目撃証言は、その内容が極めて詳細かつ具体的であって内容的には迫真性に富み、実際に体験した者でなければ語り難いと思われる部分を少なからず含んでおり、真摯な供述振りとも相まって、証言内容に沿う真実の存在をうかがわせる面があることは一応、これを認めることができる」

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【判決もスキャンダル素地を指摘】

■ 「例えば、本件証拠中で度々指摘されている点であるが、会長職にあった池田の秘書事務を担当する部局には、常に妙齢の女性がいて、出張先きも同行の上身近に仕え、夜遅くまで身辺の世話をする等の実状にあることは、いかに宗教団体内部のこととは言いながら、世間一般の常識からすれば配慮不足で通常の勤務状態でないように見えるし、加えて、最高幹部である渡部がいろいろな機会に学会関係部局の出版物中で、ことさらに池田から親しく指導を受けた様子を強調して記述していたり、池田自身が市販雑誌の対談記事中で、冗談としながらも、『それだけの理由と力があって、しかも誰にも迷惑をかけないという場合には、一夫一婦制の枠外の行為でも私には男性として認めます』などと、聞きようによっては誤解されかねないことをあえて述べていたりしていることも、学会幹部の男女関係に疑惑を感じていた者らにとってはやはりそうであったと思わせる素地につながっていることを否定し難いのである」
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差し戻し後の1審の審理過程で、池田大作氏側が3畳間を否定するための証人として出廷させた、当時、松島家にお手伝いとして同居していたという高根美枝証人は、証言途中で、「ここに3畳間があって」と、3畳間の存在を認める証言を行い、慌てて否定したが、判決ではこの点について、

■ 「同じく同居していたという高根は、3畳間の存在を否定する証言をする一方で、逆に3畳間の存在を認めるようなことを口走ったりしており、同女が正にこの点を主たる立証趣旨とする証人であったことを前提とすると、これを単なる言いまちがいに過ぎないものとして軽視してよいか問題なしとしないようにも感ぜられる」

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三畳間の存在を否定する学会主張に対して

■「また、一見客観的な証拠であるかのように思われる当時の市勢要覧『おヽみや』中の航空写真は、問題の部分が余りにも小さすぎて細かい点を見分けることは困難である上、最も大切な撮影時期のデ−タがあいまいなため、ほとんど証拠的価値はない。」

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「同居していたという高根は、三畳間の存在を否定する一方で、逆に三畳間の存在を認めるようなことも口走っており、同女が正にこの点を主たる立証趣旨とする証人であったことを前提にすると、これを単なる言い間違いに過ぎないものとして軽視してよいか、問題なしとしないようにも感ぜられるのである。」

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■「池田は、当公判廷において、石川ら芸者に対して身請け云々の話をしたことなどは全くないと証言するが、石川は、創価学会は嫌いであるとしながらも、学会側、反学会側のいずれにもくみしない立場にあると考えられるところ、同人が池田との妾関係を否定する点についてだけ虚言を述べているとは考え難く、酒席であってみれば、その程度の話が座興に出ても格別おかしくないと見られるのであって、全体として石川の供述は十分措信するに足るものと考えられる。
 右石川の供述に比べれば、池田の供述は石川との関係を否定しようとするあまり、酒席の模様を一律に否定しすぎているとの印象を拭うことができず、少なくとも池田の右証言をそのままに受け取ることは難しいと感じられる」

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■ 「更に考慮を要すると思われるのは、本件が旧第一審継続中の時期に、被害者である学会側と加害者である被告人側との間で話し合いがもたれた結果、被告人が詫び状を差し入れ、学会側が告訴取下げ手続を取ることとなったほかに、被告人側からの池田に対する証人申請をしないよう求め、そのこととの関連で被害者側(創価学会側)から加害者側(被告人側)へ二〇〇〇万円、三〇〇〇万円とも言われる高額の金員が支払われるという、本件の具体的な訴訟手続と絡ませた取引がなされた事実が認められる点である。(右金員支払の趣旨を右のようなものではなく、一般的な右翼対策費であるかのごとく言う者もあるが、右交渉の学会側責任者で金員捻出の衝にも当たった北条浩が、検察官調書謄本中で、前記認定通り供述していること、更に右金員交付の時期と旧第一審訴訟手続進行段階との関連や、右金員が月刊ペン社側に支払われ、引き替えに同社側弁護士の領収書が差し入れられたという山崎正友証言に対し、見るべき反証が提出されていないこと、その他関係証拠の現状に照らすと、前記のとおり、認定するほかない)。」
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■ 「本件証拠中でたびたび指摘されている点であるが、会長職にあった池田の秘書的事務を担当する部局には常に妙齢の女性がいて、出張先にも同行の上、身近に仕え、夜遅くまで身辺の世話をする等の実状にあることは、いかに宗教団体内部のこととは言いながら、世間一般の常識からすれば配慮不足で通常の勤務状態でないように見えるし、(中略)やはりそうであったかと思わせる素地につながっていることを否定し難いのである。(中略)こうして見ると、本件は何の根拠もなく事実を全面的に捏造・摘示したのとは事情を異にしており、そこには量刑上酌量の余地があると考えられる」

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■ 「主として当審における審理によって初めて明らかになった事情のほか、従前から指摘されていた諸事情、すなわち、被告人は過去において創価学会批判書の出版を同会から組織ぐるみで妨害されたことがあり、これに対する不快感のあったことが本件犯行の一動機となっていないとは言えない。」



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 以上の、判決文からの抜粋・引用は、日蓮正宗宗門・准機関紙ともいえる『慧妙』誌上に掲載されたもので、もし、仮にこの判決文の引用が捏造・偽造の類であるならば、創価学会から訴訟を起こされることは必定である。
にも関わらず、慧妙誌掲載から、10年以上も経過した今もって創価学会は訴訟を起こしていない。
つまり、その事実が上掲の判決文が真実であることを証明している。

因みに、創価学会は、慧妙に対して、以下のような組織中央部にとっては些末な事案ですら執拗に訴訟を起こしている。

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◆(最高裁)学会の上告を不受理!(H17.4.19)
―池田ビラ事件―
 「政治団体『信教と思想の自由を守る会』が発行したビラに使われた池田大作の写真は、著作権を持つ創価学会に無断で使用されたもので、著作権侵害にあたる」などとして、創価学会が、同「守る会」の代表者、ならびに、代表者が信仰上で所属する妙観講の講頭・大草一男氏、および日蓮正宗を相手取り、損害賠償を求めていた裁判で、4月19日、最高裁判所第3小法廷(上田豊三裁判長)は、創価学会側の上告受理申立に対し、不受理とする決定を下した。
 これにより、すでに日蓮正宗および大草氏に対する請求を棄却(ききゃく)していた東京高裁判決が確定し、創価学会対日蓮正宗の対決は、日蓮正宗の勝利で終わったのである。本件訴訟によって、ついに学会本体が日蓮正宗に敗訴してしまったのである。(記事参照)

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◆(東京高裁)池田ビラ事件で日蓮正宗に逆転勝訴判決(H16.11.29)
―池田創価学会の悪辣な訴訟提起を断罪―
一信徒が組織している政治団体が作成したビラに池田大作の写真・絵が記載されていたことを奇貨として、創価学会が、著作権・著作者人格権侵害などを理由に日蓮正宗外2名に対し、損害賠償などを請求していた訴訟の控訴審判決が、本日、東京高等裁判所であり、篠原勝美裁判長は東京地裁の不当判決(宗務広報第928号既報)を取り消して、日蓮正宗外1名に対する創価学会の請求を棄却し、逆転勝訴の判決を言い渡しました。(記事参照)

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◆(最高裁)"盗聴"訴訟で学会側の上告棄却(H16.4.8)
―「ハタチ盗聴事件」―
―元講員のウソが崩壊して訴訟も瓦解−
 信心の歪(ゆが)んだ法華講員(事件当時)と結託し、日蓮正宗を貶(おとし)めようとした創価学会本部職員らの謀略(ぼうりゃく)訴訟が、ついに完全粉砕された。
 去る4月8日、創価学会本部職員で、聖教新聞社管理職の波田地克利らが、御法主日顕上人猊下、理境坊住職・小川只道尊師、妙観講々頭・大草一男氏などを訴えていた裁判の上告審で、最高裁判所第1小法廷(島田仁郎裁判長)は、5名の裁判官の全員一致で、波田地らの上告の不受理を決定、ここに学会側の完全敗訴が確定したのである。(記事参照)

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◆(東京高裁)悪質な謀略「盗聴」訴訟で宗門側勝訴(H15.11.19)
―見抜かれた学会職員と元講員の"結託"―
11月19日、東京高等裁判所(江見弘武裁判長)は、御法主日顕上人猊下、理境坊住職・小川只道尊師、妙観講々頭・大草一男氏らに対し、創価学会本部職員で、聖教新聞社管理職の波田地克利らが、総額4千400万円の損害賠償を求めて提訴した裁判の控訴審において、訴えを退けた1審判決を支持し、波田地らの控訴を棄却 (ききゃく)した。(記事参照)

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◆ 宗門の機関紙「慧妙」が、長野県在住の学会員の名誉を毀損する虚偽の記事を掲載したことに関する裁判で、去る2月27日、最高裁判所(竹内行夫裁判長)は、日顕宗側の上告を棄却。これで、日蓮正宗(代表役員・早瀬日如)、「慧妙」発行に関与している妙観講指導教師・小川只道(理境坊、大石寺理事)、同講講頭・大草一男(法華講大講頭)、同紙発行人・幡野直人らに対して総額190万円の損害賠償金支払いを命じる判決が確定した。“反社会教団”日顕宗が、また一つ敗訴の汚点を刻んだのである。

創価新報 2009.3.18

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→ 以上の事例で明らかな如く、創価学会はこのような組織中央とは関係ない些末な出来事まで訴訟を乱発している。
その創価が、こと池田大作に関する件で、相手に過誤がある場合をそれを見逃すはずはない。

以上の検証から、上記の判決文抜粋は、真実であると判断できるのである。

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昭和56416日 最高裁判所第一小法廷判決

昭和59718日 東京高裁第三刑事部判決

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1、その裁判はいつからいつまでの裁判か?

