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▼仏法とは因果応報、誤っている者にはその現証が出るでしょう。
順現・順後・▼仏法とは因果応報、誤っている者にはその現証が出るでしょう。
順現・順後・順不定にね。
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★そうですね。
伊藤真乗の2人の息子の夭逝、家庭不和・崩壊、弟子の悩乱などなど、
謗者にその自覚はありませんが、既に順現の報いは現れているようです。順後・順不定・・・想像するのも恐ろしいです。
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▼釈尊は涅槃経で「この経を謗るものは首を撥ねても構わない」と仰せですが、それは「全てを救う」という涅槃経の名目と矛盾していますよね?
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★涅槃経を最上第一とする真如苑の誤った教理では、自宗の依経ですら矛盾だらけとなって真に会通は出来ないでしょう。
法華を最第一として、そこから他の教説の義と意を拝する開会の法門を知らないが故に、そのような矛盾が起こるのです。
真如苑は仏説に違背する邪な教理ですから、自然、経典を拝すと「あれ?アレ?」となる箇所が多々あって、それでも「教祖(或いは幹部・組織)は絶対間違ってない!」と矛盾に目を瞑ったまま邪な信仰に邁進する・・
真如苑に限らず、創価学会をはじめ邪宗教は皆どこも同じ悩み?を抱えています。
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▼「無知の拙きもの」(済みません、しかし目を覚まして貰いたいが故の失礼です)は、涅槃経はおろか、日蓮大聖人の「未熟な仏法」においてすら脱落でしょう。
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★私が無知で拙いことは情けなくなる程に自覚していますので、お気になさらなくて結構ですよ。
貴方がその「日蓮大聖人の未熟な仏法」の教理・行体すら正しく信解出来ていなかったことは後に述べます。
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▼だから、私は真言が最上だとかいう説は採っていないでしょ?
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★・・・本当に道理の解らない方ですね。
貴方は(伊藤 真乗師の正当性の根拠)
として、
▼・「恵印灌頂・金胎両部伝法灌頂」を畢えて修行者に対して法を伝える立場である伝燈大阿闍梨(如来位)である事
と述べています。
貴方が真言最上説を採っていなくても、貴方の師とする伊藤真乗自身が真言の系譜に依り自宗を立て、そこに自身の正統性を見いだしているのですから、それが崩れた=嘘だったということは、先にも申し上げたように、不妄語戒を破り立宗した伊藤真乗はそもそも佛ではなく邪師・魔師であり、その弟子もまた魔の眷属ということです。
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▼伊藤 真乗師以上に立派に密教を相承した行者はいないと伝法大阿闍梨の佐伯 恵眼大僧正(そもそも座主が直に伝法する事が異例)も仰せです。
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★伝法大阿闍梨の佐伯 恵眼大僧正。どのような方か存じませんが、少なくとも仏法において、真言の系譜に連なる人=邪師・魔の眷属です。樋田氏が詳細に論証しているので、私から申し上げることはありません。
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▼(そもそも座主が直に伝法する事が異例)
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★これも眉唾ものです。
【伝統】
昔からうけ伝えて来た、有形・無形の風習・しきたり・傾向・様式。特に、その精神的な面。
↑上記は辞書にある「伝統」の引用ですが、仮にもそれなりに伝統ある密教の歴史にあって、伊藤真乗への伝法がそれに反した「異例」の事ということ自体、近代僧侶の堕落ぶりから見てmoneyの香りがしなくもないです。(これは所感でしかないのでスルーしてください。)
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▼密教の超法(おっぽう)の罪を破る覚悟で申し上げると、私は醍醐寺に2週間ほど勉強しに行きました。
▼醍醐寺では仏様にお供えする水は醍醐山中腹に湧いている「醍醐水」と決まっています。
▼伊藤は、普通だと1時間半ほどかかって行けるかどうかのその場所へ20分で行き来したと言います。
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★フムフム。。なるほど伊藤氏凄い!
仏前に供える水を採りに行くのに、
「▼普通だと1時間半ほどかかって行けるかどうかのその場所へ20分で行き来した」って、要は普通往復3時間かかる所を伊藤氏は20分でしょう?
