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「日蓮大聖人には「変化の人」の加護がなかった」を破すに対する反論

22 「日蓮大聖人には「変化の人」の加護がなかった」を破す 

▼ ↑樋田氏の主張です。本人が楽しんでいるなら良しとしましょう。
では、要点だけ
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   ★ → 数百人対十数人。 景信側はもともと襲撃するために武装して集まった者ども。もちろん
大聖人のお供の方々はそもそもが僧道に励まれる御弟子が中心。
このような状況で生き延びられたこと自体が、既に不思議な御加護としかいいようがないではないか。

法華経の当該文

■ 『若し我が滅度の後に 能く此経を説かん者には
  (中略)
若し人悪(みだり)に 刀杖及び瓦石を加へんと欲せば
則ち変化の人を遣はして 之が為に衛護と作さん』

とある。「能く此経を説かん者」に変化の人が遣わされて、必ず護る。ということである。
まさに、鏡忍房・工藤吉隆殿こそ この「変化の人」ではないか。

では、法難で亡くなった方々は、ただの非業の死を遂げたのか?

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▼ いいえ、抜苦代受ではないですか?

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   ★ ↑ は? そもそも「抜苦代受」などといういかがわしい、怪しげな教説は仏教には全くない。
真乗が、真言の害毒で男子早逝の厳罰を受け、自分の長男・次男を亡くした。
それを誤魔化すために捻り出した捏造狂学である。

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