月刊ペン事件(げっかんペンじけん)は、日本の雑誌『月刊ペン』が1976年(昭和51年)3月号に掲載した「四重五重の大罪犯す創価学会」、4月号に掲載した「極悪の大罪犯す創価学会の実相」という記事が名誉毀損罪(刑法230条ノ2)にあたるとして、編集長の隈部大蔵が告訴され有罪となった事件。出版関係者が刑事告訴された名誉毀損事件で有罪判決を受けた最初の事例である。


2.その裁判はどこで行われたか?、

東京地裁・高裁・最高裁

3.なんの目的の裁判か?

上部に既述

4.それが記録されているのは何処にあるか?

随所

5.裁判の名称は?

通称 「月刊ペン裁判

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池田大作 証人出廷
  

▲『月刊ペン』事件で東京地裁に入廷する池田大作と国税庁<写真提供=共同通信社>=『月刊ペン』事件に国税庁の税務調査―この2つから、池田大作の天下盗りの実態が透けて見える

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月刊ペン裁判

裁判で明らかとなったこと

昭和51年2月より「月刊ペン」誌によって池田会長の下半身の行状を暴いたことで起きた裁判、及び一連の行動。

この裁判で明らかとなったもの。

1.池田会長が地方へ行く際は本部職員の女性を連れていく。施設では池田と女性しか入れない状況にあった部屋の存在。

2.「人間革命」をはじめとした池田著の本はゴーストライターによるものであることが明るみになった。

.学会本部が提出した証拠書類に、池田会長の行動記録があるが、なんと勤行をしていない日が多々あり、極めていい加減な信心であることが分かった。

裁判資料     

  
『慧妙』H16.8.16


池田勤行苦手 

4.三菱などの取引先との接待を通じ、池田会長が複数の芸者と遊んでいたことが明らかとなった。

5.この裁判を収束させる目的として、仲介に右翼のドンとして知られる笹川良一に多額の現金を渡した事実が明らかになった。

6.若かりし時の池田が当時大学生であった渡部通子の自宅での情事を発見されたが、当時その部屋は存在していないと主張した。
しかし、裁判終結後、家族の証言、証拠写真によってその存在が事実であることが明らかとなった。

 52年路線やこの事件を機に池田会長の側近幹部である山崎正友氏、原島教学部長が学会から離反した。

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判決文全文  昭和58う1148 名誉毀損被告事件  昭和59年7月18日 東京高裁 第三刑事部  

↑ これは、差し戻し一審判決文(原判決文)ではない。

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 この「月刊ペン」誌に掲載された池田氏の女性スキャンダルに関する記事に対する名誉段毀損に基づく刑事裁判は、複雑な審理経過を経ており、

当初、

1審の東京地裁は、月刊ペンの記事は名誉毀損の免責要件である「公共の利害に関する事実(公共性)」にあたらないとして、「公益目的(公益性)」「真実であること(真実性)」「真実と信じるに足る相当の理由がある(真実相当性)」などを審理するまでもなく名誉毀損に該当するとして、被告の隈部大蔵氏に「懲役10月、執行猶予1年」の有罪判決を言い渡し、

2審の東京高裁もこの1審判決を支持し、隈部氏の控訴を棄却した。

 だが、

最高裁は月刊ペン記事の公共性を認めて、1、2審の有罪判決を破棄、公益性と真実性についての審理のやり直しを命ずる判決を言い渡した。

しかし差し戻し後の1審でも、記事自体の公共性、公益性こそ認められたが、真実性ならびに真実相当性は認められず、罰金20万円の判決が言い渡され、

2審の東京高裁もこの判決を支持したため、隈部氏は最高裁に上告したが、審理途中で隈部氏が死去したため裁判そのものが終結した。


 なお、蛇足だが、この審理の過程で創価学会の元顧問弁護士だった山崎正友氏が、隈部氏を警視庁に逮捕させるための裏工作や、池田大作氏を裁判に出廷させないため、被告側の代理人に2000万円の裏金を渡していた事実などを、最高裁に提出した上申書によって明らかにしている。


【福島発言とは異なる裁判所の評価】

 本部幹部会で福島弁護士は、月刊ペン事件の審理の様子を、「私自身、この刑事裁判を傍聴していましたからよく分かるのですが」と前置きした上で、「彼らのウソは週刊誌のようないい加減な場面ではまだしも、裁判のような厳密な場では、全く通用しません。
 検事から『いつ、どこで、誰が見たのか』など、具体的に追及されると、その話は全く雲散霧消してしまう。たちまちウソが全部、バレてしまいました」などと発言している。

 ところがである。脱会した人々の証言について、裁判所は福島発言とは随分、異なる評価を行っているのである。
 例えば、

全裸の池田大作氏の傍らにバスタオルをもった渡部通子氏がいたのを埼玉県大宮市の渡部氏の実家である松島家の3畳間で見たと証言した小沢よね証言について、

差し戻し後の第1審である東京地裁は判決(※決定審)の中で次のように論評している。


■ 「右目撃証言は、その内容が極めて詳細かつ具体的であって内容的には迫真性に富み、実際に体験した者でなければ語り難いと思われる部分を少なからず含んでおり、真摯な供述振りとも相まって、証言内容に沿う真実の存在をうかがわせる面があることは一応、これを認めることができる」

 裁判所の評価は、「この刑事裁判を傍聴していましたからよく分かる」という福島弁護士の評価とは、大分、趣を異にしている。

それだけに判決では、月刊ペン記事の真実性ならびに真実相当性は認めず、隈部氏に罰金20万円を言い渡したものの、池田氏や創価学会の側にも女性スキャンダルの疑念を生じさせる素地があったことを指摘している。

判決文には次のようにある。


【判決もスキャンダル素地を指摘】

■ 「例えば、本件証拠中で度々指摘されている点であるが、会長職にあった池田の秘書事務を担当する部局には、常に妙齢の女性がいて、出張先きも同行の上身近に仕え、夜遅くまで身辺の世話をする等の実状にあることは、いかに宗教団体内部のこととは言いながら、世間一般の常識からすれば配慮不足で通常の勤務状態でないように見えるし、加えて、最高幹部である渡部がいろいろな機会に学会関係部局の出版物中で、ことさらに池田から親しく指導を受けた様子を強調して記述していたり、池田自身が市販雑誌の対談記事中で、冗談としながらも、『それだけの理由と力があって、しかも誰にも迷惑をかけないという場合には、一夫一婦制の枠外の行為でも私には男性として認めます』などと、聞きようによっては誤解されかねないことをあえて述べていたりしていることも、学会幹部の男女関係に疑惑を感じていた者らにとってはやはりそうであったと思わせる素地につながっていることを否定し難いのである」


 ちなみに差し戻し後の1審の審理過程で、池田大作氏側が3畳間を否定するための証人として出廷させた、当時、松島家にお手伝いとして同居していたという高根美枝証人は、証言途中で、「ここに3畳間があって」と、3畳間の存在を認める証言を行い、慌てて否定したが、判決ではこの点について、

■ 「同じく同居していたという高根は、3畳間の存在を否定する証言をする一方で、逆に3畳間の存在を認めるようなことを口走ったりしており、同女が正にこの点を主たる立証趣旨とする証人であったことを前提とすると、これを単なる言いまちがいに過ぎないものとして軽視してよいか問題なしとしないようにも感ぜられる」

と指摘している。

 この問題の3畳間の存在については、現在では存在したことが確認されている。
というのも元都議会公明党幹事長の龍年光氏が、松島家の3畳間で参議院選挙の指揮を執っている写真を所持しているからである。

福島弁護士は、学会員が月刊ペン事件の経過、判決内容を知らないことをいいことに、脱会者らの証言が「全く雲散霧消」「たちまちウソが全部、バレてしまいました」などと強調しているが、3畳間が存在したことが明らかになれば、裁判の場で「ウソ」の主張、証言を行っていたのは、福島弁護士らが代理人を務める池田氏や創価学会の方だったこととなる。