この話、普通に聞けば、きっと飛行機か車か馬か何か使ったんだろうと推測します。
ちなみに、醍醐山を紹介しているこちら↓http://outdoor.geocities.jp/tabijin336/cn2/pg3.html のサイトでは、
「炭山集落から水晶谷を抜け、牛馬道から醍醐寺に抜ける道は歩きやすい道で、2時間もあれば登って降りてこられます。 手軽に登山気分を味わうことができ、体力の維持増進にはもってこいで、地元民にとっては、お手軽な山です。」
とあります。他のサイトもざっと見た感じ、どこも登山にかかる所要時間は凡そ往復2時間との記述でした。
普通に行って往復2時間かかるところを、その6分の1の時間でというのは、やはり、どう考えても、あまりに荒唐無稽な話だとは思いませんか?
仏典に説かれる方便や逸話ならともかく、物理法則からも世間一般の感覚からもズレた伝説を信じろというのがムリな話です。それでも信じていられるのは、真如苑に対する盲信の為せる業ではないでしょうか。
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▼晩年、伊藤は足が不自由になり歩行訓練が必要な状態になりましたが、この時の修行が原因だったのだなと涙が出ました。
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★伊藤氏はなんらかの乗り物を使わず、走ったというんですか?
この話(も)、十中八九、伊藤真乗の虚偽捏造でしょう。
ますます伊藤真乗が不妄語罪を平気で犯す邪師であり、真如苑が信じるに値しない捏造似非仏教である疑いが拭い難いものとなってきました。
ところで、法華経譬喩品等には、法華経を毀謗する罪が詳細に説かれています。
以下、現代語訳ですが、
1、眼・耳・鼻・口等の諸器官が正常に働かず、いわゆる奇形や不具・身体障害といった姿を現ずる。
2、自分が誠を込めて真実を語っても、周囲の人々が信じてくれなくなる。
3、口より悪臭を漂わせ、しばしば金縛りにあったり幽霊・物怪のたぐいを見るようになる。
4、経済的に貧苦のどん底となり、他人に低賃金で酷使される立場となる。
5、体に様々な病気を持ち、やせ細ってしまう。
6、頼るべき人がなく、また人に親しく接していっても、相手はそれほど自分の
ことを心に置いてくれない。
7、所得や収入があっても、次々に支出してしまって生活苦に陥る。
8、もし、自ら医者となって病人を治療すれば、医療ミスを犯して、かえって他の病気を引き起こしたり、死亡せしめてしまう
9、また、もし自分が病気になったときには、これを、よく治療できる医者がなく、たとえ特効薬を服用したとしても、ますます病状が悪化したり、他の病気を併発してしまう。
10、周囲の人々に裏切られたり、また、他人に金品や財産をだまし取られ、あるいは盗み取られる。以上のような不幸が、我が身に、次々と起こってくる。
11、常に悩み苦しみにさいなまれたり、足ることを知らぬ貪欲な境涯となったり、あるいは、動物のように本能だけで行動する人格・境涯となってしまう。
12、貧苦に陥り、痛々しいまでに貧相な姿となる。
13、身体に、水胞や瘡蓋、白斑や出来物などの病が起こり、次第に拡がっていく。
14、常に身体から悪臭を発散させる体質となったり、垢や汚れを落とすことも
できない生活状態となる。
15、自分勝手な妄想や曲がった見方・考え方に捉われ、そのために、腹立たしさや苦しみを自ら増していく。
16、婬欲が盛んとなり、動物のごとき行いとなる。
(以上、法華経譬喩品第三より引用)
17、癩病等の業病にかかる。
18、歯肉の病気等により、歯がすき欠けていく。
19、いわゆる三つ口や、口曲がり、鼻筋がなくなる等の、悪相が現われる。
20、手足の骨の病により、通常の生活や歩行が困難となる。
21、左右の眼球の位置が狂い、やぶ睨みとなる。
22、身体から悪臭を放ち、膿の混じった血が出るような皮膚病となる。
23、腹水がたまり、命が短くなる。
24、その他、諸々の悪重病が起こってくる。
(以上、法華経普賢品第二十八より引用)
「足が不自由になり歩行訓練が必要な状態になる」というのは、上記1・20そのものではありませんか。
貴方が涙したことについては云々しません。この話は勧誘の際に是非話すべきだと思います。
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▼法華経を国教とするために奔走してひたすらお上に掛け合っただけの日蓮大聖人。
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★やはり、日蓮大聖人の御事を何もご存知ないようです。大聖人様には三大秘法を国教にするなどという狭い御考えは存しません。
また、日蓮大聖人は幾度も命に及ぶ難に遭われておられます。
龍ノ口法難が最も有名です。
A▼法華経を国教とするために奔走
B▼ひたすらお上に掛け合っただけ
ABどちらも誤りです。
かつて日蓮正宗信徒だったのであれば知らない筈のない日蓮大聖人の御事蹟。
C知っていて尚知らぬふりをしている
D信を取れず、行学に励んでいない名前だけの似非信徒
Cであれば姑息・卑怯な単なる悪口。
Dであれば退転も納得の行体
どちらであれ、謗法者です。共々に上記の罰の現証が本当にある事を信じ、恐るべきです。
で、伊藤真乗に一体どんな命の及ぶ法難があったのですか?
