クズ犬「考える人」完全粉砕・反論不能一覧表


クズ犬、性懲りもなく、まだ当方に絡んでいるのか。

では、これも刻みましょう。

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大石寺指導者-樋田氏の「一大秘法とは戒壇の大御本尊」の矛盾の数々。

矛盾だらけの教義を邪義と言う。
矛盾だらけの教義を根本とするのが邪宗である!
御本仏日蓮大聖人の金言によって、大石寺指導者-樋田氏の「一大秘法とは本門戒壇の大御本尊」との教義が、いかに矛盾に満ちているか、その一端をご紹介しよう。

まず、一大秘法とは何か。

■一大秘法を留め置きたもう(中略)四大菩薩に付属し給ふ。其の所属之法は何物ぞ。法華経之中にも広を捨て略を取り、略を捨てて要を取る。所謂、妙法蓮華経之五字、名体宗用教の五重玄也■真蹟 

一大秘法とは「妙法蓮華経之五字」である事が判る。

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● 全く、悪どい引文の仕方である。

そもそも、引文したならその題号を記すべきであろう。
やはり、腹黒いことをしているから、隠したいんだろうね。


当該段を全文引文する。

曽谷入道殿許御書 文永一二年三月一〇日  五四歳 782
 大覚世尊(だいかくせそん)、仏眼を以て末法を鑑知(かんち)し、此の逆・謗の二罪を対治せしめんが為に▼「一大秘法を留め置きたまふ。」▼『所謂法華経本門の久成(くじょう)の釈尊、宝浄(ほうじょう)世界の多宝仏(たほうぶつ)、高さ五百由旬(ゆじゅん)、広さ二百五十由旬の大宝塔(ほうとう)の中に於て、二仏座を並ぶること宛(あたか)も日月(にちがつ)の如く、十方分身(ふんじん)の諸仏は高さ五百由旬の宝樹の下(もと)に五百由旬の師子(しし)の座を並べて敷き、衆星(しゅしょう)の如く列坐したまひ、四百万億那由他(なゆた)の大地に三仏、二会に充満したまふの儀式は、華厳寂場(じゃくじょう)の華蔵(けぞう)世界にも勝れ、真言両界の千二百余尊にも超えたり。一切世間の眼なり。』 
此の大会に於て六難九易(ろくなんくい)を挙げて法華経を流通せんと諸の大菩薩を諫暁(かんぎょう)せしむ。金色(こんじき)世界の文殊師利(もんじゅしり)・兜史多宮(としたぐう)の弥勒(みろく)菩薩・宝浄世界の智積(ちしゃく)菩薩・補陀落山(ふだらくせん)の観世音(かんぜおん)菩薩等、頭陀(ずだ)第一の大迦葉・智慧第一の舍利弗等、三千世界を統領する無量の梵天、須弥山(しゅみせん)の頂に居住する無辺の帝釈(たいしゃく)、一四天下を照耀(しょうよう)せる阿僧祇(あそぎ)の日月、十方の仏法を護持せる恒沙(ごうじゃ)の四天王、大地微塵の諸の竜王等、我にも我にも此の経を付嘱せられよと競望(きょうもう)せしかども世尊は都(すべ)て之を許したまはず。爾(そ)の時に下方の大地より未見今見(みけんこんけん)の四大菩薩を召し出だす。所謂上行(じょうぎょう)菩薩・無辺行(むへんぎょう)菩薩・浄行(じょうぎょう)菩薩・安立行(あんりゅうぎょう)菩薩なり。此の大菩薩に各々六万恒河沙の眷属(けんぞく)を具足(ぐそく)す。形貌威儀(ぎょうみょういぎ)、言を以て宣(の)べ難く、心を以て量(はか)るべからず。初成道の法慧(ほうえ)・功徳林(くどくりん)・金剛幢(こんごうどう)・金剛蔵(こんごうぞう)等の四菩薩に各々十恒河沙の眷属を具足し、仏会(ぶつえ)を荘厳(しょうごん)せしも、大集経の欲(よく)・色(しき)二界の中間(ちゅうげん)の大宝坊(だいほうぼう)に於て来臨せし十方の諸大菩薩も、乃至大日経の八葉の中の四大菩薩も、金剛頂経の三十七尊の中の十六菩薩等も、此の四大菩薩に比校(ひきょう)すれば、猶(なお)帝釈と猿猴(えんこう)と、華山(かざん)と妙高(みょうこう)との如し。弥勒菩薩、衆の疑ひを挙げて云はく、「乃(いま)し一人をも識(し)らず」等云云。天台大師云はく「寂場より已降(このかた)今座より已往(さき)十方の大士来会(らいえ)絶えず。限るべからずと雖も我補処(ふしょ)の智力(ちりき)を以て悉(ことごと)く見、悉く知る。而も此の衆に於ては一人をも識らず」等云云。妙楽云はく「今見るに皆識らざる所以(ゆえん)は、乃至智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云。天台又云はく「雨の猛(たけ)きを見て竜の大なるを知り、華の盛んなるを見て池の深きを知る」云云。例せば漢王の四将の張良(ちょうりょう)・樊・(はんかい)・陳平(ちんぺい)・周勃(しゅうぼつ)の四人を、商山(しょうざん)の四晧(しこう)・季里枳(きりき)・角里(ろくり)先生・園公(えんこう)・夏黄公(かこうこう)等の四賢に比するが如し。天地雲泥なり。四晧が為体(ていたらく)、頭(こうべ)には白雪を頂き、額には四海の波を畳(たた)み、眉には半月を移し、腰には多羅枝(たらし)を張り、恵帝(けいてい)の左右に侍(じ)して世を治められたる事、尭(ぎょう)・舜(しゅん)の古(いにしえ)を移し一天安穏なりし事、神農(しんのう)の昔に異ならず。此の四大菩薩も亦復(またまた)是くの如し。法華の会(え)に出現し三仏を荘厳す。謗人(ぼうにん)の慢幢(まんどう)を倒すこと大風の小樹の枝を吹くが如く、衆会(しゅえ)の敬心(きょうしん)を致すこと諸天の帝釈に従ふが如し。提婆の仏を打ちしも舌を出だし掌(たなごころ)を合はせ、瞿伽梨(くがり)の無実を構へしも地に臥(ふ)して失(とが)を悔(く)ゆ。文殊等の大聖は身を慙(は)ぢて言を出ださず。舍利弗等の小聖は智を失ひ頭を低(た)る。
 爾の時に大覚世尊寿量品を演説し、然して後に十神力を示現(じげん)して▼「四大菩薩に付嘱したまふ。其の所属の法は何物ぞや。法華経の中にも広を捨てヽ略を取り、略を捨てヽ要を取る。所謂(いわゆる)妙法蓮華経の五字、名体宗用教(みょうたいしゅうゆうきょう)の五重玄(ごじゅうげん)なり。」▼