 この日の本部幹部会での挨拶を福島弁護士は次のように締めくくっている。
 「池田先生に対するデマは、場所、日付、何曜日なのか、だれが見たのか、全くないのです。陥れようとするためのでっち上げであることは、明白です。まさに真の仏法者に対する迫害以外のなにものでもない。私たち、ましてや青年部は、この事実を声を大にしてあらゆる場面で叫び続けていきたいものです」
 「弁護士倫理」には、「弁護士は、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする」とあり、「第1条」でも重ねて「弁護士は、その使命が基本的人権の擁護と社会正義の実現にあることを自覚し、その使命の達成に努める」と規定されている。また、「第4条」には、「弁護士は、信義に従い、誠実かつ公正に職務を行う」とある。
 一連の福島弁護士の発言は、この「弁護士倫理」にもとると思われるが、どうか。


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投稿者 創価問題新聞 日時 2000 年 7 月 17 日 04:39:28:

「月刊ペン事件・最高裁判決のおさらい

(FOR BEGINNERS)

最高裁は、「月刊ペン事件」裁判で、創価および池田大作に対して、次のように、極めて重要な判決を言い渡しています。
最高裁は、

■「私人の私生活上の行状であっても、その携わる社会的活動の性質及びこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度いかんによっては、その社会的活動に対する批判ないし評価の一資料として、刑法230条の2第1項にいう「公共の利害に関する事実」にあたる場合があると解するべきである」

と判断基準を示した上で、創価について、

■「・・・記録によれば、同会長(池田大作)は、同会(創価)において、その教義を身をもって実践すべき信仰上のほぼ絶対的な指導者であって、公私を問わずその言動が、信徒の精神生活等に重大な影響を与える立場にあったばかりでなく、右宗教上の地位を背景とした直接間接の政治的活動を通じ、社会一般に対しても少なからぬ影響を及ぼしていたこと、同会長(池田大作)の醜聞の相手方とされる女性2名も、同会婦人部で元国会議員という有力な会員であったことなどの事実が明らかである。」

として、池田大作側が名誉毀損で刑事告訴した「月刊ペン」掲載記事について、

■「・・・前記記事は、多数の信徒を有する我が国有数の宗教団体である創価学会の教義ないしあり方を批判し、その誤りを指摘するにあたり、その例証として、同会長(池田大作、当時)の女性関係が乱脈をきわめており、同会長と関係のあった女性二名が同会長(池田大作)によって、国会に送り込まれていることなどの事実を摘示したものであることが、右記事を含む被告人の「月刊ペン」誌上の論説全体に、照らして明白である」

とした上で、最高裁判決は、

■「このような事実関係を前提として検討すると、被告人によって摘示された池田会長らの前記のような行状は、刑法230条の2第1項にいう「公共の利害に関する事実」にあたると解するのが相当であって、これを一宗教団体内部における単なる私的な出来事ということはできない」(最判、昭56・4・16 刑集35・3・84)

もう、レイプ裁判では、池田大作側が、なぜ、信平さんを名誉毀損で反訴しないのか、おわかりいただけましたか?


朝木議員殺害事件にも関係者の名が・・・

ということで、結局、問題の月刊名ペン掲載記事には、公共性があることを認めたのみならず、創価の体質、池田大作の行状をも鋭く批判した結果、裁判は差し戻され、刑事告訴した創価側は、自分の内部の実態が暴き出されると言う「やぶへび」に終わったのです。

この裁判の経過の中で、現職検事だった神崎武法現公明党首らが暗躍したほか、現職の検事として、知られている創価信者は、創価関係の事件の揉み消し等の謀議に、現職の検事でありながら再三加わった、吉村弘という副会長クラスの創価幹部信者がおり、この人物は、朝木議員殺害事件が発生した際、東京地検八王子支部の支部長で、事件担当に、同じく創価信者の信田昌男検事を指名し、東村山関係の全部の事件を扱わせたのです。

http://www.sokamondai.to/koukokutou.htm


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俗にいう『月刊ペン裁判』の差し戻し裁判一審判決の全文が掲載された裁判記録の続・「月刊ペン」事件『法廷に立った池田大作』を読みました。

判決も読みましたが以下に抄録した原島崇氏の証言についての言及はなされていませんでした。

(101貢〜102貢より)
証言台に立った原島崇は、まず自分たちの仕事だった池田大作の
“代作”の実態をありのまま述べた。
『小説人間革命』は、篠原善太郎(河田清の名で小説を書いていた
こともある、東大文学部卒。外郭会社、東西哲学書院社長。死去)の
全面的な代作であることを暴露した。
篠原善太郎の死後、その役を松本和夫がついでいる。
『若き日の日記』は、実は現存せず創作である。
『トインビーとの対話』は、桐村泰次がつくったものである。
その他の出版物、教義に関する著作は、ほとんど原島崇が手がけた。

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同書のなかで原島氏は、弁護人から、
『最初から池田会長が自ら書かない目的で(特別書籍部が)つくられたのか?』という質問に対し、
『池田氏の意向を受けてつくるものだから、最初から池田氏が自分は書かない目的でつくったという極論は避けたい』というふうに返答しています。
なかなか真摯な態度で裁判に臨んでいるなと感じたものです。
ゴーストライター説は真実のような気がしてきました。


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(以下、 151貢〜152貢より抜粋)

弁護人・西川
二十一世紀への対話というのでトインビー博士と池田さんの対話があった
ですね。 これが代作であるというのは、どの部分が代作なんですか。

原島崇
往復書簡の形をとっておりますが、その往復書簡は、池田さんの問いについての内容、それからまたトインビー博士から質問がきます。それに対する答えの内容、それをすべてまとめた人が桐村泰次さんです。

弁護人・西川
キッシンジャーへの書簡、これについてはいかがですか。

原島崇
それは全面的に松本和夫氏がつくったということです。

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月刊ペン事件差し戻し審の判決公判は、昭和58年6月10日、東京地方裁判所で開かれ、秋山裁判長は、『被告を、罰金二十万円に処する』との判決を言い渡しました。
差し戻し前の判決では、懲役十月、執行猶予三年の刑が言い渡されたのに比べれば、格段に軽い罰金刑とあって、マスコミは交通違反や軽犯罪なみものと報道をしたむきもあったそうです。
しかし、今ここで取りあげている質問は、人間革命の代作についてですよね。
残念ながら、原島崇の証言は判決のなかでは言及されていませんでした。
ゴーストライター説の真偽問題は未決ですが、上で述べたように原島証言は信用に足るものと私は見ています。



同中で池田氏のスピーチ模様を眺める機会がありましたが何を言っているのか?よく分りませんでした。
話題があちこちに飛んでまとまりが無く、全く要領を得ないんです。
話し方というのは、思考の習慣ですからね。
あの迷走スピーチを聞いた限りでは、私は彼にまともな小説は書けないだろうと思いました。


事件の概要について記しておきます。


昭和51年『月刊ペン』3,4月号に池田大作名誉会長に関する女性スキャンダルを掲載。
「連続特集・崩壊する創価学会」を
隈部大蔵編集局長が執筆。
「お手付き情婦のT子とM子の二人を、公明党議員として国会に送り込んだ」などと記載。
創価学会から提訴された隈部氏は、裁判では無罪を主張して争ったが、1,2審で「池田氏の私生活上の問題に公共性がない」として懲役10ヶ月執行猶予1年の判決。
隈部氏はこれを不服として最高裁に上告。
最高裁は、
「私人の生活上の行状であっても、社会に及ぼす影響力程度によっては、『公共の利害に関する事実』に当たる場合がある」として差し戻し判決が出され、改めて20万円に減刑する1,2審判決を受けたものの、隈部氏の死去に伴い控訴棄却となる。

この裁判に山崎氏の提出した上申書は、裁判の行方に大きな役割を果たしたといわれる。
この上申書とは、池田大作名誉会長を証人として法廷に出させないため、右翼のS氏を仲介役に、月刊ペン社社長と山崎元顧問弁護士が和解の話し合いに入り、和解金として創価学会が2千万円(その後の調べでは3千万円と判明)を払ったというもの。

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この裁判の判決の一部ならネットでも見ることができます。
昭和58う1148 名誉毀損被告事件 昭和59年7月18日 東京高裁 第三刑事部

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月刊ペン裁判

−−学会報道の裏側


 池田大作をして、感情むき出しに

「もしものことがあれば公(※公明党のこと)を血祭りにする。
……渡部はフザケ半分ではいけない。
たたき出すぞ! 
矢野はふざけ半分では許さない。
北条を法廷に出せとは何事だ。
北条を法廷に出した罪は重いよ。
……公がどうかでなく師弟の道でいけ」

と言わしめた「月刊ペン裁判」。

 華々しい学会報道とは裏腹に、オドロオドロしいまでの謀略(ぼうりゃく)が渦巻いていた! その真実をお知らせしよう。

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最初に−−池田の素顔−−

 「飾り気のない」「江戸っ子」を自認する池田の本音≠見てみよう。

月刊『宝石』に掲載された、青島幸男氏と池田の対談である。

青島 一夫一婦制の問題ですけれども、私はやはり、男性というのは本来の生理からいっても、どうしても一夫一婦制の枠内に入りきれない場合ができてくると思うんです。そういう行為をお認めになりますか?

