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以下の駄文は、53 ▼ 改訂版 法華経 と 涅槃経 の優劣  まとめについての反論 ← を 完全に粉砕する
によって、まさに完全に打ち砕いたので、全く一顧だに 値しない。

が、突っ込み所も結構あるので、完全に粉々にしておく。

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▼ そして、「已説(既に説き)、今説(今、説き)、当説(これから説く)あり」と過去・現在・未来に渡って言えば 法華経が「最も為れ難信難解なり」なのです。
樋田氏の作図した図表をそのまま用いれば、dのようになります。

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前段 @
後段 A
a
我が所説の諸経(これまで説いてきた教え)
我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん(過去・現在・未来に渡っての教え)
b
而も此の経の中に於て
而も其の中に於て、
c
法華
此の法華経、
d
(これまで説いてきた教えの中では)最も第一なり
(過去・現在・未来に渡っての教えでは)最も為れ難信難解なり。

つまり、これはその後の涅槃経へと繋がっていくうえで、法華経が最も関門になるという事を言っているのです。
ちなみに、なぜ「難信難解」なのか?


以下 引用
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日蓮聖人はこの部分を、私たちが法華経に帰依すべき、とても大切な証拠であると重視されておりますが、
それでは何故、わざわざ難しい法華経に帰依すべきなのでしょうか。
答えは法華経が「髄自意」であるからです。
髄自意とは、「お釈迦さまの自らの意識のままの教え」といえるでしょう。
髄自意と対をなす言葉に「髄他意」があります。
説法の聞き手である者の、興味や能力に合わせて、教えを説いてくださることをあらわし、これはとてもわかりやすく聴衆にうけました。
お念仏を唱えれば、苦行をしなくても浄土へいける、阿弥陀様にお任せするという浄土宗や浄土真宗の教えがこれにあたります。
しかし、これは全体に広く行きわたったり、例外なくすべてのものに当てはまるといったことがなく、お釈迦様の普遍的な教えを求めたとき、辿り着くのは「お釈迦さまの自らの意識のままの教え」でした。これが法華経、イコール髄自意の教えです。

以上 引用終わり
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▼ つまり、「難信難解」という言葉をわざわざ用いたのは意味があっての事だという事ですね。

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  ★ ↑ 一読噴飯ものの駄文だが、
@ まず肝心の字が間違っている。

「髄自意」 ← ×
「随自意」 ← ○

である。 実に恥ずかしい!
もし、造語であるならば、もはや論議に用いる価値もまい。
つまり、共通言語による意思の疎通ができないからである。

A 一体誰の文なのか?明示されていない。そんな駄文、論議の根拠に採用できるはずもない。

B 内容が、意味不明。今回の 法華経 勝 涅槃経 劣 の論証に全くなっていない。

C 問難者の結論も、全く 法華経 勝 涅槃経 劣 の反証になっていない。

とんだお笑いの、駄文・痴文 である。

申し訳ないが、こんな「感想文」は以後、絶対に書かないでいただきたい。
時間の無駄。
お互い貴重な時間を割いて、懸命に書いているんだから、もっとまともな反論文を送ってきなさい。

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▼ 後半部分は繰り返しになりますが 法華経 と 涅槃経 の優劣 まとめ で、反論しつくして、未だ法華経が涅槃経に包摂されるものであることへの反論はありません。

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   ★ ↑ これも全く不可。

もはや 53 ▼ 改訂版 法華経 と 涅槃経 の優劣  まとめについての反論 ← を 完全に粉砕する

によって、「法華経は、法華経の以後に説く涅槃経も含めて、一切経の中で最第一である。」と証明してしまったのだから、問難者がどう足掻こうが、どう自見でグダグダ言おうが、無駄である。

法華経と涅槃経が共に釈尊の教説であることを認めるならば、双方の経典内で矛盾することを説かれる訳がない。
法華経 勝 涅槃経 劣 は最早法華経で明示してあるのであるから、涅槃経の「秋収冬蔵」の句は、「法華経 勝 涅槃経 劣」の比喩であること確定的である。
それに異を差し挟むとすれば、もはや、仏説を信じない、根性の曲がり切った者である証拠である。
問難者もそうであるが、それを吹き込んだ伊藤真乗は、当に師敵対の大邪師 大謗法の極悪人ということ決定的である。

さ、論理的に反論してみよ。 感想文・駄文は不可。よろしいな?


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