クズ犬「考える人」完全粉砕・反論不能一覧表


御書を捏造引文する輩↓の癖にまた、何やら偉そうなこと言ってる。

● 2014.9.6  1 一大秘法を留め置きたまふ。所謂法華経本門の久成(くじょう)の釈尊、云々


では、またクズ犬の妄見を切り刻んでいきましょう。

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「妙法蓮華経之五字」とは、法華経の題目の事だとすぐに分るが、念のため、その整合性を検証してみよう。

御本仏日蓮大聖人曰く
■事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊■ 

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● これは

如来滅後五五百歳始観心本尊抄    文永一〇年四月二五日  五二歳
の文。

この題号は大聖人が自ら題された。
この題号が示すように、この書は 末法の本尊 を明かす書。

法本尊開顕の書 

クズ犬は、まずそれを隠さんがために、題号を伏せたのである。
実に姑息・卑怯な輩ではないか。

以下は、同抄における 本尊 をお示しの箇所(654)


 此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶(なお)文殊薬王等にも之を付属したまはず、何(いか)に況(いわ)んや其の已外(いげ)をや。但(ただ)地涌千界を召して八品を説いて之を付属したまふ。

其の本尊の為体(ていたらく)、本師の娑婆の上に宝塔空(くう)に居(こ)し、塔中(たっちゅう)の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士(きょうじ)上行等の四菩薩、文殊・弥勒等は四菩薩の眷属(けんぞく)として末座に居し、迹化(しゃっけ)・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処(しょ)して雲閣月卿(うんかくげっけい)を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処したまふ。迹仏迹土を表する故なり。

是くの如き本尊は在世五十余年に之(これ)無し、八年の間但八品に限る。

正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為(な)し、権大乗並びに涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す。
此等の仏をば正像に造り画(えが)けども未(いま)だ寿量の仏有(ましま)さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか。

 問ふ、正像二千余年の間は四依(しえ)の菩薩並びに人師等、余仏、小乗・権大乗・爾前・迹門の釈尊等の寺塔を建立すれども、本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば三国の王臣倶(とも)に未だ之を崇重せざる由(よし)之(これ)を申す。此の事粗(ほぼ)之を聞くと雖も前代未聞(みもん)の故に耳目(じもく)を驚動(きょうどう)し心意を迷惑す。請(こ)ふ、重ねて之を説け、委細(いさい)に之を聞かん。


「本門の肝心南無妙法蓮華経の五字」  は 「地涌千界を召して」 「付属」 された。

其の本尊の為体(ていたらく) は 

宝塔空(くう)に居(こ)し、
塔中(たっちゅう)の妙法蓮華経の左右に
釈迦牟尼仏・多宝仏、
釈尊の脇士(きょうじ)上行等の四菩薩、
文殊・弥勒等は四菩薩の眷属(けんぞく)として末座に居し、
迹化(しゃっけ)・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処(しょ)して雲閣月卿(うんかくげっけい)を見るが如く、
十方の諸仏は大地の上に処したまふ


まさに、十界文字曼荼羅 の姿。

つまり、

「本門の肝心南無妙法蓮華経の五字」 = 本尊 = 十界文字曼荼羅   

その前提の上で、引文の段を拝する。

■ 地涌千界正像に出(い)でざるは、正法一千年の間は小乗・権大乗なり、機時共に之無し。四依の大士小権を以て縁と為して在世の下種之(これ)を脱(だっ)せしむ。謗(ぼう)多(おお)くして熟益(じゅくやく)を破るべき故に之を説かず、例せば在世の前四味の機根の如し。像法の中末に観音・薬王、南岳・天台等と示現(じげん)し出現して、迹門を以て面(おもて)と為し本門を以て裏(うら)と為して、百界千如、一念三千其の義を尽くせり。但理具(りぐ)を論じて事行(じぎょう)の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊、末だ広く之を行ぜず。所詮(しょせん)円機(えんき)有って円時(えんじ)無き故なり。

この箇所は、三大秘法 を説かれた箇所と拝する。

つまり、

本門の題目 = 事行(じぎょう)の南無妙法蓮華経の五字 

本門の本尊 = 本門の本尊

しかして、「題目」  「本尊」 に唱えるものであるから、 

本門の題目 = 事行(じぎょう)の南無妙法蓮華経の五字    本門の本尊 へ摂せられ、

本門の本尊 
 一大秘法 となる。


また、クズ犬、以下の既述の通りのヘマをして、大恥をかくのである。

再掲  「考える人←実は「何も考えられない人」の「弘安元年 ..

この総合的判断ができない邪難者「考える人←実は「何も考えられない人」は、まさに「木を見て森を見ず」の愚を犯しているのである。
あるいは、「管を以って天を窺う」(※狭い見識を基準にして、大きな問題について自己流の判断を下すたとえで、視野の狭さを笑った言葉である。)
愚人である。
  


観心の 本尊抄引き また自爆