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ここで、何故、釈尊は、仮想仏として敢えて 「法身如来=大日如来」 を立てる形で法を説かれたのか?
その理由の一端に触れたい。
もとより御仏意計り難し、であるから、その御深慮は到底我等凡愚の思慮の及ばない所。
しかし、今回、真如苑教徒の余りの愚執を目の当たりにして、なるほど、こういう者どものためにお釈迦様は敢えて法身如来を立てて説かれたのだろうか。と
思い至るところがあったのである。
(私は御僧侶でもないので深い法義は分からない。なのでザックリと書き留める。)

この手の妄執の者達は大勢いる。
禅宗系もそうであろうし、かの創価学会の池田大作もこの類であろう。
つまりこうである。

▼「宇宙には根本の法が存在する。その法を覚知したのが仏。その仏が覚知した法を説いたのが仏法」

一見、その通りでは?と納得してしまう概念であろう。
自分も随分長い間そう思っていた。
ま、創価学会の害毒ですね。
この概念を 「法勝人劣」 という。
「法が元々存在していて、後から人(仏)が、何らかの修行をしてそれを悟る。」 ということ概念である。
これは当然誰でも何となく即座に納得できる。

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参考

因みにこの「法」の代わりに「神」と置き換えたのが一神教の概念であろう。
そして、創造主 がそれ以外ものを造られた 
つまり、

法 → 悟る の関係を
神 → 造る・造られた者(物)

との関係であろうと想像し説明した。
両方とも根っこは同じ発想。妄想。妄執。 
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だから、爾前権教、さらには法華経迹門までも、「釈尊はインドで修行して初めて仏に成った。」と説き続けるのである。
つまり、法は無始無終で常住していて、その法を釈尊が修行して三十成道される。悟られる。という形である。

しかし、真実の宇宙の姿は違ったのである。
それが法華経・寿量品まできて初めて明かされるのである。

法華経如来寿量品第十六

■ 一切世間の天、人、及び阿修羅、皆今の釈迦牟尼仏は、釈氏の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと謂えり。
然るに善男子、我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり。

■ 是より来、我常に此の娑婆世界に在って、説法教化す。

■ 然るに我、実に成仏してより已未、久遠なること斯の若し。

■ 生死の、若しは退、若しは出有ること無く、亦在世、及び滅度の者も無し。
実に非らず、虚に非ず、如に非ず、異に非ず。三界の三界を見るが如くならず。

■ 我成仏してより已来、甚だ大いに久遠なり。寿命無量阿僧祇劫なり。常住にして滅せず。

■ 然るに今、実の滅度に非ざれども、而も便ち唱えて、当に滅度を取るべしと言う。

自我偈

■ 我仏を得てより来 経たる所の諸の劫数
無量百千万 億載阿僧祇なり
常に法を説いて 無数億の衆生を教化して
仏道に入らしむ 爾しより来無量劫なり
衆生を度せんが為の故に 方便して涅槃を現ず
而も実には滅度せず 常に此に住して法を説く

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↑ 「現実の肉身を持った目の前の釈尊が、久遠に成仏していて、生死、生死を繰り返しながら、常にこの娑婆世界で説法され続け、それでいて常住不変であった。。。」
・・・・これは信じ難い。
今これを読んでも信じられない人がほとんどではなかろうか。
だから法華経は難信難解難入ということでもあろう。
もちろん在世当時の衆生達でさえもやはりここは信じ難かったのであろう。 
法華経寿量品の究極の悟りは、当時の弟子達ですらいきなりは絶対に理解できない概念であった。
(釈尊の教説は一往、在世と正法・像法の衆生のため。再往は全て滅後末法の衆生の為の化導でもあるが)
そこで釈尊は法華経寿量品に至るまで、段階的に時間をかけてじっくり衆生を養育してきたのである。
この寿量品の究極の悟りの実相を信解できる機根を調え育成してきたのである。



仏の真実の姿と言うものは、法(法・真理そのもの) 報(それを悟った智慧) は 応(それを説く仏)身に備わる。ということだった。
しかし、それは難信難解。
そこで、衆生に分かり易ように、真の仏 三身即一身 一身即三身 の徳性である三つの側面を 法 報 応 に分解して、その徳性を説いていったのである。

● 報身如来 宇宙全体の時空に遍いて全部を知り尽くしている仏。
● 法身如来 無始無終に常住不変。宇宙の法そのものを身とする仏。
● 応身如来 目の前で皆に法を説く慈悲深く智慧聡明な釈尊。釈尊が仏に成った因縁。修行の在り方。

を段階的に説いていったのである。
それが例えば冒頭に述べたように、「宇宙には法があって、その法は無始無終で常住不変」という概念は信じ易い。
真実の実相はその法は三身即一身のうちの法身でありそれは即報身であり即応身なのだがそれを直ちに説いても衆生は俄かには信じることができず仏法そのものを疑い誹謗しねない。
そこで如来の無始無終・常住不変などの徳性を特化して法身如来として仮に示したのである。

今回の真如苑教徒などはこの概念への執着がどうしても抜けないのである。
真言密教などはモロこの執着で出来上がっている宗派と言える。
伊藤真乗も出身が密教であるが故に、この「法身仏」の概念に深く囚われており、そこから密教との差別化を計ろうと考え出した「久遠常住釈迦牟尼如来」なるものも、所詮この「法身仏」の範疇にある。
釈尊の仮の方便で説いた仮想仏にただただ妄執しているだけに過ぎないのである。

釈尊の化導の次第は、例えば二次元的にしか物を把握できない頭では「円錐形」は「三角形」か「円形」、もしくは「三角形と円形を併せた形」「 (> 」こんな感じとしてしか認識できない。
そこで仏は、本来は「円錐形」であるものをある時は「三角形」と説き、またある時は「円形」と説き、またある時は「三角形と円形を併せた形」「 (> 」こんな形として説いたのである。
そうして三次元的にものを把握できるように機根を育てていって、最期に「実は本当の姿は「円錐形」だったんだよ。」と真実実相を明かす、ということなのである。

衆生は、そのように段階を踏んで説かれた報身如来 法身如来 応身如来 と別々に示された仏の徳性を徐々に理解し信解を深めていった。
そしてとうとう機が熟し、法華経を説き出だされ、まず迹門方便品第二の十如実相によって、三身相即の深義が示され、
更には寿量品に至って釈尊の久遠の成仏が明かされ、「その三身相即の真の仏は実は目の前にいる我、釈尊そのものであった。」と説き明かされるのである。

観普賢菩薩行法経(法華経結経)
■ 釈迦牟尼仏を毘盧遮那遍一切処と名づけたてまつる。其の仏の住処を常寂光と名づく。

そして衆生も
「今迄は遠い存在と思っていた、法身如来も 報身如来も 実はこの目の前で現実に法を説かれ、我等、娑婆世界の衆生を直接教導されるお釈迦様その人だったんだ!」
ということを信解できたのである。
ここに初めて師弟不二の関係が現実の上で成就し、即身成仏を遂げることができたのである。

ところが謗法・邪教の毒気深入の者どもは、この真実の教説が信じされず、未だにその実在しない仮想仏である、報身如来や法身如来という譬え話に妄執して、全く即身成仏と程遠いことに身を窶(やつ)している。

■ 其の薬を与うるに、而かも肯えて服せず。所以は何ん。毒気深く入って、本心を失えるが故に、

正気でないので、上記の道理が全く理解できないのである。
まことに愚かであり、哀れむべきである。

だから、大音声で叱りつける

大馬鹿者! 

と。


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