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大問題! 金剛薩?(こんごうさった) はどうやて肉体のない法身である大日如来から法を授かったのか?への反論


大問題! 金剛薩?(こんごうさった) はどうやて肉体のない法身である大日如来から法を授かったのか?

▼ ↑一応、血脈の話なので内容は全く下らないものですが反論はしておきます。

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  ★ ↑ いやはや、突っ込み所満載ですね!

付法 から 

では 「法身大日如来」つまり 肉体のない法そのもの(といわれている)仏から、いつ、どこで、どうやって、法を授かったんですか?
そもそも大日如来はしゃべれないんですよ。実に不可解です。
で、この 金剛薩?(こんごうさった)さんって実在したんですか?
だとすればどこで生まれて、一生の事蹟はどうだったんですか?
具体的に、この地球上の場所と、概ねでいいからその年代を明かしてください。

ま、どうせ都合の悪い事には答えないように伏線を敷いてあるから、こちらもきちんとしておきましょう。
返答がない項目は全て「反論不能」とみなします。
それが法論における取り決めとしては当然のことである。
自分が反論したい箇所だけ、あるいは反論できる箇所だけ反論する、だなんて、そんないい加減な、わがままが許されるはずはない。

で、この 金剛薩?(こんごうさった)さん。 
釈尊の「仏滅年代」にあれほどこだわっていたんですから、これはいい加減にできないはずである。
ことは法の継承であるから大問題である。

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▼ 32の議論でも申し上げた通り、「付法の八祖の始めの二祖」はメタファーだと誰でも解りますよね?
金剛薩 とは、真言密教の教理体系の中心である大日如来と衆生の菩提心をつなぐ役割をもつ一尊だと言われております。
つまり、行者(即身成仏)の報身であり、行を助ける佛だとみる事が出来ます。
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   ★ ↑ それが密教の限界なのである。
つまり、もの言わぬ「法身」を立てるので、衆生を教化するという具体的化導において、現実として実際、悟りとは一体なんなのか。何をどう修行すべきなのかを明示できないという矛盾がどうしても生じてしまう。
そこで、困った挙句に曖昧な役割を持たせて突っ込んだのが、金剛薩た である。
後の真言密教系の教祖たちがどんなに高邁な観念や理論を述べたとしても、単純な道理として「口も手もない法身如来」が具合的に衆生を化導する事はできないのである。
金剛薩た などというこれもまた架空の仏・菩薩を突っ込んで、(肉体のない)法身如来→衆生への化導、という論理的矛盾を誤魔化し煙に巻いているに過ぎない。
だから、その系列にいる真如教徒も ↑のような苦しい曖昧な、観念論的な弁解しかできなくなるのである。



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