せいぜい、傷害事件?かなんかで逮捕されただけではないですか?
仏説には末法の救世主は必ず法難に会うとありますから、本当の法難の実例を教えてください。
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▼対して、バカにされ、恵まれた環境を全て捨て去った、釈尊と同じように「下野」し、明日食べるものもない中に修行した伊藤。
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★修行って真言の修行でしょう?真言=邪教は樋田氏が論証済み。参照のこと。
それに、そのような状況の人(正確にはそう主張する者)など伊藤真乗に限らず無数にいるでしょうよ。何も特別なことではありませんね。
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▼ところで私が日蓮の事を「大聖人」との尊称を外さないのは、貴方方日蓮正宗の方々への敬意であって、日蓮に対してのものではありません。
そこは知っておいて貰いましょう。
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★とのことですが、承知しました。
ただ、当初、貴方は仏を名医に喩える中で、
▼私は真如教徒なので伊藤 真乗師その人が正しく教えを説かれたと信じているし、日蓮大聖人も偉大な名医であったと考えております。
と、日蓮大聖人を「名医」と認めていましたよね。
レスの内容も、後半は特に、どことなく感情的で、冷静さを欠く内容です。
自分の言でさえも否定する=自語相違は謗法者の特徴であり、常ですので、「嗚呼、この方も例に漏れずか」と幾分哀しくなるだけです。
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▼佛の説は唯一つ。
仏法を信じようが信じまいが、そんなケチな事に拘らず、全ての生きとし生けるモノを救う
これしかありません。
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★重要な発言です。文証を示してください。断言したのですからあるのでしょう。責任持って「仏法の信不信はどうでもよく、ケチな事」の義を釈尊の語で証明してくださいね。
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▼普通に考えて、世界中の全てが一つの「何か」を信じると思いますか?
▼そんな事を信じているのはイスラム国の連中の一部と日蓮系くらいなのでは?
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★貴方が仏に対して不信なだけでしょう。イスラム国のことは存じませんが、少なくとも日蓮正宗では真如苑と違い、仏智・仏説を信じています。
貴方の所感は関係ありません。
法華経の広宣流布が実現することは、薬王菩薩本事品に
「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん。」
と、仏の確かな語としてあります。仏(の智見)を絶対と信じるのが真に仏徒と言えるのであり、それを信じることも順ずることも出来ず、難癖をつけ、邪法を弘める貴方のような者は、最早仏徒ではない、仏敵です。
仏を絶対と信じ、仏の御心を体し、何があろうとその御構想実現へ向け邁進する。それが日蓮正宗です。
貴方の的外れな言こそ、仏法を正しく知らず、しかも不信である事を自ら宣言しているのです。
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▼誰であれ無差別に救う!
真如苑はその為に存在します。
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★週刊誌の広告にでも載ってそうなキャッチコピーですね。
その「志そのもの」はまことに尊いものであり、この点においては私も貴方も同志です。それが真に叶う方法なのか否か。それが重要です。仏法は道理ですから、どれほど信じようとも毒は毒、邪は邪です。
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▼別に真如苑に入らなくても佛は救ってくれると思います。
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★では、仏が実際どういう形で救うのか、貴方の思い込みではなく、文証をもってそのプロセスを明示してください。
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▼真如教徒とは、それを取り次ぐための菩薩です(私は違いますけどね)。
入信するとかしないとかは関係ありません。
★↑に同じ。まず仏がどういうプロセスで衆生を救うのか、そこをはっきりさせましょう。取り次ぐための菩薩かどうかはその後の話です。
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▼従って、その功徳は偉大ですが逆に誤った求め方をすると、それに気づくまで相当酷い目に遭います。
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★真如苑の信仰が仏説に叶い、真に功徳を生じているのか、私はそうではないと指摘しています。そうではないのであれば、先に示した法華誹謗の罰という事です。したがって、真如苑の信仰で感じる功徳のようなものは、すべて、衆生に少なからず存する功徳と引き換えに得た何かしらであり、魔の通力ということです。
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▼日蓮の教えでは絶対にそこまで行けません。私の人生と引き換えに得た智慧です。
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★普通、世間を知らない若い時期は、誰でも慢心が強いものです。真の仏法を知らない・行じないなら尚更そうです。
宗教に興味のない一般の方でも、人生思うように行かず失敗をし、辛酸を舐め、そうしてはじめて自分の慢心や浅はかさに気付き、他人のことも少しは考えて振る舞えるようになる。
それはそれで人として素晴らしい事ですし、無くてはならないものだとも思いますが、貴方の得た「智慧」自体はそんなに殊勝なことでもありませんよ。
以前、
▼尤も、日蓮正宗の方々は苦悩や苦労はないでしょうね?