池田 法律的にいうと、日本は一夫一婦制に定められているからよくない。(中略)ただし−−ただしですよ〈笑い〉もし、それだけの理由と力があって、しかも誰にも迷惑をかけないという場合には、一夫一婦制の枠外の行為でも、私は男性として認めます。(月刊『宝石』昭和四十四年一月号)


 池田に言わせると、男女関係は「理由」と「力」があれば、夫婦の枠外でも自由なものらしい。
この意見の可否は別として、とりあえず、池田の信条はこういうものだ、ということである。

 そして、この信条をそのまま実践したのか、池田の周囲には男女関係の醜聞(しゅうぶん)が各所から聞こえてくる。
「月刊ペン裁判」も、その醜聞の結果の一つである。

 この「月刊ペン裁判」は、「創価学会解散勧告書」の中にも「本宗七百年の清浄な宗風に泥を塗り、また本宗の社会的信用に大きく傷を付け、正法の広布進展に著しい妨げ」となった一例として挙げられている。
これに対し学会は「この件は学会側から名誉毀損で訴えた事件です。
裁判の結果、相手が有罪になったのです。
何が宗風を傷つけたというのですか」と開き直っているが、実はこの裁判、被害者であるはずの創価学会が、加害者であるはずの「月刊ペン社」に示談金を払ってカタをつけた裁判である。

 そしてそれは、裁判所をして「不明朗」「不可解」とまで言わしめた、裁判史上類例を見ない、奇怪な不祥事だったのである。

 これを「宗風を傷つけた」と言わずして何と言おうか。無反省、非常識はいい加減にしろと言いたい。

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■ 月刊ペン裁判の概要

 この一連の事件は、『月刊ペン』誌編集長・隈部大蔵が、「池田の下半身スキャンダル」を月刊ペン誌上に公表したため、創価学会並びに池田をはじめとする女性幹部数名から告訴されたことより始まる。
 そして、隈部は告訴後、ただちに逮捕拘留されてしまっている。

 その『月刊ペン』の記事の内容は、池田にはT子、M子、あるいは芸者妾というような、六件にものぼる多彩な女性関係がある、というもの。
 ここに紹介されたT子とは国会議員の多田時子、M子とは同じく国会議員の渡部通子とされる(いずれも当時)。

 一審では隈部側は、「創価学会は日本最大の宗教団体であり、その責任者たる池田大作の行動は社会に重要な影響を及ぼすものである。
したがって池田個人の行動ではあっても、公共の利害に関することである故に、記事は専ら公益を図る目的で記載したもので、記事の真実性が立証されれば名誉毀損にはあたらない」と主張。

 裁判所は、「創価学会は日本最大の宗教団体とはいえ、池田個人の私生活上の男女関係を侮辱的・嘲笑的に取り上げた記事は、公共の利害に関するものとは言えない」と、隈部側の主張を退け、事実審理に立ち入らずに有罪判決を下した。

 結果的に隈部は謝罪文を書き、学会より「寛大な処置を」との上申書が裁判所へ出されている。

 しかし、隈部側はこの一審判決を不満として控訴(こうそ)。
 控訴審(二審)でも一審を支持して隈部の控訴を棄却(ききゃく)し、これで一切が終わったかに見えたが、隈部はこれも不服として、最高裁へ上告したのである。

 ここにおいて最高裁は、事件が「公共の利害に関する事項」であることを認め、東京地裁に裁判を差し戻し、やり直しを命じた。

 差し戻し審では、池田の女性スキャンダルが黒に近い灰色であること、また旧一審の最中、学会より被告側の月刊ペン社に対し、二千万とも三千万円ともいわれる大金を池田出廷回避工作費として渡した事実が明らかにされたことで、判決は隈部を有罪とはしたものの、学会側の求刑を大幅に下回る極めて微罪となったのである。

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●「山崎上申書」

 右の経過には、非常に不審に思われる点がいくつかある。

 一つには、告訴後、直ちに隈部が逮捕されてしまっていること、
そして一つには、隈部が「謝罪文」を書いたにも拘らず、隈部側から控訴していること、
そして学会から「裏工作費の二、三千万円」が出ていること、等である。

 これらの疑問を解くカギの一つがいわゆる「山崎上申書」である。

 これは元創価学会顧問弁護士・山崎正友が上告審たる最高裁へ提出した上申書で、概(おおむ)ね次のようなことが記載されている。

@ 学会が公明党を使い、法務省、警視庁に圧力をかけた結果、警視庁捜査四課(暴力担当の課。通常、名誉毀損など知能犯は二課で処理される)の担当となり、告訴後、隈部は直ちに逮捕拘留(こうりゅう)された。

A「月刊ペン社」社長・原田倉治氏並びに隈部の弁護人である重富弁護士に示談金を払い、池田の証人出廷を阻止した。…等々。

 学会側はこの「山崎上申書」に対し、歯牙(しが)にもかけない態度をとっているが、この「上申書」を通して旧一審の経過を見ると、妙に納得できるのである。

 そして、「裏工作費」に関しては、「山崎上申書」と同趣旨のことを、北条前会長が別の裁判(山崎正友三億円恐喝事件)でも証言しており、また、秋谷もこの「ペン裁判」で証言しているのである。

 さらに、後に隈部自らが明らかにしているように、この裏工作によって隈部は、雇主である「ペン社」原田社長と自分の弁護人である重富弁護士の強引な説得によって、一度は「謝罪文」を書かされたのである。

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●『創価学会の真実』の真実

 この裁判について、野崎勲副会長(当時総務)が書いた『創価学会の真実』という本がある。
副題が「崩壊(ほうかい)した山崎、隈部の陰謀」となっている。
 つまり学会からみた「ペン裁判」とでもいうべきもので、現今でもみられる学会流のスリカエの羅列(られつ)である。 
 ここにある内容と裁判の記録を照らし合せると、それこそ謀略教団「創価学会の真実」の一分が明らかになる。

 裁判の争点の一つに『裸の三畳間』というものがある。
松島通子(旧姓・現在は渡部姓)宅の三畳間で、裸の池田大作が松島通子の前に立っていたというもので、証人として「小沢よね」「飯野なみ」の二人が出ている。
両人とも元創価学会員で、当時松島宅を拠点として活動していた婦人である。

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『弁護士 池田に会ったというのは、どの部屋ですか。

小沢 三畳間です。

弁護士 目撃したという場面を詳しく話して下さい。

小沢 折伏か何かの帰りに、飯野さんと二人で松島家に寄りました。
 その日は会合がなかったのですが、飯野さんが松島家の台所の手伝いをしていたし、私も誰かが飛び込んで来ているかもしれないと思って、行ってみました。 
 玄関を入ったところのすぐ左手に三畳間があって、そこに荷物を置きました。
 私は着物でしたので、上に羽織るものとバッグを、飯野さんは袋を置きました。
 それから六畳間に行きました。
 誰もいないし、家に帰ってご飯の支度(したく)をしなきゃならないので、じゃあ帰ろうかといつものように三畳間のふすまをガラッと開けたところ、池田大作さんが真っ裸ですぐ前にぬっと立っていました。
 通子さんは立て膝のようなかっこうで、バスタオルの様なものを持っていました。
 私はもうびっくりして、こうやって廊下へ腰をついちゃって、倒れちゃったんです。
 飯野さんは元看護婦をしているから落ち着いた方だから、私の荷物をパッと手で押して廊下のほうへ、それでドアを飯野さんが閉めました。
 それでこれは大変なことになったと思って、二人で、大変 だ、大変だ、といって帰りました。

弁護士 一糸まとわずですか。

小沢 はい、その通りです。』

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 これに対し、学会側・野崎はこう反論する。


▲「当時、松島家に彼女たちのいう三畳間すらなかったことが、当時の松島家の住人や家族、また昭和三十年度の『大宮市市政要覧』の中に写されていた航空写真等から裏付けられて、全く信憑性(しんぴょうせい)のないものであることが判明している。」(野崎勲・「創価学会の真実」七十四頁)

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 だが、この野崎の威勢のいい反論も、次の判決文を見ると興冷めしてしまう。

●●「また、一見客観的な証拠であるかのように思われる当時の市勢要覧『おヽみや』中の航空写真は、問題の部分が余りにも小さすぎて細かい点を見分けることは困難である上、最も大切な撮影時期のデ−タがあいまいなため、ほとんど証拠的価値はない。」


 このように「航空写真等から裏付けられて、全く信憑性のないものであることが判明し」たとする野崎の主張は、あいまいすぎて「ほとんど証拠的価値はない」とまで言われている。
 それにこの航空写真も拡大してはあるが、ピンボケで、その解析(かいせき)図も創価学会の建設局職員の作成である。

