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▼ 然るに、当時の通説(仏教界の定説)を日蓮大聖人が用いた?
樋田氏、貴方こそ謗法極まっていませんか?
時代の空気がどうであれ、真理を説く聖者は重大な事を間違えません。
法華経の説く真意を捻じ曲げるものは、無間地獄へ一直線ですぞ!
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★ ↑ そもその真如苑教徒が息巻いて喚いているその元を考えれば、つまり、「五百歳」という「語」に固く執着しているに過ぎない。
研究者によればこの「五百歳」と言う表現は、定型的に使われる一種の慣用句だそうである。
であれば、殊更に年数としての「五百年」にこだわる必要もない。
当時の仏滅年代が周書異記による計算が定説化しており、それがそのまま「後五百歳 末法来入」という年代にも符合しており、それをそのまま用いられて表現されていただけで、本質として大事なことは、末法として「闘諍言訟し、白法隠没」という時代相の現出である。
それが現実に9世紀〜11世紀ごろに出現してきている訳だから、結果的に日蓮大聖人の御出現の時代は事相の上でまさに「末法」である。
まさに「義に依って語に依らざれ」
事相としての義が現れたのだから、大集経及び法華経の「五百歳」という時代移相の表現単位に拘る必要は全くない。
ここについては詳細に論述してある。
もし反論したいのならこの論を完璧に破って御覧なさい。
大集経に説く「末法」来入の年限の矛盾を解明する
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