私もかつてお世話になったからよく知っています。
お題目をあげて、座談会に出席してればよいだけですからね。
と仰っていましたが、やはり貴方は日蓮正宗を知らないようです。本当に日蓮正宗信徒だったのでしょうか。
日蓮正宗の修行は、けして
▼お題目をあげて、座談会に出席してればよいだけ
ではありません。最も重要な行である「折伏=他を教化」が抜けています。
貴方が日蓮正宗に疑問を持ち退転したのも、折伏を行じていない=真の功徳も成就しない=仏法の理が信解・体得出来ないような「正しくない信仰姿勢」にその原因があったのではないかと推察します。
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▼ですが初歩的な問題として、私が信じ、尊崇している人物を呼び捨てから入るのは、菩薩と言うにはあまりに智慧がないですよね?
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★真如苑による謗法の害毒で悩乱しきってフラフラの重篤患者が、良医の元へ誘導せんとする看護師に対して、朦朧としながら「ちょっと?。も少し丁寧にお願いしますよ?」と駄々を捏ねているようなものです。
或いは「腕の良い看護師ならこうあるべきだ?」と、医療について何の知識も経験も無い聞きかじりの素人が、自分の危機的状況や立場も弁えずに空しく吠えている。そんなところでしょう。
仏法における教導の方法に四悉壇というものがあります。貴方のように謗法の毒気深い者には中途半端で生易しい言辞(世間的な軟語)では効果が無いと判断し、1番の執著どころである伊藤真乗の名を敢えて敬称を抜き、以って警鐘を鳴らしているのです。
敬称や尊称に過剰反応するのも、ある種の執着ではありませんか?貴方の師は呼び捨てにされて怒っていますかね。もっとどーんと構えたらいかがですか。
それに、↓の樋田氏との初期のやり取りで、
▼ また、真言宗系とは何か?真言宗の定義に依ります。
本尊は大日如来ではない(大日如来は化佛)し、宗祖は伊藤 真乗です。
http://toyoda.tv/shinnyoen.hasyaku3.htm
呼び捨てにしていますよね。
樋田氏は、それに準えてその呼称を用いたんじゃないんですかね?
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▼つまり人間は追い詰められると自分の信心が間違っているのでは? と疑うのです。
私はとうにそんな境涯は過ぎました。
地獄に堕ちても伊藤が一緒です。
伊藤が呼ぶなら地獄へでもどこでも行きましょう。
▼私は地獄を一度ならず舐めた人間です。
今更何も怖くない。
「どん底は 地獄の釜の 底にして 浮世の風の 吹かぬ極楽」 なんちって!
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★貴方が味わった辛酸を私が知る由もありませんが、心より同情します。
しかし、拙い者ほど、えてして実態を知らないが故に去勢を張ってみせるものです。例えば、実際に実弾飛び交うスーダンの激戦地に今すぐ行けますか?普段モニターの向こうの事として(自分と無関係・又は縁遠いこととして)見ているぶんには去勢も張れましょう。
地獄はスーダンの比では無い、苦の極致として存在すると説かれています。仏が実として説かれた地獄の存在を本当に信じる者は、軽々に「地獄に行っても良い」とは言いません。
やはり貴方は、仏(釈尊の仏説)を信じているのでは無い、邪師 伊藤真乗をただ盲信する人。貴方の言葉を借りれば、私よりも更に「無知の拙い人」です。ご自覚あれ。
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▼明日、命が果てるとしても今日の一日、真如に生きて私の心の親、伊藤夫妻に感謝をささげられるならそれも良いと思います。
逆にここまでイカれなくては、「信心している」とは言えないのです。
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★晴れやかな決意というよりは、どちらかというと後ろ向きな、諦め調の暗い「宣言」ですね。
そこまでイカれた信心のある貴方ですら真如苑で菩薩にもなれないのですから、普通一般の人の成仏は到底叶わないでしょう。
結論。真如苑での成仏は不可能。早く目を醒ましてください。
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