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 さらに、野崎のいう ▼ 「松島家の住人や家族」の証言  も、裁判では、逆に疑問視されているのである。

その「住人」・高根美枝の証言を再現すると、

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『高根証人 ずっと以前のことですので、松島規さんと松島家の間取りについて確認しました。

裁判長 どういうふうに確認しましたか。

高根 ここに玄関があって、ここに「三畳間」があって ……。

裁判長 ちょっと待って下さい。その三畳間がまさに問題になっているんですよ。』

と、「三畳間」を否定するために証言台に立ちながら、ポロッと「三畳間」の存在を認め、裁判長にその不自然さを指摘されているのだ。


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 これが単なる言い間違いかどうか、確かめる術(すべ)はないが、裁判所は見逃(のが)さなかった。
 判決文は述べている。

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●●「同居していたという高根は、三畳間の存在を否定する一方で、逆に三畳間の存在を認めるようなことも口走っており、同女が正にこの点を主たる立証趣旨とする証人であったことを前提にすると、これを単なる言い間違いに過ぎないものとして軽視してよいか、問題なしとしないようにも感ぜられるのである。」

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 さらに、この「松島家の同居人・高根」自体も、本当に同居していたかどうかさえ疑問である。
 つまり学会側の「偽証」のための証人、との疑いがあるのだ。

 次のやりとりを見ていただきたい。

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『弁護人 あなたが当時寝ていた部屋は?

高根 六畳の間です。

弁護人 その部屋では誰と一緒に寝ていましたか?

高根 わかりません。覚えていません。

弁護人 風呂は誰が焚(た)いていましたか。

高根 私がいたときは私の仕事でした。

弁護人 当時、風呂は(燃料は)何で焚いていましたか?

高根 わかりません。』


 こんな「わかりません」の連続でしびれをきらした裁判長が質問した。

『裁判長 自分で焚いていたんでしょ? わからないというのはおかしいじゃないですか?

高根 ……わかりません。

裁判長 誰と一緒に寝ていたかも、すんなり出てこないのはおかしいでしょう。

高根 ……

裁判長 当時あなたはおいくつでした?

高根 二十八歳でした。』

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 当時二十八にもなる者が、これほど記憶が不鮮明であろうか。
自分で焚いた風呂の燃料が答えられないとは…。

 これでは、この証人自体が「同居」を偽証しているとしか言いようがない。
 
 さらに、この高根証人は大正十年生まれで、当時は三十三歳のはずなのである。

 かくて、「三畳間」を否定するために出廷した高根証人は、「三畳間」については明確に答えるが、他のことには一切「わかりません」としか答えられない無様(ぶざま)さ。
 
 このような「証人」の証言をまともに信ずることができようか?

 野崎が「(なかったことが)判明している」と言い切る三畳間の存在についてまで、裁判所では疑問視された。
 そして、第三者が見ても信用できない証言の数々に、野崎の論法がいかに欺瞞に満ちたものであるかが手に取るようにわかる。


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★ 検証!
誰もが知りたい『月刊ペン裁判』(下)

 前回、争点の一つとなった「裸の三畳間」について述べた。
これで学会側の証言あるいは反論が、いかに信用できないか、誰の目にも一目瞭然であろう(反論のある方は、まず野崎の反論を援護してみよ)。
 じつは、学会側の反論は、裁判所でも「信憑(しんぴょう)性が薄い」とされたのである。

 一つ具体例を挙げる。

『月刊ペン』がスッパ抜いた「芸者めかけ」の件である。


「身請けしよう、外国へ連れて行こう、ダイヤを買ってあげよう」……

 『ペン』誌上では、
 「彼(※池田)にはれっきとした芸者のめかけT子が赤坂にいる。これは外国の公的調査機関も確認しているところである。さらにT子のほかに、もう一人の芸者のめかけC子が、これも赤坂にいるようである」
と紹介されている(T子とは石川孝子氏だとされている)。

 そして、三菱銀行主催の宴席で、池田が石川氏に「身請けしよう」「外国へ連れていってあげよう」「ダイヤを買ってあげよう」等と語ったとされている。

 これに対し、池田は証言に立って、

▼「私は(酒席に芸者を置くことが)嫌いです。宗教者ですから」

等と明確に否定した。

 しかし、裁判所では、

■「池田は、当公判廷において、石川ら芸者に対して身請け云々の話をしたことなどは全くないと証言するが、石川は、創価学会は嫌いであるとしながらも、学会側、反学会側のいずれにもくみしない立場にあると考えられるところ、同人が池田との妾関係を否定する点についてだけ虚言を述べているとは考え難く、酒席であってみれば、その程度の話が座興に出ても格別おかしくないと見られるのであって、全体として石川の供述は十分措信するに足るものと考えられる。
 右石川の供述に比べれば、池田の供述は石川との関係を否定しようとするあまり、酒席の模様を一律に否定しすぎているとの印象を拭うことができず、少なくとも池田の右証言をそのままに受け取ることは難しいと感じられる」

 と、池田の証言を全面的には用いていない。むしろ、石川孝子氏の言を信用し、池田が石川氏に「身請けしよう、外国へ連れて行こう、ダイヤを買ってやろう」と語ったことについては信を措(お)いているのである。

 池田の証言が、裁判所で、いとも簡単に破棄(はき)されているのがよくわかる。

 最近、何を血迷ったか、学会が御当代日顕上人猊下に対し奉り、芸者との関係を捏造しているが、その捏造の原型はここにあったというべきである。

 自分が受けた非難の数々を御法主上人猊下に転嫁したわけであるが、その一つ一つは、このような形で蓄積されたノウハウであることを、学会員は早く知らなければならない。

 この裁判で論議されたのはこれだけにとどまらず、数々のスキャンダルが摘出された。

たとえば、

@ 渡部通子同様、池田のお手付き情婦≠ニ書かれた湊時子(旧姓・現在は多田姓※既に死亡)のこと

A 池田大作が渡米の際に買った、あてがわれたという金髪コールガールのこと

B 女狂いの池田大作が、ソ連訪問旅行のさいに、K・G・B(ソ連秘密情報機関)の手によって仕組まれた女性関係、等々。

 裁判での証言はなかったが、池田に自ら奉仕≠オたという寺田某の生々しい手記も残されている。

 これらの一つ一つは、裁判上、双方にとって決め手を欠く≠ニいうことで、用いられなかったが、池田にそれらしい行動が見え隠れしたことは裁判所も否定はしていない。このことについては最後に述べる。

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● これでも「正々堂々」と言えるか?  ・・裏工作

 裁判所から数々の疑問を提示される形となったこの裁判であるが、この裏には、もっと重要な、社会正義を真っ向から崩すような行動が、学会によって行なわれていたのである。

 それが前回の冒頭に記した「三千万円」あるいは「二千万円」といわれる裏工作°烽ナある。

 これは「山崎上申書」にも述べられているが、その内容は、池田の証人出廷を防ぐために(山崎が)大金を使って裏工作した、というものである。

 野崎(※先日死亡。61歳)はこの事実を強く否定し、「(金は)山崎が北条会長を言いくるめて右翼対策費として出させたもの(趣意)」と論陣を張っているが、野崎にとっては残念なことに、「山崎上申書」の以前に、それと同じような趣旨のことを、北条が「山崎三億円裁判」の中で、また秋谷が「ペン裁判」の中で証言しているのである。


 北条の証言を見ると、

 「私は極力池田会長の証人出廷を回避し、さらし者にならないようにしたかったので、『じゃ話をしてみてくれ』と頼み、山崎弁護士の出番を作ってしまったのです。
 山崎弁護士が、笹川陽平や原田、隈部らと話をつけたらしく、(中略)三〇〇〇万円を出してくれるように言うので、会から正式に出せる金ではありませんから、ある学会員に事情を話し、個人的に現金三〇〇〇万円を出してもらい、五十二年二月末から三月初ころ一〇〇〇万円、四月初ころ二〇〇〇万円をそれぞれ本部で山崎弁護士に渡しました。
 結局、隈部の(注・代理人の)方からは一応形式的には池田会長の証人申請をするが、採用されなくとも結構だという消極的な態度に出たようで、池田会長も証人に出なくて済むようになったのです」



 野崎の主張には、すでに明らかになっていることまで言い繕(つくろ)い、真実を隠そうとする学会の体質が、滲(にじ)み出ているではないか。
学会員を愚弄(ぐろう)するのもほどほどにしろ!と言いたい。
 この大金の授受は裁判の一つの争点ともなっており、重要証人である池田も、渡部通子も、裁判官の質問にしどろもどろとなった。


