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▼ では、その他の論証として

時期:

佛滅後2,000年→1617年

佛滅後2,500年→2117年

(日蓮大聖人)
生:1222年2月16日 → 没:1282年10月13日

(伊藤 真乗師)
生:1906年3月28日 → 没:1989年7月19日

日蓮大聖人は、もろに外れており、伊藤 真乗師はもろに入っていますね?

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   ★ → 大集経に説く「末法」来入の年限の矛盾を解明する

において、既に論証済み。 なお、これに再反論があるようだが、それについても後に破折します。

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▼ 方向:

同じ日本ですね。

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▼ 弘める経:

涅槃経の中には、法の付託はありません。付託しなくても、仏法僧の三宝は一体で常にあると仰っているからです。

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   ★ → いくら、仏・法・僧 が 三宝一体 とはいっても、その法を伝持されて「僧」とは誰なのか、明確に付嘱がなければ、仏法混乱の基である。
この付嘱の義に冥いから仏法の本義に迷うのである。
また、末法の教主にも迷うのである。

社長が会社の全てを次の者に譲る場合、
「君に譲るよ!」と明確に時期社長を指名した会議と、
後日「いいか、私の引退した後は、次の社長を中心にしっかりやっていくだよ」と訓示している会議と、
どちらが重要か、子供が聞いても分かる原理であろう。

つまり、末法の法華経の広宣流布を付嘱した法華経が優れ、その「僧」こそ三宝一体なのだから、中心にやっていきなさい。と言われた涅槃経が法華経より一重劣るのである。

しかも、ついでに言っておくと、釈尊が「広宣流布」と銘打たれた箇所は、
法華経・薬王品の「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん。」
ここ以外ない。
つまり、未来、悪世末法において、広宣流布すべき教えは法華経であって、涅槃経ではない。
法華経を蔑ろにしての広宣流布など在り得ないのである。
法華経を下して敢えて涅槃経を持ち出しての弘教は在り得ない。
これ伊藤真乗の大きな矛盾である。

次に、法華経 涅槃経のどこにも、真如苑が行っている、霊能だの接心だの抜苦代受だの、、、そんな教義・教説は全くない。
殊に、若くして死んだ教祖の息子二人が信徒の苦しみを代わりに受けてくださる。。。だのの馬鹿げた教義など、法華経・涅槃経のみならず、一切仏教においてない。
まさに、問難者がこだわっていた「因果を無視した」邪説でる。
自分の業報は自分の因果に依る所であって、別人がそのく替わりをすることは有り得ない。
つまり、伊藤真乗は、先の経文の続き、

「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん。悪魔、魔民、諸天、龍、夜叉、鳩槃荼等其の便を得ん」

この予言の通り、この中の、まさに、真の法華経の広宣流布を邪魔せんとして出現してきた

悪魔、魔民、龍、夜叉、鳩槃荼等 の類なのである。このことをよくよく知るべきである。そこに目覚めないと、今世の人生を台無しに、死後も未来永劫に苦しむことになるのである。

真如苑は

@ 涅槃経・優 法華経・劣 と下している
A 伊藤真乗の系譜に当然「弘法」がいる。
この「弘法」は、釈尊を「無明の辺域」と下し、法華経を「大日経より三重の劣」と下している。
依って、以下の法華経の警告が当てはまることになる。

■若し人信せずして 此の経を毀謗せば
則ち一切 世間の仏種を断ぜん
或は復?蹙して 疑惑を懐かん
汝当に 此の人の罪報を説くを聴くべし
若しは仏の在世 若しは滅度の後に
其れ斯の如き経典を 誹謗すること有らん
経を読誦し 書持すること有らん者を見て
軽賎憎嫉
して 而も結恨を懐かん
此の人の罪報を 汝今復聴け
其の人命終して 阿鼻獄に入らん(譬喩品第三 175)


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