どうであろう。この引文の仕方。
自分に都合の良い所だけを切り貼りして、自見をゴリ押ししているのである。

クズ犬のクズ犬らしいやり方だな。

■ 是の諸の悪人、復、是くの如き経典を読誦すと雖も、如来深密の要義を滅除せん。乃至 前を抄(と)りて後に著(つ)け、後を抄(と)りて前に著け、前後を中に著け、中を前後に著けん。当に知るべし、是くの如き諸の悪比丘は是 魔の伴侶なり。(守護国家論 125)

この卑怯・卑劣・醜怪・下劣・卑猥・低劣・・・・な引文の仕方をまず、ここに晒して、

その上で、クズ犬の主張を斬る。


▼「一大秘法を留め置きたまふ。」▼

に続くクズ犬が隠した箇所は、まさに 「十界文字曼荼羅御本尊」 の 御相貌 ではないか!

A 『所謂法華経本門の久成(くじょう)の釈尊、宝浄(ほうじょう)世界の多宝仏(たほうぶつ)、高さ五百由旬(ゆじゅん)、広さ二百五十由旬の大宝塔(ほうとう)の中に於て、二仏座を並ぶること宛(あたか)も日月(にちがつ)の如く、十方分身(ふんじん)の諸仏は高さ五百由旬の宝樹の下(もと)に五百由旬の師子(しし)の座を並べて敷き、衆星(しゅしょう)の如く列坐したまひ、四百万億那由他(なゆた)の大地に三仏、二会に充満したまふの儀式は、華厳寂場(じゃくじょう)の華蔵(けぞう)世界にも勝れ、真言両界の千二百余尊にも超えたり。一切世間の眼なり。』 

「一大秘法 とは 所謂(いわゆる) 云々」  と文が続くのであるから、A の描写が 「一大秘法」 の具体的な姿であることは間違いない。

クズ犬は、これはまずいので、隠蔽して、 (中略) としたのである!

なんという、卑劣漢であることか! 本当に性根が腐りきっている!

この A の箇所が十界文字曼荼羅であることを示す証拠。
 
大宝塔。
釈尊と多宝如来が 二仏並座 している。
十方分身の諸仏が、衆星(しゅしょう)の如く列坐している。
三仏・二仏の諸仏が充満する儀式。
一切世間の眼。 眼目 である。


つまり、 「一大秘法」 とは 明らかに 「十界文字曼荼羅御本尊」 ということである。

更に、当抄の後半に

■ 予、地涌の一分には非ざれども、兼ねて此の事を知る。故に地涌の大士に前立(さきだ)ちて粗(ほぼ)五字を示す。

大聖人がお示しの「妙法五字」だけの本尊は現存する全ての真筆御本尊の中に、全く存在しない。
全て「十界文字曼荼羅」である。

大聖人は、 「十界文字曼荼羅御本尊」 をお示しの場合、その中でも特に重要な 「妙法蓮華経の五字」 と呼ばれる場合が多い。

その一例が以下の御文

▼「四大菩薩に付嘱したまふ。其の所属の法は何物ぞや。法華経の中にも広を捨てヽ略を取り、略を捨てヽ要を取る。所謂(いわゆる)妙法蓮華経の五字、名体宗用教(みょうたいしゅうゆうきょう)の五重玄(ごじゅうげん)なり。」▼

であるが、やはり上述の如く、その元意は 

「一大秘法」 とは 明らかに 「十界文字曼荼羅御本尊」 ということである。


クズ犬はそれが見抜けないだけのこと。

浅見・痴見・僻眼・節穴・執見・妄見。。。ということ。


(中略)で 都合悪い文 隠蔽し   クソだわ〜〜。