● 裁判長も呆れる「知らぬ存ぜぬ」池田証言


秋山裁判長 三千万円は結局、どこへ渡したのですか。
池田    山崎に渡しました。
裁判長   そこからどこに流れたのですか。
池田    わからないのです。
裁判長   そんなことはおかしい。どこに流れるか、調べもしないのですか。流れがわからなければ、カネを渡した趣旨が一貫しないでしょう。
池田    右翼に、つまり笹川さんに渡ったと思っていました。
裁判長   その先をどうして確かめないのですか。
池田    わからないです。山崎を信頼しているというか、依存するしか仕方のない状況でした。


 この「知らぬ存ぜぬ」は学会の最初からの戦術だったらしく、渡部通子も同じように「知らぬ存ぜぬ」で、裁判官より「はなはだ解せない」とまで言われている。


● 裁判長 「納得できない!」

裁判長 しかし、被害については強い証言がある割に、納め方は、はなはだ解せない納め方ですね。
渡部  そうですね。 私もそう思います。
裁判長 ところが、 そのまま放っておられる点が、私は納得できない。
渡部  放ってあるわけではないんです。今も申し上げましたように、キツネにつままれたような話ですね。
裁判長 ところが、それならば内部の然るべき機関で、あれはどうなっているのか、どういう趣旨なのかということをはっきりさせる手続きがあって、初めて納得してない、ということが言えるんじゃないですか。


 この裁判長の言こそ常識的な判断と言うべきである。
常識が通用しない学会ならではの珍問答というところだろうか。

 さて、引用文が長くなってしまったが、話を元に戻して、この裁判については野崎の主張が全く通用していなかったことを、判決文から拾ってみよう。


■ 「更に考慮を要すると思われるのは、本件が旧第一審継続中の時期に、被害者である学会側と加害者である被告人側との間で話し合いがもたれた結果、被告人が詫び状を差し入れ、学会側が告訴取下げ手続を取ることとなったほかに、被告人側からの池田に対する証人申請をしないよう求め、そのこととの関連で被害者側(創価学会側)から加害者側(被告人側)へ二〇〇〇万円、三〇〇〇万円とも言われる高額の金員が支払われるという、本件の具体的な訴訟手続と絡ませた取引がなされた事実が認められる点である。(右金員支払の趣旨を右のようなものではなく、一般的な右翼対策費であるかのごとく言う者もあるが、右交渉の学会側責任者で金員捻出の衝にも当たった北条浩が、検察官調書謄本中で、前記認定通り供述していること、更に右金員交付の時期と旧第一審訴訟手続進行段階との関連や、右金員が月刊ペン社側に支払われ、引き替えに同社側弁護士の領収書が差し入れられたという山崎正友証言に対し、見るべき反証が提出されていないこと、その他関係証拠の現状に照らすと、前記のとおり、認定するほかない)。」


 この判決文を見るだけでも、「右翼対策費」云々などという野崎のウソはすでに粉々に砕かれている。
 裏工作をしなければならなかった本当の理由、それは、当時の学会首脳が、池田の下半身の行状に責任が持てなかった、信用できなかった、ということである。

 さらに「もしものことがあれば公(※公明党のこと)を血祭りにする。……渡部はフザケ半分ではいけない。矢野はふざけ半分では許さない。北条を法廷に出せとは何事だ」と、公僕たる国会議員にまでハッパをかけた池田には、身に覚えというか、やましさがあったと考えるべきであろう。

もしなかったというならば、裏工作など必要ないし、仮に「池田会長に出廷の労をとらせたくなかった」からとしても、裁判の裏工作はあまりにも卑劣であり、金額も大きすぎる。それこそ宗教者として糾弾されるべきではないか。


 最後に、裁判所がこの事件にどういう結論を下したか、判決文に見てみよう。

■ 「本件証拠中でたびたび指摘されている点であるが、会長職にあった池田の秘書的事務を担当する部局には常に妙齢の女性がいて、出張先にも同行の上、身近に仕え、夜遅くまで身辺の世話をする等の実状にあることは、いかに宗教団体内部のこととは言いながら、世間一般の常識からすれば配慮不足で通常の勤務状態でないように見えるし、(中略)やはりそうであったかと思わせる素地につながっていることを否定し難いのである。(中略)こうして見ると、本件は何の根拠もなく事実を全面的に捏造・摘示したのとは事情を異にしており、そこには量刑上酌量の余地があると考えられる」


 裁判所は、誰がみても怪しい池田の行動を潔白≠ニは断定し難く、やむを得ず隈部側を有罪とし、およそ考えられない、罰金二十万円という微罪の判決となったのである。

 すなわち池田自身の怪しげな行動ゆえに、身の潔白も立証できず、結局は完全な白≠ナはなく、限りなく黒≠ノ近い灰色≠ニ認定された・・これが本裁判の結論である。

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● 言論弾圧の反動

 なお裁判所は、なぜ隈部が学会批判をなさねばならなかったのか? そこにも触れる。

■ 「主として当審における審理によって初めて明らかになった事情のほか、従前から指摘されていた諸事情、すなわち、被告人は過去において創価学会批判書の出版を同会から組織ぐるみで妨害されたことがあり、これに対する不快感のあったことが本件犯行の一動機となっていないとは言えない。」

 すなわち、学会が言論弾圧を行なったことを公(おおやけ)に明らかにし、この言論弾圧が『月刊ペン』掲載の執筆の動機になった一因であると認定しているのである。

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● 世界はこんな
   破廉恥男を
 「永遠にノー!」

この裁判のさなか、海外でも池田の話題が世界を駆け駆け巡った。

「日伯毎日(ブラジルの日系紙)」は池田大作について、次のように語っている。

▲ 「腰から下のスキャンダルで裁判になっている、日本の新興宗教団体の名誉会長」

▲ 「頭が宗教屋で、胴体が政治家、そして腰から下が漁色家という、ヌエのような人物」
 (一九八二年六月九日付)

と。まさに池田の素顔を語って余りない表現である。
このような人物が世界を渡り歩くことにより、日本の恥を世界にまき散らすのみならず、日蓮正宗の宗風を傷つけ、威信さえも地に落としてくれた。
 このような男は、世界から「永遠にノー」と言われても仕方があるまい。

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● 最後に

 この裁判経過中での問題点はあまりにも多く、そしてあまりにも大きすぎ、とうてい本紙の紙面では書ききれないものである。

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「月刊ペン」事件
   埋もれていた真実

 池田大作と著者が、笹川良一・笹川陽平親子と組んで裁判官、検事、弁護士を篭絡し、八百長裁判で言論封殺さいた「月刊ペン」事件の真相

 著者 山崎正友

 定価1500円+税

 お申し込みは第三書館まで

 (株)第三書館
 tel 03-3208-6668
 東京都新宿区大久保
     2丁目1−88−1007


 昭和五十年暮から同五十一年四月にかけて月刊誌「月刊ペン」誌上で、 編集長の隈部大蔵は、 創価学会批判を連載したが、そのなかで池田大 作会長(当時)の女性間係を暴露した。

創価学会と池田大作、及びその 相手とされた多田時子、渡部通子らは、名誉毀損罪で隈部大 蔵を告訴 した。 

  隈部大蔵は逮捕され、一審、二審で懲役十月、執行猶予三年の有 罪 判決を受けたが、最高裁 判所は、この、一、二審判決を不当として破棄し、 裁判のやり直しを命じた。 

  やり直し裁判では、池田大作も二度にわたり証人出廷するなどして世間の注目を集めたが、 裁判所は罰金三十万円 という、微罪処分を下した。
この事件の上訴中、隈部大蔵は病死し、裁判 は中止となった。

  私は、最初の裁判のときは、創価学会顧問弁護士として、 また池田大作の側近の人として、 隈部大蔵を逮捕させ、有罪に追い込む作 業の中心にいたが、同時に、池田大作の女性スキャン ダルが白日のもとに さらされるのを防ぐため、池田大作を証人として出廷させないまま、隈部大蔵 を有罪に追い込む裏工作を担当した。

  裁判官や検事に根回しし、警視庁に 圧力を掛け、笹川良一氏、腸平氏父子に頼んで、「月刊ペ ン」社社長と弁護人の懐柔工作を行い、二千万円を相手側に支払って、池田大作を証人出廷 させないまま、隈部大蔵に有罪判決が下るよう司法を曲げる作業の中心者と して働いたのだ。
 
もちろん、池田大作の厳命によるものである。

  その私が、 ひょんなことから、造反者となり、創価学会から恐喝罪で訴えられることになってしまった。 
  私が提出した最高裁への上申書が一つのきっかけとなったと思われるやり直し裁判≠ナは、 私は一転して隈部大蔵側の証人として裏工作を 暴き、池田大作の女性狂いを証言する立場にな った。 

  そのやり直し裁判の 一 審では、ほとんど無罪に近い罰金三十万円≠ニいう判決がくだされたが、 隈部大蔵は、さらにこれを不服とし、無罪判決を求めて上訴したが、裁判中に、 ガンで亡くなった。 

  その後、元公明党都議会議員藤原行正氏が造反にふみきり、渡部通子の姉である妻の体験な どから、池田大作の不倫は事実だ、と公表したり、信平信子氏のように、 「私は池田大作にレイプされた」 と訴える人もあらわれている。

