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▼ 例えば、真如苑の禁忌である「情問題」
これね、平安時代なら「人の道」に反していないのです。
江戸時代にキリスト教が入ってきて、一夫一婦が正しいとなって、不倫等は「人の道違反」になったそうです。
それまでは、複数相手にするのは当たり前。
よって「妾制度」は公的制度だったわけです。
話はそれましたが、お釈迦様の時代と、今の時代とでは価値観にしても風習にしても、あらゆるものの文脈が異なっているわけです(ラングの変動性)。
当然、鎌倉時代と現代とも異なっています。
「言葉では伝わらない」という話をしましたが、このような時代の推移などによっても、受け手としての我々の立場は釈尊や日蓮大聖人の頃の文脈とは違う文脈で生きているが故に「立場」が違い、「そのままダイレクトには伝わらない」のです。
その事は踏まえた方が良いでしょう。

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   ★ ↑ これもまた一読噴飯ものの痴文
これもよく新興宗教の自己正当化に持ち出される使い古した論法。
最近では創価学会が頻繁にこれを言う。
王道から外れて自宗の正統性を宣揚できない宗派に限ってこのカビの生えた論法を用いるものである。

仏教は存在の本質を説き明かしている。存在の本質がそんな高々700年位の短い間に変遷などしない。
万古不易の根本法則であるからこそ真の宗教なのである。
「正法治国邪法乱国」の原理原則は、釈尊の予言した教説であり、万古不易なのである。
その一端を示そう。
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金光明(こんこうみょう)経
■「其(そ)の国土に於て此の経有りと雖(いえど)も未だ嘗(かつ)て流布(るふ)せず。捨離(しゃり)の心を生じて聴聞(ちょうもん)せんことを楽(ねが)はず、亦(また)供養し尊重(そんじゅう)し讃歎(さんだん)せず。四部(しぶ)の衆、持経(じきょう)の人を見るも、亦復(またまた)尊重し乃至(ないし)供養すること能(あた)はず。遂に我等(われら)及び余の眷属(けんぞく)、無量の諸天をして此の甚深(じんじん)の妙法を聞くことを得ず、甘露の味(あじ)はひに背き正法の流れを失ひて、威光及以(および)勢力(せいりき)有ること無からしむ。悪趣(あくしゅ)を増長(ぞうちょう)し、人天(にんでん)を損減して、生死(しょうじ)の河に堕(お)ちて涅槃の路(みち)に乖(そむ)かん。世尊、我等四王(しおう)並びに諸(もろもろ)の眷属及び薬叉(やしゃ)等、斯(か)くの如き事(じ)を見て、其の国土を捨てゝ擁護(おうご)の心無けん。但(ただ)我等のみ是(こ)の王を捨棄(しゃき)するに非ず、必ず無量の国土を守護する諸大善神有らんも皆悉(ことごと)く捨去(しゃこ)せん。既(すで)に捨離し已(お)はりなば其の国当(まさ)に種々の災禍(さいか)有りて国位を喪失(そうしつ)すべし。一切の人衆皆(みな)善心無く、但繋縛(けばく)・殺害(せつがい)・瞋諍(しんじょう)のみ有って、互ひに相讒諂(あいざんてん)して枉(ま)げて辜(つみ)無きに及ばん。疫病(やくびょう)流行し、彗星数(しばしば)出で、両の日並び現じ、薄蝕恒(はくしょくつね)無く、黒白(こくびゃく)の二虹不祥(にこうふしょう)の相を表はし、星流れ地動き、井の内に声を発し、暴雨悪風時節に依らず、常に飢饉(ききん)に遭(あ)ひて苗実成(みょうじつみの)らず、多く他方の怨賊(おんぞく)有りて国内を浸掠(しんりょう)せば、人民諸(もろもろ)の苦悩を受けて、土地として所楽(しょらく)の処(ところ)有ること無けん」
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大集経
