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そもそもですね?


★ 法・報・応 の三身を分けて別個に説くのは全て未完全な権教である。
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▼ これって誰が決めたのですか?
日蓮大聖人が決めた事だから正しいとか、他宗の人に主張してもバカにされるだけですよ?

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   ★ ↑ ほんと経典の義が読めない大馬鹿者ですね。

既に書いてあるので(といってもこの投稿↑の時はまだ触れていなかったが。)
真如苑の讃題を止めて、以下の文を毎朝毎晩100回ずつ読みなさい。
さすればいつかは何か分かってくるかもしれない。

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   ★ ↑ ここですね。三身相即こそが仏教の最終教説だということがどうしても理解できないんですね。
これは別に日蓮正宗が独自に言っている己義とかではない。
経典に説かれる教理を追及していけばきちんと経文上にも顕然な教説である。

方便品第二  諸法実相 如是相 如是性 如是体  ・・・  

この宇宙法界の真実相とは、如是相 如是性 如是体 が根本で
それが、力 作 因 縁 果 報 と 首尾一貫して現れている。
それは如来も同様

相→応身如来 現実に現れた姿 物質的現実
性→報身如来 智慧
体→法身如来 法そのもの

この三身はそれぞれ別個に存在しているのではなくして、 力 作 因 縁 果 報 と 首尾一貫して 一身 なのである。
それがまさに宇宙法界の真実の相(すがた)であることを法華経で初めて明かされるのである。

それを法華経以前ではこの原理があまりに高度で難信難解なために一往方便として 法身 報身 応身 を別々に説いて説明されていたのである。
真言密教はその一往方便で説かれた法身に目が眩み、それを特別視して別格の佛と思い込み出来上がった出来損ないの宗派なのである。

真乗は元真言系なので、当然この影響をモロに受け、架空仏である大日如来こそ真の仏と思い込んでしまった。
が、後に何とか一宗一派の独自性、優越性を打ち出したい。そうして更に信徒を増やして、ザクザク儲けたい!
それがために涅槃経を持ち出し、最勝と持ち上げ、なんと、お腹を下されて、あと一日で亡くなるという状況の寝釈迦を本尊とした。
でも教義は涅槃経で言う如来常住と辻褄合わせるために根本仏を「久遠常住釈迦牟尼如来」とかなんとか適当にこじつけ、それが大日如来へ相承したことに跡付けで付け足し、でっち上げたのが真如苑の教学である。いな、狂学である。

なので、譲って挙げて言えば、法身・報身 偏重の方便の仏教の範疇
奪ってありのままに言えば、法身偏重の真言密教に、更に存在しない報身をPPAPした、(←※後の世の人が見て分からないだろうな。PPAPとは2016年に流行った、パイナップル-ペン・アップル-ペン というヒット曲の頭文字である。スンマセン、ちょっと遊びました)
つまり、適当に合体させた、いかがわしいいかにも怪しげな新興宗教ということである。

だから、信徒が、三身相即の道理なんて全く理解できないのである。

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次に 143 概説 何故、釈尊は、仮想仏として敢えて 「法身如来=大日如来」 を立てる形で法を説かれたのか?

これも、毎朝毎晩100回づつ10年くらい読むこと。
それで理解できなければ、今世は無理かも。

つまり、簡単言えば君は三身相即を理解できるには程遠いレベルにいる。ということ。
真乗の害毒によって頭も目も曇らされている。
だから、真乗の害毒が薄くならない限り三身相即は絶対に理解できないであろう。
もし、本当に三身相即を理解したかったら、真如苑にいては絶対に無理でしょうな、たとえ理論上の理解だけだとしても無理。
増して体達するなど夢の中の夢の中の夢。。。くらい程遠い。

真の即身成仏がしたいのなら、潔く真如苑をスパッと辞めることですな。まずはそれが先決。

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