  今はなき内藤国夫は、昭和五五年六月発行の月刊「現代」で、池田大作の女性関係を暴いた し、私もニ度ほど、そのことをマスコミに公表したことがある。

  今日まで隈部大蔵が生きていたら、必ず無罪判決を勝ちとっていたと確信している。 

  また、最近、警察の不祥事が続発しているが、創価学会、公明党と警察の癒着という状況の なかで、警察が不当な権限行使を行ったり、また、故意に犯罪行為に目をつぶってきた例は枚 挙にいとまがないくらいある。


  さらに、今日、創価学会と日蓮正宗の間の裁判で、奇妙な判決が出ている

「月刊ペン」事件のとき、創価学会は、

  ▼「教団の中心者に対する名誉毀損は、教団に対する名誉毀損になる」

と告訴状で訴え、また代表役員北条浩の上申書でも述べている。 
  裁判所は、その主張を認め、創価学会に対する名誉毀損として、隈部大蔵の有罪を決定した。 

  ところが最近、創価学会が、偽造写真を使って日蓮正宗御法主上人を中傷した事件で、裁判所は 名誉毀損の事実を認定しながら、 

 ▼ 「創価学会による法主に対する名誉毀損は、日蓮正宗という団体の名誉を毀損したことにはな らない」

という、全く逆の判決を下したのである。 

  まったく創価学会のいいなりに、創価学会に好都合な正反対の判決を下すという裁判所のあり方 に、疑問をもつ人たちも少なくない。 

  そうした、創価学会のエゴに毒され、協力する国家機関のあり方は、民主主義の崩壊をもた らし、国家機関そのものの自殺行為と言えるものである。 
  そうした風潮への警告の意味もふくめて、本書の執筆を決意した。
決して、ただの面白半分、興味本位のためではない。

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矢野

【「内弁慶」の発露「言論出版妨害事件」】

 池田氏の性格を特徴づけるのが、学会内部での雄弁ぶりと好対照な「内弁慶」ぶりだ。
それが如実に表れたのが、「言論出版妨害事件」と「月刊ペン事件」だった。

 「言論出版妨害事件」の発端は1969年の8月。
政治評論家の藤原弘達氏が、 『創価学会を斬る』 という本を上梓しようとしていると判明したのがキッカケだった。
竹入氏と私は、田中角栄氏(当時、自民党幹事長)を介して、

 「初版だけは出していいがすべて学会が買い取る。その後いい仕事を回すから、増刷はするな」

と藤原氏に交渉を仕掛けた。

 このときは本当に苦労した。
藤原氏は頑として譲らず、交渉は決裂。
逆に角栄氏から懐柔されたことを暴露され、一気に政治問題化した。
本来は創価学会の問題にもかかわらず、私たち党の人間まで動いていたことから、国会で取り上げられる騒ぎになったのである。

ちなみに同書は発行されるや話題となり、最終的には100万部以上売れたという。
学会では同書を買い占めて焼却しようという計画もあっただけに、かなり売上に貢献したはずだ。

 国会ではこれまで創価学会が行ったとされる言論妨害の様々な“前歴”について、具体的な質問が次々に飛ぶ。
私ですら初耳のこともあったほどで、追及する側からすれば質問の攻撃材料には事欠かない様子だった。

 「そもそも創価学会のために、公明党が動くとはどういうことか」

と政教一致問題にまで議論は発展してしまう。

 こうなると最後は証人喚問である。

「池田を国会に呼べ」 の声が囂然と沸き上がった。

 こちらとしては何より痛い攻撃である。
弟子として、師を国会の場に引きずり出させるわけにはいかない。
証人喚問絶対阻止のため、公明党は連日の右往左往を強いられた。

 だが、私は本音としては、池田氏に国会に出てもらいたかった。
 騒いでいるのはしょせん、各選挙区選出の国会議員なのだ。
こちらは数百万世帯を抱える団体のトップ。
器が違うという思いもあった。
だから国会の場であろうと、幹部会の時のように颯爽と登場して、

 「一部行き過ぎた行為があったようだ。言論妨害をしようという意図などなかったが、誤解を与えたとすれば私の指導不足である。申し訳ない。ただ、信教の自由は大切である。この件については、私は譲るつもりは一切ない」

というように堂々と語ってくれればいい。

 そうなれば、議員のほうが圧倒され、

 「池田氏まで出てくれたのだ。この件はもう、結構です」

となって問題はあっという間に、終止符が打たれてしまうはずなのだ。
いつも我々を魅了するような、あの堂々たる名演説をやってくれさえすれば。
当時の私は本気でそう信じていた。

 ところが池田氏、内に向かっては類い稀なる演説の天才であっても、外に対しては一転、尻ごみしてしまうのだった。
このころは学会本部にも姿を見せず、たまに顔を合わせても、池田氏からは、

 「どうなんだ、(喚問は)大丈夫か」

ばかり。

 「まったく、俺だけが辛い目に遭うんだよ」

 「お前たちはしょせん、他人事だ」

とトゲのある言葉を浴びせられたこともあった。
外の世界に怯える内弁慶、臆病者以外の何ものでもない。
これでは金輪際、証人に出ることはあり得ないな、と諦めるしかなかった。

 当時、誰かを国会に証人喚問するには、各委員会の委員全員による全会一致が暗黙のルールだった。
多数の横暴を許さない、少数政党を保護するという意味の不文律である。
だから、少数政党であれ一党でも反対したら、喚問はできない了解事項になっていた。

 ただこれは、あくまで「暗黙のルール」である。
国会は明確な規定がない限り、前例に基づいて動くが、このままでは弱い。
そこで私は工作に動き回り、これを「慣例」に昇格させた。
かくして公明党が反対する限り、池田証人喚問はあり得ないこととなった。
この事件で唯一、我々の挙げた成果である。

 とりあえず証人喚問は阻止することができたが、池田氏が何も発言しないまま幕引きというわけにはいかない。
結局、1970年5月3日に行われた創価学会第33回本部幹部会で池田氏が声明を出すことになった。
この幹部会は池田会長就任10周年記念式典の意義があっただけに忸怩たる思いだっただろう。

 「言論問題はその意図はなかったが、結果としてそれが言論妨害と受け取られ、世間に迷惑をかけたことはまことに申し訳ない」

 また政教一致問題についても言及せざるを得ず、以降学会と公明党は表向きには、政教分離の建て前を装うことを余儀なくされた。

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【出廷拒否の「月刊ペン事件」】

 「月刊ペン事件」の発生は1976年。

雑誌『月刊ペン』に池田氏の女性スキャンダルが書き立てられたのが発端だった。

同誌は 「崩壊する創価学会」 と銘打ち、学会スキャンダルを連載で追及したのである。

 『月刊ペン』の編集長は隈部大蔵という人物。
西日本新聞で論説委員をしていたのだが、1968年 『日蓮正宗・創価学会・公明党の破滅』 『創価学会・公明党の解明』 という本を出そうとして学会の猛攻に遭い、出版を断念させられた過去を持つ。
つまり彼にとって、学会は恨み骨髄の敵だった。
一説によると彼が『月刊ペン』の編集長を引き受けたのも、思う存分学会批判ができる場を求めてのことだった、という。

 このようなことを放置しておいては、第2第3の隈部氏が出てきてしまう。
さっそく『月刊ペン』と隈部氏を名誉毀損で訴えようという話になった。
学会副会長の北条浩氏が、いい弁護士を紹介してくれと私のところへやって来た。

 当初、私はこの依頼を断った。
学会にはすでに顧問弁護団がある。
率いるのは山崎正友氏といって、共産党の宮本顕治氏宅盗聴事件を始め、様々な裏工作を陰で仕切ってきた男である。
山崎氏という存在がありながら、外部から弁護士を引っ張って来たとなれば、当然恨みを買ってしまう。

 しかも裁判の条件が、常識はずれのものだった。
何と池田氏の証人出廷は断固として阻止する、というのである。

 名誉毀損で訴えるのだから、原告側(つまり池田氏)の証言なしに裁判は成り立たない。
ましてや男女関係のスキャンダルではないか。
2人の間で何があったかは、当事者にしか分からない。
だから池田氏とその相手と名指しされた女性(一応イニシャルになってはいるが、知っている者が見れば一目瞭然)が出廷し、
 「そんなことは一切ない」と明言すれば相手に反証の余地はほとんどない。
女性も学会関係者だ。
実際の関係がどうあれ、証言をお願いするのは容易だった。
直ちに勝訴である。

 ところが当の池田氏が出廷を嫌がる。
またも「内弁慶」ぶりが露呈したというわけだった。
名誉毀損で訴えます、ただし証人には出たくない、ではお話にもならない。

 北条氏の再三の依頼にやむをえず私は、2人の弁護士を紹介した。
彼らも 「池田氏の出廷なし」 の条件には渋い顔を隠せなかった。

結局、「男女関係があったか」の本論に入ることはせず、「そもそもこのような記事に公共性はあるのか」という入り口論で戦おうという法廷戦術になった。

 弁護士を紹介したあと、私は実質的にはこの問題にタッチしていない。
うまくいっていると弁護士からは聞いていたし、実際、1審、2審とも学会側の勝訴に終わった。
最高裁は書類審理だけで、証人出廷はない。
これで池田氏を出廷させないという方針は貫かれたまま、学会勝利がほぼ確実だと思っていた。

