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▼ また、自分以外の者の業・因縁の影響など受けないなら、そもそも「廻向」や「供養(追善追福)」は意味がないですよね?
子孫が先祖の為に功徳を積んで、それを巡らすなんて議論は成り立たなくなります。
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★ ↑ 既に言ったように、71 「若くして死んだ教祖の息子二人が信徒の苦しみを代わりに受けてくださる。。。」こんな馬鹿げた教義など、法華経・涅槃経のみならず、一切仏教においてもない!
@ 伊藤真乗の夭逝した息子など、他の人間にとっては全くの赤の他人。
遺伝子で繋がる血族関係や先祖とは全く存在の在り方が違う。とうことぐらい分からんの?
A しかも追及している点は、亡くなった赤の他人が、生きているこちらを救う、ということの矛盾を突いているんであって、
生きている側が功徳を積んで故人へ回向する。ということではない。
B 衆生の苦楽は全て本人の業因に依る所、と言っているのであって、▼「自分以外の者の業・因縁の影響など受けない」 などと歪曲して捉えてはいけない。
法界は種々の因縁で繋がっているのであるから、▼「自分以外の者の業・因縁の影響」を受ける場合もあるであろうが、その元は全て自分自身の因果応報・善因善果・悪因悪果である。
その根本的な因果を改善せずして、ただ、「抜苦代受」 → 夭逝した息子たちが苦を代わりに受けてくれる。→この思想自体が仏教ではない。と言っているのである。
お分かりか?