■「仏法実(じつ)に隠没(おんもつ)せば鬚髪爪(しゅほつそう)皆長く、諸法も亦忘失(もうしつ)せん。時に当たって虚空(こくう)の中に大(おお)いなる声ありて地を震ひ、一切皆遍(あまね)く動ぜんこと猶水上輪(すいじょうりん)の如くならん。城壁破れ落ち下り屋宇(おくう)悉くi拆(ひしゃく)し、樹林の根・枝・葉・華葉・菓・薬尽(つ)きん。唯浄居天(じょうごてん)を除きて欲界一切処の七味・三精気(しょうけ)損減(そんげん)して、余り有ること無けん。解脱(げだつ)の諸の善論時(とき)に当たって一切尽きん。生ずる所の華菓の味はひ希少(きしょう)にして亦美(うま)からず。諸有(しょう)の井泉池(せいせんち)一切尽く枯涸(こかつ)し、土地悉く鹹鹵(かんろ)し、剔裂(てきれつ)して丘澗(くけん)と成(な)らん。諸山皆(みな)ェ然(しょうねん)して天竜も雨を降(くだ)さず。苗稼(みょうけ)皆(みな)枯(か)れ死(し)し、生ずる者皆死(か)れ尽(つ)くして余草(よそう)更に生ぜず。土を雨(ふ)らし皆昏闇(こんあん)にして日月も明(みょう)を現ぜず。四方皆亢旱(こうかん)し、数(しばしば)諸(もろもろ)の悪端を現じ、十不善業道(ごうどう)・貪瞋癡(とんじんち)倍増して、衆生の父母に於ける、之を観ることャ鹿(しょうろく)の如くならん。衆生及び寿命色力威楽(しきりきいらく)減(げん)じ、人天の楽を遠離(おんり)し、皆悉く悪道に堕せん。是くの如き不善業(ふぜんごう)の悪王・悪比丘、我が正法(しょうぼう)を毀壊(きえ)し、天人の道(どう)を損減し、諸天善神・王の衆生を悲愍(ひみん)する者、此の濁悪(じょくあく)の国を棄てゝ皆悉く余方に向かはん」
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以上 正法(法華経)が正当に広まらずそれ以外の邪法悪法(例えば真如苑とか、創価学会、顕正会など)が広まると国が騒乱し亡びると予言された経文の一部。
次、邪教をしていると個人として大不幸に陥る、という経文
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法華経譬喩品第三
■ 若し人信せずして 此の経を毀謗せば
則ち一切 世間の仏種を断ぜん
或は復?蹙(ひんじゅく)して 疑惑を懐かん
汝当に 此の人の罪報を説くを聴くべし
若しは仏の在世 若しは滅度の後に
其れ斯の如き経典を 誹謗すること有らん
経を読誦し 書持すること有らん者を見て
軽賎憎嫉して 而も結恨を懐かん
此の人の罪報を 汝今復聴け
其の人命終して 阿鼻獄に入らん
一劫を具足して 劫尽きなば更生れん
是の如く展転して 無数劫に至らん
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仁王経
■ 「人(ひと)仏教を壊(やぶ)らば復孝子無く、六親不和にして天神も祐(たす)けず、疾疫(しつえき)悪鬼日(ひび)に来たりて侵害し、災怪首尾(さいけしゅび)し、連禍縦横(れんかじゅうおう)し、死して地獄・餓鬼・畜生に入らん。若し出でて人と為らば兵奴(ひょうぬ)の果報ならん。響きの如く影の如く、人の夜書(ものか)くに火は滅すれども字は存するが如く、三界の果報も亦復是くの如し」
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   ★ こうした法則はどのように時代が変遷しても不変である。
つまり、毒はどのように時代が遷り変ろうが、毒は毒である。薬となることはない。
▼「お釈迦様の時代と、今の時代とでは価値観にしても風習にしても、あらゆるものの文脈が異なっている」としても毒は毒・薬は薬という根本法則は不変なのである。
釈尊の時代であっても今の時代でも、人は呼吸を止めたら死ぬ。全く不変なのである。
この真如狂徒が陥っている愚昧さは、普遍の法則と、時代とともに変遷していく表層的事象とのけじめがついていないところである。
山川草木がどのように変化していっても、万有引力の法則は不変である。
こんな基本的な認識すらできなくなるのが邪教の害毒で知能が低下するからである。
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さて、真乗などは、「今の時代に即した新仏教を建立した。」とでも言いたいところだろうが、こういう論議に上る以前の問題である。
その釈尊の万古不易の教説に悉く違背してる破仏法の輩である。

真乗が邪師魔師ペテン師である証拠

194 ■ 「まだ聞かぬ 人のためには ほととぎす いくたび聞くも 初音なりけり」(日蓮正宗第二祖・日興上人)


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