 ところがここで急転直下の事態が起こる。山崎氏が造反し、事件の背景を詳しくしたためた上申書を最高裁に提出したのだ。

 実はこの件でも山崎氏は、裏で暗躍していた。
『月刊ペン』側が池田氏の証人出廷を要求しないよう、人を介して被告側と交渉していたのだ。
池田氏の意向を受け、何重もの保険をかけておこうとしたのだろう。
彼の上申書によれば、現金2,000万円を被告側に渡すことで、隈部氏の弁護士も同意していたという。
確かにこれがなければいくら何でもこんな裁判、ここまでうまくいくはずがない、というのも本当のところだったらしい。

ちなみに山崎氏の造反の理由は金銭問題で、こちらは学会が山崎氏を恐喝で告訴するなど泥沼の展開となった。

 いずれにしても、驚いたのは私や私が紹介した弁護士たちである。
勝訴している側が相手に現金を渡していたというのだから、最高裁が不審に思うのも当たり前である。

 かくして審理は1審差し戻しとなり、池田氏は出廷を余儀なくされるハメとなった(裁判そのものは途中で被告の隈部氏が死亡したため終了)。

私が北条氏に 「なぜ、被害者が加害者に金まで払って裏交渉する必要があるんですか」 と問い詰めたところ、
 
「すまない。どうしてもコレの意向でな」

と親指を立てたことを覚えている。

 臆病なあまり墓穴を掘ってしまったわけである。


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【学会には屈しなかった隈部氏】

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〈大場〉(『月刊ペン』の記事は)なにしろ、はじめから終わりまで、ウソ八百のデタラメ記事。隈部本人が学会と関係者に「詫び状」まで書いて謝った。それほど事実無根のデマだった。(1月10日付)

〈原田〉(『月刊ペン』の隈部大蔵は)宗教では全く敵(かな)わない。それを妬(ねた)んで、ウソ八百で学会を攻撃したんだ。嫉妬(しっと)で真っ黒焦げの悪党どもが考えるのは、常に卑劣なデマだ(大笑い)。
〈松尾〉結局、隈部は逮捕され、当時として最高額の罰金刑を受けて、死んでいったよ。(1月13日付)
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 隈部氏の「詫び状」なるものは、『月刊ペン』裁判1審の、『月刊ペン』社側弁護士の強い勧めにより(じつはこの頃、創価学会から『月刊ペン』社側に、水面下で2千万円もの大金が支払われていた!)、隈部氏が不本意ながら署名・捺印したものであり、隈部氏には「詫び状」を書くつもりなどさらさらなかった。
 また、「当時として最高額の罰金刑」というも、当初、東京地裁が下した「懲役(ちょうえき)10ヵ月・執行猶予1年」の有罪判決を不服とした隈部氏が法廷闘争を続けた結果、氏の主張を容(い)れた最高裁が東京地裁に審理を差し戻し、その結果、懲役刑から罰金刑(20万円)へと大幅に減刑された、というのが真相。
 それでも隈部氏は納得せず、あくまで"池田大作の女性スキャンダル報道(池田とM子・T子との「関係」)には真実性がある"と主張して東京高裁に控訴したのだが、残念なことに隈部氏は、病のため志半ばで逝去(せいきょ)してしまったのである(この裁判の経緯については本紙平成9年4月1・16日号を参照されたい)。


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1982(昭和57)年(3)

05/21
月刊ペン裁判第17回公判。検察側証人として高根美枝(創価学会員)、米山美枝(同)、松島淑(聖教新聞論説委員長、渡部通子の実弟)が出廷。

    ◇

『高根氏は、松島勇氏(渡部通子氏の実父)の姪で、松島家を手伝うため昭和29年9月ころから11月ころまで松島家に同居していた。一方、米山氏も昭和29年11月ころから32年8月ころまで家事手伝いとして松島家に住み込んでいた。両氏とも創価学会員。両氏は『昭和29年当時、松島家には三畳間はなかった』と証言。特に米山氏は『三畳間ができたのは昭和30年の春に松島家が改築された時である』と証言した。この公判で、高根証人の当時の状況に対する記憶のあいまいさが目だった。』
(『「月刊ペン」事件の内幕』P221?222)

    ◇

『松島家に、29年11月から32年8月まで家事手伝いとして住み込んでいた、米山美枝さんという人を、検察側が証人として出廷させた。そして、こう証言させる。
「29年には三畳間はなかった。その後30年春ごろ、松島家が改築されてから三畳間ができた。」
また、同じく昭和29年9月から11月にかけて、やはり松島家に同居していたという、高根美枝証人の証言はこうである。

裁判長 証人は証言する前、誰かと打ち合わせをしましたか。
高根 検察官と話し合いをしました。
裁判長 それだけですか。
高根 ずっと以前のことですが、松島規さん(渡部通子女史の実弟)と、松島家の間取りについて確認しました。
裁判長 どういうふうに確認しましたか。
高根 ここに玄関があって、ここに三畳間があって……

と、検察側証人が三畳間の存在をポロッとしゃべってしまっている。』
(自由の砦96年3/23号)

     ◇

『月刊ペン事件で、池田と通子の関係が争点となった時、学会は私を裁判に出廷させないため必死でした。私が出廷すれば、どんな証言が飛び出すかわからない。……裁判では、松島家の三畳間で風呂上がりの裸の池田を通子がタオルで拭いていた、という証言まで出ましたが、学会側は、その三畳間自体がなかった、というようなことまで主張したそうです。そういう嘘に嘘を重ねる体質というのは、今も昔も全く変わっていないように思います。』
(藤原郁子 週刊新潮96年3月14日号)

     ◇

『あの三畳間は、私にとって思い出深い部屋でした。当時、大宮の拠点だった松島家は、夜の11時頃が来ても学会員が出入りし、私ども姉妹のプライベートな場所すらないような状態でした。
 中野で女子部隊長を務めていた私は、深夜帰宅しても化粧や着替えさえできないような感じだったんです。そこで父にかけあって、玄関の横に建て増しして姉妹専用の場所を作ってもらったのです。その部屋を学会は裁判で存在しないことにしようとしました。私の実弟である松島淑を出廷させ、三畳間の存在を否定させたのです。これには私も驚いてしまいました。』
『学会にとっては、こんな偽証など当たり前のことなんです。今回、信平さんのレイプ現場になった場所を秋谷自らが否定していることは、なんとも因果というしかありませんね。』
(藤原郁子 週刊新潮96年3月21日号)


06/04
月刊ペン裁判第18回公判。前回に引き続き松島淑が出廷。

   ◇

『松島氏は、昭和29年は中学二年生であったが、三畳間はなかった、三畳間ができたのは翌30年春の増築した時であるなどと、当時の状況をまじえながら証言。
 検察側は、昭和30年2月、大宮市発行の1955版『大宮市勢要覧』と増築後の松島宅の写真を提示。これに対し松島氏は、増築後の屋根の写真と較べてみても分かる通り、航空写真に写っている家の屋根の写真の形が増築前のものであることが明らかである、と証言した。』
(『「月刊ペン」裁判の内幕』P222)

   ◇

『ともあれ、この二人の証人に続いて、松島家の長男である松島淑証人(渡部通子女史の実弟で、当時、聖教新聞論説委員長)も出廷し、次のように証言した。
「昭和29年、私はまだ中学二年だったが、三畳間など当時なかったのを、明確に覚えている。三畳間ができたのは、翌年30年の春3月に増築したときである。」
 さらに検察側は、昭和30年2月、大宮市発行の「1955年版大宮市政要覧」を提出した。
 その要覧に掲載されている航空写真松島家を挙げ、「屋根の形からしても、三畳間はなかった」
と、したのである。』
(自由の砦1996年3/23号)

     ◇

『山崎は、昭和45年7月30日におこなわれた講義担当者会において、池田会長から同事件に関して怒られ、すぐ大石寺より下山することになり、その下山直前に神崎ほか2名の当時、現職検事に、同事件についての相談をしたと、法廷で「証言したのである。山崎はこの相談ののち、すぐ大石寺より下山し東京に戻ったと極めて明快に「証言」した。
(中略)
山崎はその夜、帰ってなどいず、同30日夜に大石寺総坊において御書講義をしている写真、あるいは同年8月2日に大講堂でおこなわれた「男子部全国幹部会」に出ている写真を創価学会側より出され、法廷において立ち往生してしまったのである。』
(北林芳典『反逆の裏にある顔』 P134?135)

06/18
月刊ペン裁判第19回公判。検察側証人として上田雅一(創価学会副会長)が出廷。

06/25
月刊ペン裁判第20回公判。上田雅一が出廷。



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