TOP / 教義的資料目次 /  真如苑教徒反論目次


▼この議論はおそらく経典に「釈尊滅後、何年後の何時、何分、何秒に●●という人が生まれて、法華経よりも勝っている涅槃経を、何歳から何年説く」
位に詳細に書かれてないと納得してもらえそうにもありません。

--------------------------------------------

★「その義が示された文を明示せよ」と言っているのであって、そんな小学生が言うような幼稚なことを樋田さんは言っていませんし、要求もしていませんよ。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

▼物事をありのままに見るには執着を棄てないといけません(もはや、こんな事を言っても無駄かな?)。

--------------------------------------------

★ 下記↓で指摘しているように、

http://toyoda.tv/shinnyokyoto.hasyaku103.htm

まず貴方自身が、妄言邪師 伊藤真乗へガチガチに執著していることを自覚しましょう。
ご自分に言い聞かせているのなら、無駄でも無いし、まだ間に合いますから、先ずは邪師 伊藤真乗への執着を早く棄てましょう。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

▼で、私はもう一度日蓮正宗について学ぼうかとお寺に行ったら「入信するには謗法払い」が要るそうです。
これまでの仏壇や本尊はもちろん、だるまさんなどの縁起物まで全て焼かなくていけないらしいです。

--------------------------------------------

★ここでも、貴方が少なくともまともな日蓮正宗の信徒ではなかったことが露呈しています。
入信するのに謗法払いが必要なのはその通りですが、仏壇を焼けとの御指導は現代においては普通考えられません。
現に、日蓮正宗信徒である私の兄は、古民家を購入した際に前住人が置いていった浄土真宗の仏壇自体はそのまま使っても構わないとの御指導を受けています。
その他の正法(薬)に依るものでない誤った本尊や縁起物に関しては、すべて、人を不幸にするもの(毒)なので、正しく信仰をする上においては受け容れてはいけないのです。
謗法物を受け容れることは、例えて言えば、病者が名医の治療を受けながら、同時に治療の資格も腕もない藪医者に診てもらうようなものであり、病を治すどころか、逆に名医の治療の妨げとなり、ますます悪化するようなものです。
本当に日蓮正宗の寺院に行かれたのでしょうか。
失礼ですが貴方の師が虚言・虚飾の(邪)師なので、貴方の言も、そのまま素直に信用するのが難しいです。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

▼人間的に考えると、自分の親がアル中でどうしようもないからと、他所へ養子に行った。
そこで「お前の親はロクデナシだから殺せ」と言われるようなものです。
そこまで道理のない宗教なのかとびっくりしました。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

★↑でも述べたように、貴方は正法(薬)と邪法(毒)の関係を理解できていません。
真如苑という毒を飲み続けるが故に物事の立て分けが出来ないのです。

そもそも、「親を捨てる事」と「毒を捨てる事」は全く意味が違います。
そのくらい分かるでしょう?
毒と薬の関係については既に示していますので、よく読んでください。

謗法の毒に冒されているために、道理に昏く、魔仏・魔物を、「親」だと思い込んでいるから、ウジウジウジウジいつまで経っても正法を持てないのです。
それを執着といいます。

真に道理を知らない者が道理を語るおかしさも指摘しておきます。
貴方のように慢心の強い者にとっての道理とは「(迷った)自分の理解の及ぶ範囲」を道理と思い込んでいるだけであって、仏法で説かれるところの真の道理とは異質のものです。

仏教において最も必要とされる御仏への「信」が欠けているうちは、不可思議にして妙なる法=真の道理を得るのは夢のまた夢。
故に説けども説けども真の道理に至れない。まことに不憫です。

▼物事をありのままに見るには執着を棄てないといけません

と、ご自分で仰っているではありませんか。
毒と親との関係ですら、ありのままに見れていない貴方こそ真如苑への執著を棄てるべきだと思いますよ。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

▼これを読まれている方は、こんな宗教をどう思いますか?

--------------------------------------------

★日蓮正宗のことはさておき、貴方のことが本当に心配です。
樋田氏とのやり取りにおいても、いままでの反論が教義的に全く成立していません。
そのような者が閲覧者に問い掛けても恥ずかしいだけです。

その姿は、まるで裁判で、検察側から、数々の麻薬使用の証拠を突きつけられても
「やってませ〜ん。ね?みんな?どう思う?」
と傍聴席に向って媚を売る、麻薬常習者のようなものです。
(もちろん、直ぐ発言を制止されますでしょうが)
ニュースでよくある「依然、容疑者は意味不明の言動を繰り返しており・・・」のパターンと同じです。
精神鑑定が必要なレベルにあります。

私も昔は(今よりもずっと)貴方のように高慢な人間で、それに気付かず過ごしていましたが、貴方の文章を見ていると、昔の自分を見ているようで、とても恥ずかしい気持ちになります。

私は頭が悪くエリートではなかった分、高慢っぷりもたかが知れていたと思いますが、察するに貴方は育ちも頭も良くエリートな分、高慢っぷりも相当なものなのでしょう。

このままでは本当に人生を無駄にしますよ。そろそろ、潔く非を認めては如何ですか?


TOP / 教義的資料目次 /  真如苑教徒反論目次